江戸川暁総合病院の怪(2)
山中 守
えらい悲惨な現場だ。広いフロアに、負傷者がいっぱいだ。外からは、ウ~ウ~とサイレンが鳴り、カンカンカンと遠くに鐘が聞こえる。病院いっぱいに重傷者の呻き声、赤ん坊の泣き声、時々ギャーという不気味な叫び声、それらが渾然一体となり不気味な地獄の様相を呈している。
「えらい凄惨な現場だ」
僕がフラフラと進むと、浴衣姿の妙齢な婦人が臥せっている。
「大丈夫ですか」
思わず駆け寄り抱き起すと、何ともいえないクニャと柔らかな乳に触れた。電撃がズキューンと脳に疾る。思わず手が滑って、胸元に入り乳房を掴んでいた。何と柔らかい。ノーブラだ。
「何をするのですか」
ハッと気付くと、息も絶え絶えの女が、不審と抗議の目を向けていた。
「大丈夫ですか。どうしたのですか」
ハッ手を引っ込め、容態の安否確認を装う。
「足が・・・・」
何で、そんな事をしたのか分からない。僕は浴衣をめくった。白い生足が目に痛い。僕は何を思ったのだろう、白い下着をずり下げた。白い下腹部に、もやもやと淡く黒い陰毛が目に飛び込んで脳天に突き刺さった。
「何をなさるのです」
「点検です」
僕は下着を戻し、浴衣を合わせ、そそくさとその場を後にした。この非常時に、僕は何をしているのだろう。と、思いながらも、手に残る乳房の柔らかさ、目に飛び込んできた陰毛の卑猥さを反芻していた。見ると、横向きに寝る女がいる。
「どうしました。大丈夫ですか」
声をかけると、女が振り向いた。うっ、これは薫好みの女だ。何か言おうとしている。
「大丈夫ですよ。すぐ、先生が診に来ますから」
危ない。つかまるところだった。うん、ブスは薫に任せよう。それが良い。おお、いい女を発見。
「どうしました。大丈夫ですか」
シャツ、ブラウスかな、胸の隆起が蠱惑的だ。抱き起すふりをして、胸に触ると柔らかな弾力がシャツ越しに分かる。僕は無意識のうちにスカートのホックを外し、下着とともにずり下げた。ツンという刺激臭が立ち上がり、のぞけった時『バチン』と衝撃があった。
「何をするんですか」
僕は、頬を打たれたのだ。
「それは、こっちのセリフじゃー。スカートを下げて、何をするつもりだったのじゃー」
「それは・・・・点検です」
「なんの点検じゃー」
「傷の点検です」
そう言い捨て、僕は早急にその場から逃れた。まったく、気性の荒い人だ。気を付けなければ・・・・。取りあえず廊下に出ると、ドアが開いている。何だろうと覗くと、備品倉庫か準備室らしい。おお、白衣を発見。着てみると、ポケットに聴診器もあった。首にかけると、医者らしくみえるかな。いいぞ、サンダルもある。
「守、何してる。お医者さんごっこでも始めるつもりか」
「わっ、薫か驚かすなよ」
うむ、薫め、ブス好みのくせに妙にカンが鋭い。だが、『お医者さんごっこ』とはそそられる響きだ。
「あ~、ん~これはな、患者を安心させるためだよ。医者の恰好をしてれば、患者は安心して身を任せだろ」
うん、解ったかな。
「それより、どうした。薫は何やってるんだ」
「僕は車も通わぬ、電気も引かれていない物凄い山奥から出て来た、物凄いナマっている看護婦にこき使われている。その人、スマホもケイタイも知らないんだ。名前を聞いたら『遠山だ』と言うから『遠山田さん』と言ったら『バカにすんでねえ、遠山 さちだ』と怒られた」
「薫~、またブスに引っ掛かっているのか~」
しょうがない奴だな~。
「いや、きれいな人だよ」
「お前な~文学部なんかに入ってるから、美の基準が歪んでしまうんだそ。ナマってる山猿女が美人であるわけないだろ」
まったく、しょうがない奴だ。ここは、うん、友人として歪んだ美の基準を修正してやる必要があるかもしれないな。
「そうかな・・・・」
浅間 亨
これは、酷い有様だ。広いフロアが、負傷者で埋め尽くされている。悲鳴や呻き声、泣き声、怒鳴り声、右往左往する看護婦たちの金切り声、まるで地獄お有様だ。フラフラと外に出ると、玄関口に続いていた負傷者の群れは、外まで続いていた。病院の敷地に、盛んにトラックやら車、手押し車などで次々と負傷者が運ばれて来る。外でも治療が行われていて、まるで野戦病院のようだ。
「そこの人、動けるなら手を貸してくれんか」
「はい」
俺は血に染まった白衣を腕まくりして、患者の治療をする医者に声をかけられた。
「骨折してるから、これくらいの板切れと布きれを見つけてきてくれんか」
