幕間・退屈で、完成した午前
■ ■ ■ ■
「実際のところ、佐々木さみどりを害したのは、わたしなのだと思う」
一週間の不在期間中のこと、石動は白樺めぐみにそんな心情を吐露した。
『焔花神社』に用意された滞在用の一室は薄暗く、狭々しく、部屋というよりは『ねぐら』と表現したほうが適切で、だから、背伸びした白衣をまとった中学生と、手のひら大の通信端末がすごすぶんにはちょうどいい。
クーラーの稼働音は近く、閉め切った窓からは葉擦れの音すら聞こえない。雲行きは怪しく、湿気た大気が窓ガラスを曇らせていた。集臭機能はないので匂いについては想像に頼るしかないが、たとえばカメラレンズの前で唸りを上げるモーターの、プラスチックを焦がすような匂い。空けたまま放置されたエナジードリンクの甘ったるい香り。それらがないまぜになって、実験室か社畜小屋を思わせるような、ブラックな香り漂う素敵な仕上がりになっているに違いない。
『どうしてそう思うの?』
集音機能と一眼レンズを駆使して想像を巡らせながら、感情の乗らない声で訊ねれば、石動は独り言のように答える。
「決まっている。旅行前後の記憶がどうにも欠けているからだ。おそらくは火宮七草の手による『精神操作』、……それにしては杜撰な記憶の空白、なら、『魔眼』関連の案件に相違あるまい」
『【八号計画】って。やつだね。私たちに対する【検証】と同時並行で進んでた【実証】。七草は『読んで』知ってて。なおかつ口軽いから。だいたいみんな知ってたよ。……一部例外はあったけど。火宮が知らないのはしょうがない。あの子は言ってみれば幼児みたいなもん。だから』
「……慰めているつもりか?」
『んーや。べつに』白樺は反射的に否定して、『……いや。そうともいえる。のか……? あんまり気に病まれるのもあれだし。【同じ境遇】だってことを知ってるってことを知ってるって言いたかっただけ。……《知ってる》がゲシュタルト崩壊してんな。というかぶっちゃけ私は《勝手になった》側だから同じ境遇でもなんでもないんだが……』
ぶつぶつと思考を垂れ流す端末に、「正直すぎる」と呆れ声を洩らした石動は、小さく。
「……ありがとう、白樺せんぱい」
『む。デレの気配。もっかい言って。かいぐりかいぐり』
高度に発達したうざさは嫌がらせと区別がつかない。耳ざとく呟き声を捉えて絡んでくる白樺に、「検体七号」と冷たく呼び名を改める石動は、見直して損した、とばかりにためいきを吐いた。
『一歩デレて二歩下がる……古き武家書法度にもある〝侘び寂び〟というやつか。悪くない』
雑なことを言ってダメージを受け流す白樺はメンタルからして無敵だった。
「武家諸法度に『侘び寂び』について話す部分あったか……?」
『ん? ないけど』
これは相談相手を間違えただろうか、と若干後悔にさいなまれつつ、けれどひとりでは抱えきれず、目下の不安ともっとも近いところにある端末に訊ねる。
「佐々木さみどりを害した、ということは、わたしの『指向』はそちらに寄っている、ということだろう。『兄と並ぶ視座を得たい』と思っているのは本心だ。しかし『魔眼』に至った時点で『隣に並ぶ人間を排除する』という選択をするのであれば、これは……いや、事故なのだとは聞いている。実際、兄の『眼』はわたしと繋がっているのだから、目的は達成している。『魔眼』は至った時点で時系列から切り離されるため、どのようにしても兄の眼が『戻る』ことはないのだから……いまの時点でわたしに記憶はないが、『九号』の生命維持装置に仕込んだ〝毒〟が起動すればアレの『視座』は(未許可で)借り受けられ、そこに白樺(小声)の能力が合わされば一年前の『起きた』出来事に割りこみがかけられる。だから、そのような事故は起きない、起こさせないのだと決めてはいるが……どうしても不安が拭えない。
不確定要素を極力削ぎたいがために、『未来視』を持つ中林緋視に声をかけたのだが……友人、でなくても、知人を傷つけた経験を持つ存在というのは、彼にとって特大の地雷ではないだろうか? わたしは……せんぱいに助けを求めてもいいのだろうか」
質問までの枝葉末節が長いので、『《同じ視座を得る》ってそういう意味かぁ……グロいな』などと気持ち的に爪をいじいじしながらだいたい聞き流した白樺は、一言。
『大丈夫じゃない?』
と。
「どうして言い切れる? その根拠は?」
聞いてないと感じとった(正解)石動は、むっとした顔で端末を折ろうとする。
