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リビングデッド、七四〇赤(カラフルコレクション)/絶滅危惧・魔眼  作者: 錯誤
Collection.1 恒常的に持続する世界をくれたあなたに/共有する白昼夢
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3.中林はうるせえと思った

 下りのエスカレーターに乗って移動中、下の景色を見下ろすと、乗り換えの駅のホームは通勤・通学の群衆ですでに黒々と埋まっていた。十代の学生も多いなか、それでも頭髪の色素が抜けるほど『使って』いる中高生はさほど数を揃えてはいないようだ。


 エスカレーターの終点。自らの足で歩きだす。


 長い列をつくる自動階段付近を避けて、ひたすら奥へ、奥へと、脇目もふらず。十両編成の電車の最後尾車両のあたりはひとけがまばらで、だから中林は先頭について、車両の到来を待つ。


 それがいつものことだった。


 トン、と軽やかな靴音が背後で聞こえる。


「今日も早いね」


「会長に呼ばれてましてね。まあ、いつものことですけど」


 中林は応えた。移動中の暇つぶしに読んでいた文庫本、読みさしのページに挟んでいた指を抜いて、しおりを挟み直し、それから振り返った。


 目に入るのは、白茶色しらちゃいろのショートカット。陽光の色をうつして、黄金きんに煌めいている。反して、こちらを見返してくる丸い瞳は、月灯りを思わせる琥珀である。朝の早いことを労るより、「無駄なことをしているな」という呆れのむきが強い色をしていた。


「キミ。人混みが苦手なのに公共交通機関を利用するなんて。自傷行為かなにかかな?」


 火宮ひのみや紫桜しはるは腰に手をあてて、軽く非難するように眉をひそめた。


 中林は肩をすくめて。


「最近はよくなってきていますよ。いいサンプルが身近にありますからね」


「サンプル呼びしないでほしいなー……」


「……ん。少し配慮に欠けていましたか?」


「少しじゃなくて。完全に地雷だよね」


 ためいきをついた火宮は、近づいてきて中林の隣に立つ。すれ違いざまに、ふわりと、林檎の匂いが立ちのぼる。七草と同じ香りだった。彼がホームから線路側へと体のむきを戻したとき、火宮は黒い端末のレンズをこちらにむけていた。


「隙あり!」


「ありませんが」


 中林は手に持った物理書籍で顔をガードした。狙いが外れてむくれているだろうかと、陰からそっと目のみだせば、彼女はこちらなど見ておらず、どうやら盾にした本の書名に気をとられているようだった。


「……はなみんって。カバーつけないんだ」


「ああ、白樺が怒るんですよ。『公衆の面前に触れる機会なのに。電車内でカバーつけて表紙隠してちゃ。宣伝にならないでしょ』と」


「声真似うまいね」


 火宮はどうでもいいことに感心してみせた。七草のほうがよほどうまいと思うのだが。


「そだねー。でも。あれは別口じゃないかな。


 まあともかく。めぐみっちー。売り上げ気にするなんてヘンだなー。もう金品を受けとる権利はないのに。……ボクは助かるけどね」


「俺が言うのもなんですが、名義を貸してもらえて助かってるのはこちらのほうです。七草や星野ほしのさんも喜んでましたし。……それでも一時的な措置であることを願いたいものですが、場合によってはそのまま、ということにもなりそうです」


「めぐもみじん。生き返る気あんまないっぽいもんね」


「うん。……どんどん奇天烈になっていきますね、白樺の呼び名」


「はなもみじん?」


「違います。俺の呼び方を変えてほしいと要望をだしてるわけじゃない。そっちは諦めてます」


 白樺めぐみは中学生でデビューした小説家・シナリオライターの名称である。むろん本名だが、当人の肉体が死亡しているために、それが本名だと活動に支障をきたす。勝手にカメラを起動させたりしている事実からわかるように、端末を通じて文章を出力するなど白樺にとっては造作もないことのようで。


「……『肉体からだがなければ。食事も。睡眠も必要ないから。無限に活動できるね』なんて嬉々としてましたが。それで『無限に活動』するために、『白樺めぐみ』をペンネームとし、火宮紫桜を代役に立てる……戸籍や口座を都合するのに七草が死にそうになってたのが懐かしい」


「おかげでボクは潤ったけどねー。がっぽがっぽだよ」


「もとからメディアへの露出や同業者との交流は控えていましたが、今後に影響がでないとも限りません。……訊いたことがありませんでしたね。火宮、きみ、これからやりたいことってありますか?」


