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リビングデッド、七四〇赤(カラフルコレクション)/絶滅危惧・魔眼  作者: 錯誤
Collection.1 恒常的に持続する世界をくれたあなたに/共有する白昼夢
2/6

2.絶望の起床

 父は中林が十三のときに音信不通になった。母親の不倫によって離縁、しかし親権は放棄したとのこと。職業すら定かならず。『識ろう』としても識ることができないので無職なのかもしれない。


 それ以前から、父はよく顔の変わる男だった。つまり『死に方』が変わっていた。直接顔を合わせたことなど片手で足りるほどだったが、そのたびに死因がころころ変化するのでこちらは記憶するのに苦労した。


 最後に会話を交わしたのは六つのときだった。そのときは首が千切れとんでいて、声は喉から直接届いていた。死ぬのは家ではないのか、床のどこにも頭部が落ちていなかった。


「きみは恐くはないのかな」


 なにがですか、と中林は応えた。質問の意図は明確にしてほしいと要求する。神山かみやまハイカは首を振って。


「つくづく子どもっぽくないな、緋視はなみは。ぼくのことがだよ。けっこう、無様に死んでるはずだけど?」


 わりと見ないくらい珍しい死因だったが、見たことがないわけでもなかった。どういうふうに死ぬか、決めつけている様子なのが気がかりだが。


「顔を見られないための処置だね。ぼくが『いつ』死ぬのか悟られてしまうとちょっとばかし困ってしまう」


 自殺ですか、と問えば、くつくつと喉を鳴らして「いいや」と否定された。「その予定はないよ。あったらわざわざ手間をかける必要はない。きみには両親が首をくくる程度のこと、どうやらトラウマにすらならないらしいからね」


 大正解だったがここは一応首を横に振っておく。そんなわけないじゃないですか。


「棒すぎる……演技とかできなそうだな。うん、きみはそれでいいと思うよ。きみはたいがいのことはひとりでできるし、むしろぼくなんていないほうがいいんだと思う。……わかっているとも。これはぼくのわがままで、役にも立たない舗装だってことは。きみはきっと、ぼくが用意したレールなんてなくても勝手にひとりで掴みとるんだろうね……」


 用意? なにを。


「もちろん、善意で塗り固められたものだ」


 地獄への道行きですか。


「まちがってないね」と神山ハイカはうなずいた。断面が見えてグロテスクだった。「きみはこれから世界が地獄に見えるかもしれない。いや、ぼくからすればきみの視点こそ地獄そのものなのだが、そこを無理矢理矯正させてもらう。悪いね。でもこういう親のもとに生まれたものと諦めてほしい。うちの教育方針は厳しいんだ」


 はあ。威厳ある父を演出してたら、姉ちゃん、あなたにべた惚れになっちゃいましたからね。


「そうなんだよな……いまだに一緒にお風呂に入ろうとしてくるのはさすがに……」


 娘の成長に危機感を抱いているらしい父親は、おそらく。


『恐い』と一言言ってほしかったのだろう。


 いや本気で実父を落としにかかろうとしている姉には戦慄を覚えざるをえないが、そうではなく。


「恐怖……寂寥と言い換えてもいいか。緋視。きみは『失う恐さ』を識るべきだ」


 そうして中林緋視の父親は、お節介に、上から目線で、自らの価値観を押しつけるのだった。


「それを、これからぼくが教えてあげよう」


 男は両腕を緩やかに広げた。全身で笑みを示すように。


 余裕に満ちた仕草を冷めた目で眺めていると、「その目はやめてくれないか」たたた、とその男の背後から気忙しい足音が聴こえてきて。


「おにぃ……あそんで」


 神山ハイカの腕をくぐって、ひょこりと翠の瞳が覗いてくる。舌足らずに『かまって!』と奇しくも後ろの成人男性と似た構図で両腕を伸ばしてくるものだから、いよいよ滑稽だった。


