寝不足の理由
お兄様と出かけた数日後。今日はノア様とのお茶会の日だ。いよいよプレゼントを渡すのだけど、今からドキドキしちゃう。
でも、まずは授業を頑張らないとね。ノア様は常に学年トップだから、婚約者の私もせめてトップ10にはいなくちゃいけないと思っている。
レイン伯爵家は貴族では珍しく、ほとんどの者が大学まで進学する家。だからかは分からないけど、勉強が好きな人が多いのよね。
かく言う私も、お兄様ほどじゃないけど勉強は好き。だから今のところ目標のトップ10以内はずっとキープしている。
今回はトップ5を狙っているし、授業はきちんと聞かないと。
「では、この間の小テストを返します。最高点100、最低点30、平均52。最高点の者だけ発表します」
数学の授業が始まって早々、小テストの返却が始まった。
平均点がいつもより低い……。この間はいつもよりかなり難しかったものね。
こんな難しいテストで満点をとる人を、私は1人しか知らない。
「ノア・ガイックくんです」
ノア様の名前が呼ばれた途端、感嘆の声が聞こえた。
「今回のテストは難易度をいきなりあげすぎましたね。多くの人が苦戦していました。このテストで満点を取れるのは大変素晴らしいです」
「ありがとうございます」
お仕事で忙しい中で満点を取るなんて流石としか言いようがないけれど……。なんだかノア様、元気が無いように見えるわ。大丈夫かしら……。
本当は本人に直接聞きたいけど、発狂タイムが始まったら大変だからそれは出来ないわね。こういう時はちょっと困ってしまう。
まあ、今日の放課後に聞いてみましょう。
◇◆◇
公爵邸に到着しノア様のお部屋に入ると、ノア様が迎えてくれた。私の予想通り、ノア様の顔色は悪かった。血色感は無いし、よく見ると目のクマもある。
「やあエルシー……会いたかった……天使がいる……可愛い……僕のエルシー……可愛い……可愛いが過ぎる……好き……天使……存在してくれてありがとう……好き……」
いつもより発狂のボリュームがだいぶ小さいし、元気もないみたい……。いつもなかなかの発狂具合だけど、小さめな声でずっと呟いているのもかなりの狂気を感じてしまうわね。
ソファーに座るなり、私はすぐに体調について尋ねた。
「ノア様、大丈夫ですか?あまり元気が無い様子ですが……」
「……そうかい?確かに多少寝不足気味かもしれないね」
多少寝不足気味な人の元気のなさでは無い気がするのだけど……。
「多少なわけがないでしょう。昨日は一睡もされなかったのですから」
困ったようにイーサンが訂正する。やっぱり多少寝不足気味どころじゃなかったわ……!
「一睡も……!本当なのですかノア様」
「ああ……。昨日は考え事をしていてね」
「それに関しては私から説明させていただいてもよろしいでしょうか」
「イーサンから?」
「ええ。例の噂についてある程度調べ終わりましたので、そのご報告を」
イーサンが調べてくれたのね。1週間もかからず調べあげるんだから、さすがとしか言いようがない。
ノア様の悩みの種はその調査結果に関係があるってことなのかしら……?
「まず簡単に調査結果をご報告しますと、何者かが強い悪意をもってガイック家またはレイン家の評判を下げようとしている可能性は極めて低いです」
「そうなのね、よかった。安心したわ」
私が安堵の表情を浮かべると、イーサンも安心したように頷いた。
私が心配していたのはそこだけだったから。私のせいでガイック家にご迷惑をおかけする訳にはいかないもの。
「したがって、ガイック家としてはこの件についてはしばらく静観することになりました。ただ……」
「ただ……?」
「おそらくお2人が学校であまりにも婚約者同士に見えずお互いによそよそしいので、ノア様の婚約者の座を奪いたいご令嬢方が『仲良くないなら私が婚約者になるわ』なんて話を始め、そこから婚約破棄の噂をし始めたのではないかと」
……つまり、噂の原因は
「噂の原因はノア様が私を嫌っていると皆さんが勘違いされていたから……」
「はい。お2人が仲睦まじい様子を見せつけていれば噂は立たなかったでしょうね」
それでノア様は一晩中考え事をしていたのね。あんなに許せないと仰っていた犯人が、実は自分だった、そう思ったから。
「確かに噂の原因にはなったかもしれませんが、そもそも婚約破棄の噂を流した方々が悪いのであってノア様が気になさることでは……」
「確かに彼女たちにも非はある。それでも……エルシーを守れなかった自分が、噂の原因を作ってしまった自分が、許せないんだ。すまない、エルシー」
ノア様とイーサンが深く深く頭を下げた。
「や、やめてくださいノア様。イーサンまで。……私は気にしていません。私がノア様に噂について相談したのは、あくまで噂のせいでガイック家にご迷惑をおかけする可能性があったからです。それが心配だっただけで、私自身は何とも思っていませんから」
そう説明しても、2人の顔色は暗いまま。特にノア様はただでさえ体調不良なのに、、ますます顔色が悪くなっていく。どうにか話題を変えてしまわないと……。
「それよりノア様です。一睡もされていないのでしょう?もし私に申し訳ないと思ってくださっているなら、今日は公爵家のお仕事もせずにお休みになってください」
私がちょっと怒り気味でそう言うと、ノア様は目を大きく見開いた。
「どうして公爵家の仕事のことを?」
「イーサンが話していたのをハンナから聞きました。イーサン、ノア様が休んでくださらないって心配ばかりしていたそうですよ」
「エ、エルシー様!?」
急に暴露されてイーサンが慌てる。
「あら、良いじゃない。ツンデレのツン多めなだけで、本当はイーサンがノア様のことを凄く心配していることはみんな知っているわよ」
「そんな事細かに説明しないでください……!」
顔を真っ赤にするイーサンなんて、珍しいわね。イーサンには少し申し訳ないけど、おかげで重苦しかった空気がだいぶ和らいだ。ノア様も嬉しそう。
「イーサンだけでなく、私もノア様を心配しています。少しでもノア様の力になれればと思って、用意したものがあるんですよ」
「用意したもの……?」
そう言って、鞄からラッピングしてもらった万年筆を取り出した。
「ノア様への贈り物です。お仕事が忙しいと聞いたので、応援の気持ちを形にしたくて」
「……」
ノア様は無言で箱を受け取った。そして――――
バタン
――――倒れた。