故を刑するに小とするなし。どんなに小さくとも罪は罪ってわかってやったんだろうがよ①
2023年12月31日。今年最後の更新です
馬が止まり、車内の揺れが止まった。相手の仮屋に着いたのだ、と趙武は少し身をこわばらせながら立ち上がる。
「お前はこれから、二つのことをする。まずは己への疑心を払う。わたしにとってはバカバカしい話だが、お前にとって重いのであれば自らすすげ。もう一つは手駒を飼い慣らす」
士匄のけしかけるような声が趙武の背中を押した。馬車から降りようとする趙武を見下ろしながら士匄は軽く笑む。
「男としても氏族を束ねる主人としても、わたしに介添えを願うなど無様なことだとわかってはいるのだろう。後輩たっての願い、頼みだ。先達として引き受けてやろう。わたしはお前が趙氏の長としての責を果たし晋の地を踏むまで、介添えを務めよう」
その声音に真摯さはなく、愉悦を込めた軽薄さがあった。心底愉快そうな顔でのぞきこむ士匄に、趙武が呆れた顔を見せた。
「人の大事を娯楽のようにご覧になるのは悪趣味でしょう。でも、励ましのお言葉嬉しく思います」
最後に唇を軽く噛んだあと、趙武は前を向いて地に降りた。
周都独特の格式に満ちた邸は、斉人の手が入っているのか華やかさもあった。晋は重厚さを好むところがあり、趙武から見ると軽薄さを感じる。が、派手好みの士匄は、中々に良い、と感心していた。
若い二人を門にて迎えたのは壮年にさしかかろうとしていた男二人であった。士匄は、拝礼し口を開く。
「文王武王をお支えになられた偉大なる斉の太公望を掲げ、周王さまをお支えになられた偉大なる覇者桓公を掲げる貴き方々のお招き、望外の喜びでございます。わたしは祁姓士氏のもの、このたび趙氏の長を介添えとして参じました。わたしのような卑賤の身が侍ることお許しいただきありがとうございます」
趙武を先導し拝礼した士匄の所作は見事としか言いようがない。やればきちんとやる男なのである。
「武王の御子、成王の弟君であられる晋侯唐叔を祖とし、我が桓公を継ぎ周王さまをお支えになられた偉大なる晋の文公を掲げる貴き方々をお迎えできること、我らの喜びといたします。わたしは姜姓析氏として、斉へお越し戴いた趙氏の末を介添えし、両家の繁栄に尽くす所存でございます。士氏の献身は斉晋の繁栄にも繋がることでしょう」
斉人は洗練された返礼をした。この男は名乗っているものの、作中は斉人で通そう。趙武と大叔父も互いに拝礼し、道を掃き清める斉人の先導で邸の中へ進んでいく。とかく、貴族のやりとりというのはめんどくさい。
ここから、訪問者が礼物を渡す儀により決められた玉や帛、贄を差し出したり戻したり、全員が一献ずつ酒を飲む儀式的な宴席があったりとするのだが、煩雑なので割愛する。何度も言うが、きわめて、くっそめんどくさい。このような儀礼や言上を苦にも思わないのが当時の貴族であった。士匄でさえ疑問に思うことはない。いっそ、これが得意とも言えた。これができねば、外交の場で土俵にも上がれないのである。
儀式の間、趙武はそっと大叔父を見ていた。もの柔らかな所作の男で、人と人の間を取りなしているという評判は嘘ではないらしい。派手さはないが整った顔をしており、年齢もあいまって男の色気が香るようであった。この顔で優しく口説かれれば、世間知らずの女は心がさあっと蕩けるに違いない。
「趙孟とは初めてお目にかかるが、初めてという気がしませぬな」
全ての儀礼が終わり、雑談が始まって早々、大叔父が言った。どこか懐かしさを込めた声音だった。
「……書を幾度も交わしましたからでしょうか」
思わず問う趙武に、士匄は舌打ちをしそうになった。猫なで声で近づくものなど、裏があるに決まっているのに、何を馬鹿正直に問い返すのか、と心の中で罵倒する。受け入れるなら『親しみを感じ入ってくださり光栄でございます』とでも返せばよく、遠ざけるなら『あなたのような経験多き方のお言葉ありがたく存じますが、いまだ若年の身です、畏れ多いことです』とかわす。青い、と内心吐き捨てた。顔は、外交モードの落ち着いた笑顔のままである。士匄は極めて身勝手で自儘な人間であったが、やれば作り笑いだってできるのだ。
さて、舌禍というほどではないが、青く感情そのままの言葉を放った趙武は、まっすぐと大叔父を見た。大叔父は感傷を込めた目で趙武を見返してくる。
「いいえ。あなたは父君の……趙荘子の面影がある。母君にもよく似ておられるが、趙荘子の穏やかさを思い出します。あの方は甥ではあったが……私とそう年は変わらなかった。私と趙荘子は兄弟のように育った。私はあなたの父君を助けることできず、母君を慰めるに体を添わせることしかできぬ小者であった。私が趙氏を追われ晋を追放されたのは、不徳の為すところです。しかし、あなたにはいつか会いたいと思っていた。私は、信じてもらえぬだろうが、趙荘子を大切に思っていました」
趙武の父の諡号は荘。呼ぶとなれば趙荘子。大叔父の口から発せられるその言葉は、確かに愛しさが込められていた。趙武は、その言葉にほだされるほど、単純ではなかった。
誠意を以て尽くしたがままならなかったという風情で、ともすれば被害者のような態度である。趙武の父や母のために心くだいたが理解されず運悪く追放された、とも聞こえなくもない。しかし、実家である公室に引き取られ、産んだ子と引き離され虚しく過ごす母が、大叔父を積極的に誘惑などするわけがないのだ。意図を持って近づかなければ、君主の娘であり大貴族の妻が大叔父を意識するわけがない。そう、趙武は思った。思いたかったのかもしれぬが。
ふざけるな。
その言葉を趙武は喉奥に飲み込んだ。士匄がそっと袖を引いて目くばせしたからである。趙武は欠損家庭の青年としてここにいるわけではない。趙氏の長として、追放した同族と対峙している。士匄の少々険のある目はそれを忘れるな、と言っているようであった。趙武は小さく唾を飲み込んだ後、口を開いた。
②へ続きます。旧年中はお世話になりました来年もよろしくお願い申し上げます