『いや折りたたみ式じゃないからね? 思いきりがいいなこの子……』
ぼやきつつ白樺は『壊れても直るからべつに折られるのはいいけど。中林以外に壊られるのは癪だな』という拗らせた思いから、居直って答える。
『中林は無駄に義理堅いからさ。……正常な『眼』をくれたあんたを。見限ることはないはずだよ』
「……どういう意味だ?」
『自覚なかったか』と、訝しんだ目をむけてくる石動に、諭すように白樺は続ける。『人類が絶滅するってことは。知ってるでしょ』
「それは……基本だろう。わたしたち『能力者』、あるいは絶滅危惧指定生物『リビングデッド』は見かけこそこんななりだが、実体としては名前通り、人型範疇生物ですらない『屍』を被ったバケモノだ。人間の胎児の皮を被って生まれる寄生生物。ゆえに霊長目から枝分かれしたヒト科の現生人類は今後発生しようがない。一時『能力』の行使が厳罰化されたが、わりあいすぐ締めつけが緩くなったのは火宮七草の尽力があったのは言うまでもないこととして、『上』が法認可の際『意味がない』ことだからと悟ったからだと言われている。一〇年もしないうちに『能力』を保持するモノが社会にでる。そのときに『強み』が生かせないようでは、それこそ『持つ』モノの暴動が起きよう。『暴動』が起きないための『統制官』制度であるのだろうけれど」
立て板に水と言い立てる石動。『うん……うん?』とよきところで相槌を打っていた白樺は、完全に話題が逸れていることに気づき、やんわりと軌道修正する。
『や。まあそれはそうなんだけど』
「ん? なにか間違いが?」
『間違いっていうか。俺のターンドローっていうか』なんか急に面倒くさくなってきたな、と元来の飽き性が顔をだしはじめた白樺は手早く話してしまうことにする。『……えと。じゃあ。中林の話ね。中林は未来における《ヒトの死》を視ることができる。これは《能力者》も《霊能者》も《現生人類》も問わず一律に。……で。ここからが問題なんだけど。その一律化された《ヒト》が種を問わず。死因を《老衰》とする者がこの先ほとんどいない……って。ことは知ってる?』
「老衰者がいない……?」話を遮られたことを気にするでもなく、石動は思考する。「『寿命』で死ぬ者が限りなく少ない、ということか? 昨今、医療技術の進歩も目覚ましい。事故死はともかく病気による死は克服しつつあるといって過言ではないし、……そもそも『能力者』に「病死」はないのでいまさらの話でもある」
『まあ《なんで》とかは知らんのだけど』素直なやつだなかわいいな、と思いつつ、白樺は続ける。『知ってるのは中林だけ……いや七草も読んで知ってるか。《神様》はもちろん。その使い走りの灰村某も知ってるかもだ。……とにかく私は知らないから。訊かれても答えられない。でも中林が《人類は滅亡する》って思ってることはたしかで……そんな光景をモノゴコロついたときから見せられたんじゃ。性格のひとつやふたつ。歪んでしかるべきって感じだ』
だからあんたは。中林にとって特別なんだよ。
白樺は機械的な声で、最大限に柔らかく包むように。──きっと、『ヒト』であったなら、万人を堕とすような慈愛に満ちた声音で。
『《外部操作装置》ってやつ。あれで《オン・オフ》切り替え可能になったから。中林は《普通》を知ることができた。中林だけじゃなく。多かれ少なかれ。そういうふうに思うやつはいると思うよ』
「白樺、せんぱ……」
『まあ私は死んでるから恩恵ないけど。ってか切ったら死ぬからむしろマイナスまであるんだけど』
「いや台無しなんだが」
後輩はじとりと目を細めた。端末はからからと笑いの効果音を発して。
『まあ。あんま気にすんな。ってことだよ。……というかだよ。友人・知人を害したやつがアウトなら。私を殺した七草とも仲良くやってる中林緋視くんなんなん? って話じゃん? なんならアイツ以外。友人と呼べる友人がいないまであるやつだから。常識ではかろうとしても損するのはこっちだよ』
「友だちはわたしもいないから、なんとも……」
『私も知り合いは多いほうだけど。友だちはひとり……いや中林含めればふたり……?』
──この話はやめよう。どちらともなく決議して、それからしばし会話が途切れる。白樺はスリープモードに移行し、石動は火宮悠久に仕込んだ仕掛けの最終調整として、PC機能を搭載した義眼を眼窩から外してかちゃかちゃと弄くっていた。