 たまたま家に遊びにきていた親族の一家。その末になる子どもが、体力不足の実兄がダウンしたのでこちらのオモチャにかまってもらおうと駆けてきたらしい。


 三つになると聞いているその幼児は、見た目は自分より一回りも二回りも年嵩で、脇腹が抉れて肋骨がはみだしていた。青白い、死んでいる肌は、けれど触れればたしかに血の巡った体温を感じる。だから生きた生命体だと認識し、自分より高い平熱を根拠に年下の個体だと判別し、中林は意識して柔らかな声をつくって言った。


 走っちゃ駄目ですよ、梅雨さみだれ


「その優しさの一割でもぼくに向けてもらいたい……」


 しゃべっちゃ駄目ですよ、パパ。


「……辛辣だが、パパと呼んでもらえたのは嬉しいかな」


 父は困ったように笑ったようだが、顔が見えないのでわからない。


 ──七年後、神山ハイカは失踪した。


 いなくなっても、特になんとも思わなかった。




「神山ハイカが、そしてわたしが携わっていたのは、能力制御機能の開発だ」




 少女は告げた。働いてたのかあの人、と中林は思った。あまり家に居着かなかったし、働いてなかったらなにをしているんだという話だが。


「開発といってもあの男がしたのは人集めが主な仕事だった。鍵となったのは検体七号──火宮ひのみや七草ななくさの存在だ。やつはもとから能力を制御できていた。……いや、正しくは、制御できなければ自我が拡散して死ぬしかないから、制御するしかなかった。というのが真相か。


 個人の事情はどうあれ、見本があるならば話は早い。七号が能力を制御するさいに形成したオン・オフを切り替える回路をデータ化し、小型のチップに読み込ませる。それを脳の、能力の起点である部位に埋め込む。そしてそのデータを『複製』、量産化するために検体四号──火宮ひのみや紫桜しはるが、それを『保全』するために検体〇号──白樺めぐみが用意された。……すべては七号の能力が前提として置かれているわけだ。


 教師や警察などに委譲された『能力統制権』についても、その行使は七号を通じてもたらされるものだ。殖やした脳……いやこの話は都合が悪いか。聞かなかったことにしてほしい」


「……まあ、覚えていられないと思いますけど」中林は曖昧にうなずいた。「父の目論見はおおよそつかめました。能力者を管理しやすいように首輪をつけたわけですね。それだけではない気もしますが……それで、きみ自身の目的はなんなんです?」


「『上』からの通達による能力の外部操作機能の設計など前準備にすぎない。わたしの目的は、『能力』なんて言葉をこの世から消し去ることだ」


 石動いするぎは、翠の瞳を光らせた。


「わたしたちは能力というレンズを通してではなく、現段階で大多数の人間が持つ視座を得た。結果、『能力がなくても特に困らない』という解を手にした。それはせんぱいもわかることだろう?」


「そうですね」


 中林はひとまず興味深く首肯した。話が大きすぎて、胡散臭いとしか思えない。なので、わりかしばっさり、


「しかし、あれば便利なので使わないのは変です」


 と断じる。石動は微かに首を捻って。


「言葉が悪かったか。問題は『能力』が必要以上に特別視されている現状。……現生人類が衰退する以上、時間が解決する問題ではあるが、『能力者』なんて区分を取り払うこと、それを急ぐべき事情が、わたしには存在している」


「……まあ、たしかに、俺たちはいわば『第一世代』で。それが成人するまえの段階でストップをかける理由には見当がつきますが」


 進学。


 就職。


 石動の兄は中林らの二個上、前記のような問題に直面している。


「成人規定も十八に引き下げられましたしね。俺らが二年後、成人したさいに、企業や学校が『能力者』を優先して内定させる。これは充分に考えられることだし、俺の見立てでもそうなる蓋然性は極めて高い。きみの危惧は正しいですよ、梅雨さみだれ


 誘うように笑いかける。石動は笑わなかった。中林は残念だ、と肩をすくめて。


「しかし、今年の一月まではそうではなかった。能力規制が激化したあの三年間、おそらくあれにも父が関与していたのでしょうが……スポーツ、勉学、盤上遊戯。あらゆる競技、競争において能力使用が厳罰化された時期。中学三年間『本気』をだすことを制度によって禁じられ、摘まれた才能のなんと多いことか。きみはあのころに時代を逆行させるつもりですか? その制服、きみならもっと有名校に進学できたのでは?」


