初筮は告ぐ。一番最初が肝心よ。①
『因果応報、春の祟り』。色々模索したり修正したり。
重い呪いの念に巻き付けられながら、士匄は地に押さえつけられていた。視線の先には、返り血を浴びた宰相と切り落とされた父の首である。
「嗣子は刖にて」
士匄は強い力で押さえつけられ、体を、特に足を固定される。押さえつけてくるのが人なのかそうでないのか、わからぬ。ぎ、と喉奥から呻くように奇声をあげた。
刖とは脚を斬る欠損刑である。
「う、嘘でしょう、あ、」
あまりの惨劇を目の当たりにし、趙武が引きつった声で叫んだ。
士匄の脚に刃が食い込み、ぶちぶちと筋肉の繊維をちぎりながら
「がああああああああああああああああっ」
全て落ち、
「うそ、うそです、なに、こ、れ」
響きわたる士匄の叫び声に趙武は首を振りながら、両耳を手で押さえ――……
■□■
――つまらん話が舞い込んできやがった……
士匄は、うんざりした顔を不敵な笑みで隠し、わざと大仰なしぐさで口を開いた。
「いやあこれまた父上も面白いことを仰る。わたしに、わざわざ! 新たな邑を受け取りに行け。と?」
二十代半ば、整った顔にどこか野性味を漂わせた青年である。その笑みはからかいまじりで、父親に対して無礼極まりない。
黄砂を連れた強い風が外で舞っている。庭には桃の花がほころんでいたが、砂を避けるように主人の邸は扉を固く閉じていた。
士匄は大夫と呼ばれる貴族である。しかも、大国・晋の大貴族の令息であった。すべらかな絹の衣を大仰にさばき、不遜にも父親の言葉に問い返す。
父親である士燮は目元をぴくりと動かしながら、低く唸るように改めて命じた。
「周の貴き大夫の方がぜひに、と強くおっしゃった。家格として卑しい我らを信頼してのこと、嗣子として公族大夫として、邑を引き継ぐ儀を行うよう」
士爕の言葉に士匄は口を歪ませた。士氏に領地が増えるのは良い。公族大夫すなわち大臣令息としておおいに喜ばしい。しかし。
自分が行くのはめんどくさい!
我の強い若者である、ありありと顔に出てしまった。
厳父と言って良い士爕は苦々しくにらむ。どうも、この息子は耐えると言うことを知らぬ。
「親に対する意をお許しを。わたしがわざわざ行うことでもありますまい。邑ひとつ、家宰にでも任せてしまえばよろしいではないですか。だいたい父上は、この邑の引き取りを断っておられた。周人のあからさまな賄賂でしょう。父上はそういったことが大嫌いではないですか」
堪え忍ぶということをバカバカしいと思っている士匄は、ずけずけとストレートに言い切った。
親に対する謙譲もくそもない言葉遣いである。なおかつ、場所が遠いからわざわざ行きたくないという本音を隠そうともしない。
「匄。私は常に言っている。戒めを持て、常に慎みを思え、苦難に耐え、祖を尊べ。それがなんだ。親の命に頷かぬ。次に家長が決めたことにケチをつける。最後に親の真意を勝手に推測する。そのような振舞いは終わりよくない。………汝は我が家を滅ぼす気か」
「父上に付して具申の願いと、ご挨拶いたしましたまで」
士匄が深々と、しかしわざとらしく拝礼する。常識家かつ厳格な士燮は、怒りのあまりめまいを起こしかけたが、何とか持ち直した。
持ち前の忍耐力と自制心を発揮して士燮は怒声をおしこめる。静かに重い声で
「汝が知る必要はない」
と返した。
士匄の言うとおり、この邑は大国の卿――すなわち大臣である士爕――に、周の貴族が個人的な繋がりを求め渡された賄賂である。
形骸化した周王朝の貴族が西方の軍事大国、晋によしみを結ぼうと近づいてきたわけだ。
