邂逅に相遇わば我が願い適えり、つまりはボーイミーツガール!②
当初は貴族の常として、巫覡の前に立った。が、この若い巫女は荀偃の身分に圧されて上手く話せないようであった。うながしても、あの、えっと、と言いよどむばかりである。そのようすがあまりにあわれで、荀偃は視線を合わせるように屈んだ。お優しい為政者であるが、軽挙に過ぎた。
「私の力になるとはどのようなことだ?」
荀偃は優しく言った。巫女は大貴族に視線を合わされて驚き、さらに挙動不審となる。
「どのようなこと、でも、です! あなたの、お望みの!」
巫女がひっくり返った声で言う。仮面であり表情はうかがい知れぬが、必死であるのがとれた。荀偃はなんでもかあ、と首をかしげ、考える。むろん、その間、周囲に侍る手勢のものどもは刀を手にし、棒を構え、主人に害なすものか、もしくは詐術を弄するか見計らっていた。もし、合図ひとつあれば、女はめったざしであったろう。ゆえに、圧され怯えているのかもしれなかった。荀偃はそんな女の怯えにも、手勢の焦りにも気づかず、どんなことが望みか、と考えた。士匄におっとりとしておられると嗤われ、欒黶にノロマとバカにされるゆえんである。そのうえ、あれがよいかこれがよいかと迷い続けるのであるから、韓無忌に『決断力を育てるよう』と注意されてもしかたがない。優柔不断な荀偃は、結局、まともな結論が出なかった。
「あ。そうだ。我が父は食が細い。たくさんお食事を召し上がるようにしてほしい。私も食べるのが遅いし、下手くそだ。そうだな、おいしくものがたくさん食べられるようになりたい」
もうそろそろ三十にも手が届く荀偃は、幼児のようなことを言った。考えに考えて、それしか思い浮かばなかったのだ。彼は黙っていても卿になる家柄であり、特に困った問題もない。あえていうならこの優柔不断で流されやすい性格が問題であるのだが、自覚はない。あの邑の税収が、やら、そろえた馬の質がやら、もろもろリストアップした末のこれであった。
「それは、それは得意でございます!」
巫女が身を乗り出し、手を広げて、踊るようなしぐさで言った。胸をはっているようにも見えた。それは心強い、と荀偃は笑い、女の手をとって立ち上がった。彼としては連れて行くつもりだったのだが、あまりに軽率である。貴族が顔もしらぬ民の手をとる、妙齢の女の手をとる。どちらも非常識すぎた。
「びゃっ」
引っ張り上げられ驚いた巫女が荀偃の手を弾いた。むろん、貴人の手を弾いたのであるから、おおごとである。巫女は動転し、身をよじった。せめて顔を見られてはならぬと仮面を抑える。この仮面こそが、異人としての力であり、託宣の証なのだ。その巫女の動きにつられ、荀偃はバランスをくずして手を回した。なんとか踏ん張ったが、麻の紐をつかんでいた。
「あ」
荀偃は間抜けな声をあげて、巫女を見た。巫女は、仮面を抑えたまま、必死に身を丸めたが、どうしようもない。だらり、と深衣ははだけた。
当時の衣は、襟のある上衣とスカート状の下裳を縫い合わせたワンピースであり、帯でとめるものである。そして、この時代に下着は無い。
「びゃああああああああああああああああああああああっ」
「うわあああああああああああああああっ」
巫女は持っていた仮面を放り投げて、泣きながら己の股間を手で隠した。荀偃は、白昼ど真ん中で女の体をひんむいた状況に混乱し、悲鳴をあげた。周囲の手勢たちも、まぬけな巫女を庇えば良いのか、とんまな主を慮れば良いのか、一瞬困惑した。が、この手勢は主が好人物だが少々鈍くさいことをわきまえている。さっと替えの服を持ち寄り、
「こちらお使いを」
と荀偃に差し出した。我に返った荀偃は女に衣をかぶせて、むりやり肌を隠した。手にある麻帯を渡せば良いだけなのだが、そこに思い至っていない。ゆえに、荀偃は女に衣をかぶせたまま動けなくなり、女も動けなくなった。せめて仮面をかぶりたい、と女は目を地にむけるが、荀偃が邪魔でかがむことができない。
「お、お前が祈れば父がたくさん食を楽しめるのか?」
「え、あ、はい、はい」
いつも一つ食べるごとにため息をついている父を思い出す。荀庚は食べることが嫌いなわけではない。ただ、食べることが苦手なのだ。食事も祭祀と繋がるこの時代では、苦労が多い。
「じゃあ、お前が。えっと、お前の名は?」
荀偃は、毎回お前、と聞くのが嫌になって思わず問うた。手勢が後ろで頭を抱えたことに気づかなかった。聞かれた巫女は、顔をあからめて、はへ、はひ? と奇声をあげたあと、
「皐、でござい、ます」
と、素直に応えた。巫覡の顔をあばき、衣服をひんむき、名まで問うたのである。荀偃以外は、ことの状況に発狂しそうな気持ちであった。一人気づかぬ荀偃は、
「そうか、皐。ではまず邑に来られよ。ゆっくりと話そう」
と笑った。皐が、耳も首筋さえ真っ赤にしながら頷き、ようやく、そっと荀偃から身を離して仮面を拾い上げた。が、巫覡としての仮面姿にならず、荀偃に寄り添って共に馬車へ乗った。
③に続きます