「んー……はなみんは?」


「俺はないです。その権利はとっくに放棄している。だから俺は出来損ないの『未来視』なんでしょうね」中林はゆっくりと、まぶたに指をかぶせた。「『能力』とは、『望む未来を視る目』のことですから。望まぬ未来ばかり視る俺は、どうにも終わっているみたいで。だからまあ、さしあたっては、きみに借金を返すことから。そのあとは、どうですかね。死ぬんじゃないですか?」


 平然と言ってから、「いや白樺を戻さないとか。なら生きときますか」となんてことなさそうに生存を決定した。


 すでに死んだ身の少女は、どこか眩しげに『未来視』の紫眼を見つめて、諦めたように逸らして、レールをじっと見て。


「ボクは……アレかな。歌とか好きだなー。ほらお兄ちゃんが歌うの上手いからさ。ちょっと憧れるってゆーか」


「そうなんですか? それは意外……ってほどでもないか。歌といえば、白樺の音感も侮れないものがありますよね」


「そうそう。あのふたり。いっつも張り合ってたからなー。……たいていめぐみかなぶん(夜行性)が負けて泣かされてたけど」


「おっと認知機能バグりましたか?」


 懐かしそうにつぶやく火宮はどうやら『白樺めぐみと面識はない』と自分で言った設定を忘れているらしかった。あとあだ名がさらに悪化しているので言語機能も壊れかけているようである。


 さいわい視認する機能や聴覚はバグってはいないようだったので、定刻通りの到着がアナウンスされるのにあわせて彼女は姿勢を正した。車両到達間際の数秒、火宮は視線を正面にむけたまま口を開く。


「ところで。つゆぴょんに会ったんだって?」


「知らない人ですね」


『梅雨』と書いて『さみだれ』と読む名を持つはとこなら知っているが。


 その補足は車両到着のさいの扉の開閉、人の出入りの物音で火宮の耳には届いていないはずだったが、「それだよ。わかってるじゃん」と。壁にもたれながら、したり顔で彼女は応える。


 なお、小柄な彼女は人波に抗うすべを持たず、あっさりはぐれそうだったところを中林が確保し、ドア付近のスペースに押しこまれたものとする。背中に通勤鞄のゴツゴツした感触を覚えながら、火宮が潰されぬよう両手を壁につき、支えをつくって庇い立てる中林は、こちらもずいぶんと慣れたな、と思考した。考えは胸のうちのみに留めたつもりが、自覚せず洩れだしていたか、あるいは火宮の勘が鋭いのか。「どしたの? 笑って」と指摘されたので、大したことではないと前置いて。


「たんに、図太くなったな、と。最初のうちは、きみ。コアラの子みたいに俺の腕に引っついて離れなかったものですから」


「……太くなったな。とか! 言うもんじゃないと思う!」


「言ってないし、きみは軽すぎて風が吹けば飛ぶレベルでしょう。……論点がズレていますね。人混みに慣れてなかったのはお互いさまってことですよ」


「むむむ……!」火宮は睨みをきかせた。吐息がかかる距離で上向きに唸るものだから、接触事故を危ぶんで、中林はそれとなく身を引いた。「しょーがないじゃん! あんときはボク電車乗るの初めてだったんだし! いまは人混みとかよゆーなので! はなみんのザーコ! チキン!」


「魚か鶏かわかりませんねそれ」


 中林が素直な感想をこぼせば、装飾されていない素朴さが逆に警戒を呼び起こしたのか、火宮は慌ててとりなすように。


「……ってのはウソでぇ……あーほらほらl。つゆぴょんのこと! どんな話したのかなーって」


「話ですか」特に怒ってはいなかったので、強引な話の切り換えにもすぐに乗った。白樺に言われていれば報復のひとつもしただろうが、火宮に言われても気にならない。中林が言葉を途切れさせたのは、どのように言えば嘘にならないか考えるためである。「……さて。とり立てて勘案すべきことはなにも。強いて言えば、海にいく用事ができたくらいですか」


「ふーん。あの子のことだから。たぶんろくでもないことだろうなって予想してたんだけど」


 ……概ね合っている。白樺を『使って』思うとおりの結果がだせるとは希望的観測がすぎる。言葉の通り『ろくでもない』結末に落ち着くだろうことが『眼』を使わずとも充分に推察できた。


 ただ一点、気になるのは。


「ずいぶんと当たりが強いですね。梅雨となにか嫌な思い出でも?」


 火宮はにこっとあざとく首を傾げて。


「えー……べつにー?」


「最近確信が持てましたけど、きみ隠しごと向いてないですね。……ふむ、梅雨ときみの接点となると、例の『検体』がどうのって話になりますか」


「ちょっとは乗ってくれたっていいんじゃないかな! あとその話はしないからね」


「察するに『観察対象』のような意味合いでしょう。となると、なにを目的とした『観察』か。……まあ、きみが死んだ身であるという境遇を鑑みれば、『中身』を対象としたものと考えるのが自然ですね」


