#3終わりの始まり
作者に起こった体験談を面白おかしく
フィクション&ノンフィクションを
織り交ぜたトーリーである。
平凡な日常から突如不幸のどん底へと叩き落とされる。
ヒューマンコメディーと成っています。
0012年 10月5日
2日前に病院に行った足で仕事にこの旨を伝える事にした
上司が僕を不憫そうに見つめていたのが印象的である。
一身上の都合とは、いえその日の内に退職になってしまい
直属の上司には、申し訳ない事をしたと悔やんでしまう。
AM9:25 起床
もう少し寝ていたかったのだが舌が痛く起きてしまった
昨日例の病院から連絡があり10月10日に検査結果が分かります
ので御来院下さいと直接先生から伝えらた。
僕は、てっきり看護士さんから連絡が有るかと思っていたの
だが、どうやら本当に重い病気のようだ・・・・・・
通院日の次の日にスマホ片手に調べるだけ調べつくした
症状と合致するのは、2つの候補である。
舌癌と白板症だ、先生の神妙な面持ちを鑑みると癌の方だと
十中八九きまりだろうなと自らで答えをだす。
病院から帰って来ると2つの答えにたどり着いた
先生に言われた家族同伴での通院、
それを無視して1人で抱え込む
この2つの答えから導きだしたのは、やはり前者だ
この後来るであろう決戦には、家族の助けが必要なのだ
病院から帰宅後に診断結果を適当に誤魔化す。
結果が出てもいないのにわざわざ不安を煽る事は無いであろうと
示唆したに過ぎ無いからである。
僕は、昔から最悪の事態を考える癖が抜けない1番最悪の自体を想定しておけば、それ以上の最悪は、無いからである。
だが、それにしても舌が痛すぎる、それはそうだろう2回も引き千切られ痛くない訳がない一昨日は、パラライズスライムのお陰で効果が切れるまで処方された薬を服用しては、いけなかった。
またもや、味方だと、思っていたパラライズスライムは、敵に回ってしまった。変わり身の激しい生物である。
回想
10月2日PM12:45
前回の宣言通り僕は、最後の晩餐?では、無いにしろ遠分食す事が出来ないで有ろう大好きなラーメン屋でお昼を頂くことにした。今思い返すと中々、僕の頭の中はお花畑である。
何処の世界に舌を2度も千切られ麻痺がまだ効いているとは言え
熱々の食べ物を食すので有ろうか?
案の定、熱々のラーメンは、舌を刺激して激痛が走るのであった
100歩譲っても客観的な視点から見ても明らかだ.......
だが私は、常人を凌ぐほどのバカである。
痛いのには、強いほうだと自負している。
先程の拷問にも耐え忍んだ(診察である。)
熱々の汁を無視して麺の方から食す、少し冷ませば汁も飲めるだろうとこれからは、体力がいる餃子も食べるぞぉー!!
後に激しく後悔する事になるとは、思わなんだ.......
10月2日 PM14:38
我が愛馬(車)デ○オ帰宅中にパラライズスライム君の抗力が
突如無くなる。ハンドルを握る手を急旋回したくなるほどの
激痛である。目の前の交差点の脇に自動販売機が見えた
そこで車を、っと違った我が愛馬(車)デ○オ君を止めると
水、水は、ないのか?この自販機水が無いぃぃ
「ぐぬぬぬぬ」
説明しようぐぬぬぬぬとは、
怒りの矛先が無い怒りを沈める呪文である。
「ぐぁぁぁぁ」
説明しようぐぁぁぁぁは、ただ舌が痛くて叫んでしまっただけである。
仕方ないので水に味がついたので飲み物で試飲してみる事にした
処方箋から頂いた薬は、ボルタレン ボルタレンは、当時開業医で処方できる最上位の痛み止めである。だが持続時間が短く僕の病気とは、相性は良くない。
だか背に腹はかえられぬ薬を一気に飲み干すと心做しか効いて来た気がした。病は気からとは、本当の事なんだろうかと疑ってしまう程にそんなこんなで帰路に着く我が愛馬(車)デ○オ君を家の軒下止める。
今日は本当に疲れたお風呂は、色々な疲れやストレスを
洗い流すと言われている。本当にその通りだと思う
こんなに忙しい日々は、久しぶりだ神戸で朝も晩も無く
ブラック企業に務めて時以来だ、AM8:00~AM4:00までその時以上に疲れた眠け眼でAM3:00に高速を走っていた時の事を思いだす。
