江戸川暁総合病院の怪(3)
水橋 薫
悲惨な状況だ。いや、ますます悪くなっているような気がする。今も、黒焦げ患者が運び込まれた。いや、患者じゃない、死体だ。死体なら病院じゃない、葬祭場だろう。でも、そうも言っていられない。また、遠山さんと黒焦げ死体を運ぶのだ。
「おめ、学生かね」
思いがけず、遠山さんが話かけてきた。
「えっ、はい。江戸川昴高校2年です。水橋 薫といいます」
「ふむ・・・・」
「何ですか」
「あんだば、ぼんぼんなのかね。それとも苦学生が」
「何か、意味が解りませんが」
「ズボンさ擦り切れてる。貧乏人かと思うし、話すを聞くと育ちが良いぼんぼんとも思えるだ。どっちだ」
「う~ん」
遠山さんは遅れている。ナマっているし、ケイタイとかネットとかテレビとかの情報が遮断されている環境なのかな。普通の女の子なら、そういう情報には敏感なはずと思うが。
「僕は良いとこのお坊ちゃんでもないし、ひどい貧乏人でもありません。ごく普通の高校生です」
「ふうん」
遠山さんは、不得要領らしい。僕の暮らし、つまり僕の父母の暮らしは、サラリーマン。平凡そのものだ。どう、説明すれば良いのだろう。そんなことを考えながら戻る途中、ぺたぺたと変な音が近づいてきた。と、思ったら亨と鉢合わせした。
「おっ、薫、どうした」
「あっ、亨か」
ぺたぺたと変な音を立てていたのは、亨だった。すごい汚いクツを履いている。底が抜けているのか、紐で縛ってある。つま先の方の口が開いて、それがぺたぺたと変な音を立てているらしい。まるで、少林サッカーのクツをより汚くして、よりボロボロにしたみたいだ。
「へっ、亨、しゃれたクツ履いてるな」
「ああ、裸足よりマシだ」
何だろう、ニコリともしない。もともとコワい顔なのだ。それが、いっそうコワい顔になっている。
「亨、顔がコワいぞ」
口がへの字だ。色黒で、切れ長の細い目がランと光っている。ゴツゴツした岩のような感じだ。が体も身長も大きく、僕らより頭ひとつ飛び出ている。何より、ヒゲが濃くシャツから覗く胸毛が濃く、ゴツゴツした岩のような黒い手も剛毛で覆われ、その手で突っ張りをかまされたら吹っ飛んでしまいそうだ。
「薫、おかしいと思わないか」
「何が」
「お前の目は節穴か・・ったく。みんなの着ている物、設備、話し方、今の状況、館内放送も無い。テレビ放送も無い。普通、病院にはテレビなんか置いてあるだろ。不思議に思わないか」
「うん、そういえば・・」
亨は顔に似合わず、論理的な話し方をする。僕もハッキリとは思わなかったが、変な違和感があったのだ。僕はケイタイを取り出して開いてみた。
「圏外だ。おかしい」
「だろ、さっき、ここの人に聞いてみたんだ。今は何年何月かと」
「そしたら」
「大正12年、9月1日、関東大震災の日だ」
「ええ~」
山中 守
待合室に戻ってみると、相変わらずだ。患者が次々と運ばれて来て、ごったがえしている。歩いて行くと、看護婦に呼び止められた。
「先生、この人を診てください」
患者の脇にかがんだ看護婦が、僕を見ていた。良し、医者に見えるらしい。患者をと見たら、キタナイおじさんじゃないか。がっかりだ。いかん、顔に出てしまったかな・・。
「どうしました」
「地震があって、家が倒れて、その時頭をガ~ンと打ち付けた事までは覚えています。その後、気絶したらしく覚えていません。気付いたら、ここに運ばれていました」
「ふむ・・・・」
僕はおじさんを立たせ、上から下まで見る。そして、順繰りと手で触ってみた。後ろを向かせ、また上から下まで同じように確認した。
「痛いところはありますか」
「身体じゅう痛いですが、特別痛いというところはないです」
「それでは、そこで足踏みしてください。そう、それでは、軽くジャンプ、飛んでみて。そう、けっこうです」
僕は看護婦を見て「消毒薬でも塗れば良い」と言うと「消毒薬も赤チンも無い」と言う。
「それじゃ、きれいなお湯か、水で拭けば良い。あなた、運が良いですね。軽い打撲と、擦り傷だけのようです。大丈夫ですよ」
「次はこの方を」
看護婦は、次々と患者を診ろと言う。大半が外傷と火傷だ。消毒液は、もう切れているらしい。なら、きれいな水で洗い、火傷なら冷やし、骨折なら板なんかで添え木をして固定しろと、当たり前の指示をする。白衣の効果だな、素人の指示で事がスムーズに進んでいる。
おお、ようやく本来の美女を発見。何か、呆然と心ここに在らずといった感じで座り込んでいる。
「どうしました。大丈夫ですか」
膝を折って尋ねると「わっ!」と、胸に飛び込んできた。悲惨な場面を思い出したらしい。震えながら泣く女の涙が、じんわりと悲しみを伴って肩に沁み込んできた。途切れ途切れの話を聞くと、母一人娘一人の家が倒壊、出火、私は助けられたが母は家の下敷きになったという。
「お気の毒です。好きなだけ泣くといい。だけど、気をしっかり持ってください。みんながみんな、大変な状況なんです。年端もいかない子供が、両親を失い泣くに泣けない現実もあるのです。気をしっかり持って、みんなで助けあわねば・・・・」
「はい・・・・そうですね。私・・・・」
「体は大丈夫ですか。キズとかケガとかないですか」
女の人は立ち上がり、あちこちとホコリを払いながら自身を点検した。
「はい。大丈夫みたいです。ありがとうございます」
ああ、柄にもなくいい人になってしまった。うむ、残念。でも、まあ、いいか。
それからは次から次へと、負傷者を診るはめになってしまった。うむ、これでは、目的を見失ってしまうではないか。おっ、美女発見。『捨てる神あれば拾う神あり』だな。
「どうしました。大丈夫ですか」
「ええ・・・・」
へたり込んでいる。だいぶ弱っているようだ。かわいそうに。
「手を出してみて」
僕は女の人の手首をつかんだ。白く細く、たおやかな手だ。思わず頬ずりして、舐めてみたくなる。うむ、イケナイ。僕は邪念を振り払って、その手を上下左右に動かしてみた。
「右の手も、痛いところはありませんか」
「はい」
僕は女の人を立たせ、後ろ向きにした。さて・・・・と思ったら、後ろで「あ~」と大声をあげる奴がいる。振り向くと、あの凶暴な女がいた。もの凄いコワい顔をして、僕を睨んでいる。
「ヘンタイー!」