沼田 恵美の受難(4)
その内、会の準備が整い10人近くの人が席に着いた。料理も出た。しかし、それが料理といえるかどうか、丼が一つだけだ。中にスープが。
パンパンと副会長が手を叩き、会長が副会長の手を借りよろよろと立ち上がった。
「皆さん、今日はお忙しい中、私めのために集まって頂きありがとうございます。また、ゲストの唯野さん沼田さんもご臨席賜り感謝します。にぎやかな方が、よろしうございますものね。皆さん、楽しく笑って、賑やかに送って下さいまし。私、仁科久子の最後のお願いです。さあ、頂きましょう」
どういう主旨の会合なのか、よく分からなかった。送る会なのかな、取り敢えず、危ないこともなさそうだ。
隣の唯野さんは、神妙な顔をしてすましている。今は、顔グロは拭き取って素の顔だ。
その内、皆が一斉に手を合わせた。
各々が「頂きます」と言い、食事は始まった。
料理はシンプルそのもので、小麦粉を水で溶いて適度な大きさにした塊をだし汁で煮た物で人参、ジャガイモ、ほうれん草などの野菜が少し入っている。出たのは、それが一品だけだった。
「変わった料理ね。これ何なの」
「これは、すいとんだよ。戦後流行ったものだ」
「美味しいわ」
わいわいガヤガヤと、賑やかな食事は進んだ。
「最近のテレビは面白くない」とか、
「○○の不倫は許せない」とか、
「娘が」とか「孫が」とか笑い声も上がり、会は盛り上がっている。
賑やかな食事が終わり各々が片付けに立ち、再び席に着いた時には各々の席にお茶が出されてあった。
「これから、お見送りです」
副会長が、震える声で悲痛な宣言みたいなことを言った。
室内が暗くなり、天井からプロジェクターが下りてきた。そして、四方の壁に映像が映しだされた。
『祈りを込めて』とある。
やがて画面は、見渡す限りいちめんの菜の花畑となった。眩いばかりの息をのむ光景が、果てしもなく続いている。
やがて、天上から厳かに音が降りてきた。
聞き覚えがある。これは、確かベートーヴェンの交響曲6番『田園』だ。
ベートーヴェン第6番交響曲『田園』
1、アレグロ・マ・ノン・トロッポ
田園を流れる風のような映像が映し出されていった。瑞々しく美しい光景と天上の音楽、方々で「ああ」とため息が漏れた。
青い空、白い雲、緑なす大地、木々や苔むした岩をはむ清流。天上の楽曲と相俟って、めくるめく展開が始まった。
「すごいね」
「ええ」
感動で魂が打ち震えるようだ。
2、アンダンテ・モルト・モッソ
何処の山なのか、嵐山か、吉野か、薄く煙るようだった山が桜がいっせいに沸き立ったよう。一面の満開となったと思ったら、はらりはらりと花びらが風に舞った。
と、曲のうねりに合わせ花びらが落ちる。そして、花吹雪となり風に舞った。
3、アレグロ
曲調が変わったような、テンポが速くなったようだ。風景は森林から草原へと、駆ける。
草原から岩が剥き出しの荒れた山肌に。そして、岩ばかりの荒れた登山道をなめるように駆ける。
そして視界は開け、眼前にそびえ立つ巨大な山塊があった。
奥穂高か、眼下に広がるのは穂高連峰か。巨大な荘厳なパノラマが展開する。
身のすくむ高みにぞくぞくと背中に悪寒がはしった。
曲調は急展開を始め、厳めしい高揚感がせり上がってきた。
不吉な黒い影が『ゴゴゴゴッ!』と見る間に膨れ上がり全空を覆い隠すと、『バリバリッ!』と魂を震撼させるような閃光がはしった。
「ヒィー!」と方々で悲鳴が上がった。
4、アレグレット
凶相は少しずつ遠のき、大地は慈雨に包まれた。
穏やかな表情を取り戻しつつある山は川は森は草原は、瑞々しく光輝いる。
やがて大地は紅く黄色く色とりどりに染まり、散華の終焉を予告するように美しくきらきらと光り輝いて、風に木の葉が舞っていた。
そして時節は巡り、空から白いものが舞い落ちてきた。
やがて、大地を総てを真っ白く包んでシンシンと雪が降り積もっていた。
セレモニーは終わったようだ。
ふと副会長を見ると、目に涙をいっぱい溜めている。他の人たちもハンカチを目に当てている人や俯いている人が多い。
場内は厳粛な空気が満ちていた。
「お見送り、ありがとうございました。ご案内します」
副会長がそう言って塩を盛った盆を差し出した。隣には別の会員が柄杓にバケツを持っている。別の会員が眠る会長に手を合わせ、拝礼し塩を身に振りかけ手を洗い、この場を去って行った。
私と唯野さんもそれに倣い、この室を退出した。
「すごいね、あれは何だったの」
「う~ん」
「感動的だったわ~」
「うん、厳かというか、荘厳というか」
私たちは暗い下水道を歩いていた。
「たぶん、仁科会長の安楽死をみんなで見送る催しだと思う」
「そういう事は、いいことなの」
「世の中の法とか秩序とか、総て良いとは思えないな。俺に、良し悪しは言えない。地上にしても悪がはびこっているし、がりがり亡者ばかりだし、総てにおいてうるさいし」
「それで、モグラみたいに潜っちゃったの」
「そんなところかな」