 それは、中林自身もそうだったから。


 しかし石動は動じない。


「わたしの能力は『神経』を操るというものだ。脳神経を強化して脳の活性化を促進させることは可能だが、そういった使い方をすることは滅多にない。わたしの知能はわたしの積み重ねに由来している。いまの学校を選んだのは、近くに兄が通っているからだ」


「……兄想いなんですね」


 石動は深くうなずいて。


「そうだ。兄との『視座』の共有こそわたしの望みだ。せんぱいには協力を願いたい」


 中林は目を細めた。石動の手には、彼の端末が握られている。


「安い脅しは下策かと。そいつは不死身ですからね。『時間停止』。休眠状態のそいつに触れられるのは俺くらいのものですよ」


 やかましさのかたまりのような白樺が茶々をいれてこないのは、彼女が眠っているからだ。


 中林と火宮紫桜、ふたり以外の誰の手にも渡らないよう機能を停止させ、意識を凍結させる。そうなった白樺を起こすのは、いつだって中林の役目だった。


「なるほど」


 石動は顎を引いて。


「ではおまえに触れてもらおうか」


 手を前に突きだした。ぴん、と張られた糸に引かれるように、中林の腕も上がった。


「……これは」


「見えるか。見えないだろうな。見えていたら防げないはずがない」


 目を見開く中林に、当然のような顔つきで、石動は応じた。


「無理に動こうとしないほうがいい。『糸』が切れてしまう。つまり、おまえの『神経』だ」


 動こうとしても指一本動かせない。かろうじて自由な口だけで、中林は軽やかに。


「参ったな。自分の『神経』を指先から伸ばして、こっちと繋げたわけですね」


 だらん、とこちらにむけたのと逆側の腕は、糸が切れたように力なく垂れ下がっている。腕一本ぶんの『神経』を、中林を操作するのに費やしているということらしい。


「起こせ」と石動は命令を発した。「検体〇号を起動させろ」


「……その検体というのがいまいちつかめませんが、仕方ないか」


『動いたら神経を切る』と脅されているのに中林は余裕な態度を崩さない。石動が差しだした端末に、彼は引っ張られるままに自らの手を接触させた。


「家に置いてきたんですけどね、これ」


「行ってみたらふつうに渡してもらえた。神山らいちと言ったか。いまは三限だからもう昼近くになるが、就活中の大学生ってヒマなのか?」


「…………午前中に都内で説明会があるとか言ってた気がしますが」


「あの家からだと一時間半はかかるか」


 姉は母親と折り合いが悪く、親権が母に移ってからも父方の姓を名乗っている。その姉、らいちが日記がわりに使っているSNSアカウントを覗いてみれば、二〇分ほどまえに『しんだ #絶起』と投稿されたきり更新が途絶えていた。絶望の起床。


「哀しい生き物だ……」


「そうですね。虚しい生き物です」


 と相槌を入れつつ、石動の手から端末をとり上げる。すでにこちらへの操作は解けているようだったが、一度承諾した以上起動を拒否するわけにもいかない。約束は守るものだと中林は自らに『規定』していた。


 指先に伝わるのは硬質な手応えだ。それも液晶の滑らかな感触とは違い、どことなくざらついたようなもの。卵の殻のイメージだろうか。とん、とん、と表面を叩けば、くすぐったがるようにぶるりと端末は震え、【殻】が指の動きに乗じて裂けるように開く。


『……おあ? なに。もう放課後?』


「違います。きみの知人がきているので呼んだんです」


『知人……』


 起動した白樺は、無機質な合成音声で、不思議そうに鸚鵡返しする。


『って。後輩じゃん。おひさー』


 思いのほか軽い呼びかけだった。それなりに打ち解けた関係なのだろうか、と勘ぐった思案を砕くように、「その不快な呼び方をやめてもらおうか」と氷点下に冷え切った声で石動が打ち切る。


『そっちが【検体】呼びするのやめたら。考えてもいいけど』


「……きみら、呼ばれたくないあだ名が多くないです?」


 あだ名ってそういうものなのか? 中林は訝しんだが、元カノに危うく『やばやばし』というよくわからない呼び名をつけられそうになったことを思いだして結論づけた。あだ名とはそういうものなのだ。


