邂逅に相遇わば我が願い適えり、つまりはボーイミーツガール!①
新章『夏は星狩りの季節』編
夢を見た。丘の上で巫覡と出会う夢であった。
「何かの啓示かなあ」
目覚めた荀偃は、夜明け前の空を眺めながら首をかしげた。夏の朝は、日中の暑さが嘘のような涼しさがある。少し湿気た風に緑のにおいがまじるのもなかなかに良い。荀偃は庭を出て軽く歩く。足で砂や土を盛り、小さな山を作ってみた。
「丘で、巫覡」
そうひとりごちても、どの丘であったのか、いまいちぼんやりとしてわからぬ。自家の巫覡の顔ではなかった。それどころか、巫覡の顔は真っ平らであった。削ぎ落とされていたと言ってよい。
この紀元前六世紀の当時、夢は脳のメカニズムではなく、なんらかの情報である。朝食にて荀偃の話を聞いた父、荀庚も
「我が家の巫覡でないものか。不思議だね」
と首をかしげながらのんびり応じた。肉や野菜を薄く切って煮込んだ羹を匙ですくっては、もぐもぐと長く咀嚼する。荀庚は特に病弱というわけではないのだが、食が細く筋肉は薄く、貧血も多い、貧弱というべき体質である。貴族に生まれていなければ早々に死んでいたであろう。荀偃は特に病弱でも貧弱でもないが、食べるのが遅い。よって、この親子の食事風景は常に平和でゆったりとしていた。
「そうだ、偃。せっかくの啓示なのだから、桓子の……父上の廟へごあいさつへいっておいで。父上がお亡くなりになってもう十五年をとうに越えられた。父上はご友人多きかたであられた、黄泉でみなさまがたとお過ごしでしょう。それはまあ楽しく過ごされていると思うが、たまには孫が顔を出しても良いではないか」
いきなりの墓参りを勧める荀庚は苦しい言い訳をしているようにも見える。荀偃は口の中の肉をゆっくりと咀嚼し飲み込んだ後、口をそそぐ。そうして荀庚に拝礼し口を開いた。荀偃は士匄と違って、親に刃向かうという考えが無い。
「わかりました。きっと夢のお導きでしょう。おじいさまの廟へ伺います。明日がよろしいでしょうか」
「いや、今日にでも。お前が出仕できぬ旨は私から伝えておこう」
荀庚がふわりと笑んだあとに、再び羹を食べた。荀庚の父、荀偃の祖父は諡号を中行桓子といい、落ちぶれかけていた荀氏を卿の家格にまでした、中興の祖である。何かに秀でていたというわけではないが、穏やかな好人物であり、友人が多かった。その穏やかさを受け継いだのか、荀庚も荀偃ものんびりとした――というよりはのろまな性質であった。
荀庚の食の細さは最近とみに目立っている。この父親は己が長くないのだと思い込んでいるのであろう。荀庚が荀偃の夢を口実に嗣子としての覚悟を促したのはあきらかである。おおげさでもある。荀庚はしばしば、このような態度をとる。少々めんどくさい父親であるが、荀偃は不快も不満も無かった。そこは深く考えずに従順な性格である。また、夢に巫覡が出た、ということが吉祥か不祥か、気になっていたため、きっとこれも何かの導きなのだと、思った。
さて、お導きの通りと言うべきか。荀氏の邑の入り口にて一人の巫女が荀偃を待ち望んでいたかのように伏して待っていた。若い女であり、巫覡らしく平たい仮面をかぶっていた。ゆるい深衣はじっとりと汗ばんでいた。葛の生地は貧民らしくぺらぺらである。彼女は己で研磨したらしい少々いびつな玉を手に持ち、荀偃に向かって拝礼していた。
「あの! あなたさまと会う夢を見まして、ございます。荀氏のお世継ぎのお力になれと啓示ございました」
馬車から覗き、その邑こそが丘の上にあることに荀偃は気づいた。
「ああ、まさに私もそなたの夢を見た」
荀偃は馬車から降りて、巫女に駆け寄った。想像以上に小さくかよわい女に思えた。よくよく見ると、衣服が大きいようであった。このようなとき、士匄であれば立ちはだかり、何が言いたいか、と居丈高に問うていくであろう。夢であろうが誰かに示唆されるなどまっぴらだ、という男である。趙武であれば柔らかく接し、常識的に託宣をさせ、内容によっては褒美でもやったであろう。が、荀偃は少々、いやかなりお人好しであった。
②③に続きます