8 悲劇の連鎖
尾形警部の話はここで終わった。祐介はメモを取って聞いていたが、そこで、わずかに事件の真相が見えてきたようでもあった。
「その後のことについて、教えて頂けますか?」
尾形は頷いて、どう話してよいか悩んだ挙句、
「それについては、由依ちゃんから話した方がいいかな……」
と言った。
由依はまた回想にふけった。その後に起こった出来事について思い出していたのだ……。
*
由依は、事情聴取を終えて、練馬区の自宅に帰ることになった。その後も、警察はまだ館内で捜査を続けるようだった。父親が迎えに来てくれて、二人で、練馬区の自宅へと向かうために駅へと向かった。電車の中で、由依は、始業式が近づいてきている、と感じた。夏休みは終わりを迎えようとしているのだ。
(明日香はどうするんだろう……?)
自宅の一軒家に帰ってくる。由依は、すっかり疲れていたので、そのまま六畳間に倒れ込んだ。そして寝入ってしまった。
何日かして、由依は、
(明日香はどうしているだろう)
とふと思った。彼女は、明日香のことをずっと気にしていたが、警察の捜査とマスコミの報道の坩堝と化した奇術邸に近づくことを恐れて、連絡を控えていた。捜査は難航しているらしい。安西が犯人だということはテレビでもかなり囁かれていたが、警察は彼の犯行を立証することができないらしく、逮捕には至っていなかった。
ある日、由依は久しぶりに連絡を取って、明日香の元気がないことに気づいた。
「よし、明日香に会いに行こう!」
由依はそう思い立つと、家族の反対を押し切って、単身、電車で八王子へと向かった。
奇術邸に着くと、洋館の玄関前にマスコミと思われる人びとが張り込んでいた。彼らは由依を見ると近寄ってきた。
(うわっ……)
由依は、持ち前の運動神経を活かし、迫り来るマスコミを素早くかわすと、バスケットボール選手のようにその間を駆け抜けた。それは全力疾走の兎のようでもあった。そのまま、塀をよじ登って、洋館の庭に飛び込んだ。
庭には、誰もいなかった。由依は、裏口から館内に侵入した。鍵はかかっていなかった。廊下を少し歩くと、そこは死んだように静まりかえったロビーがあった。
「明日香ぁ!」
由依が声を張り上げて、どこかにいるはずの明日香に呼びかけた。しかし返事がなかった。冷たい静寂がロビーにびったりと張り付いているようで、気味が悪い。そして、なにかがおかしい。
「明日香!」
由依はもう一度叫ぶと、明日香がふらふらと二階の手すりの奥に現れ、こちらを見下ろした。その瞳は歪み、顔色は真っ青になり、震えている。
「明日香ぁ。玄関がマスコミだらけだったから、裏口から入っちゃったよ」
由依はそう話しかけ、にいっと微笑みかけたが、すぐに明日香の異変に気づいた。
「ねえ、どうしたの?」
明日香は、強張った表情で静止している。
「もう、やめて……!」
明日香は恐怖に震えた声でそう叫ぶと、どこかに逃げるようにその場から姿を消した。
「明日香!」
由依は、明日香を追いかけ、階段を駆け上った。二階にたどり着くと、明日香が向かったのが、右と左のどちらの廊下か分からず、立ち止まった。
「どこにいるの? 明日香!」
すると、右の廊下の先から狂ったような悲鳴が聞こえてきた。由依は慌てて、そちらの方向へ走ってゆく。明日香は、廊下の突き当たりの壁に寄りかかっていて、震えていた。よく見ると、彼女の目はおかしなぐらい見開かれている。
「も、もう、許して……!」
「どうしたの、明日香?」
「死んでしまった! みんな死んでいってしまうんだ!」
明日香は叫び声を上げて、めちゃくちゃに暴れた。由依は、慌てて抑えようとする。
「みんな、滅茶苦茶になっていくんだ! わたしの前には、残酷な運命が、待っているんだ……」
「お、落ち着いて、明日香。い、一体、何があったの?」
明日香は、由依を振り払い、驚いた表情で由依をじっと見つめるとふっと笑みを浮かべた。
「由依。この世界は狂っているのかな。それもわたしが狂っているのかな。もう、わたしには分からないよ……」
「落ち着いて。まず、落ち着こうよ。ねえ、お兄さんは?」
「どこに行ったのかな。こんな時にいないんだもんね。ひどいよ……」
「一体、何があったの」
明日香は頷くと、目の前の扉のノブを掴んで、そっと開いた。そして、なにか夢を見ているような目つきで室内を覗き込んだ。由依を釣られて、室内を覗き込む。
「えっ……」
そこには、安西の首吊り死体がぶら下がっていたのだった。安西は苦しげな表情を浮かべ、土のような顔色をしている。足元には、ノートが置かれていた。
「安西さん、マスコミや警察に、容疑者扱いされてさ。でも、証拠がなかったから、ずっと逮捕されなかったんだけど、そしたら……」
明日香は声を詰まらせて、それ以上、なにも語れなかった。
「すべてが壊れていくんだね……」
由依は、その言葉にはっとして明日香の顔を見た。明日香の頬を涙が伝っていた。
「すべてが壊れてゆく。滅茶苦茶になってゆくんだよ。ねえ、わたしはどうしたらいいの?」
明日香は、そう言うと、ふらふらとその場にしゃがみ込んだ。由依は、しばらく安西の死体を見つめていた。彼は、警察に疑われ、マスコミに誹謗中傷され、絶望して自殺を遂げたのかもしれない。
そして由依は、安西の足元にあるノートを手に取った。