往を彰わにして来を察す、年よりの言葉は一度くらい聞いとこう③
趙武は、士匄の状況などどうでもよく、范武子に己の浅ましさを指摘され、頬を染めていた。悔恨と自嘲が己を支配する。范武子という尊敬している人に、人生の指針がほしい、といううわついた欲を指摘され拒まれたことへの羞恥。そして、死人を呼び出すことなど考えるなという牽制に、己の底を見られたと趙武は消え入りたくなった。趙武が会いたい人のほとんどは、死んでいる。范武子はそれを察し、やめろ、と言ったのだった。
「……趙孟。泣きそうな顔してるんじゃない。見ているほうが恥ずかしい、共感性羞恥って知っているか?」
改めて座り直した士匄が、趙武の顔を覗きこんで言った。労りの感情など全く無い。呆れた声であった。趙武はしらけた目を士匄にむけると、ふ、と安堵の笑みを浮かべて肩の力を抜いた。
「いや、あなたって本当に尊敬できるところ無いんですけど、そーゆーとこ嫌いじゃないです」
趙武の褒めてるのか貶しているのかわからぬ言葉に、士匄が、ち、と舌打ちをした。士匄は別に慰めるつもりなどなく、言いたいことを言っただけである。この男は人に同情するということを無様な行為と思っており、趙武が最も嫌いなことは同情されることであった。
「さて、気をとりなおして、だ。この、過去の邑。空白の地だ。理由は知らぬが邑と山神の相性が悪かったのであろう。山神は何故か邑を幾度も祟り、邑は逃げた」
「……その後も邑は祟られた、というわけではないようですね」
同じく気をとりなおした趙武が『問題の邑』を描き込んだ場所を撫でた。もし、祟りが続いていたのなら、周人も邑宰もその旨を士匄に引き継ぐはずである。それを隠すほどの詐欺を行う理由がない。もし、他者に祟りや呪いを肩代わりさせるにしても邑を渡すのは失う財が大きすぎる。何より、士氏は大国晋の武闘派有力貴族である。士氏に祟りをなすりつけることは己の死刑執行書にサインをするに等しい。
「あの、素衣素冠の男が『迷惑なきちがい』ていどで終わっている。ということは、祟ることができず、しかし何故か縁が切れずつきまとっていたわけだが……。そしてもうひとつ、だ。山神に関係するであろうものが、なぜ人の形をとっている。よもや、堯帝時代に人型の祀りでもしたのか? 儀に合わなさすぎる」
中国古代において、神はまともな人の形をしていない。龍や麒麟のような瑞獣に寄せているものもあれば、偶像化せずに、概念的に信仰しているふしもある。少なくとも、士匄は人の形をとり、斬られて死体にまでなった山神の話など聞いたことがない。祀りを行う巫覡が邑を捨てても残っていたのか、それとも人にまで堕ちた神なのか。
「じゃあ、この空白の地と山に行きましょう」
趙武がパン、と手を叩き言い切った。士匄は、うえ、という顔をする。その顔は、その少々遠い邑を超えた場所まで行かねばならぬ面倒さと、絳都を出る許しを父親にせねばならぬ、ということへの倦厭である。士爕は何も聞かずに許可するような、大雑把な男ではない。何故、何のため、いきさつ全てを語らねばならぬ。想像しただけで面倒であった。
「あの、お父上が恐ろしいのでしたら、私も同席いたしましょうか?」
極めて屈辱的なことを言う趙武を士匄は睨み付けた。
「いらぬわ! お前がいたらさらに面倒だろうが!」
と、怒鳴った上で、
「この場合は知伯にまずご相談し、あわよくば同席しわたしの代わりに説明していただく。もしくは裏から父の耳にいれていただく。知伯は頼れとおっしゃっていた。ここは利用させてもらう。どうせ怒鳴られ殴られるが、説教は短いほうがよい」
と、ふんぞりかえって今後の方針を述べた。
ゲスト出演、范武子=士会さんでした。拙作『父の仇に許された』にてやりたい放題しております。