特異の日(1)
運、不運は、時として奇妙な偏りをみせる。麻雀でいつもカモになっていた奴が、突然ツキだして満貫、ハネ満、ただの平和が裏ドラが乗って満貫とか、馬鹿ツキの時がある。
例えば、競輪で大当たりとか競馬で万馬券とか。例えば、同時に二件の見合いが舞い込むとか、あたふたしてるうち両方ダメになるとか。又は、続けざまに不幸が舞い込むとか。
人は、モテ期到来とか、まぐれ当たりとか、僥倖とか、ドツボに嵌るとかいう。運、不運は均等に散らばっているのではないらしい。
僕、江戸川昴高校2年、水橋 薫は、多少のブレはあるが淡々と高校生活を送っていた。
だが、今日1時限後の休み時間に「ここ、いい」と岩淵 清美が現れた。
僕の前の席の山本は、清美の迫力に気押されるように席を立ちどこかへ行ってしまった。
清美は、僕が部長をしている『文学部』の部員だ。
改めて正面から見る髪をお団子にした清美は、ギョロリとした目、エラの張った色黒の四角い顔、丸い大振りな鼻、分厚い唇、そして堅肥りの体躯。迫力がある。あり過ぎる。「東大寺南大門の金剛力士像だ」という者もいる。僕は、瓦屋根の鬼瓦を思った。山本が気押しされるのも納得だ。
僕も一瞬、たじろいでしまっだ。
「何だい」
「3組の久野 竜一って知ってる」
「いや、知らない」
「その久野って人が、どうかしたの」
「お茶に誘われたの」
「うわっ!」
「ええー!」
驚いた。いつの間に、沼田 恵美が僕の後ろにいた。只ならぬ気配に、クラス中の視線が集中するのを感じる。
沼田 恵美は同じ『文学部』の部員だ。
「うっそー」
「本当に!」
「何よ、ウソ言ってもしょうがないでしょ」
「あ~」
「危ない。大丈夫ですか」
恵美がふらついたらしい。いつの間にか後ろにいた山本が、恵美を支えていた。鬼瓦の清美に先を越されたのが、よほどショックだったらしい。
「それで・・・・久野って何者・・・・」
「竜ちゃんは、幼馴染。幼稚園、小学校の頃は良く遊んでた。中学、高校では疎遠になってた」
清美の顔がやや上気し、ほんのりと赤らんでいる。はにかんでいるらしいのが不気味だ。
「それで相談なんだけど、竜ちゃんの最近の状況を知りたいの。友達に聞いて貰えないかなあ~」
「いいよ」
「そ~ありがと~」
「それじゃお昼に部室でね」
2時限目の休み時間に、山本が「これを見ろ」とスマホを取り出した。見るとツイッターの画面に『南大門に春』との題名が目に飛び込んで来た。誰がいつの間に撮ったのか、僕と恵美と後ろ姿の清美が写っている。
「何だこれは!」
「スバル新聞だよ。ツイッターにシンジ・タニヤマが載せているサイトだよ」
「う~ん、それよりスマホいじくって、良いんかよ」
「見つかんなきゃいいんだよ。授業中は切ってるし」
「う~ん」
「それより、見なよ」
スマホ写真の下には『岩淵清美女史に彼氏が出来たらしい。沼田恵美女史、ショック』との短い文言があり、リツイートがたくさんあった。
A男『ホント~、信じられない~』
B女『ショックだわ~、ウマズラハギの気持ち、良く分かる』
C男『蓼食う虫も好き好きだね、すごい』
D女『止めてよ~、受験に集中出来ないじゃない。今が一番大事な時なのに~』
「岩淵さんを怒らせると、怖いよう~」
山本は、ブルっと震えた。
「俺じゃないもん。書いたのはシンジで、俺は知らないもん」
「う~ん」
3時限目の休み時間に、僕は山本から聞いた新聞部の崎山を訪ね、廊下に呼び出した。
「よう、ちょっといいかな」
崎山は僕を見ると、ドキっとしたようだ。なんか疚しい思いがあるらしい。
「何かな・・・・」
「2組の水橋だけど・・・・」
「うん、知ってる」
「えっ・・・・」
知ってるって、油断がならない奴だ。だが、いかにも新聞部らしい情報通なのかな。
「久野 竜一って、どんな奴かな」
「あの男だ」
崎山は、窓際の中程に座って本を読む男を指した。気配を察してか、久野がこっちを向き、はにかむように軽く手を上げた。僕は、思わず身を隠してしまった。相手は僕を知ってるらしい。僕は、3組の連中全然知らないのにだ。
「どんな男だ。成績とか交友関係とか、趣味嗜好とか、クラブ活動とか」
「成績は中の上、あまり話しはしない。友達はいない感じで良く分からない。おとなしい感じがする。クラブ活動はしてないらしい。見ての通り、イケメンでもないがブ男でもない。少しなよなよしてるが、至って普通の目立たない男だよ。おとなしいし。それが、あの暴挙、いや快挙かな。みんな驚いている。あの人がね~、あんな思い切った事するとは、まったく信じられないよ。うん」
どこかで、聞いたようなセリフだ。要は、良く分からないという事だ。