『それで。後輩。私らになにさせたいの』


「さすがに話が早い」


 パチン、と石動は指を弾いた。すると、彼女の右眼球の表面から半透明のディスプレイが飛びだしてくる。


『なにその謎技術……』


「べつに驚くほどでもない。たんに義眼であるというだけのことだ」


 石動はさらりと言って、言ったのち数瞬沈黙し。


「……いまのはなし。映像投射用のコンタクトレンズを入れている」


「梅雨、きみけっこう粗忽ですよね」


『ふつうにぽんこつでしょ』白樺はため息らしき情感を音声で伝えてくる。『まあいいや。続けて続けて』


「投げやりな感じなのが解せないところだ……! とにかく! これを見てもらおうか」


 ぎりっと奥歯を鳴らした石動だったが、切り換えるように映像を指し示す。中林は背筋をそのままに腰を曲げると、年下のはとこと視線を交わらせる。


「これは……血管? いや神経網か? 人体の模式図に見えますが」投射された映像にうつっているのは、精緻な筆致で描かれた、どうやら図面のようだった。背中を丸めて膝を抱えるような姿勢で描かれており、ひどく小さく見える。「……と、もしやきみの『視点』を模式化したんですか?」


「視覚をそのまま投影できれば楽だったが、思考出力は実用化が追いつかず……急ぎ用意したので、多少の粗は見逃してもらえると救いだ」


「……まさか自分で描いたんですか? すごい。絵、上手なんですね、梅雨」


 中林は素直な気持ちで賞賛した。


「視えてるものを視えるとおりに描いただけだし……ふつう、ふつう……」


 本心で言っているのがわかったのだろう。くしくしと髪をいじる石動は「……というか近いので」と遅まきながら中林に離れるよう要求する。言われるがまま屈んだ腰を伸ばした中林の手もと、『はん』と必要もないのに鼻を鳴らすような効果音を発した白樺は、おもしろくなさそうに。


『で? 誰視たのこれ』


 人体の模式図ならば、手ずから描かずとも素材はネット上に転がっているはずだ。むろん正確に提示するに越したことはないだろうが、まずプライベートのことであるし、なにより背中の丸まったフォルムは、手足の伸びきったヒトのものというより、胎児のそれであった。


 問いに、石動は端的に応じる。


「……火宮ひのみや悠久ゆうく


 と。


『誰?』


「白樺も知らないんですか? 火宮って言うからには七草たちと関係ないわけがないはずですが……」


「……まだ、胎内から出てはいないからな。幼馴染みといえど、知らないのも無理はない」


『幼馴染み……まあ。そういう言い方もあるか』白樺は納得いかなそうにつぶやいたが、流すことに決めたらしい。『それで? その【ゆーく】ってのは。なにさ?』


「火宮七草の子息だ」なんでもないように告げ、中林らが言葉の意味を理解するまえに、指を一本顔の前に立てて。「ひとつ確認がしたい。──『魔眼』というものについて耳にしたことは?」


『まって』白樺は制止をかけた。『あいつの子どもとかなに。詳しく』


「……星野ほしのさんとのあいだに子どもが? それは初耳だな……計算が合わない」


『いや。あのさ。まずあいつ。相手いたの……?』


 問いかけに、石動はもっともらしくうなずき。


「まず能力とはなにか、という事前説明が必要か。大胆に言い切ってしまえば、能力とは『未来視』の発展である、と。こうなるのはわかるだろう?」


『訊いてないし……もうなにもわからない……は? なんか負けた気分になるのなに? は?』


「これでも不親切となると……」石動は、閃いた、とばかりに指を弾いて。「そう、たとえば発火現象を扱う能力者がいるとする。この人物は物質を燃焼するにあたって火を生みだすわけではない。火に包まれた対象を『視る』ことができるのだ。ものを燃やすのではなく、ものを燃やしたという『結果』を自分のものとする。──自らが望む『未来』を望むとおりに現象として定着させる。つまり能力の本質は、視ることで発動する呪い。呪いゆえ、効果はあとからやってくるわけだ」