 中林は火宮を無視して考察を深めた。そのうえで、こう結論づける。


「『魔眼』への深化。その観察。──それは、なるほど。たしかにろくでもない。子どもらしい無邪気さの発露、と思うには少々度が過ぎているようです」


 発生条件は中林の視点では不明。白樺めぐみ、火宮紫桜の両名が『それ』だったという事実を実感として捉えるのみだ。


 三月十四日、白樺が死んだ日。


 中林はそれを目の当たりにした。


 さておき。


「……七草から以前に聞いた話では、きみらが集められた施設から脱出できたのが一年前。それまでは就学すらままならず、社会復帰してからもリハビリに丸一年を費やしたというのだから、その状況の厳しさは想像するにあまりある。そして梅雨は『集めた』側の人員だったゆえ、就学への制限などは特にされていなかったと。……たとえ相手が歳下の児童だったとしても、当人たちからしてはたまった話ではありませんね」


 そして、それは中林にも言えることだ。


 神山ハイカという『首謀者』の息子は、多少の挫折の経験はあれど、それなりに退廃に、望むべくもなく満ち足りた日々を送ってきた。


 聞きかじった話だけでも弾劾を受けるには充分で、けれど、


「……人の多い場所でそういう話やめて」


 自分から話を持ちかけることはなく。そうやっていつも火宮は伏し目に抗するのだった。


 本人からの要望を呑まないわけにもいかず、中林は「それは、失礼しました」と煮え切らない気分で答える。場と間が悪いのもたしかで、しばらくもしないうちに、ふたりを運ぶ車両は目的の駅にたどりついた。


「それじゃ。いこっか」


 向かい側のドアが開く。押し寄せる人波に埋没しかけた火宮を引っ張り上げながら、中林は言うべきなにかを考える。彼の言語野はさして優秀ではない。するりと口から滑りだしたのは、直近の記憶に紐づく提案だった。


「……今度の休み、行く場所が決まっていませんでしたね」


「ん? そだっけ。ボクはべつにどこでもいーんだけど」


 制服の襟を掴む中林にずるずる引きずられながら、火宮はそっけなく言った。若干機嫌を損ねたままのようだ。不機嫌を払拭すべく、彼はその『提案』を口にする。


「俺と一緒に、海に行きませんか?」


「……服買うんじゃなかったっけ?」


「だから水着をと」


「キミ。どんだけボクの水着姿見たいのさ」


 衆人環視のただなかで発言する程度には未練が残っていたらしい。無自覚を自覚した中林は「……口が滑りました」と訂正する。「欲望に忠実すぎるよ」と火宮が呆れ笑う。その声に、含むものは残っていなかった。


 機嫌を戻した死体の少女は、襟を掴む手をしゅぱっと払って立ち上がると、明るく言い放つ。


「うんうん。じゃ。お兄ちゃんと一緒ならいいよ」


「……保護者同伴ですか」


 不興は買わずに済んだようだが、身の危険を感じとられたらしかった。


「水着は冗談、ではないですが。俺が選ぶのはやめておきます。服を選ぶのはべつの機会にしましょう」


「その権利は『海に行く』で相殺されました!」


「む……」


 中林が声を詰まらせると、火宮は意を得たとばかりに勢いづいて。


「なのでボクは。自らのスタイルを貫かせてもらうよ」


「ああ、水着は七草がセレクトしたの着てきてくださいね」


「なんで流れぶった斬っちゃうのさ!」


「いや、きみがやばいこと言うから……」


 中林は目を逸らした。逃がした視線の先に火宮が回りこんで、むくれ面を晒してくる。


「やばいって言った!」


「やばいですからね」


 譲らず言い切れば、火宮はますます頬を膨れさせて。


「むー! いいもん! お兄ちゃんならキミなんかの好みに合わせたコーデしないもんね!」


「まあそれでも、きみが選ぶよりは……」


「言ったな! 覚悟の準備をしといてよね!」


「それ俺が言うべきセリフでは?」


 口調的な意味で。


「ともあれ楽しみです。生きる活力が湧いてきました」


「ボクは死んでるんだけどね」


 傍目にはさほど表情は変えず、されど声には万感の想いをこめた発言に、火宮はしょっぱい合いの手を入れた。海だけに。






      ☆






「それで、星野ほしの会長。なぜここにいるんですか?」


「ん、どうしてとは妙なことを聞くものだね。少年、きみが私を呼んだんじゃないか」


「呼んでませんが……」


「おや? そうだったかい?」


 仄かに青みがかった黒瞳をしばたたかせて、女はこてりと不思議そうに首を傾けた。


 首都近郊の浜辺である。中林らの住まいは隣県にありながらまるきり秘境のため、けっこうな長距離移動を強いられる。なにぶん火宮などは死んでいるために、ひとたび遠出をするにも入念な準備を要するという事情もあり、公共交通機関は避けたほうがいいと、そんな献言がトークアプリのメッセージ履歴に残っている。