時は戻って10月5日
AM10:00
そんなことを物思いに耽っていると記憶が定かではないが
歯磨きと洗顔が済まさせれており
朝食を食べようとサンドウィッチを作っていた
このサンドイッチもとても簡単でトースターで焼いた2枚のトーストに玉子焼き挟んでケチャップとマヨネーズをかけただけの、ごくごくシンプルなサンドである。
僕の家は独特な風習があり自分が食べる物は、食べる本人がつくると言う独自のスタイルである。
コレに気がついたのは、僕が登校拒否児の小学校4年生の時で有り
働かざる者食うべからず精神なのか?ただ単に母親が宗教に猛進しているかは、定かでわない。
そして困った事に行き着いた鎮痛剤(錠剤)は、食後なのである
激痛の中サンドイッチを食べ終わると鎮痛剤を急いで服用する
あまりの痛さにどうにかなってしまいそうだ。
その痛さを家族に気取られぬように自室に引きこもる。
ボルタレンの持続時間に気がついたのは、昨日のAM2:52
舌の激痛で目が覚める。まるでピンセットで舌を捕まれ
握り潰されてるような痛みだ
リビングにでて明かりを付けるとおやつに買ってきた
菓子パンが目に入るその菓子パンを貪り食べるやいなや薬を服用痛みが冷めやらぬが再び就寝につく事にした。
そして朝だボルタレンは、即効性は、有るが5時間で切れる
痛みと戦う日々がいつまで続くのかと10月10日を待ち望む
さて話しは、変わって本文に戻る事にしよう
自室に籠る僕は、テレビゲームをするか寝るかなど選択肢を迫られる、僕は、基本出不精なので仕事意外で身体を動かす事は、殆ど無い家にいる時は、生命活動維持以外に何もしない
極々ひと握りの唯一の趣味は、ゲームである。
妹が帰ってくるまでは、母には、病院の話しも出来ないし
時間を持てあまして痛みのストレスと疲れからか
また、気がついたら寝てしまっていたようだ。
お昼過ぎにも同じ現象で起きて再び同じ事を繰り返す
昔から食にあまりの興味が無かったからかこの痛みで
ご飯を食べるのが面倒くさいかったかは、定かではないが
よりいっそう食に興味が無くなる自身がそこにいた
そうこうしていると夜になり妹が帰宅
こんなに妹の帰りを待ち望んだ事がかつて在ったであろうか?
答えは、否だ
リビングの椅子に腰掛ける妹は、今日の働きを自信で労うか如く
テーブルに横たわる。
「うぁぁんつかれたよぉぉぉ」
そんな妹を横目に
「えーこほん、今から家族会議を致します。」
少しコミカルに発言してみせた。
「えーお兄ちゃんつかれたよぉぉぉ」
「お風呂はいるからそのあとじゃダメなの?」
妹の静止を振り切り僕は、今日病院から連絡が来た通りに説明しその旨を伝える
・・・・・・・・・・・・・・永遠にも似た沈黙(30秒)
本人以上に家族や他人の方がショックが大きい、
かける言葉が見当たら無い
突然、空を切り裂く言葉は、母親からであった
母は、言った
「大丈夫きっと...大丈夫よ軽い方よ絶対」
多分これは、母自信に言い聞かせているのであろうと思った
妹もこれに激しく同意する。
妹は、精神的にも肉体的にもフラフラに成りながら
「私お風呂に入ってくる!!」
高らかに宣言!!と同時に起立
何事も無かったかのように洗面所に向う。
シャワーの流れる音の中に微かに妹の声が聞こえたが
シャワーの音に掻き消されて何を言ってるかは、
聞き取れない。
僕も自室に帰るとドア閉めた途端、涙が零れ落ちてきた.......。
僕自身は、ハッキリいってどうなろうとあまり興味がない。
だけど流石に家族の反応を見ると感情を抑える事が出来ない。
僕は、その場に蹲り頭を抱えながら声を押し殺して泣いた。
だってお兄ちゃんだもん弱い所なんて見せないよ。
一頻り泣くと疲れてフラフラに成りながらもまたも、
ベットに潜りこむみ就寝つくのであった。
プロローグ1.2から急にテイストが変わってしまいました。
こちらにで拝読した。エッセイで感銘を受け
少しは、小説ぽぃ感じに寄せようかと思ったからです。
まぁ僕の小説なんて読んで頂いてる希少な方はいらっしゃるか不明ですが・・・・・・・念の為記載させて頂きます。
ですが世の中大変なご時世です。世界の皆様のご健康と平和願います。