『訊いてないってば。知ってることだし』


 石動はちらりと端末を見る。視線を戻す。


『無言なのに【うるさい】って言ってるのがわかる! 不思議!』


「……とはいえ実際に、視認するだけで外界に影響を及ぼすには、いくつか段階を踏む必要がある。能力を使用するにあたって目の色が変わるのは周知のことだが──第一段階、眼球の色素を消費することで共有する白昼夢。第二段階、頭髪の色素を消費することで起動する事実誤認。第三段階、血中の色素を消費することで支配する行動規制。わたしが使ったことがあるのはこのみっつまで。それも対象はひとりに限られる話で、とてもではないが外界に影響するほどの支配域を広げられたとはいえない。


 だから最終段階。視界の色素を消費することで加害する……絶滅危惧、『魔眼』──『そこ』に至った個体、火宮悠久を指して、『検体九号』と。我々はそう呼称している」


「すごいな」中林は感服したように手を叩いた。「いまの口上、自分で考えたんですか? そこにたどり着くまでは眠れない夜もあったでしょうに」


「黙れ……」


『駄目だよ後輩。中林。覚える気ないから茶化すことに全力を注ぐような。最悪な人格してるんだから。……それに中林の場合。基本は能力が自分にしか作用しないから。あんま関係ないしね。とりま最低限。危険度レベル1【いたずら。視界に収まる少数をちょっと脅かす程度。小火が起きたと認識する人間がいたとして。実際に火が発生しているわけではないので認識上すぐ消える。熱源も実像も存在しない】。危険度レベル2【小規模の人を騙す。わりと周囲に与える影響は大きめ。火事が発生したと認識する人間が多数。実際に熱があり。火種は実在しているも。小さな火種を大きく見せているだけなのですぐ収束する】。危険度レベル3【大規模の人を思うとおりに操る。集団催眠のやばい版。ほとんどテロ。ものすごくこつこつと。小さな火種を大きく育てる厄介な暇人しかここまでやらない】。危険度レベル4【概念操作……ですかねぇ……『火』という概念そのものを操る的な……爆発炎上いつでも思いのまま。みたいな? 『視認するだけで外界に影響を及ぼす』】。くらい教えとけば。いいんじゃん?』


「……恩に着るよ。しかしおまえの性質も似通ったものだ、『魔眼』」


 石動はしかめ面で答えた。


『きみも人の話を聞かないが……』


 白樺がもっともな反論をする。


 その言のとおり、石動は白樺の発言を聞き流して。


「……『九号』はおまえを基に作成されたと耳にしている。ゆえに白樺めぐみは『〇プロトタイプ』と銘打たれたと。……わたしは触れることさえできれば『九号』を『神経接続』によって操ることが可能だ。


『魔眼』に至った『九号』が手にした能力は『空間』を操るというもの。外部からの干渉を妨げる強固な檻で、それは『時間』すら例外ではない。そして、白樺めぐみ。おまえの能力は『時間停止』に留まらないはずだ。『時間遡行』、その能力を組み合わせることができれば、あるいは、わたしの成したいことが成せる。おまえは無機物ゆえわたしの能力では干渉できない。……だから願おう。わたしとともに、『夏への扉』を開いてほしい」


『ハインライン……ってことはタイムスリップ? 表現が回りくどい……』


 白樺はダメ出しをした。それから中林に水を向ける。


『まあ。できるかどうかはともかく。どうせ私に決定権はないし。あんたが決めてよね。中林』


「……ふむ。では梅雨、ひとつ質問しましょう」


 中林は紫眼を鈍く光らせた。物腰は柔らかに、嘘は許さないと目のみが強く訴えていた。


「──そうまでしてとり戻したいのは、石動いするぎ雨垂あまだれの体の状態ですね?」


 それは、質問のていをとった断定だった。


「……そうか。せんぱいには『視えて』いるのだったか。兄の正体が」石動は浅く息を吐き、次の刹那には鋭く翠眼を向け直して。「それで? 『悪いこと』だと止めるつもりか?」