「はい」
俺は全力で外へ飛び出してみると、半分倒壊した民家があった。近くでは火事も起きていて、方々から煙が上がっていた。俺は傾いた民家の板塀を「おりゃー」とメリメリと剥がし、帰りがけに落ちていたシャツを拾った。
「先生、これで良いですか」
「うむ」
医者は眉間に皺を寄せたが、黙って受け取ると板を半分に折り、シャツをビリビリと袖口から裂き、布を被せ板をあてがい、「ここを押さえてくれ」と指示した。
「はい」
「よし、次・・・・」
医者は次から次へと、患者を治療して行く。看護婦たちが院長と呼んでいるので、ここの病院長なのだろう。患者は家屋倒壊に巻き込まれた人や、それによる火災などでの火傷などが多い。軽傷者は看護婦に任せ、院長は重篤な患者を主に診ている。俺は、薬を取ってこい。
包帯、それが無いなら布きれを探してこい。この人を運べなど、次から次へと用事を言い渡された。
「君は何だね、学生かい」
治療が途切れた時、院長が訊ねた。
「はい、江戸川昴高校2年です。浅間 亨といいます」
「うん、そうか」
すぐに、院長は看護婦に呼ばれて行ってしまった。俺は、あっちこっち走り回っているうち、スリッパを片方飛ばしてしまった。後で探せばいいやと思っていたら、どこへ行ったか分からない。どうも、おかしな具合だ。歩きづらいことこの上ない。そのうち、死者が出たので仮安置所に運べと言われた。重い。死体は重い。タンカなんて物は無く、二人で前後を持ち運ぶのだ。ぐにゃぐにゃして運びづらい。まして、片方スリッパ、片方裸足。ゴミとか小ジャリが、裸足に痛い。思いの外重労働となった重い死体を運んで行くと、死体が山積みになっている。まるで、物扱いだ。人間の尊厳もへったくれもない。
「酷いですね」
「仕方ねえ、場所も時間もねえ」
あっ、そうだ。この人たちのクツを借りよう。『死人にクツ無し』だ、南無阿弥陀仏。それで、俺はいろいろとクツを探したが、皆一様に小さい。何か、小さいクツばかりだ。あった、珍しく大柄な死体があった。ようやく見つけたのに、う~ん、汚い。もとは白だったのだろう布製のクツ、今はしょうゆで煮染めたような色だ。紐がちぎれている。まっ、裸足よりはましか。うっ、臭いがキツイ。俺はクツを履いてみた。少し大きいか。だが、紐を引っ張ったら底が抜けてしまった。・・・・ったく、何てことだ。う~ん、おっ、紐を発見。紐をズルズルと引っ張ると、旗のようなものが付いてきた。旗というか手拭いみたいだ。おわっ、これはふんどしじゃないか。う~む、まっ、しょうがないか。俺は手拭い部分をビリビリ引き裂き、クツを縛った。歩くとパフパフいう。何という間の抜けた音だ。
俺は、ここで、ふと、オカシイと感じた。方々で煙を上げていた木造家屋、病院長らの衣服、患者たちの着物、小さめの古臭いクツばかり、ふんどし。これが、今の時代か・・・・。
俺は、戸板に乗せた患者を運ぶ前の人に聞いてみた。
「あの~、今年は何年何月ですか」
「何を、こったら時に・・・・今年か、今年は大正12年9月1日だ」
「えーっ!」
俺は、戸板を落としてしまった。「うぎゃー」と患者がひめいを上げる。
「何やってんだよ。バカヤロー」
「いえ・・・・すみません。手が滑って」
どういうことだ。大正12年、9月1日・・・・そうだ。関東大震災だ。その日、9月1日を防災の日にしたのだ。何でこんなことに・・・・。どおりで、何か古臭い気がした。着てる物、施設、設備、街並み、車、そしてクツ、古いはずだ。
「おっ、薫。どうした」
帰りがけに、思わず薫と鉢合わせした。
「あっ、亨か。へっ、亨、しゃれたクツ履いてるな」
「ああ、裸足よりマシだ」
薫の奴、分かっているのか・・・・ったく。のんびりした顔だ。能天気な奴め、緊迫感がまるで無い。もっと、ビシッと締まれないかよ・・・・ったく。
「亨、顔がコワイぞ」
「薫、おかしいとは思わないか」
「何が」
「お前の目は節穴か・・・・ったく。みんなの着ている物、設備、話し方、今の状況、館内放送も無い、テレビの放送も無い。普通、病院にはテレビなんかが置いてあるだろ。不思議に思わないのか」
「うん、そういえば・・・・」
薫は、モゾモゾとケイタイを取り出した。
「圏外だ。おかしい」
「だろ、さっき、ここの人に聞いてみたんだ。今は、何年何月かと」
「そしたら」
「大正12年、9月1日、関東大震災の年だ」
「ええ~」