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君以て易しと為さば其の難きこと將に至らんとす。簡単だと思ってた? だから困ったことになるものよ。②

 ホウホウ

 ミミズクの声がどんどん大きく、近くなってくる。道のわきに日干しで作った(せん)――日干し煉瓦であり、以降『煉瓦』と記載する――がところどころ見えてきた。長方形のそれらは真っ直ぐに立っているものもあれば、足場が悪いのか斜めのものもある。大きくとも士匄の膝程度の高さであり、小さいものは崩れ落ちていたり顔を少し出したもので、くるぶしにも届かない。

 ランダムに並ぶそれは、ミミズクの声に近づくほど目につくようになっていた。

(せん)に模様がありますね」

 趙武(ちょうぶ)がきょろきょろしながら言う。煉瓦の表面には幾何学模様に似た文様があった。よくよく見やれば、羊の角であったり、馬の記号であり、中には人を模したものもあった。かつて世界を言葉に封じた時代があった。人々はそれを時には左右対称に、時には動物の顔をえがくように刻んだ。つまり、この煉瓦の模様は原初の文字列でもあった。

「馬、羊、車、風。羊以外はかつて境界に属していたものだな。羊は生け贄か――やはり境界でのやりとり、商いだろう」

「記念碑、とも違うでしょうが、そんな雰囲気がします」

「当たらずとも遠からず。ここは道祖の祭場というわけだ」

 士匄はそう言葉を終わらせると、趙武の頭をこづいた。趙武が少し気を悪くした様子でふり返る。

「なんですか」

「ようやく調子が戻ったんじゃないか。我らは道祖サマの祭場へ導かれた。ミミズクは生きながら死を見る鳥だ。生と死の合間で、何をさせたいかは知らんが――」

 士匄は不思議そうに首をかしげる趙武を横目で見ながら、こめかみを指でとんとんと叩いた。

「……神事を、行うのですか?」

 不安そうに問いかける趙武に士匄は首を振った。

「道祖での神事は三つ。敵対するものどうしの誓い、生者が死者と分かつとき、異界との境をはっきりさせるときだ。旅や商いで場を借りたり、旅の加護を願うは神事というほどでもない。さて――我らはむりやり宿を借りるはめになっている。道祖は来る者拒まず去る者追わずだ。それを力任せに引きずり込むとは、よほどお怒りらしい」

「……あの石柱を倒したこと、ですね」

 あの朽ちた石はかつて石柱であったろう。完全な直方体か、円柱か。祀られる道祖の像は男根を象るため、円柱であろう。(いん)である地に突き立てる陽が、異界から中原を守るというわけである。死から現れる生でもある。

「ここは周都のすぐそばだ。そのような場の道祖は、ことに約定と境界にうるさい。本来、あのように朽ちているわけがないのであるが、周はすっかり力を落とし、政争常にあり、我ら(しん)にとりなしてもらいたいと泣きつく有様だ。己らの祀りで手一杯、場を守る道祖さえおろそかにした、か」

 顎を撫でる士匄に、趙武が呆れた顔を見せた。

「また、適当おっしゃって。それとも、道祖がそのように語りかけておられるので?」

 棘と隔たりを感じさせる趙武の声は、ぴりぴりと剥がされる()()()()に似ていた。士匄は思わず睨み付ける。趙武が、己の失言に気づいたのか、申し訳ございません、と謝った。が、どうも口先だけのように思えた。

「道祖は言葉の無い裁定者だ。行動しか示さぬ。道祖のもとで行う選択も約定も神事となり、違えればただ死を与える。死を賭して誓いを守るものを嘉し讃えると言うが、どうするかしらん、できもせぬ誓いを守ろうとして死ぬやつらだ」

「何もわからないと同じ、ですか」

 趙武が不安そうに問うてきた。境界の儀式以外に、道祖に旅の無事を感謝し、隣国との安寧を祈る。その程度はわかるが、それ以上となれば、普通の大夫(たいふ)ではわからない。運良く士匄は普通の大夫では無かった。バカみたいに頭が回り、やたら物知りで、なおかつこの世ならざるものへ敏感である。ゆえに、解はある。

「馬、羊、車、風。馬は走り、車は回る。羊は人を介して世を渡り、風は留まらない。道祖が一時の宿を許すのは必ず旅立つからだ。お前と私がここに留まっていることこそ、ことわりから外れると言上し、新たな祀りの姿を用意すると誓う。ったく、引きずり込んで約定までさせやがる道祖なんぞ、いらんと言いたいが、一応神は神だ。敬わねばならん」

 礼賛(らいさん)などみじんも感じられぬ声音で吐き捨てた後、鼻で息を慣らした。趙武が肩をすくめたあと、士匄が向かおうとする方向へ目を向ける。

「私は、ただ駆け出しただけです。何もわからなかった。あなたが言う道も見えず、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。あなたは何がわかるのですか」

 趙武の視線の先には、荒れ地と、薄い青空がただ広がっている。道に埋まる煉瓦は均等であったりランダムであったりと無茶苦茶で、『道』に沿ったとも思えない。

「ミミズクの鳴き声はかなり近い。わたしに見えるのは、道と、雲だ。雲の流れが変わっている。あのあたり」

 士匄は、空を指さす。趙武には少々重い雲にしか見えない。

「あのあたりの雲は、旋回し、あの場から動く事もなく輪のような形になっている。ミミズクが飛びながら鳴いていると見た。ミミズクは死を悼み送る鳥だ。あの場は、死がある。境界ではない」

 言いながら、士匄は歩きだした。目の前で立ち尽くしていた趙武を掴むと、足を速める。趙武はさらに小走りになって追いかけてきた。ところどころ荒れ地に落ちている小石を履んだ趙武が、あ、わ、とまぬけな声をあげていたが、無視をする。

 この場も、そして距離が開いたままの趙武も不快であった。さっさとここから出たくて仕方がない。

 さて、空というものはいくら追いかけても近づかぬものだが、進むたびに輪のような雲はどんどん大きく見えてくる。そうして、ミミズクの鳴き声も間近となっていく。

 そこに、死があるのか。士匄の腕は鳥肌であわだった。忌避感が強く襲ってくる。歯を食いしばってそれをねじ伏せ、雲の――旋回するミミズクの真ん中に、立った。

③④⑤に続きます

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