 中林はとんでもない、と首を振った。


「それなら俺にもメリットはあると言いたかったんですよ。言い方は悪いですが、その試みは予行練習にもなりうる」


「…………本当に」


「梅雨?」


 石動は下をむいた。まくし立てるように。


「せんぱいは本当に始末が悪い。未来が視えるのに予行なんて必要ないはずなのに、……笑えてくる」


 表情筋は動かさない。それは感情を押しとどめる努力をした結果だったが、額面通り受けとった無機物がその鉄面皮に茶々を入れる。


『めっちゃ真顔じゃん。ツッコミ待ちかな?』


 ぴきり、と感情の蓋に亀裂が生じ。


「梅雨。きみ、頼みごとするならもうちょっと愛想よく……」


 中林の気遣った一言で決壊する。


「あー! もう、うるさい!! 片や笑顔が胡散臭い! 片や表情のない無機物! そんなイロモノに愛想を説かれる道理はない!」


「うおっと、これは藪蛇でしたか」


『………………………………お?』


 キレ気味に成された反駁は、対象者ふたりの急所を的確に抉る。中林は苦笑しながら。


「火宮にも言われましたよ、それ。『胡散臭い』ですか。……うーん。でも、俺が視てきたなかでこれが一番うつくしい笑顔ものだから、変えるつもりはあまりないんですよね」


『私。基本的に不滅なので。なんなら有機生命体より上位の存在なんだが? お? やたらに写真映えする被写体め。連写すっぞ? 撮った(事後承諾)』


「この端末、主張が激しい……」パシャパシャと浴びせられるシャッターに、辟易とした心地を隠さずに、石動は顔のあたりでぱたぱたと手を振った。「写真は苦手だ……お願いだから、消して」


 思いのほか弱っている様子だが、嫌な思い出でもあるのだろうか。こうなることを事前に『視て』放置していた節があるだけに、罪悪感に駆られた中林は、『白樺』の画面を操作して画像をクラウドに移したバックアップごと全削除するのだった。


『!? ぎゃあああああ! なんで!? 画像データが。消えた……』


「……うっかりしましたね」


『うっかりで済むかあ! あんたの記憶の補助に使うものだよ!』


「しかし白樺。きみは余分なデータを残しすぎる。隠し撮りフォルダがどれかわからない以上、全部消してしまうのが手っとり早い」


 それもそうか。と盗撮常習犯は同意を示して。


『……ごめんね!』


「ごめんで済んだら世に『ファラリスの雄牛』という言葉は生まれなかったでしょうね」


『蒸す気!? 繊細な電子機器を。金属器の中で蒸し焼く気!? でも。バックアップまで消したのはやりすぎだと思うんだよね!』


「……ふむ。焦りがあったこともたしかか。では海水に沈める程度で手打ちとしましょう」


『ここ内陸だけど! 海遠いよ! やめよう!』


「となると、日取りを決めませんと……先輩がたや七草は忙しいから除外として。火宮あたりを誘ってみるのもいいかもしれませんね」


『あ?』と白樺は声の音階を二オクターブほど下げた。『なにさらっと。女友達と海デートキメようとしてんの。お? 死骸処理と好感度アップを同時進行か? フラグの乱立甚だしい……!』


「こわ……」


 引いた目で、会話を交わすふたりを見つめる石動。今日はよくその目をむけられる日和だな、と他人事のように思っていると、後輩は深刻そうな息をついて。


「……データの復元をこちらで請け負おう。……中林緋視。おまえの性能は把握している。記憶の保全は急務だろう。その代わり、白樺の『視界』を貸してはもらえないだろうか」


 言葉を受け、彼らはひそひそと。


『……なんか。自爆して取引材料つくっちゃった感じあるけど。どうする? 中林』


「いや、俺は記憶なくても特に困らないんですが」


『困れよ』


「とはいえ、さっき消したのって……中学のときの記録も含まれてたりしますよね、やっぱり」


『私の端末のデータ。移したからね。SNSに上げたのもあるし。全部ではないけど。まあ。だいたい。三年分のデータが。パアだね』


「それは少し……諦めるには惜しい」


『楽しかったもんね。……中林。すごい勢いで。闇森くらもりに嫌われてたけど』


「ははは」中林はコメントを控えた。「ではそういうことで。梅雨、協力しますよ」


「……いいのか?」


「なぜ疑問形。こちらにも動機は充分ありますしね。白樺は貸すとして、俺はなにをすれば?」


「……追って連絡しよう。こちらにも準備がある。せんぱいの能力で『速めて』もらってもいいのだが、乱用は控えたほうがいいだろう。……くどいようだが、本当にいいのか? わたしは……」


