6 尾形警部の捜査
事務所の窓に風が吹き付けている。羽黒祐介はさも愉快そうに話を聞いていた。由依の話が一区切りついたことを知ると、ふふっと微笑んだ。
「どうやら、また奇怪な事件に巻き込まれたようだね」
由依は、そうなんですよ、とばかりに身を乗り出す。
「ほんと、運が悪いですよね。わたし、生首を見ちゃったんですよ」
と言って、ぶるると震え、
「一週間は、焼き肉、食べれませんでした」
と苦々しそうに語った。
本物の生首を見て、一週間で焼き肉が食べられるようになるのなら、なかなか神経が太い方だな、と祐介は思った。
「生首の出現についてどう考えますか?」
と尾形は我慢できない様子で祐介に尋ねた。祐介は少し考えて、
「トランプのカードでしょう?」
と言った。
「トランプのカード? ああ、そういう意味ですか。ええ。そこまでは分かったのですが、その先がはっきりしません。まあ、わたしの話を聞いてください……」
と尾形警部は渋い顔をして語る。
尾形慎二警部は、冷静沈着な知性派の刑事であった。群馬県警の熱血派、根来拾三警部が群馬県警の虎と呼ばれているのに対し、尾形は警視庁の龍と呼ばれ、警察関係者の間で恐れられていた。
「それでは、尾形警部、事件についてお話しください」
*
尾形警部は通報を受けて、現場に向かい、捜査を行った。
検死の結果、黎斎が殺害され、遺体が切断されたのは、午後六時から午後八時半の間と推定された。遺体は、胸部を鋭利な刃物で刺され、喉笛を切り裂かれている。
捜査関係者の大多数は、安西犯人説を唱えていたという。彼の部屋から生首が発見されたからである。ところが、尾形だけはどうしてもこの説を採ることができなかった。というのも、自分の部屋に生首を持ち帰ってくる犯人がいるだろうか、山の中なのだから、生首を捨てる場所などいくらでもある、それをしなかったのは、生首を置くことによって、犯人が安西に濡れ衣を着せようとしたからだ、したがって、安西は無実なのだ、と尾形は考えたのである。
なぜ、用事があると言って出て行ったはずの安西が、自分の部屋で眠っていたのだろうか。
彼は、黎斎の手品のアシスタントをするために残っていたのだ、用事なんてなかった、と語った。そのうちに急激に眠くなり、仮眠を取ろうとして、そのままベッドで熟睡してしまった、という。ノックの音に目を覚まし、眼鏡を取り、電気をつけると、部屋の真ん中に生首が落ちていて、悲鳴を上げたというのだった。
果たして、それが真実であるか、尾形には分からなかった。ただ、彼の話によると、八時十五分になったら、黎斎に扮して、食堂に現れてほしいと言われていたのだという。つまり、食堂に現れるはずだったのは、黎斎ではなく、安西だったというのだ。しかし、彼も手品がどのようなものかは知らされていなかった。
そして部屋から黎斎の生首が発見されたことについては、安西は部屋に戻った時、そこに生首はなかったという。ということは、生首が入れられたのはそれ以降なのだろう、と尾形を推理した。
部屋で寝ていたという安西にはまったくアリバイがなかった。そして、被害者の生首が彼の鍵のかかった部屋から発見されたというのは、重大な証拠と思われた。
このような事情で、安西犯人説には隙がなかった。ところが、尾形警部だけは安西犯人説を信じなかったのである。
(扉については、彼は自分で閂をかけたんだ。彼は、手品のタネを知られることを常に恐れているから、必ず部屋の鍵をかけてしまう癖があるらしい)
と夜が明けようとしている頃、洋館の中で、尾形は思った。
(その間に、生首は部屋に転がり込んだのか。そうでもなければ、生首を置くことはできないはずであるから)
安西以外の人物で、アリバイがないのは、伊坂哲也である。
(伊坂哲也が犯人なのか……?)
彼なら動機は充分である。四谷黎斎に、恭子夫人との関係を疑われ、業界から追放されそうになっていたのであるから。
少なくとも、伊坂哲也は犯行当日、何をしていたのか分からない。彼の証言によれば、彼はこの邸宅に向かう途中、体調を崩し、山道に車を停めて、休んでいたのだという。彼のアリバイはなかった。
……彼に犯行は可能なのか?
