東の森の魔女の店~私、妖艶な魔女ではありません!~
選んでいただきありがとうございます。
誤字脱字報告、とてもうれしいです。
私、伯爵令嬢の娘アンジェリカには家族しか知らない秘密がある。
子どもの頃、両親との初めてのお出かけで何故か導かれるように入った一軒の店。
「ようこそいらっしゃい、アンジー」
にこりと微笑んだ美しいその女性は魔女で、私の持つ癒しの力を見出した。
小さな領地を治める貧しい伯爵家である両親は、魔女の勧めるがままに日中、私をその店へと送り出した。働くことが貴族にとって卑しいことであると知らない子どもだった私は、ずらりと並んだ瓶の棚やぶら下がる乾燥した草花、小さな引き出しが沢山ついた薬棚に好奇心いっぱいで、ただ遊びの延長で毎日楽しく通った。
自分の持つ力も、そしてその力を使う術を教えてくれる魔女がどんな存在なのかも幼い私はわかっていなかった。
そして伯爵令嬢としてのマナーも教養も勉強不足な、十六歳の今の私にいたるのだ。
最低限の振る舞いをハリボテで身につけ父のエスコートでデビュタントには一応参加したが、所作の美しい他の令嬢達がキラキラと眩し過ぎるし、煌びやかな宮殿にも自分の場違い感が否めず早々に引き上げた。
*****
やっぱりお店で薬の調合をしているのが私にはむいているわと乳鉢をゴリゴリしながらアンジェリカは思う。それにここ数年、師匠である魔女のベラトリックスは店を不在にしがちで、アンジェリカが一人でこの店を切り盛りしている状況も彼女のやる気を起こさせるには十分だった。
カランコロンとドアの鈴がなる。アンジェリカは素早くローブに身を包むと調合室から出て客の元へと向かった。
ローブは伯爵令嬢である身元を隠すため、接客する時は必ず纏うことにしている。それにここは魔女の店と看板を掲げているのだ。魔女っぽい風貌の方が有り難みもあるだろう。プラシーボ効果、上乗せだ。
「...ここの薬はよく効くと聞いたのだが」
ローブを頭からすっぽりとかぶって緊張混じりにうつむき低い声で話す客は、背の低いアンジェリカからは若い男性であることだけは見てとれた。
「どうでしょうか。効いたかどうかはあくまで主観かと思いますのでお答えできません。どういったお薬をお求めでしょう?」
実際にはアンジェリカの癒しの力が付与された薬だ。ただの薬よりは効果があるのは間違いない。だけど、アンジェリカだってなんでも治せるわけではないのだ。
「...秘密は厳守できるか?」
「貴族であれ平民であれ、プライバシーは守られます」
躊躇いがちな問いに毅然とした声で告げると、アンジェリカは客を間仕切りしてある店の隅へと案内した。
男は黙ってついてくる。その立ち振る舞いから貴族であることは間違いないが、威厳と品格のある話し方でありながらも横柄ではない雰囲気にアンジェリカは好感を持った。
見慣れない広い部屋では落ち着かず自分の病について打ち明けにくいのが人の心情というものだ。診察用の椅子と机、簡易ベッドが置かれた人の目から隠れた小さな空間で人は辛さを吐露しやすい。
そもそも、この店に辿る道は魔法がかけられていて、店内に客がいる時は他人は辿り付けないようになっている為、他の客と出くわす事は絶対にない。ちなみに店に悪意を持った人物も近づけないようになっている。
だが、そこまで言わずとも椅子に腰掛けると人は自分の症状について話し始めるのが常だった。
だが目の前の男は一向に声を発しない。
貴族なら広い空間のほうが良かったかしらと思案したがどうもそうではないらしい。男が口を開いては閉じるを何度も繰り返すうち、アンジェリカの方が痺れを切らせた。
「お話しにくいようでしたら、触診させていただけませんか?お客様の気の流れを拝見します。そのベッドに横になってください」
「ベッ、ベッドだとっ、そんなハレンチなっ」
「...でしたら、座ったままで結構です。ただ体中に手を当てます。苦しい時は遠慮せずに仰ってください」
勘違い童貞男(推測)の動揺もあっさりスルーで淡々と告げ、アンジェリカは男の背後にまわった。男は瞬間びくりと体をこわばらせたが自分で話すことを諦めたようで、そのままアンジェリカの触診を受け入れた。
実際には手を当てるまでもなく、男の様子から体の左側が具合が悪いと判断出来た。左腕を無意識にさすったり、左目に手を持っていったり、明らかに不審すぎる。それでも手順通りに触れていき、アンジェリカが確信を持って左腕に手を当てた時、男の体はぶるりと揺れた。
「申し訳ございませんが、フードも取って頂けますか。左目あたりにも気の滞りを感じます」
男は少し躊躇った後、「ここで見たこと起こったことは決して他言するな」と言ってフードに手を掛けた。
(だから、誰の秘密も守るって言ってんでしょーが)
と魔女に教育されたせいか天性の性分なのか伯爵令嬢の品位のひとかけらもない、口の悪い薬屋の店員アンジェリカは腹の中で悪態をついたが、フードとともに美しい金色の長髪がふわりと揺れ、煌めく碧い瞳が現れた途端、思考は停止した。
(こ、公爵さま!)