「? なにか?」


「……いや。いいならいい」探るような視線を首を振る仕草で打ち切って、石動は目を逸らしたまま話を切り替える。「見てみないとわからないが、データの復元は早くとも一週間はかかると思ってくれ。なにぶん量が量だ、ほかの作業もあるし、完了するまではその端末を預かりたいのだが」


「……ん? いま?」


「なうだ」


 真面目くさった態度でうなずく石動に、「んー」と少し思案げに唸った中林は、まあ、特に困らないか。と結論づけ、「おっけーです」と軽い調子で端末を手放した。


『私が困るんですけど!?』


 白樺は感情をこめすぎて音声にノイズを発生させていた。しかし当然ながら、能力によって端末上に再現されたデータにすぎない人格に、人権は用意されてなかった。『あああああ!』と騒音を上げる端末を白衣のポケットにしまいこんだ石動は、反対のポケットから自前の端末をとりだして。


「ではせんぱいの連絡先を登録させてもらおうか。予備の端末を提示願いたい」


「はい、はい。まあ最近は土日以外こっちを普段使いしてるんですけどね」


『はー? さらっと連絡先交換していやがりますわね! 中学生相手に? 破廉恥すぎましてよ!』


「はあ、親戚なんですけど。互いの親の顔も知ってますよ」


『……いやらしい!』


「なにが……?」


 深刻な風評被害が撒かれていた。たしかに年下が好みではあるが、最後に会ったのは彼女が幼児の時分だったため、印象がそこからアップデートされていない。連絡先を知るのも手綱を握るような感覚に近かった。いつでも彼女にとっての急所、『兄』へと連絡をつけられるようにと。連絡がきたことに対する連絡というか。


 そんな中林の思惑を知らぬげに、石動は「そういえば」とふと気づいたように雑談を振ってくる。


「わたしはおまえの男親のほうしか知らない。……あの人のかたちをした悪魔に配偶者がいるとは、いまだに信じられないのだが」


「あー、うちの母さん、雰囲気的には白樺に似てる感じですかね。ぬぼーっとした感じ」


『唐突な罵倒』


「褒めてるつもりなんですが……いややっぱそうでもないか。そのせいで姉と仲違いしてるわけですから、褒められた傾向ではありませんね」


『傷ついた。関係ないのに。私。傷ついた』


「ははは」


『笑って誤魔化すの。やめてくれる?』


 責めるような声音で白樺が言った。失念していたが、家庭内不和を笑って話すのは、人によってはあまり心地よいことではない。特に白樺が『死んだ』ときの状況からして、彼女の家庭環境は良好とはいえなかった。


「と、思ったんですけど、違いますか?」


『違いますが……』


「ふむ?」


『ただたんに。あんたがムカついただけ』


「なるほど、わかります」


『わかっちゃうのかよ』


 白樺はジジ……とノイズを発した。おそらく、ためいきのつもりだろう。呼吸する機能を持たない精密機器は、諦観のこもった音声で。


『次会うときは。もうちょっと性格を矯正しといてよね』


「さあ……それは、火宮次第というか。俺だけではなんとも」


『だっさ』


「──、別れは済んだか?」無駄に悪役っぽく石動は言った。「では帰らせてもらおう。給食の時間に間に合わないので」


『急にかわいいかよ』


「あ、そうだ梅雨」


 端末の茶化す声を無視して立ち去ろうとする中学生を呼びとめる。なにか? と半身だけ振りむいた少女に、中林は。




「古典SFのタイトルを急に引用するの、すごく俗っぽいと思いますよ」


「………………落単しろ!」




 残念ながら、中林が通う私立灯華高校は、単位制を敷いてはいないのだった。


 ちなみに四限には遅れた。

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