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その日の昼には領地から母が到着した。抱きしめられた母からはおひさまの匂いがした。
抱きしめられた瞬間、不安と恐怖を包むように安堵の涙が頬を伝う。
夜には心配した父も合流し、久しぶりに家族水入らずで過ごすことができた。
アルメティアは未来視の件を伝えるか悩み、まだ話さない決断をする。この能力のことを、自分なりに調べてみよう。
翌日、久しぶりにアカデミーに行けばアルメティアは友人たちに囲まれた。
口火を切ったのはシャニアだ。
「ちょっとティア!体調は大丈夫なの?ああ、それも大事だけどもっと大事件よ。ティア、パーティの夜にガートルド殿下とテラスで逢引きしてワルツを踊ったって」
シャニアに続いて友人たちがどんどん質問してくる。
まさか自分が3日休んでいる間にこんなことに…
事実もあるがこれだけは否定したい。
「体調は大丈夫よ。少し熱を出してしまっただけ。パーティの件だけど、みなさん勘繰るようなことはないわ。殿下とはたまたまテラスでお会いしたの。ほら、父も兄も王城勤めでしょう。労いのお言葉を賜ったのよ。ワルツに関しては事実だけど、殿下はお優しいから…テラスに出てくるような独り身の令嬢に、せめてもの…ね」
自分で言って後半はむなしくなった。確かにあの時間は夢のようなひと時であった。
ワルツを踊ったことも、手が触れたことも、まさに夢。
夢にしなくてはいけない。
学内でのアルメティアの評判は大変よろしい。
授業態度もよし、友人関係もよし、家柄もよし。
なので今回の殿下騒動は誰もが驚いたが、納得できる部分もあったのが正直な話だった。
光り輝く金の髪と瞳。清廉な立ち振る舞い。学内でも見本となる令嬢のアルメティア。
身分もよく、ガートルド殿下と年齢も一緒なだけあり、アルメティアこそがガートルドの婚約者になるのだと、秘かにささやかされていたのだ。本人の知らぬところで。
しかし、先日ユーリッヒ国からの留学生としてミーア殿下が登場したことにより、ガートルドとミーアが婚約者になるのだと、そう考える人も多くいた。
アルメティアの弁明により、友人たちは納得して去っていく。
しかし、シャニアだけはあまり納得いかない顔をしていた。
「いやだわ、シャニア。信じて」
「だって、ガートルド殿下は、ファーストダンスのあとは誰とも踊らなかったのよ。それなのに、ティアとはテラスで隠れて踊るなんて…やだ、ロマンスの予感しかしないじゃない!」
「その話、口外しないでね!」
ガートルドとの婚約の噂が出ていたとは…知らなかったとはいえ、怖い話だ。だけど、ミーアが猛アプローチをしてくれているなら、周囲もその気になってくれるはず。
その日はずっと休息時間までも友人に殿下との話を聞かれたが、丁寧に丁寧に否定することで事態は収束しつつあった。
やっと休日がきた。アカデミーがない日は基本的に他家のお茶会にお呼ばれしたり、リックス家が援助している孤児院へ訪問に行ったりしているが、珍しく何も予定のない貴重な日となった。
何をしようかしら…。市井にて今流行りの本を吟味するのもいいし、新しい刺繍糸が入ったと聞くからそれを見に行くのもいいわね。
さて…と思案していた矢先である。
「お父さまとゼルドお兄さまへ届けもの…」
いやだなあ、先日の噂は殿下の耳にも入っているかしら…
とため息が口からこぼれそうになるが、侍女ガーベラの鋭い視線で呑み込むことができた。
残念ながら顔にしっかり書いていたようで、ガーベラはにっこり笑った。
「大丈夫ですよ、アルメティアお嬢様。殿下には滅多なことがない限りお会いになることはないでしょうし、人目が気になるのであれば、ゼルド様へ旦那様宛ての荷物もお渡しになればよいかと」
「いい提案だわ…」
アルメティアは、こういった理由で何度も王城へ足を踏み入れていた。兄の所属する隊の騎士たちとは顔見知りになり、父の執務室で控えている官僚の方々ともやり取りできるほどになっている。
いいように言いくるめられたアルメティアは、王宮へ向かうドレスへ着替え、準備を整えた。
父も兄も大事な書類を忘れたという。城に勤める自覚をしっかり持って欲しいものだ。
ガーベラと共に王城へ向かう。いい天気である。
「あれ?ティアじゃないか。どうしたんだい?」
「どうしたんだい?ではありません。お兄さまったら、忘れものです」
「あ!すまないねティア。ありがとう。この書類探していたんだ。隊長に叱られるところだったよ」
ティアから書簡を受け取り、ゼルドは慌てて傍にいた騎士に書簡を渡し、隊長に届けるよう言付けていた。
「このあとは?邸に帰るの?お茶でもどう?」
「残念ながら、お父様へも届け物があるんです。この埋め合わせは、城下のおいしいお菓子で大丈夫です」
「もちろんだよプリンセス」
アルメティアがリックス宰相の執務室へ向かうが、丁度仕事で席を外していたようで会えなかった。室内にいたリックス宰相の同僚に書簡を渡す。周囲から、宰相の到着を待つように勧められたが、いつ戻るかも不明であり、アルメティアは早々に王城から出たかった。
