4 奇術殺人の夜
その時がきた。午後八時を告げる時計の鐘がなる。ボーンボーンという音が心地よく響く。すると食堂中央にある観音開きの扉が開き、笑った鉄仮面を被っているあの怪人が食堂に入ってきた。
「おまたせしました。四谷黎斎です。それでは、今から皆さまに不可思議な人間消失をお見せしまましょう」
来客の葛城が、手を叩いて喜ぶ。
「いいぞ!」
それから六人は、長い廊下を通って、あの曰わく付きの部屋へと向かった。外はもう真っ暗闇である。この廊下には、ランプのような照明しか付いていないため、全体的に薄暗い。すでにお化け屋敷にでもいるような気持ちになる。この間、鉄仮面の男は、一言も喋らなかった。
薄暗い廊下の突き当たりに、白い壁がぬっと現れ、頑丈そうな木造りの扉が見えた。
「宣言通り、わたしはこの部屋から脱出します。皆さん、抜け穴がないか、すでに確認したとは思いますが、もう一度、ご覧になってください」
由依は、部屋の中に入る。薄暗い中、白い壁に囲まれた正方形の狭い部屋。真ん中には、燭台が置かれていて、蝋燭の灯が揺れている。一つだけある窓は、内側と外側から鉄格子がかかり、鍵もかかっている。
「こりゃ駄目だ。出られないよ」
と由依は半笑いを浮かべて言った。なぜか半笑いを浮かべいるのかは自分でも分からない。謎の笑いが込み上げてきたのだ。
「では、みなさん。私だけ、この部屋に残ります。この扉には見ての通り、鍵穴があります。二分ほどしたら、この鍵穴から中を覗いてください」
鉄仮面の男は、鍵を持っていて、自分以外の人間を部屋から出させると、扉を閉めた。そして鍵をかける音がする。
「二分……」
葛城が腕時計を見て数える。
「二分経ったぞ」
それでは、とはじめに葛城が鍵穴を覗き込む。すると、何が見えたのだろうか。ぐえっと驚愕の醜い声を上げて、鍵穴から逃げるように離れ、そのまま、床に座り込んだ。
「何が見えたのですか……」
「あ、あれは……あ、あ、あ」
言葉にならない様子で、床で震えている。真が驚いて、しゃがみこんでいる葛城に歩み寄った。
由依は嫌な予感がした。次に、明日香が鍵穴を覗き込む。途端、つんざくような叫び声を上げて、扉から離れた。
「お父さん!」
彼女は、もう一度叫び、扉を開けようとノブに飛びつくが、鍵がかかっているため開かない。葛城が慌てて止める。
「ま、まて、これも手品の一種なのかもしれない……そうだ、先ほどまで彼は健在だったのだから……」
一体、何が起こっているのだろう。由依は、我慢できず、明日香を押しのけると、鍵穴を覗き込んだ。
鍵穴から見える範囲は極めて狭かった。しかし、それでも暗闇の中で、蝋燭の灯がふらふらと揺れているのが見えた。ぼんやりと浮かび上がる室内の光景。その床に、人が倒れている。由依はあっと叫びそうになった。見えたもの、それは苦悶の表情を浮かべて静止している男性の顔だった。それは四谷黎斎の顔だった。喉笛が切り裂かれ、血肉が漏れている。付近には、あの笑った鉄仮面が転がっている。
由依は、うわぁと叫んで、扉から離れた。
「これは、事件だよ! ねえ、この扉を壊そうよ!」
と由依は叫んだ。その言葉は力強かったが、実は心の底から恐怖が込み上げてきて、手足が震えてきていた。
真も駆け寄り、鍵穴を覗き込み、表情を変えた。彼が振り返ると、ふらふらと立ち上がってきた葛城が静かに首を横に振った。
「この扉、たとえ男が三人いても、たぶん壊せんぞ……。なにしろ、頑丈だからな。合い鍵は?」
「主人の書斎にあります」
「すぐに取ってきてもらいたい……」
と葛城が、青ざめた表情のまま、そう言った。
「わたし、行ってきます……」
恭子夫人は廊下を走っていった。
しばらくの間、由依は、廊下に残されて、泣き喚いている明日香とおろおろして何をしでかすか分からない葛城の二人の世話をしなければならなかった。真は、暗い表情でうつむいている。
恭子夫人はなかなか帰ってこない。まだ室内に死体はあるのだろうか、と由依が鍵穴を覗き込むと、もうそこに死体らしきものはなかった。
どれほどの時が経ったのだろう。恭子夫人が、鍵を持って現れた。
「どうぞ、これを……」
葛城は震える手で鍵を受け取ると、鍵穴に挿した。そして解錠し、勢いよく、扉を開いた。
「誰もいない!」
そこには誰もいなかった。二時間前と変わらぬ部屋が広がっているだけである。おかしい、死体はどこにもない、と由依はきょろきょろ室内の様子を見まわした。途端、葛城は狂ったように笑い出した。が、それは恐怖のためらしく、彼はふらふらと部屋の外に出て、廊下の壁に寄りかかって、狂ったようにうなり声を上げている。
「これはどういうこと!」
明日香は叫んだ。確かに先ほどまでここに死体があったはずだった。それがなくなってしまったというのはどうして……?
