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奇術邸殺人事件  作者: Kan
3/12

3 消失の部屋

 しばらくして、時計が午後六時を告げた。由依は、真に言われた通り、一階のロビーに降りてゆくことにした。一階のロビーには、すでに何人か集まっている。由依は周囲の人々に会釈をしながら、割り込んでいった。

「あら、あなたが明日香ちゃんの友達ですか」

「はい。田所由依といいます」

 と由依は名乗った。目の前にいる女性は、まだうら若く、白い肌の美しい女性だった。黒く長いまつ毛の下に、男性を惑わす妖艶な瞳が見えている。実はこの人物こそが明日香の嫌っている黎斎の再婚相手なのである。名前は、四谷恭子というらしい。

「由依ちゃん。今夜は楽しんでいってね」

 由依は、はい、と言うと、恭子夫人はふふふと笑いながら歩いて行った。


 由依は、色々なことに考えをめぐらしながら、あたりをみると、角刈りで顔つきの地味な男性が立っていた。その男は、由依の顔を見ると、にこりと微笑んだ。

「君が明日香ちゃんの友達ですか。僕は、安西武(あんざいたけし)と言って、四谷先生の弟子なんです」

 というから、由依はてっきり、あの恭子夫人と不倫をしている弟子かと思った。ところがそうではなく、彼は、一番弟子の安西という男で、恭子夫人と付き合っているのは、二番弟子の伊坂哲也という男なのだった。

 そんな説明を思い出しながら、由依がロビーで待っていると、あの四谷黎斎が、中央の扉から現れた。

 肩幅のある、すらりとした長身の中年男性。白髪混じりであるが、綺麗に撫で付けてあって、はっきりとした眉に優しげな目つきの、気品ある二枚目である。これがあの鉄仮面の奇術師の正体とは到底思えない。

「皆さん。お待たせしました。それでは、ご一緒に今夜の奇術の舞台となる部屋にご案内しましょう」


「待ってました!」

 と無作法にも叫んだのは、本日の来客の葛城洋次である。彼は、太った中年男性だった。彼は、熱心なマジックマニアで、四谷黎斎のファンなのである。今回、特別に街で知り合った安西に招待されたのである。


 それから、由依たちは、一階の長い廊下を歩かされることになった。この不思議な廊下はL字の形をしていて、角を曲がるとまた非常に長い廊下が続いている。窓が両側に並び、左側は谷底を見下ろせる崖である。赤い夕焼けが見えている。右側を見ると、山林が広がっていた。

 その部屋は、長い廊下の突き当たりにあった。白い壁の真ん中に頑丈そうな木造りの扉があった。その扉を黎斎が開くと、奥には正方形の狭い部屋が用意されていた。ここも両側に窓があるが、鉄格子が内と外から取り付けられ、鍵までかかっている。由依が見まわしても、室内には、特に装飾のようなものはなく、ただ白い壁に囲まれているので箱の中という印象である。


「ここは消失の部屋、と言います」

 と鉄仮面の怪人こと、四谷黎斎が語り出した。

「宣言しましょう。わたしは、二時間後にこの部屋から消失します。皆さまには是非、この部屋に抜け穴がないことを事前に確認してください」

「ここから、消失……?」

 と葛城が驚きの声を上げた。それは美味しい料理に出会えてたまらないというような歓喜の声でもあった。

 由依は、黎斎に言われた通り、扉を調べ、部屋の壁を叩いて調べた。そして、窓の鉄格子が外れていないことを確認し、鍵穴も調べた。どうやら、本当に抜け穴はないようである。

「もし、本当に消失したら、すごいね……」

 と由依は正直な感想を述べた。


 それからしばらくして、午後七時となった。由依は、この豪華な邸宅に到着した瞬間から、食事が楽しみであった。

 マジックショーが行われるのは午後八時。たっぷり一時間は、ご馳走に舌鼓をうてるということである。由依は、鼻歌を歌いながら、再び一階の食堂に降りて行った。食堂に入ると、真が歩いてきた。

「由依ちゃん。僕の隣にお座り」

 と真はペットの犬にでも呼びかける口ぶりであったが、由依はやっぱりわたしに下心があるんだなぁ、と好意的に解釈した。


 テーブルの上には、美味しそうな西洋料理が並んでいる。ローストビーフ、ステーキ、生ハムののったサラダ、コーンポタージュ、トマトのスパゲッティ、バターの香るフランスパンなどがテーブルに並べられている。

