廃校愛宕山中学校の怪(1)
5月に入った大型連休の奥多摩、とてもここが東京都とは思えない。
目に入るのは、山ばかりだ。
「山ばかりだな」
早くも守は、山は見飽きたようだ。
「当たり前だ、山に来たんだから。見ろこの新緑、心が洗われるようじゃないか」
「そんなことより、まだ歩くのかな」
バス停からは2キロメートルくらい、わだちの残る細道を歩き続けた。
「もう少しだ。ほら、見えた」
山裾に木造の古い建物が見え、手前に小さな民家が見えた。あれが、話に聞いていた廃校になった中学校らしい。
「・・ったく、こんなひなびた所にキャンプ場なんてあるのかよ」
「まだ新しいキャンプ場なんで、人が少ないのはしょうがないじゃないか」
「新しいって、いつからなんだ」
「今年から」
「え~そんなの聞いてないぞ~」
そうこうするうち、民家に着いた。「こんにちは~、ごめんください~」と声を掛けると「は~い」と応えがあり、手を拭きながら、かなりきれいな女性が出て来た。後ろに小学生らしい女の子が女性のスカートを掴んで後ろに隠れている。
「フォーメーション2(ツー)だ」
守の掛け声で、守、薫、亨の順でタテ一列に並んだ。
「あっ、どうも、電話でキャンプ場を予約した者です」
守はさっきの不機嫌がウソのように、しゃしゃり出た。まったく、女とみればみさかいが無いんだからと、薫、亨の目がいっている。一瞬ひるんで怪しい人と思った女も、予約客とみて笑顔を見せ、
「はい、ようこそ。さっそく案内しますね」と、表に出て来た。
如才のない守は、姫川 由香という名前を聞き出し、遥という小二の娘とも馴染んで打ち解けて並んで歩いた。歩きながら、由香が夫と離婚し母一人子一人であること、愛宕山廃校を利用してペンション、キャンプ場を計画、役所に申請してること、現在は近くのスーパーのパートをしていることを聞き出していた。用事がある時は、じいさん、ばあさんに遥を預けるのだという。
フォーメーション2とは隊形、三人の立ち位置のことで、都立江戸川昴高校2年、山中 守、同高校2年同クラスの水橋 薫、同浅間 亨の順に一列に並ぶ。普段はフォーメーション1(ワン)の、薫、守、亨の順に並ぶ。女、子供が出てくると、守がしゃしゃり出てフォーメーション2となる。これがコワい顔の亨が出ると、女は露骨に怯え警戒するし、子供は怯えて泣き出してしまう。フォーメーション3(スリー)とは、その亨が前面に出て、薫、守と続く。不良に絡まれたりすると、フォーメーション3となる。守はみさかいなく女に声を掛けるので、時として不良に絡まれたりするのだが、顔の濃い、毛むくじゃらの、が体の大きい亨が『ぬうっ』と顔を出すと、相手は引きつった笑顔を作り、まるで何事もなかったかのように居なくなる。混雑、混乱する場所はかなり有効だ。亨が『わりゃー』と吠えながら威嚇すると、すう~と潮が引くように道が開ける。以前、花火大会でケガ人が出、救急隊員が搬送するにもあまりの人で、混雑で思うように進めない。その時フォーメーション3が発動。亨が何かの棒で地面を叩き「わりゃー、どきさらせー!」と吠えると、モーセの海割りもかくやと人波がザザーと割れ、道が出来た。救急隊員は、呆然と突っ立たままだった。「はよ、運ばんかい」と怒鳴られ『はっ』と我にかえり、搬送を急いだ。
元愛宕山中学校の手前に犀川という川があり、ゆるくカーブした内側に区割りされたキャンプ場がタテに4面あった。
「ここを使ってください」と言われた場所は、区割りされた砂地以外何もなかった。
「シャワーは無いんですか」
「川の水を使ってください」
「え~、まだ寒いよ~」
「トイレは・・」