 話し合いの場が持たれたのが三日前のことで、『心配せずとも伝手はある』とやけに尊大な口振り(文字振り?)で七草が発言したのを最後にメッセージは途絶えていたのだが。


 火宮七草の『配偶者』、星野サキが運転するワゴン車に搭乗して運ばれた砂浜。薄く蔭った空の下、潮騒が穏やかにビーチを満たしている。初夏のきつい陽射しは灰色の雲に遮られ、緩和した熱を砂上に運んでくる。


 なだらかに吹く風は冷気と暖気とを等分に孕んでいた。じっとしているとじわじわと汗ばむような、さりとて動ぜずにいるままでは肌を撫品はけれど、浮かべた表情の豊かさと自然さに、形を成す前に霧散した。


 鋭く直線に伸びる眉、曇天を背景に眩く笑って、女は明朗な声で言った。


「これは異なことだね。少年、きみの口から『遊びにいくから足を用意するように』と、たしかに聞いたはずだけど」


「それきっと、七草の仕業ですよ。俺は受験生を遊びに誘うわけにもいかないと、声はかけずに済ますつもりだったんですから」


「ははあ、あのいたずらっこがね。それは……グッジョブだと言わざるを得ないかな」


 洗脳行為を旨とする一級危険人物を指して『いたずらっこ』と問題の矮小化をはかる、危機感を欠如させた人物は、私立灯華高校三年、生徒会長、星野ユキ。彼女は自信に満ちた表情で、砂浜に尻を着いた中林を見下ろし非難する。


「ひどいじゃないか。私のことをハブろうとするなんて」


「大型連休でもない休日の朝から、こんな時間の浪費につきあわせるのは、それこそひどいことだと思いますけどね」


 勢いまかせのプランに若干の後悔を膝と一緒に抱えながら、中林は言葉の穂を接ぐ。


「それに、ハブろうとしたのは、なにもあなたに限った話じゃありませんよ」


「──うん。僕も呼ばれてない、ね」


 彼の背後よりひっそりと、気弱そうな声が割り込んだ。


 振り返った先にいるのは、中林と同じように砂上で三角座りをした男である。二メートルと離れていないにもかかわらず、声をかけられる直前まで寸毫の気配も感じとれなかった。地味というより、自分の存在感を隠すことに長けているのだろう。


「忍者ですか、あなたは。──副会長」


 左右非対称に頬まで伸びた前髪に、右目が秘された容姿もそれらしい。罪作りなほどに小振りなかんばせに、見えている左側のみぼやけた笑みを刻んで。


「親戚だっていうのに、よそよそしい、ね。……中林、後輩?」


「親戚であることは否定しませんが、はとこなんていうのはほぼほぼ他人と変わらないと思います。……ともあれ、呼び方については素直に改めましょうか。石動いするぎ先輩」


 枯れ葉色の髪。瞳は同系のはしばみ色である。目の色は違えど眠たげな目もとは共通しているため、梅雨さみだれとの血縁を確信するのは難しくなかった。


 石動いするぎ雨垂あまだれ。私立灯華高校三年、生徒会副会長である。彼は穏やかにうなずいて、


「正直なところ、呼び方なんてどうだっていいんだけど、ね……呼び捨てだっていいくらい、だよ」


 至極投げやりな提言に、ノン、と星野は首を振って。


「だめだめ、だーめ。石動くん。それでは少年に威厳を示せないもの」


「その呼び方も、どうかと思う、な……歳なんて、ふたつしか違わない、じゃないか」


「それはそうだけども。こう、ノリというか」


「……普段は、そんなんじゃないのに、ね」


「そんなんってなに!? さてはバカにしてるね石動くん!」


 雨垂は星野をじっと見る。目を背ける。


「無言やめて!」


「ところで……緋視くん。僕らを呼ばなかったのは、『受験の邪魔になるから』が理由で、いいんだね? だったら、その配慮は不要だ、よ。僕と星野さんちはずぶずぶ、だから。がんばって勉強しなくても、推薦枠、余裕でとれちゃうんだ」