するとどこからともなくあの怪人の声が響いた。
『皆さま、すぐに食堂にお戻りください。わたしはそこでお待ちしております』
「そんな馬鹿な!」
と葛城は叫び、また部屋に飛び込んでくる。
「お父さんの声。食堂にいるって! よかった……」
と明日香は歓喜の声を上げる。
「なんだ。今までのは、ただの手品だったんだよ……」
と由依は言った。
「本当に手品かな。父の身に何か起こったんじゃ……」
と真が心配をする。
「真さん。今の声を聴いたろ。これはすべて計画的なマジックだったんだよ」
葛城はほっとしたのか笑いながら、窓に寄りかかった。そして、窓の外を見て、また震えた叫び声を上げた。
「あんなところに、人が……」
四人はその声に引き寄せられたように窓の外を見た。窓の外は崖が広がっている。眼下には、洋風な離れがある。その離れの入り口前の街灯に照らされて、男性の死体が倒れているのが見えていた。胸から上は、木の枝葉に隠れてよく見えない。しかし、あの悪魔的な黒装束はまさに鉄仮面の怪人のもの。
「こんな馬鹿な! だって、ここからあそこへは片道、三十分はかかるはず……」
と葛城が叫んだかと思うと、それに重なるように明日香が叫ぶ。
「ねえ、食堂に行くよりも、あそこに行ってみようよ……」
「ねえ、皆さん、これは手品なんだから、言われた通り、食堂に行きましょうよ!」
と恭子夫人が慌てた様子で説得しようとする。
「ねえ、この部屋、もっと調べてみない?」
と由依が場違いな提案をする。
恭子夫人が、少し強い口調でこの意見の対立を制した。
「まず食堂に行ってみましょう。だって、これは手品なのだから、マジシャンの指示にしたがうべきなんです。食堂にあの人がいなかったら、その時にあの死体が本物か見に行けばいいんです。もし、本物だったら、その時に警察に連絡しましょう……」
「すぐに警察に連絡した方がいいんじゃない?」
と由依は言った。すると、葛城は慌てた様子で反論した。
「いや、それは駄目だね。だって、これは手品かもしれないよ。あれが遺体だと確認しないことには通報もできない。警察を呼んでから、実は手品でした、なんて言えないからね」
どうやら、通報の前に、死体を確認しなければならないらしい。そうと決まると五人人は、急ぎ足で食堂へと向かった。食堂にたどり着いたが、誰もいなかった。ただ、薄暗い食堂にステーキの匂いが残っているだけだった。そのまま、四人は洋館を出て、幾分、遠まわりな坂道を下り、離れへと向かった。
離れは、暗闇の中では大きな影に過ぎなかったが、どうやらお洒落なコテージといった外見のようである。その入り口の前に、街灯が二つ並んでいる。その下に、なにかが転がっている。
葛城が絶望的な声で叫んだ。
「ああ、なんてことだ。本物の死体だ……」
そこに転がっていたのは正真正銘の死体だった。由依は、いけない、と思って視線を外した。明日香が夢中で近づき、鋭い叫び声を上げた。
「キャアアアアアアアア……」
そして、震えた声で、息も絶え絶えに、
「頭がない……!」」
と漏らした。
そこに転がっている死体は、首から上が無惨に切断されていて、断面は血肉にまみれ、ぽっかりと穴が空いているのだった。