あろうことか、この国の上位貴族である公爵家の御子息レイモンド様のお姿がそこにはあった。デビュタントの際、王太子様とともに並ぶ様子を遠くからちらりと、世間に疎いアンジェリカですら興味を持って眺めたくらいにはその存在を知っている。
だがそんな様子はおくびにも出さないで、レイモンドの瞼に手を当て、気を流し込んだ。案の定、左目の時には再びぶるりと体を大きく揺らす。
「これは薬で治療できません」
「...やはりか、魔女殿でも治す事は無理か」
「魔女ではありません、アンジーです」
「ああ失礼、アンジー嬢でも治療はで」
「できます、治します」
アンジェリカはどさくさに紛れてレイモンドにアンジー呼びをさせた。
そう、この店にいるのは伯爵令嬢のアンジェリカではない。魔女の弟子アンジーなのだ。
それに私魔女じゃないしね、そこはちゃんと否定しておかなきゃ。
束の間の夢見たって良いよね!と乙女心満載で治療を引き受けることを即答した。
ただし、と
「お客様に治癒するためには何度か店に足を運んでもらわなければいけません。他のお客様の迷惑にならない時間帯、店の閉店間際に来ていただくのがよろしいかと思います。お客様の都合で結構ですので来られる日にいらして下さい」
「何度もか?それはどれくらいの期間か」
「それは治療してみないと分かりません。一度で終わるかもしれないですし一年かかるかもしれません。...十四歳から罹られたご病気ですから、一度で終わるってことはないかしら」
「ど、どうしてそれを」
「診察すればわかります。そしてかなり拗らせてしまったことも」
アンジェリカの言葉に非常に驚いた顔も美しいのが悔しいけれど、このご尊顔は芸術作品だと言い聞かせよう。じゃないと治癒する前に私の心臓がもたないかもしれないとアンジェリカは真剣に己の身を心配した。
「なるほど、さすがはアンジー嬢だ。ではなんとか都合をつけて来られるだけ来ることにしよう」
そう笑ったレイモンドの爽やかイケメンスマイルを間近で見たアンジェリカは本当に死ぬかと思った。
*****
レイモンドは王城で、王太子の想い人からアンジェリカの店の存在を教えてもらった。
ある時廊下の柱の影で密かに左目を抑え踞っているレイモンドに
「お体の具合が悪いのですか?」
とご令嬢は声をかけて来た。驚いて声も出せずにいたレイモンドに
「...王都との境にある東の森の魔女の店がなんでも治してしまうと専らの噂ですけれど、ご存知?」
と気さくに微笑まれた。
王太子の想い人なら力も有り人脈も広く様々な情報に長けているのか、もしかすると宮廷医ですら原因不明と告げた病を治せるかもしれないと一縷の望みにかけた。
そして通い続けてひと月。レイモンドは今、かつてないほどの爽快感を味わっている。
「もう治療は終わりですね。レイ様にかけられていた魔法はほぼ解呪できました」
「そうか、思ったより早く終わったな」
「これに懲りて自己暗示には気をつけてください。レイ様の魔力はかなり大きいのですから」
左腕や左目が疼く年頃と聞かされた一四歳のレイモンドは心配から不安に陥り、そして遂には自分の魔力で、精神不安に陥ると疼いてしまう魔法を少しずつ重ねてかけてしまっていたのだ。
アンジェリカは複雑に絡まった魔力の流れを少しずつ解き、レイモンドの気の流れを正常な形に戻した。憧れのレイモンドに触れ治癒を施したのだ、癒しの力が溢れでてレイモンドがかつてないほどに健康体なのはご愛嬌だろう。
一方レイモンドといえば、初対面で名前呼びさせるアンジーをさすがは魔女、人間の貴族の流儀も通じないから異種間交流は出来ないと始めは思ったのだが。
アンジーの手の温もり、感触、流れくる気の心地良さ、凛とした佇まいも、砕けた口調の気安さも全てが気に入ってしまい、幾度も通ううちに彼女にレイと相性で呼ばせることに成功した。
治療の後には持参した手土産でお茶をしたり食事をしたりと時間を共に過ごすようにもなった。
だがアンジーはフードを取らない。レイモンドから見えるのは深々と被ったローブの端から見える、ぷるぷるとした唇とぬけるように白い肌の細い顎だけ。
「店の中でひたすら過ごしているのだもの、病的に白いだけよ」「私の真実の姿を知ったら嫌いになるわ」
そう言って決して姿を見せはしない。
アンジーの容姿なんてどうでもいい、アンジーの優しいあたたかな気に心が癒されるんだ、鈴を転がしたような声に胸が締め付けられるんだ、こんなにもレイモンドはアンジーを想っているのに。
だから思い切って告白した。
「治療が終わってもまた店に会いに来て良いだろうか。貴女に恋焦がれているのだ」
そういうレイモンドに
「私とレイ様とではつり合わない。でもこの店にたどり着くことができれば拒まれていないということだわ」
ふふふと笑いながらのらりくらりとかわす口元に、レイモンドは焦燥感が募りさらに苦悩した。