「言い方!」


 と、堂々とした癒着宣言を注意しながらも雨垂の言い分を否定しない星野だった。星野の父君は教育界の大物だったか、と中林はひそかに得心する。灯華高校の理事にも名を連ねていたと記憶している。中林緋視の趣味は空いた時間に生徒手帳、および学園のシラバスを読みこむことだった。近頃は六法全書も嗜んでいる。火宮には『暗っ』と断じられた趣味である。心外であった。


 それはともかく。


「えっと、おふたり、おつきあいされてるんでしたか」


「いや全然? ただの同級生だよ」星野は真顔で頑と首を振った。「交流があるのは父と石動くんのあいだだけ。私は蚊帳の外さ」


 拗ねた口振り。はねつける態度とは裏腹、内側から未練がましさが滲みだしていた。こちらの勘ぐりを察してか、星野はきりっと表情を引き締めて、返す話題を振ってくる。


「……私からも訊きたいんだけど、なんでふたりとも、さっきからずっと体育座りしてるのかな?」


 質問を予見していた予知能力者はしれっと答える。


「そういう気分なんです」


「僕もそう、かな。……星野さん、ちょっと肌寒い、でしょ? 僕の服、貸すから、着てて」


「え? それほど寒くないけど……」


「いいからいいから」


「なんでこんなときだけ流暢にしゃべるの?」


 流れるような連携で、眼前の刺激物をオーバーサイズのパーカーによって視界から遮断することに成功した三角座りコンビは、そっくりな仕草で一仕事終えたというように額の汗をぬぐう。


 そうしながら、中林は思う。──能力を『切る』ことができなければ、こんな〝反応〟を起こすこともできなかったのだと。現状はデメリットでしかないが、それがメリットであった時期も、自分にはたしかに存在していたはずなのだ。


 実際には、その気を起こすことなんてなくて、指の一本も触れなかったのだけど。


 あるいは、その対象が死体であったなら、最初から悩むことなんてなかったのかもしれない──


「……なんか、少年がすごいバカバカしいことを考えてる感じがする」


「賢者の時間、なのかな」


「涼しい顔してなんちゅーことをぶっこんでくるのさ、石動くん!」


 顔を真っ赤にしてぽかぽかと石動の胸板を叩く星野。意味わかるんだ、と中林は思った。なかばやしはなみくん(十六さい)はちょっとよくわからないので石動先輩脱ぐと筋肉やばいなと思うのみだった。


「は。嘘つけ」


 みっちりと詰まったシックスパックに気をとられていたからか、横に現れた存在を意識できなかった。主観としては唐突に、耳もとへざらりと林檎味の吐息が吹きかけられ、中林は背筋がぞわっと粟立つのだった。


「……いきなりなにするんですか、七草」


 不意打ちに耳を押さえながら、弱点をつかれた彼は、座ったままの体勢で、海老のように後ずさった。


 声をかけるために中林に合わせてしゃがみこんだ七草は、つまらなげに鼻を鳴らして。


「ずいぶんと動物じみたな、ナカバヤシ。これではとてもではないが、シハルには会わせられない」


 考えるだけでも駄目らしかった。七草の能力が能力なので当然ではあるのだが。


 彼は裾を結んでへそ出しルックにした薄手のシャツ、デニムのショートパンツを着用した、ボディラインも露わな出で立ちをしていた。活動的な装いとは正反対に、剥き出しにされたしなやかな痩身は、運動用の筋肉もろくにつかずに儚げな佇まいで、どうやら普段暑苦しい性格をしているのはポーズにすぎないと主張しているようだった。


 火宮七草は、相手の心の内を読みとれるのだという。本でも読むように自然に。本よりも脚色のない内容を強引に。……だから、私生活を偽るのも仕方ない話なのだろう。


 中林の思考を見てとってか、七草はかぶりを振って。


「いやべつに偽ってるつもりはないがな? サンプリングした『人に好かれやすい人格』を出力しているだけだ。オレは学校というものに通った経験がないのでな。より円滑な人間関係を育むには、そうするのが適切だと事前判断し、実行に移したまでのことだ。……それよりも、だ。オマエ、オレの格好を見て思うところはそれだけか? 具体的にいえば『本当に男なのか?』あたりだが……ああ、いや、オレがそういう疑問を抱かないよう頭の中身を調整してるんだがな?」


 言われて中林は七草を観察しなおす。体操服を着用しているときも思ったことだが、ひときわ小柄な体躯は高校一年の男子のものとしてはいささか未成熟な部類に入り、よくよく見れば髭の剃り痕すら微塵もない。顔の上半分は髪によって覆い隠されているため、それ以上の判断は難関だが、これほど薄着になれば、体つきの性差を意識せざるを得ない。見事なくびれであった。