「胴体が、あの部屋から瞬間移動したことについてはどう考えます?」
と客間で、部下の長澤に言われて、尾形は頭を抱えた。
(そうだ。死体は、あの消失の部屋から離れに瞬間移動したのだ。ところが、歩いたとしても片道三十分の距離なんだ。恭子夫人が鍵を取ってきている十分程度の間に、あの離れまで死体を移動することは不可能だ……)
尾形は、長澤の方をじろりと睨んだ。
「胴体は、離れに瞬間移動した。しかし、頭部は安西の部屋に中に瞬間移動した。このトリックはおそらく、消失の部屋に秘密があるのだろう」
と尾形は感じ、部下を連れて、消失の部屋に再び訪れた。
消失の部屋は、夜が明けてみると、燭台だけの正方形の部屋で、窓は二つあるが、どちらも鉄格子がかけられていた。この鉄格子を止めている留め具に秘密があるのでは、と尾形は調べはじめたが、勿論、留め具は緩んでいなかった。
「仮にここから出たとしても、死体をあの谷底の離れまで運ぶことはできない……」
とまた悩みこむ。
「それに、首を切断する時間もないですよ」
と長澤は言った。確かにそうだ、と尾形は頷く。
「鍵穴から見えたのは人形だったとか? 死体の目撃者は何と言っていたんだ?」
「それが、間違いなく本物の死体だったと。そして、蝋燭の灯が揺れていたけれど、はっきり死体が見えた、と」
「なるほど。仮にここに本物の死体があったとしよう。それを谷底に瞬間移動させ、首を切断し、頭部だけ安西の部屋に移動する方法があるかな?」
「それは……、ありません」
「だが、何かあるはずなんだ」
尾形は考え込む。
「あの離れへ行ってみよう……」
尾形と部下は、谷底にある離れへ向かった。それはお洒落なコテージのような外見である。離れに入ると、そこには色々なマジックの小道具が所狭しと置かれていた。倉庫みたいなものなのだろう。四室あって、そのうちの一室に入ると、そこは何もないガランとした正方形の部屋だった。
「ここは、何か引っかかるな……」
と尾形は首をかしげる。消失の部屋とどこか似ている気がしたのだ。再び、小道具の積まれた部屋に戻り、色々な小道具を見て歩いた。ステッキや、テーブルもあり、緑色の扉が置かれている。それは、ちょうどこの洋館にある扉のようだった。これはマジックの大道具にすぎないが、尾形の脳を刺激した。
「扉か……」
そもそも、黎斎はどんなマジックをするつもりだったのだろう。きっとあのまま人間消失を遂げ、食堂に黎斎に扮した安西を出現させるつもりだったのだろう。
それでは、どうやって人間消失をするのだろう、あの消失の部屋で……。
「安西の部屋に行こう……」
尾形は、生首が出現した安西の部屋に何か秘密があるのかもしれない、と思った。
尾形と部下は、洋館に戻り、安西の部屋に向かった。尾形は、安西の部屋を見ましたが、ベッドや棚がある、長方形の部屋で特に変わった点はない。
すると長澤は、手帳を取り出した。
「この部屋についてですが、報告によれば、安西が飲んだという紅茶のペットボトルに多量の睡眠薬が入っていたんです」
と部下は説明した。
「それは本当か。だとしたら、やっぱり彼は無実じゃないか……」
「それはまだ分かりません。彼が眠っていたことの言い訳のためにペットボトルにあらかじめ入れたのかもしれません。ところで、この現場には、いくつか不自然な点がありました」
「なんだ? 言ってみろ」
長澤は、ベッドのすぐ横にある縦長の棚の戸を開いた。
「この棚の戸の中を確認したのですが、三段目に大量の血がこびりついていました」
「なんだって、なぜ、そんなところに……」
「わかりません。そして、ベッドの近くの床に、血まみれのビニール袋が落ちていたんです」
「ビニール袋が?」
「ええ、どうやら、生首を入れていたビニール袋のようなんです。それが生首から離れた床に落ちていたんです」
「おかしいな。風にでも飛んだのかな」
「風といっても、窓は閉まっていましたけどね。犯人がビニール袋を放り捨てて、生首を床に置いたのでしょう」
「そうなのか。しかし、三段目の血は気になるな。犯人は一旦、ここに生首を隠したのか? 他に報告することはないか?」
「そうですね。安西は近眼で、いつもコンタクトをつけているのですが、生首が発見された時は外していたようです。眼鏡はこの棚の二段目に置いてありました」
その時、尾形はひらめいた。
「そうだ。わかったぞ。彼の供述によれば、ノックをする音が聞こえて、目を覚まし、眼鏡を取って、かけてから部屋の電気をつけた。そしたら、生首があって、驚いて叫んだ、ということだったな……」
「そうですね」
「その眼鏡があったのは、この棚の中だ。そして、犯人はきっと、この棚の中に生首を隠したんだ。血が残っているのはそのためだ。安西は、ノックの音で目を覚まし、眼鏡を取ろうとして、手さぐりで棚の戸を開いた。その衝撃で、生首が棚から落ち、床に転がって、ビニール袋が飛ばされたんだろう。電気をつけた安西は、生首を発見し、叫び声をあげた」
「なるほど。それならば、生首が部屋の真ん中に出現したからくりが分かりましたね」
長澤は、感心したように言った。
*
祐介は頷いて、感想を述べた。
「生首は、サンドイッチに入れられたトランプのカードのように、あらかじめ部屋に仕込まれていたんですね。つまり、部屋の真ん中に出現したのは、犯人が意図していたものではありませんでした」
「そうです。しかし、我々はここまでで暗礁に乗り上げてしまったんです」
と尾形は悔しそうに言った。