宰相の執務室から王城の門扉へ向かう途中に、長い回廊を通らないといけない。回廊には四季折々の花が見事な庭園があった。幼い頃から訪れているだけあり、アルメティアはこの庭のすばらしさを知っていた。そして、今日みたいな良い天気の日の庭の素晴らしいこと。早々に王城を抜けたい気持ちもあるが、庭園を見たい気持ちもある。
とりあえず回廊だけでも、少しゆっくり歩こう、そう決めたアルメティアである。
「まあ、ガーベラ見て。庭師の方が水をまいたのね。水滴が日の光に反射して、とてもきれい…」
「さすが王城の庭ですね」
色とりどりの花が、光り輝いている。アルメティアはついつい見入ってしまった。リックス邸の庭も十分立派で素晴らしいが、ここまで花の種類はない。
すると、庭園から夜色が垣間見えた。
アルメティアは、静かに最上級の礼をとる。庭園とはいえ、ここは王城。
会いたくないと思う時に限って、どうして会ってしまうのか。
「これは…リックス嬢ではないか」
光のなかに、深い紺。一部分だけ夜色をまとったガートルドが従者を連れて庭園から現れる。
なぜ庭園に殿下が?と思うが、とりあえずその思考は隅へ。
「先日は殿下の貴重なお時間を頂戴し、誠にありがとうございました。未熟ではありますが、ダンスのお相手を務めさせていただけたこと、大変光栄に思っております」
「そう畏まるな。リックス嬢とはテラスで踊った仲故。それに今日は父君の使いか?君はそのような理由で登城することがあると」
「大変お恥ずかしい話にございます」
「畏まるなと」
「しかし…」
「良い。僕もアルメティアと呼ばせてもらっても?」
「承知いたしました。ガートルド殿下」
にっこり微笑んでみたが、なぜだろう。
これはテラスの一件で親しくなってしまった、ということだろうか。それは回避しなければいけない。あの未来視の力が本物ならば、このままガートルドと親しくなることは危険でしかないのだ。
それに、未来視から推測するに、隣国のミーアはどこからどう見てもガートルドを狙っているように思える。ここで人前で名前呼びでもされたら、嫉妬が嫉妬を呼び、最悪の結末に…
「ガートルド殿下、お言葉ですが…できればアルメティアと名を呼ぶのは、どうかこのように王城内や親しい者しか傍にいない時だけにする、というのはいかがでしょうか」
「ああ、配慮が足りなかったか。すまない」
「いいえ。殿下はとても人望の厚い方にあられます。わたしばかりに親しみを向けられては、周囲のご令嬢たちが嫉妬の雨を降らせること間違いありません」
正直なところ、家名で呼んでほしい、と言いたい。
その瞬間。
「まあ!ガートルド殿下!こんな場所にいらしゃったのですね!」
鈴が鳴るような声で、ピンクベージュの髪が揺れる。
未来視で頭に入ってきたビジョンが思い出される。
ああ、早くここから立ち去りたい。
アルメティアは最上級の礼をとったまま、動かないでいる。身分が下のものからは話しかけてはいけないのだ。逆も然り。
「いやですわ。今日は一緒に遠乗りに行きましょうって話になりましたのに!」
「いや、その件だが…ミーア殿下は一人で騎乗したことがないと聞きました。私としてもあまり一緒に騎乗する機会が無い故、殿下を万が一の危険に晒すことは避けたいと思いまして」
ぷん!と可愛らしく頬を膨らませて、ミーアはガートルドに詰め寄る。
それを笑顔でさらりとかわすガートルドは、相当な場数を踏んでいるのだろう、と感じた。それよりも、いつまでこの場にいなければならないのか、とアルメティアは感じていた。ミーアがアルメティアをいない者と認識しているようで、アルメティアは去り時を図りあぐねる。
「ガートルド殿下、ではここではない違う庭園をお散歩いたしませんこと?猫が迷い込まないように、奥の庭園へ」
ちら…と一瞬視線をアルメティアへ向けるが、すぐに戻る。さ、はやく!と、ミーアは軽やかに歩き出した。
すごい。ここまで徹底していない者扱いされたのは初めてだ。
それにしても、ミーア殿下に何かしただろうか?そもそも接触した覚えすらもない…と、アルメティアは思い悩む。
「すまない、リックス嬢。またの機会に会おう」
はぁ。と小さなため息をついて、ガートルドはミーアの後を追って行った。アルメティアは唖然とその姿を見送る。
ああ、わかった。ミーアはガートルドに熱を入れすぎて、ガートルドに接触するすべての人に嫉妬をしているのか!だから自分は最初からいない者と思われたのか!嫌われたものだ。
そもそもテラスでワルツを踊った事実が周知されているということは、ミーアの耳にも入っていること間違いなしだ。
だとしたら、先ほどの一件は、牽制、なのであろう。
ガートルドにはとてつもなく失礼な話であるが、このまま二人が婚約のちに結婚、という流れになって
くれることが、アルメティアの幸せにつながるのでは…と思ってしまう。
…どうか殿下とお幸せに。