 そのうえで、こう応えた。


「性別とか、どうでもいいので。どうせ、眺めるぶんには生体も死体も変わらない」


「変わるだろう、さすがに……。ああ、いや、オマエにとっては問題じゃないのか。なにしろ、『死体に視える』状態で彼女を作っていたくらいだ」


 七草はにやりと笑い、「サービスだ」とつぶやきながら、重たげに湿気に濡れそぼった前髪を掻き上げる。ちらっと覗いた眉毛が鋭く直線に伸びていて、似た特徴をついさっき見た記憶があって、中林は顔をしかめた。


「うざったい絡み方は姉ゆずりってところですか、七草」


「うざったいとか言うな、チクるぞ。……籍のうえでは、近々あちらが義妹になる」


 そういえば、子どもがいるという話だったか。中林は思い出す。けっきょくどっちなんだ。


 煙に巻かれて釈然としない面持ちの中林に、七草は、く、と喉を鳴らして。


「秘密だ。まあ、オレは捨て子なのでな。書類上、オレとアレのあいだに血の一滴も繋がりはないし、もちろん、認識をいじってあるからあちらもこっちが『そう』とは知らない。……その観点でいえばクラモリとシハルの関係に近いのだろうな。だからこそオレはアイツを『半身』に選んだのだが。とかく下の子というものは、いつだって気を使うものだ」


 中林当人も『下の子』であるので最後の言はうなずける話だったが、聞き捨てならないワードを聞きつけ、七草にむけて問いを発した。


「……火宮と、闇森。どんな関係があるんですか?」


 心を読める能力者は、瞳孔を縦に開いて──。


「は。──それを知っていくのが、オマエの『未来これから』だろう? ナカバヤシ」


 雲の流れが早い。吹き抜ける風は最前より冷たさを増していて、晒される上体を内側まで冷やしていくようだ。冷めた頭で、凪いだ声で、中林はつぶやく。


「それは、どういう」


 七草がなにを知っているのか。それを訊ねる言葉は、しかし割りこんできた声に遮られる。


「……いや。なんで海着いて早々。ヤンキー座りでメンチ切り合ってるのさ。ふたりとも」


 治安悪すぎない? と呆れ顔をしながら立ち止まった火宮紫桜は、砂粒を落とすため片足を上げてぷらぷらさせた。ビーチサンダルを履き直したところで、双方の視線が自分に向いていることに気づき、困惑したように身をよじった。


「な。なに?」


「……シハル」口を開けない中林に代わって、七草が心情を代弁する。「わざわざ遠出して、学校指定の短パンとジャージはないだろう。さすがにナカバヤシが哀れだ」


「や。仕方なくない?」ぶんぶん、と片手を胸の前で振る火宮。「ボク。見せられるような体してないし。わりとグロいよ? 手術痕……っていうか施術が死後だから修復痕? 水に浸かっちゃいけないわけだし。ごめんだけど。露出はNGかな」


「オレが渡したものがあるだろう」


「お兄ちゃん。ダイビングスーツは嫌がらせだよ。ボクにも。はなみんにも。二重にさ」


「だろうな。言ってみただけだ」


「最っ低ー!」


 もっともだとうなずく七草を、けらけらと火宮が笑い飛ばす。傍目に牧歌的にうつる情景は、背格好が似ているのもあって、なるほど仲のいい兄妹のやりとりだった。


 納得がいかなかった。


「なるほど。俺はまんまと担がれたわけですか」


 憮然としながらも感情を押し殺して言えば、義兄妹は口を揃えて。


「ごめんね!」


「ごめんね!(裏声)」


「うるせえ」中林はうるせえと思った。「あと七草、声変えられるんですから、声つくる必要ないでしょう」


 七草が首につけているチョーカーは最新鋭のボイスチェンジャーになっていて、リアルタイムで発した音声を変換することを可能にしていた。本来の効能とはべつに、喉仏の有無を隠蔽することにも機能しているようなので、つまり声で性別を判断するのは困難なのだった。


「……ああ、悪いな。ついクセで(ふざけてしまった)。しかしオマエ、もしかしてそっちが『地』なのか。聞いた話では、物心ついたときから似非敬語使いだったらしいからな。乱れた言葉遣いが嫌いなのかと思っていたよ」


「似非とか言わないでくれませんか。……処世術ですよ。俺は人の見た目で歳が判断できない性質でしたからね。さして遠くもない未来、間違えて目上にタメ口をきいて『生意気』と排斥されるのがわかっていましたから、慣らす意味で昔から使ってたら、習慣化してしまっただけです。……というか心読めるなら、そのくらいの事情わかってるはずでしょう」