「え~」由香は一瞬眉をよせ、すぐに通常の顔に戻すと「その辺の山で」と、山の方を指さした。
「食事は・・」
「えっ、米とか飯盒とか用意してないのですか」
「え~、自分で用意すんの」
「何言ってんですか。当たり前でしょう。あなた達、ひょっとして、初心者」
「うん、そうです」
「え~、とてもそう見えない。野性的だし」
「俺の方見て、言わないでください。・・・・ったく、初心者です」
「うっそ~」
「うそじゃないです」
「ん~、あなた達、何しに山に来たの。食事が付いて、シャワーがあって、ウォシュレット付きのトイレがいいなら、家で山岳ビデオでも見てた方がよほどいいわよ。ん~、しょうがないわね。それじゃ、飯盒を貸します。米とおかずも用意します。別料金ですよ。それから、
ここでは不便さを味わう事が大事ですからね。文明から離れて、野生に帰るのもいいですよ」
「俺の方を見て言わないでください。・・・・ったく、それはこいつらに言ってください」
「あら、ごめんなさい」
由香と亨の会話を、遥がこわごわ覗いていた。小さな手で、しっかりスカートを握っている。
「遥ちゃん、怖がらなくていいからね。このオジさんは噛みついたりしないからね」
守はしゃがんで、亨を指さした。
「噛みつくって、ったく」
「お兄さんが守ってあげる。お兄さんは守っていうんだ。守が守ってあげる。まもちゃんと呼んでくれると嬉しいな」
「まもちゃん?」
「うん、いい子だ。帰りはまもちゃんがオンブしてあげようか」
「うん」
守はそう言い「はい」と背を向けると「きゃっ」と遥が飛び乗った。
「亨はテント、薫は一緒に来いよ」
守はそう言うと歩き出した。楽しそうに見える。三人連れの時とは、エライ違いだ。
「遥ちゃんは、大きくなったら何になりたいのかな~」
「ケーキ屋さん」
「そ~か~、ケーキ屋さんか~」
守と薫が飯盒、米、ミソ、アジの干物、ナタとキャンプマニュアル本を持って帰ってくると、亨がテントと悪戦苦闘していた。
「何やってんだよ、不器用だな~」
「一人でやると、やっかいなんだよ。ったく、早く手伝え」
三人がかりで何とかテントを張り終えると、問題の炊事だ。亨にはナタを持たせ、タキギ拾い。薫と守での、マニュアル本と首っ引きでの試行錯誤が始まった。午後4時、夕食にはまだ早いが準備を始めることとなった。正解だ。一つ飯を炊くだけでも、電気炊飯ジャーみたいに行かない。炊飯ジャーでも、最低で30分かかる。河原の石をカマド風に並べ、タキギを用意し、米をとぎ、飯盒を安定してつるす細木をナタで切ってかけてみるなど試行錯誤が続き、夕食の時間は午後6時を過ぎてしまった。焦げた飯盒飯とおかずはアジの干物とミソ、質素な食事だが深い味わいがあった。
「米って甘いんだな」
「野生の味だよ。この自然が調味料だ」
「さすが文学部、薫は言うことがオシャレだな」
「ところで、何で学校に入っちゃいけないんだろう」
「ん、何だ」
「だから、姫川さんが『絶対、あそこの学校に入っちゃいけません』と言うんだ」
「なぜ?」
「さあ、詳しくは聞けなかったけど、『祟られる』とか『狐火』が出るとか言っていたよ」
「ふ~ん」
「さあ、食ったら後片付けだ。コーヒー飲むかい」
「うん」
「俺も」
薫は、手鍋を直に焚火にあてた。
「んんん・・・・」薫は鼻歌を歌いながら、コーヒーの準備をする。
「シブいね~」
「けど、古いな。懐古趣味か」
薫の鼻歌は昭和初期の古賀メロデイだった。
「何を言う、この唐変木が。聞けこの清流のせせらぎを、聞けカエルの合唱を、これが日本の原風景だ。日本のふるさと、里山だ。情緒の解らん奴らだな。演歌は日本文化のエッセンスなのだぞ。二人とも、ホントに情緒を解さない人間だな」
「悪いかよ」