スリープモードにしていると流れだす仕組みなのか、白樺めぐみの『生前』の録音音声がBGMさながら室内を満たし、迷惑な仕様だ、と考えながらも、石動は口をだすことなく手を動かし、時折じっと耳を澄ますのだった。つい洩れた鼻歌のようなものだろう。なら、わざわざ注意することもない。
退屈で、完成した午前だった。その充足した倦怠を打ち破るように、明かりをつけない部屋の中、通知音とともにメッセージがポップアップした。
『誰から?』
歌を中断して、白樺が問いかけてくる。それを少し残念に感じる自分に驚きながら、鉄面皮を崩さず石動は答える。
「せんぱいからだ。『着いた』と。顔の見えないメッセージだと、わりあいぞんざいな言い方をするのだな」
『まあ。いつものあれ。キャラ作ってるだけだしね。で。クセがついちゃったからもう直らない。……だからまあ。あれが性格ってことで。いいんだと思う』
石動は端末を見る目を少し見開いた。
「驚いた。せんぱいといるとき以外は、それなりにまともなのか」
『まあ。中林。テンション高めな子がツボっぽいしね』
白樺は画面に『えへん!』と胸を反らすSDキャラのスタンプを表示した。それを目にした後輩は、「テンションがバグっている、の間違いでは?」と鼻で笑った。
『なんだと』しばらくわなわなと物理的に震えていたが、飽きたのだろう。不意にバイブレーションを停止して、かと思えば無駄に凝った湿っぽいBGMを流し、独白めかした茶番を始める。『あれな。火宮はけっこうズルいんだよ。中林ってそこそこチョロいから貸し作るの簡単なんだけど。そして《借りを返した》と認識するまでが長いんだけど。いきなりプライベート用の端末を買ってあげるという……しかも私のカネで。そんなんできひんやんふつう』
「あなたが稼いだ金銭であっても死後に権利があるわけではないからな……実際のところ、中林緋視と白樺めぐみはどういった関係なのだ?」
問いかけに、白樺めぐみは音楽を切って答える。
『私の知っていることは中林も知ってるし。中林が知ってることは私も知ってる。中林が知っていて私が知らないことは《知らなくていいこと》で。逆もまた然り。……まあ。そんな感じかな』
感情の読めない合成音声ながら、どことなく誇らしげな口振りだった。一面的には正しい言い分なのだろうし、中林も否定はしないだろうことが察せられた。……『知らない』のであれば、中林緋視の元カノの存在は言わないほうがいいな、と石動は賢明に判断を下し、代わる言葉として「しかし、それにしては連絡がきたりはしないのだな」と混ぜっ返すように言い放った。
『それな。釣った魚に餌を与えないタイプっていうか。餌やったことを覚えてないっていうか。おじいちゃんかな?』
「それはせんぱいの『眼』の性質上仕方ないことだ……まあ、あなたも似たようなところはあるのだし」
『……あるか?』
首を捻るような仕草のSDキャラがポップアップ。それに「ふっ」と抜けるような呼気を洩らし、石動は視線を遠くにやった。
「覚えがないのなら、きっとそちらが正しいのだろう。『記憶』という点であなたに勝ちうる存在はないのだから」
『わからん……』
「だから、そうだろうと言っている」
『心が読める』能力者、火宮七草が、おそらく唯一手を焼いた存在。一挙手一投足が視線を集め、気まぐれな一言で誰かのなにかをすくいあげる。
いつのまにか、胸中に巣食っていた不安は、綺麗さっぱり消えていた。
「べつにわからなくていい」石動はもう一度つぶやいた。「ただ、少し楽になった。……それだけ伝えたいと思った」
『ふーん……? まあ。なんでもいいが。それさっき私が言ったことと同じじゃね?』
「そうか?」
『自覚ないんだねー。……そういうもんかもね。誰しも自分を客観視はできないものだし。……や。七草は例外か。例外多いなアイツ。自分を客観視するために。他人の体に自分の人格を植えつけた……【半身】なんて言い方だったか。火宮もいい迷惑っていうか。……そうした理由も察しはつくけどさ』
白樺の声にノイズがかかる。演出だとわかっているが、それは、あるいは『泣いた』ことを表したのではないか……。石動は首を振る。自嘲じみた言葉に、きっぱりと告げる。
「それは本人には言わないほうがいい」
白樺はおどけたように。
『言わなくてもわかっちゃうやつだけどね』
「そうだった」
なら、それはとても残酷なことなのだろう。
詫びというわけでもないが、と前置いて、後輩が訊ねた。
「『せんぱいの女装』に興味はないか?」
『なにそれおもしろそう。超興味ある』
と、時間を操る能力者の『眼球』は応えた。