邂逅に相遇わば我が願い適えり、つまりはボーイミーツガール!③
「――と、いうわけで、巫女がくれたこのお守りが霊験あらたかでして、本日はぺろりと食べることができたのです」
以上、荀偃による謎の回想であった。士匄たちはしらけた目を荀偃の手元に向けた。そこには、平たいのか丸いのかよくわからない石が紐でくくられ、ぶら下がっている。
「えっと、その、小石ですか」
趙武がこわごわと聞く。
「亀です!」
よくよく見ると、石の頂点に亀甲模様が染料で描かれていた。雑な亀である。
「なんだ? つまり、中行伯はその淫祠女を情人にしたから俺がおやつを食い損ねたと? 情人のプレゼントで食欲もばっちりスッカリ男らしいってなんだ、怪しい売り文句ではないか」
欒黶が口を尖らせた。この男は、座談のあとに出される甘味が食い足りぬと拗ねているのである。いつもとろとろと食べるのが遅い荀偃のものをかっさらい、『いらないようであったから』、とわざとらしく食べるのが趣味なのだ。むろん、ほめられたことではなく、上席に怒られ士匄には『窃盗罪』と毎回しっぺされるのだが、懲りない。
しかし、今回、荀偃は黍飴がけの餅をぺろりと食べた。いつもなら、ちまちま食べているくせに、ぱくぱくと、しかし儀礼正しく食べきった。それに逆切れ怒った欒黶に辟易しながら、荀偃が返したのが、つまりは長々とした回想話であった。
「まあ、欒伯。中行伯が良い巫覡と言っているのだ、淫祠などと詐欺迷信のように言うな。そして、まあ一目惚れしたのだと臆面もなくご披露される。いやいや、そのような良き女と閨を共にしておるのだ、そりゃあ精を付けねばならぬ、食も進むであろう」
士匄はにこにことしながら欒黶に話しかけた後、最後ににやにやとした笑みを荀偃に向け、身を乗り出し顔を覗きこんだ。まぬけなことに荀偃がきょとんとした顔で首をかしげる。なんとまあ、愉快なカモがネギを背負っている。士匄は荀偃という先達が大好きである。世の中に、ここまでおもしろいおもちゃがあろうか、いや無い。
「いやはや、この宮中、まつりごとを学ぶ我ら後輩といたしましては、先達のお言葉の深さ、感服するしかない。葛の深衣は確かにこの世のもの、異界の巫覡に相応しくなく改めてもらうは必定。それはまあ、早急に帯を解いてしまうは仕方無し。しかし仮面をとれば、それは巫女ではなく女。顔を見てしまえば中行伯も責をとりたくなるもの、わかりますとも、わたしも男です、名も問うが必至。匏に苦き葉あり、済に深き渉あり。深くは則ち厲し、浅くは則ち掲せよ。川を渡ろうにも底深い場所に阻まれ、葉が邪魔で瓢箪を浮き具にできず、渡るに難しいのが恋というものだが、あなたは深い場所を衣服からげて歩けば良いと、皆の前でどうどうと恋人に会いに行く古詩の勇者のようだ。良き巫女を得て、あなたも食欲旺盛とのこと、とっても見習いたい」
最後の台詞あたりで、荀偃の頬をやわらかく摘みながら、士匄は笑った。それはまさに、獲物を嬲り食う肉食獣の笑顔であった。荀偃がようやく気づいたらしく、ざあっと顔を青ざめた後、一気に紅潮させた。
「ちが、違います、違う、そ、そうじゃないんです、違う!」
荀偃の名誉のために先に記すが、皐と肉体関係はいっさい無い。彼は偶然女の服を剥いでしまい、偶然女の顔を見て、そして偶然名を聞いたのである。ほとんどやっていることは求愛であるが、彼はそのつもりはなかった。しかし、この場にいる皆、荀偃の言葉を信じていない。士匄にいたっては荀偃の言動を、セックス込みの恋愛詩でからかっており、極めて趣味が悪い。
「えっと。まあ、その、どのようないきさつであれ大切な方からの贈り物なのですよね、その亀? 無くさないようにしまっておくのが良いと思いますよ」
趙武が半泣きの荀偃を慰めた。荀偃が、あわてたように石を帯止めに付けていた。え、そこに飾るの? と趙武も少々ドン引いた。絹の帯、細かな銅細工の帯止めに、土臭い小石はとてもではないが、似合わない。
「……まあ、ご本人が良いのであれば……良いのかなあ」
趙武は肩をすくめて呟いた。いや、本当に良いのか。どう見てもただの小石であり、大夫の軽重が問われるのではないであろうか。最年長の韓無忌が休んでいるために、場の空気はだらけている。趙武はぴしゃりと己の頬を軽く叩いて気合いをいれた。甘味は娯楽のために食べているわけではなく、儀礼を確かめるために食しているのである。遊びではない。この宮中にいる以上、遊びの時間は無い。
無駄に根性スイッチの入った趙武が、三人の先輩を相手取り議を問うていくのであるが、まあ、そこは本題ではないため、はぶく。
荀偃はもちろん、父親の荀庚も生まれて初めて食事を楽しんでいる。美味しくても喉に詰まっていた日々よ、さようなら。食欲のままに口に入れても腹におさめても、苦しくないというのは素晴らしい。
「父があのように楽しんでいる姿は初めてだ。皐のおかげで見ることができた、礼を言う」
大貴族の令息に丁寧に拝礼され、皐は顔が茹だるほど動転した。皐は巫覡であるが邑や氏族に属すようなごたいそうなものではなく、いわゆる歩き巫女であり、乞食に近い。それが、大貴族にかしずかれ、なおかつ名まで問われたのである。有頂天になっても仕方が無かった。
「そ、そしたら、もっとたくさん、欲しくなるように、する、えっと、いたします。荀氏が欲しいものを欲しいまま、食べられるように、もっといたします」
皐は信頼された巫覡として、宣言した。善意である。言葉の内容よりも善意が嬉しく、荀偃は笑顔を返して頷いた。
世の中、善意こそがトラブルとパニックの原因であり、悪化させる種である。まあ、そういったことを皐はもちろん、荀偃もまだ知らなかった。
プロローグ前座終了