易簡にして天下の理得、シンプルに考えるのが一番よ。①
当時、国を攻め亡ぼしたとしても祀りを絶やさぬようにすることが常識であったようだ。晋も周辺国家を次々と喰い平らげるたびに邑が行う山川の祀りは引き継いでおり、それらは邑がいつ開かれたかによって変わる。
つまり、ひとつひとつの邑の祀りというものは微に入り細に入り記録されているということであった。現代のような紙ではなく、板状の竹や木に文字を書き入れ繋げた書簡である。邑の位置もその周辺にあるものも、全て文字と漢数字で説明されているのである。それがひとつふたつではない。趙武が念のため、とピックアップしたそれは、十を軽く越えている。士匄は頭は良く文字で説明された事柄を脳内で立体化させるのもたやすくできる。ただ、彼は根気と持続力が極めて欠けていた。何度も、もう嫌だめんどくさい! と叫び、そのたびに趙武にいなされている。
「えっと、この邑は山が背にあって、川は西でして、我が絳都からの距離が……」
「四つ前に出した邑より二十六里北東! ゆえさらに山が近くなり、黄河に流れゆく支流の間近だ。……ちょっと貸せ。……これも堯帝時代の邑だな。そうなればこの山より流れる支流に近い三つの邑、堯帝の御世に始まった養蚕の場だろう。あー……。確かこの山には山桑があり、つまり、もしものときの保険としてこの山からの恵みを三邑で分け合うようお作りになられたのであろうよ。つまり、この三邑はいわゆる兄弟都市だ」
書簡に記載されているのはそれぞれ独立した邑の記録と地勢、わかるだけの歴史と財源である。しかも、順番に並んでいるわけでもなく、地図があるわけでもない。が、士匄の頭は述べられた順など関係なく有機的に処理されていく。
「本当に、あなたは頭がいいですね……」
素直に感心しながら、趙武が書庫の床の上に印を付けた。位置関係がわかりそうな手書きの地図であった。メモにできそうな布も板もないため、床を使っているのである。ま、怒られたら謝ればいいじゃないですか、と床に絵図を描き出したとき、士匄は唖然とした。貴族主義に染まった彼には無い、大雑把さであった。
「もういいだろう、趙孟。今の三邑のように共に開かれた邑は確かにあるが、問題の邑が他の邑と関係あるとは思えん」
今まで列挙した邑の起源は堯帝時代を元にするところばかりである。その上、周人が士氏に譲渡した邑は地勢としても繋がりがあるようには思えない。あとから、たまたま開いていた場所に入植した、という位置である。生活水準が高くなれば、不毛な地も良い地に変わる。時代が降れば、無用な場所が有用な土地になることなど珍しくもない。飛び地のその邑は、たまたま遅れて舜帝の時代に開かれただけだと士匄は思った。
しかし、趙武といえば、首をかしげて唸っている。そうして、床に書いた図を指さした。
「このあたり一帯は、黍を主に耕作してはいますが、それぞれ山の恵みに合わせて作られた邑が多いと思われます。先ほど、范叔がおっしゃった三邑は桑ですね。こちらの並びは銅です。このうちひとつをお持ちは郤氏です。先代正卿の郤献子はこちらの銅を持ち込み君公に公室の銅工場で祭器を作りたいと願い出た、と聞いております。つまり、このあたりの邑も兄弟都市でしょう。さて、問題はこちらです。山に近接したこの邑は漆を扱っております」
ここに出た郤氏は現在も威勢強く、卿に名を連ねている。それはともかく、趙武の言葉に士匄は頷いた。
「ああ、その山に漆が群生しているからな。それを邑でも栽培している。そちらも堯帝が開いた地、山の漆を民に与え、栽培をお教えされたのであろう」
這いつくばって地図を書いて示す趙武に視線を合わせるように、士匄も膝を床につけ、顔をつきあわせる。
「范叔のおっしゃること、もっともだと思います。でも、山の大きさに比べて邑の規模が小さい。いえ、小さいというより、桑、銅に比べ、漆が一邑というのがどうも解せない。なので、ちょっと考えたのです。このあたりに私なら邑を作るなあ、と。そうしたら」
趙武が空白の場所に筆を置き、印をつけた。そうして一旦筆を浮かせて、移動させる。士匄はその動き、筆先の行く先に眉を顰めた。
「私だったらここに邑を作りますが、無い。でもその山から東へ少し動かすと、邑があります。このあたりで唯一、舜帝のお作りになった邑。あなたが引き継いだ例の邑です。邑の産むもの、黍はございましょう。粟はもちろん、家畜も。――漆は?」
「……あった。漆園が自慢の邑だと周人は言っていた」
「単に、漆の山に近いからでしょうか、他の邑から譲られた可能性もありますが」
趙武はここまで指摘しておきながら、おずおずと消極的な意見を静かに言った。趙武が示した場所に邑は無く、晋の記録にも無い。士匄が譲られた邑は現実のものとしてあり、舜帝、虞王朝の時代からあったと主張している。士匄は己のこめかみに手を置いたあと、指でとんとんと叩いた。――もうひとつなにかピースがいる。屈辱も怒りも忘れ、空白の邑のことだけを考える。
「……趙孟。素衣素冠といえばまず喪服だ。その葬式にあやかろうとする葬儀乞食が着ているもの。他に何が思い浮かぶ?」
邑からいきなりかけ離れた質問に驚きながらも、趙武が
「えっと……亡命、でしょうか。祖国と永遠の別れをするときの儀で着ます」
と返す。士匄はその答えにそうだな、と生返事をしたあと、また考え込んだ。はっきりいって、失礼極まりない態度であったが、趙武はただ黙って士匄を見た。このような、沈み込むように考えている士匄など、初めて見たからである。趙武にとって士匄は頭の回転がよく、弁が立ち、立ちすぎて口が回りすぎ、舌禍で損をしている先達である。一歩立ち止まってから動けばよいのではないか、と考えることしばしばであった。が、その彼が一歩どころではない熟考をしているのである。しかも趙武を壁打ちにしてまで、深く潜り考えているのだ。
士匄はもちろん、趙武が驚きの目で見ていることなど気づかぬ。あの邑の問題は、邑そのものと、贄にした素衣素冠の男である。死したものへの喪服か。死を食い物にする喪服もどきか。祖国への別れか――。祖国への別れ、祖国との別れ。
「亡命ではない。あれは追放だ。あの、素衣素冠のものは追放された」
②に続く