高位の貴族の子息であり王太子の側近であるレイモンドでも、アンジーからしてみれば大勢の患者のうちの一人でしかないのだと。そして魔女の妖艶さに囚われた哀れな人間の一人なのだと。
だが、アンジェリカはアンジェリカで悩んでいた。レイモンドが甘く囁くほどに本気になってしまいそうな自分に何度も言い聞かせた。
(店で見たこと起こったことは他言無用と言われているもの。店内では何を言われても所詮は夢の世界の出来事と同じ。
でもレイ様がこの店に辿りつける間は、私のことを好きでいてくださる証拠だわ。
仮に私が貴族の娘だと言ったところで所詮は貧乏伯爵家の娘だしね。公爵家の、ましてや王太子様の側近であるレイ様とは釣り合わないわ)
しかし、肝心のレイモンドは他言無用発言なんてすっかり忘れていた。いやもし覚えていたとしても、診察以外にも適用されるとは考えもしなかっただろう。
そしてアンジーが魔女だと信じて疑わないレイモンドは、彼女を森の外に連れ出すなんていう発想は思いつきもしなかった。
だからいつも彼女の喜びそうなものを携えて会いに行っていたのだ。
そしてその想いは遂に爆発する。
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アンジェリカの前で跪き手を取るレイモンドの麗しい姿にアンジェリカはお姫様気分。
だったのだが、
「初めてを捧げることを許してほしい」
爆弾発言が脳天直撃、アンジェリカはボム!と音をたてて爆発、しそうになる。かろうじて「...少し考えさせて欲しい」と声を絞り出せただけ伯爵令嬢としては頑張ったと言えるだろう。
レイモンドは長年拗らせた病気を完治させ、ようやく大人へのステップアップ中のオスのピヨピヨ雛鳥だった。しかも目の前には病気を治癒してくれたあたたかい気の流れる愛しい魔女。
アンジーとこのまま一緒に過ごせたらどんなに嬉しいことだろうか。彼女の手を握り、彼女の頬に触れ、彼女の唇に自分のそれを重ねる。そして、彼女の中でやわやわと包まれ果てることができたらなんと幸せなことだろう。
だが魔女の欲には果てがないという。なら自分はたくさんいるうちの一人にでもなれればもう満足だ、自分の初めての女性になって欲しい、そう意を決して告白したのだが。
アンジェリカはレイモンドの真意を読み違えていた。
平民の娘の純潔を求められたと捉えたのだ。
アンジェリカの普段の様子からレイモンドに好意を持っている事は丸わかりだったはずだ。二人の間に甘い空気が流れることもなかったわけではない。
病気が完治した今、レイモンドはいずれ店に訪れなくなるだろう。どうせ自分は生涯をこの店で過ごすのだ。なら大人への階段を登る相手の一人に自分が選ばれただけでも喜ばしいことではないか。ひと夜の夢ぐらい見たってバチは当たらないだろう。
(決めた。私の乙女をレイ様に捧げよう)
そう強く決心してアンジェリカは、こくんと頷いた。
そして事後、ようやく落ち着き払ったレイモンドは気付く。
アンジェリカの白く細い首からぶら下がる伯爵家紋章入りネックレスに。そして当然ながらアンジェリカも初めてだったという事実に。
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「ねえ、ベラ。君知ってたんだろ?」
宮殿の王太子の執務室で涼しい顔をして紅茶を飲む愛しい恋人に王太子は話しかけた。
「というか、君でもあいつの病気治せたんだろう?」
王太子はレイモンドが人知れず防壁魔法で結界を作り痛みに耐えていたことに気づいていた。そして恋人のベラがレイモンドに魔女の店を紹介したことも。
「残りわずかな余生は愛しい人と穏やかに過ごしたかったから、弟子に託したの。あの二人なら相性も良いし、病気もすぐ良くなると思ったわ。二人のことが気になる?」
「まあ、大事な友人だからね」
その大事な友人に思春期特有の病の存在を教え脅かしたのは紛れもない王太子だったのだが。真面目なレイモンドが自分に「疼く」魔法をかけたであろうことにもすぐに気づいた。
だが、思春期を過ぎれば解けるだろうとたかを括っていた。まさかここまで長く患うことになるとはつゆほどにも疑わず、王太子も最近は責任の一端を感じていたのだった。
「私は魔女よ。友人はいないし、人間がどうなろうが知ったことではないわ。愛しい貴方と私の可愛いアンジー以外はね」
「なるほど。それで敢えて何年もレイモンドのこと、放って置いたのか」
「さあ、どうかしら」
「じゃあ、もう憂えることはないだろう。残りの人生は俺のことだけ想って暮らしてくれよ」
「それは無理ね。お腹の子どものことも考えなくちゃいけないもの」
そう言って魔女は妖艶にふふと微笑んだ。
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その後、
宮殿でアンジェリカは師匠と劇的な対面をはたしたり、師匠の子どもと同じ年生まれの子をアンジェリカも授かりもするのだが、それは別のお話。