「まあな。オレはな」


「『オレ』は……?」


 紺色の髪のむこうで意味深に笑む七草を怪訝に思ったところで。


「……はなみん」


 中林は視線を火宮にむけた。うつむいた彼女は、意を決したように顔を上げ、琥珀の目をきっ、と見張って。


「それたぶん。はなみん。口調が悪いんじゃないと思うよ。キミが大抵の人間を見下してるのが。態度で伝わっちゃってるんだと思う」


 ああ、さては。


「また乗せられたんですね、俺は」


「────ッ、────!」


 七草は腹を抱えて苦しげにしていた。励ましを期待したところを正論で殴られた中林の反応がツボに入ったらしい。そんなにおかしかったか、そうか、と思いながらとりあえず七草の肩を掴んで地面に引き倒し、頭から砂に埋めた中林は、ぱん、ぱん、と手を払って火宮に向き直った。


「制裁が苛烈すぎない……? いや。いまのはお兄ちゃんがクズすぎたからしょうがないかもだけど」


「火宮」


「はいっ! なんでありますか教官!」


「教官? ……まあいいか。体がおかしいとか、そんな程度の根拠で俺から逃れようと思ったら大間違いです。いずれ帳尻は合わせてもらいますよ」


「回りくどい言い方だけど。ボクの水着見たいって話だよね」


 うなずく中林に、はあ、と肩を落として、上目で睨んで。


「すけべ」


 正直なところ。


 かなり、ぐっときてしまった。


『罵声を浴びて悦ぶとは、なかなか高度な趣味を持っているな』


 火宮の見せた一面に浸るのも束の間、脳内に直接響く声がした。恣意的解釈に満ちた憎まれ口は七草のもので、砂で息が詰まっているためか、念話による対話を試みているらしい。「『視えて』ないのにそんなことできるのか」と不思議に思うのと同時に、「そろそろ生命的な意味で危険だから声をかけてきたのか」と得心して、「素直に言えばいいのに」と呆れながら、砂中から七草を引き上げた。


 溺れたように喘鳴し、しばらくげほげほやっていた七草だったが、やがてなにごともなかったように顔についた砂を落とし、意味深な顔をつくり。


「──さて、頃合いか?」


「そうですけど、その前にまず謝れ」


「ごめんね☆(火宮ボイス)」


「はい、こっちもやりすぎました。ごめんなさい」


『はは。許すなら顔から手を放してもらいたいものだがな』


「……お兄ちゃん。もしかしてめぐっちと同類……?」


 勝手に借用された音声ではない、オリジナルの声の持ち主は、アイアンクローを食らう義兄を見て、彼が『定期的にボケないと死ぬ』たぐいの人間であることを理解する。


「……なぜきみらは、軽口ひとつ発するのにも命懸けなのか」


 嘆息とともに手を放した中林に、七草はやれやれと首を振って。


「不老不死でもあるまいし、人間が生涯で発せる言葉には限りがあるだろう。であるなら、話せることはすべて、その時のうちに話してしまうのが吉というものだろうよ」


「白樺はクマムシとだいたい同義の存在だから、不老不死みたいなものだと思うんですが」


「アレは余計な口を叩くのが趣味なのだろうな」


「ならきみもそうなんじゃないですか……」


 七草はスッと目を逸らした。図星であるらしかった。


「ってかさー。『頃合い』ってなんのこと?」


 義兄の危機を察してか、火宮が質問を差し挟んだ。質問が完全に話の流れを分断しているので、あるいは単純にふたりの会話に興味がなかっただけなのかもしれない。


「わざわざ海にきたのって。ひょっとして『ボクの水着が見たい』以外に理由があったり?」


「……まあ、そうですね」中林は慎重にうなずいた。「そちらが理由の半分で、あとの半分は廃品回収といいますか。引き取り手がこちらに住まいを構えていますので、こっちが足を運んだ、みたいな。そういう感じです」