確かに、その経緯は責を持つ士爕が知ればよく、小僧ごときは知らぬで良いことではある。
「父上。わたしは嗣子としてこの邑を受け取りにいくのです。これが他意なきものか、賄賂かくらいはきちんと父上に伺うは必要ではございませんか」
流れるような所作で拝礼する様も、顔を上げてまっすぐ視線を合わせる怜悧な表情も、士燮すら思わず見惚れるほどの完璧な嗣子ぶりだった。朗々と正論を語り、清々しいほどである。
が。口を挟む隙を与えないのも士匄である。
「わたしは無知蒙昧、出来の悪い嗣子だ。もしどなたかに尋ねられたなら『父上が弱腰にも周の貴族ごときの押し売りに負け、まぬけにも賄賂と気づかずしょうもない邑を喜んでいただきました』などと、妄言吐きかねません。不孝な息子をお許しください」
はっきり言って、父親に殴られると分かった上で甘えきった憎まれ口である。
当然なされた殴打を素直に受けた後、士匄は何事もなかったかのように姿勢を正した。そうすると、貴公子然となるのだから、始末が悪い。
士燮はため息を付いた。士匄の言う通りである。周の貴族からむりやり押し付けられた賄賂であった。
「私は断った。我らは武に長じ卿の家となったが、それ以上に法制の家である。このような些細なことでも歪みかねん」
そう。士爕は敢然と断ったのである。慎み深く私欲の無さが有名な、いわば賢臣である。周の貴族が秘密裏に賄賂を送ってきたことも苦々しいというのに、それが晋公ではなく卿の己にである。
「しかし、食いつかれた。というところでしょうか」
士爕を揶揄することなく、口を出した士匄に、士爕は苦い顔を向けたが頷いた。問題の貴族は諦めなかった。
士の一族は正道を歩み欲が無い。しかし、きっちり領地は広げている。
本当に無欲であれば大きな威勢など持ちようが無い、というわけだ。このあたり、周は衰えても王都であり、その貴族たちも老練さがある。晋は質実剛健な国でこの手のいやらしさがない。
何度も粘られているうちに、士爕は折れた。
「食いつかれすぎた。これは父の不覚、浅さであった。匄、私の無様を教訓として汝は同じ過ちを犯すな。二度と来るなと最初に強く出るべきであった」
士燮が首を振りながら嘆いた後、士匄をひたりと見据えて戒めの言葉を紡ぐ。
「無い腹を探られかねん。我が君と卿たちはなんとか上手くいっているのだ。汝もこころえよ。針一本の穴が堤防を壊し氾濫を起こす。それがまつりごとというものだ。我らが乱すことなどあってはならん」
今、晋に問題はないが、小さな傷が大きな乱を起こす可能性もおおいにあるのだ。
それをにおわせながら、士爕が深い声で再度、行け、と命じてきた。ただ賄賂を受け取るだけではなく、もっと重い物を背負え、と言われた気がして、士匄は承りました、と拝礼した。
とまあ、その時は父上ごもっとも、と思ってしまったんだよなあ
と、士匄は国都より離れた邑を見た。空が黄砂で汚れ、強い風が衣をはためかせる。うんざりした士匄は舌打ちをした。
「このようなこと、家宰にでもまかせればよいのだ。父上は律儀すぎる」
が、邑の門を抜け歓待されたあたりで考え直す。士爕は受け渡しだけを命じたが、これは周の貴族とコネを作るチャンスでもあった。
士爕が心底嫌がった発想である。
力を失ったとはいえ周の余光は使い勝手が良い。士匄は俄然機嫌がよくなった。
付き従っている家臣たちは特に驚かない。この若者は頭の回転が速く勘が鋭すぎるせいか、感情が生のままで出る場合が多い。
しかも、極めて楽観的であり、己の良い方向へ物事を解釈する。きっと今回もそれであろうと思ったのだ。
②は明日