 由依は、じゅうじゅうと良い音を立てて、肉の焼ける香りを漂わせているサーロインステーキを、フォークで食べている。


 真はというと、食事そっちのけで、銀のカップ、棒、ボールをいくつか用意して、古典的な手品を由依と葛城に披露してくれていた。

 主人の黎斎は、ショーの準備のためか、この席にはいない。食堂にいるのは、由依、明日香、恭子夫人、弟子の安西、来客の葛城、そして真というメンツである。

 安西は、真の鮮やかな手さばきを見て、感嘆のため息を吐くと、

「真くんはこれからの手品界を引っ張っていく存在だよ」

 と褒め称えた。

「それよりも先に、あなたが主人に代わって、この手品界のトップに躍り出るのでしょう?」

 と恭子夫人がほほほ、と笑って冷やかす。

「いえいえ。僕はまだまだ。先生はまだまだ現役ですから……」

 とは言いつつも、悪い噂でもあるのか、安西はちょっとうつむく。そして、真の方に向くと、

「まあ、真くんも、コンポタージュが冷めてしまうから食べたまえ」

 と、言った。が、真は料理などそっちのけで、手品を披露している。

 由依は、自分の取ったサンドイッチの中にトランプのスペードのAが仕込まれているのに気づいた。しばらくして、真はさすがに食事のことが気になったのか、

「じゃあ、トランプのマジックは食後にしますか……」

 と言って、席に戻ろうとする。

(いや、このカードどうにかしろよ……)

 由依は、やれやれと思った。カードが突っ込まれたサンドイッチを皿の端に避ける。


 恭子夫人が、そわそわして、あたりを眺めている。

「伊坂さんは、お食事には間に合わないの?」

「そうらしいですね……、なんか、途中で体調を崩してしまったらしく、今夜は、先生のマジックにも間に合わないかもしれないと電話で仰ってました」

 と真が答えた。

「そうなの……」

 この会話を離れたテーブル席から聞いて、明日香が憎々しげに舌打ちをした。そして由依にそっと耳打ちをした。

「なにが、伊坂さんよ。二人きりの時は、哲也君って呼んでるんだよ」

 由依は、うわっと思った。人間関係、本当にドロドロしているなぁ、と思いながらコーンポタージュをスプーンで飲む。


「実はさぁ……」

 この時の明日香の話によれば、恭子夫人は伊坂に完全に惚れているというのである。そして夫人は、伊坂に、四谷黎斎の後継者になってほしいのだという。そのためには、伊坂に、弟子としての地位を上げ、四谷黎斎に後継者として指名してもらいたいらしい。しかし、現実には安西の方が、弟子としての期間も長く、手品も上手く、黎斎に好かれているという。対して、伊坂はこの頃、恭子夫人との関係を疑われ、黎斎にひどく嫌われてばかりだという。この奇術の世界では、四谷黎斎に嫌われ、追放されると、なかなか生きていけないのである。

 明日香の小声はここで終わった。嫌な世界だと思った。


 由依は、最後に食べようと取っておいたモンブランのケーキが目の前からなくなっていることに気づいた。

「あれ、わたしのモンブランが、消えた……」

 すると、隣に座っている真がにこっと笑って、

「君がお探しのモンブランはこれかな?」

 と言って、テーブルクロスの中からケーキを取り出して、由依に渡した。

「僕の魔法だよ」

(なんてことしてるんだ……)

 由依は、真をじろりと睨んだ。真は楽しげに、あははっと笑った。


「さて、僕は用事があるので……」

 と安西は、そう言うと部屋に戻ろうとした。

「まだ、いいじゃありませんか。どうせなら、主人のマジックを見て行かれたら?」

「いや、僕はそういうわけにはいかないんです。来週のショーで、空中浮遊の後、燃え尽きなくてはならないんですが、ちょっと手違いが生じまして、すぐにアシスタントと打ち合わせしに行かなければならないんです」

「それはまあ、大変な」

「準備が色々ありまして……、それでは、失敬」

 安西は、角刈りの頭を撫でると、急いでいる様子で部屋を出ていった。


「あいつ、ああ言ってるけど、きっと今夜のマジックのアシスタントなんだよ……」

 と明日香がそっと耳打ちをしてくる。

「そうなの?」

「うん。たぶんね、わたしにもマジシャンの血が流れているから分かるんだ」

 と言って、明日香は、空になっているはずのオレンジジュースの瓶を振ると、蓋を開けて、コップにコーラを注いで一口飲んだ。

 由依は、わけが分からなくなった。この洋館はマジシャンだらけだ。

「ねえ、明日香。今夜、あの部屋で何が起こるの?」

 すると明日香は言った。

「何が起こるんだろうね、誰も想像していないことが起こるんだよ」

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