「ふーん? なにを捨てにきたの? 荷物。そんなに多くないように見えたけど」


 火宮は迷彩柄の海水パンツを着用した、身ひとつの中林をじろじろと眺めてくる。


「すけべですね」


「? ……!? ぜんぜん見てないし!」


「軽い冗談なのでそこまで否定しなくても」


「……仕返しとか。趣味悪いなー」


 つん、と顔を背ける火宮の耳先は朱に染まっていた。中林はおかしげに笑みをこぼして、それから「不要なものなら少しばかり」と質問についての答えを発した。


「どこに?」


 火宮の重複する問い。応じる声は涼やかに。


「ここに。この頭の中にある思い出というものを、俺は落としにきたんです」


 中林は能力を起動した。被さっていた色眼鏡が外され、視界が拓けるような錯覚。それは映画鑑賞のさい、暗転したスクリーンに再度映像が浮かび上がるのに似ている。能力使用時には瞳のメラニン色素が外部へと照射され、使用者当人にしか視えないスクリーンへと映しだされるのだ。──つまり実際には、眼球自体が光源となっているため、使用時の視力はほとんどゼロに等しい。そして、定義上の『スクリーン』に灼きついた色素はそのまま使い捨てにされるため、能力者の瞳は次第に透明に近づいていく。生誕直後から能力を行使し続けている、七草の眼が赤いのはそのためだ。色素が消費され抜いて、眼球の血管が透けているのだった。


 視えないはずのものを視る眼は、そうして中林に藤色に彩られた『死』を運んでくる。


 右、星野ユキ、老衰。


 正面、火宮七草、胸部破損。


 左、火宮紫桜、変化なし。


 そして──


「……ん。どうしたの、かな」


 視界の右側、年老いた星野と一緒になって波打ち際でたわむれているのは、石動雨垂。じっと視られることに気づいて小首を傾げる仕草は愛らしさを覚えるほどだが、その首から下は痩せ形ながら密度の高い筋肉で締められていて、どうにもアンバランスだった。ただ全体で見れば長い手足と小顔は釣り合いがとれていて、造形としては『芸術的』という形容があてはまるだろう。


 肉体に一切の瑕疵はなく、見るだにつくりものめいていた。


 既知の事実を確認したところで、海水パンツのポケットに入れていた端末が振動する。これもまた予見していたことで、内容は知っていた。受信されたメッセージには端的に『準備完了』と記されているはずだった。


「七草」


 呼びかけると、その場に立ったまま裸足の足底でさっと砂を払って、心得たようにうなずく。


「足は用意してある」


「助かります」


 それが、先触れだったか。


 音もなく、また色もない。──正確には、黒しかない。地面に接して約三メートルほど。成人が立ち上がっても優に通れる、門のような、鳥居のような、どうあれ『こちら』とどこかとを隔てる意志を持つ、仕切りのようなものが、中林の眼前に現出する。


 光を通さない性質なのか、仕切られた向こう側、数歩と離れていない距離に立っているはずの火宮兄妹の姿も見通せない。


 まあ。


「なにこれー!」


 と言いながら火宮(妹)がひょい、と横側から顔を覗かせたのを見るに、どうやら厚みはそれほどないようだ。


「……巨大板チョコ(カカオ分99%)?」


 火宮の目にはそう見えるらしいそれは、空間に開いた【孔】だった。


 火宮が好奇心の赴くまま回りこんでこちらにくる前に、仕切られたこちら側にいる人員の確保を急ぐ。


「なにこの触れたらヤバげな物体……」


「星野会長」


「きゃっ……、んん! なにかな少年。というか全然動揺してる気配がないけど、ひょっとしてきみの仕業かい?」


 素の声で上げかけた悲鳴を取り繕うように、余裕めかして腕を組み、そっぽをむきつつ流し目を送ってくる星野ユキに、中林は一応の礼儀として断りを入れた。


「石動先輩のこと、お借りします」


 そして、返事は聞かず。


「ちょっときてもらいますよ、先輩」


 ぼう、と。【孔】が発生してから、およそ人らしい反応を見せなくなった雨垂を、その無抵抗な腕を掴んで、【孔】の内部へと一息に踏みこんだ。


 空気は存在しないのだろう。多少の息苦しさは、けれど一瞬のこと。なんの温度も感触もない真っ暗闇を抜ければ、そこは。


「さすがに、時間通りだ」


 森林に呑まれたような、青々とした空間だった。海辺の潮の香も、濃厚な緑の匂いに遮られてここには届かない。


 長い石段、その中腹で仁王立ちするみどりの眼の少女は、目を吊り上げて、宣言した。


「では、石動雨垂の蘇生を開始しよう」


 足下から風が吹き抜け、その僅かな空気の流れにすら押し負けた雨垂が、よろけてもたれかかってくる。上向きの風は、同時に、雨垂の片目を隠す前髪をめくり上げる効果を伴っていた。


 茫洋と見開かれた石動雨垂の右目は、左の榛色とは異なって、翠色をしていた。


 ──石動梅雨の右目は義眼である。


 そして、石動は神経を通じて人体を操作できる。


 石動雨垂。


 彼は、石動梅雨が視神経を通じて操作する人体であり、中林緋視が火宮の次に視た、死体に見えない死体だった。

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