私のモテ期は、幼稚園から小学校低学年頃だったようだ。その頃は、竜一ちゃんや豊を引き連れて良く外で遊んでた。無邪気に何も考えなかった。チヤホヤされみんなに可愛がられていて、活発な子だった。それがいつだったか、クラスの子と一緒に撮った写真を見て衝撃を受けた。『私の顔って、こんなに大きかったの』と思った。青天の霹靂だ。いつの間にか、よりによってお父さんに似て来たようだ。弟の豊は、お母さん似なのに、世の中間違っている。それからは、隠に籠るようになった。ストレス解消にソフトボール部に入ったら、日焼けして、筋肉が付いて、よりゴツゴツした感じになってしまった。乙女心は、傷ついていた。
竜ちゃんとは、時々廊下で会う。誰かと一緒の時は、シカトしてる。一人の時は、手を上げ小さく挨拶を交わす。それが、何の用だろう。交際を申し込むつもりか。いやいや、それは希望的観測だ。私は、誰と誰がくっついて、誰と誰が別れて、引っ付いたり、剥がれたり、親しみあったり、憎みあったりを冷静に傍目で見ていた。だが私自身の事となると、ドキドキするのは何故なのだろう。ここは、平常心で行かないと。
昴高には、ちょっとした森があり、その手前にちょっとした池がある。森の中には昴神社があり、手前の池には飛び石が点々と連なっていた。私は心を落ち着かせるため、神社にお参りするのだ。渡りの途中、飛び石がグラリと揺れた。
「あぁ~れぇ~」
ガツンと、後頭部に衝撃があった。
「・・・・大丈夫か」
心配そうにのぞく、愛おしい顔があった。
「・・・・お寝んねにはまだ早いぜ」
「あっ、ウマズラハギ」
「誰が、ウマズラハギじゃ。吽形だ吽形。頭の打ち所が悪かったのか」
「大丈夫かい、阿形」
「アギョ?」
「おいおい、大丈夫か、自分が誰だか分からんのか。お前は阿形、俺は吽形、シッタールタ王子の護衛だ。呑気に寝てる場合じゃないぞ。今は魔物との戦闘中なんだぞ」
「シッタールタ王子?マーラ?」
「もう王子じゃないよ。今は、ただの沙門だ」
「シャモン?」
見ると、ウマズラハギ吽形は上半身裸だ。相撲取りの様な、形の悪い乳房を丸出しだ。羞恥心てものがないのか。
「やや、あ~れぇ~」
私も上半身裸だっだ。筋骨隆々の身体に、ピンクの大きめの乳首が付いている。恥ずかしさの余り、顔がカッと火照った。
「おお、憤怒の阿形、復活」
「頑張ってな、阿形」
『違う』と思いながらも、私は勢いよく起き上がり走り出した。味方を押し退け「わおー!」とマーラの群れに突っ込んで行った。恥ずかしさの余り、自分の衝動が止まらない。成り行きでそうなってしまった。行掛り上何が起こったか知らないが、どこかが間違っていると思った。だが私の身体は憤懣のパンチでマーラをなぎ倒し、キックでマーラを蹴倒した。
「おい、武器を忘れてるぞ」
呆れたことに、剣を手にしたマーラに素手で立ち向かっていた。吽形から渡されたのは、江戸時代の火消しが使っていた纏の様な物だった。頭に阿の文字があり、その下に皮の房飾りの馬簾がヒラヒラしている。『これ違うんじゃないの』と思うが、こうなりゃヤケクソだ。「わおぉー!」と私は纏をクルクル回し、薙ぎ払い、突き倒してマーラの群れを薙ぎ倒した。
「阿形は楽しそうだな」
王子様は気楽な事を言っている。良く見ると、マーラはトカゲの様な顔をしていた。
「こいつら、トカゲの顔をしてるぞ」
「マーラだからな」
吽形は、当たり前だという顔をしている。異常だ。異常に気付かないのが異常だ。纏をマーラの頭にくらわすと「ギヤッ!」と人とは思えない悲鳴をあげる。それを踏み潰すと「グエッ!」と叫んで、臭いのキツイ緑色の体液を飛び散らかす。マーラは、次々と湧き出すように増殖している。修羅場だ。異様な修羅場だ。
「見ろ、あれがマーラの元凶、悪霊の親玉だ」
見ると、異様な瘴気をまとった、負のオーラを放つ大きな物が蹲っていた。その物を恐れてか、遠慮してかマーラも遠巻きにしている。その物が、やにわに立ち上がった。大きい。
巨人だ。醜い。イボイノシシのように醜く、醜怪だ。
「ゴオオォー!」
悪霊が吠えた。衝撃的な威嚇波だ。味方の半数が腰砕けになってしまった。私も胴震いが止まらない。見ると、王子は腰を抜かし怯え震えている。すると、同じく王子を気遣う吽形と目が合った。不思議と恐怖心が消えた。
「あの悪霊を、やっつけよう」
「良し」
私はマーラを薙ぎ払い、悪霊に迫った。すると、サア~と潮が引くように道が開けた。
「ん・・・・」
悪霊への一本道だ。
「怪しい、これは罠だ」
「構わん、行くぞ、悪霊退さあぁーん」
『ズボッ』と地面が抜けた。黒っぽい土がブヨブヨと波打っている。下は茶褐色の液体だ。
肥溜めに落っこちてしまった。
マーラから「ドッ!」歓声が沸き上がった。
シッタールタ王子とは、釈迦国の王子、釈尊のちの仏陀のことです。
沙門とは、出家した修行僧のことです。
吽形、阿形とは、仏教の守護神です。
マーラとは、魔物のことです。