ブブの秘密
木漏れ日の中、地面から飛び出した木の根に腰をおろす。
泥まみれになって遊ぶブブ人の子供が三人、楽しそうにはしゃいでいる。
その一人がつまずいて顔面から倒れ、大声で泣き始めた。
それを見ていた親が、笑いながらその子を抱きかかえて優しい言葉を投げかけている。
イザックは、ただぼうっとそれを眺めていた。
「あれは痛いぞ~、顔面からいったもん」
声の主の方へと、顔を向けるイザック。そこには、マーリヤがいた。イザックと同じように子供たちを見ていた。
「あう……」
自分の方へと向いていることに気づくマーリヤは、イザックの方へと身体ごと向ける。
「ん、どうしたのイノク?」
心配そうに言う。
イザックの傷は、生々しい傷跡を残してすべて塞がった。
まだ、動かすと痛みが走り満足に動かせないが、こうやってマーリヤの付き添いで出歩けられるようになった。
マーリヤはイザックの腕を取って傷の様子を見ようとした。
薬草を傷口に当てて、紐で押さえつけただけの原始的な処置だ。その薬草をめくって、傷を直接見ている。
「あ……」
「うんうん、バーバの薬湯とアキネジア草が効いてるみたいね!すっかりよくなってる!」
イザックは肩をすくめた。
「あ、ごめんごめん。痛いよね」
めくった薬草をもとに戻す。
そんなやり取りをしていると、二人を匿っていた老人が杖をついてひょこひょこと歩いてくる。
マーリヤは立ち上がり、手を振った。
「バーバ!」
老人バーバはマーリヤの声に応えるように杖を空に向けて振っている。
「ちょっと待っててねイノク」
そう言って、マーリヤは木の根にイザックを置いて、日なたに出ていく。
イザックは、マーリヤがバーバのそばに駆け寄っていくのを、ただぼーっと見ていた。
「どうさねぇ、イの字の調子はぁ~~」
「はい、おかげさまで!」
合流した二人、マーリヤがバーバの手を引くようにイザックのもとへ導く。
バーバは、ぼーっと見つめてくるイザックに向けてその皺くちゃな口を開けた。
「ほい、いいねぇ。魂はどうとね?」
おもむろにイザックの頭をワシ掴み、瞼を無理やりこじ開けて瞳孔を覗き込む。
「あ、あ……」
「ありあ~、魂は抜けたまんまね~。悪霊もでかくなってる気がする。こいつの魂を食ってるね」
バーバはイザックから手を放し、眉を上げて「参ったねぇ」とため息を漏らす。
薬湯に2週間ほど浸かっていたイザック。傷は癒えて外に出れるほどになったが、魂は刻一刻と悪霊とやらに食われて、快活であった以前のイザックとは別人になっていた。
「早くエルフに会って、なんとかしないと…」
ポツリと呟くマーリヤ。
バーバはイザックから視線を外して、その流れで木の根に座って腰蓑に手を入れ、黄色い葉っぱ、ルーランを取り出して口に運んだ。
ルーランを噛みつつバーバは言葉を発する。
「ん~、オース共の交代はまだ先だよぉ」
その一言で、さらに暗い表情になるマーリヤ。
ブブドゥルクは、その国土の大半を魔界に隣接している。
オース帝国はブブドゥルクの魔界入りを懸念して、総督府を首都ワクテカに置き、わざわざカンジュナを経由して兵を動員して統治している。兵士がブブドゥルクを巡回している間は土着の信仰を禁じられ、魔界との交流を遮断されるのだ。
年に二度の乾季を目処に兵士の交代を行っており、ブブドゥルクの人々は土着の信仰、つまり精霊との交信を秘密の地下室や屋根裏で行わず魔界の森や山、川、あらゆる神聖な土地に赴いて思い思いの踊りを精霊に捧げる。その時期を彼らは、潤い多き時期と呼んだ。それはもうもの凄いお祭り騒ぎなのである。
いま、雨季も終わりかけて乾季が差し迫ってるとはいえ、イザックには待っている猶予はなかった。
口から、ルーランのカスを地面に吐き出して、人差し指を天にかざすバーバ。
「ブブなめちゃいかんよ」
口の周りについたルーランの葉のカスを腕で拭き取って、不敵な笑みを浮かべる。
「森の人たちに会う方法あるとよ、まぁ危なっかしいがねぇ」
マーリヤの表情には光明を見つけたように、希望に燃えた。
「バーバ、それは……?」
「ん~、ブブ人だけの秘密だ。よそもんには秘密だども、嬢ちゃんがこいつを担いで来た熱意を買ってだ~よ?ブブの血も入ってる嬢ちゃんだからだよ?」
もったいぶるバーバに、マーリヤはつい詰め寄る。
「それはなに?!どうすればエルフに会えるの!」
眼前に迫る顔に、動じずに笑い出すバーバ。
「若さだねぇ~、ワイの若い頃を思い出すわい……」
はっと、無礼をしたことに詫びるマーリヤ。
「いいとねいいとね。山菜とっとったら、血だらけのあんさんら歩いてたの保護したのも縁だ、教えるよ。それは……
湖底神殿や。
オースの奴さんが知らん魔界に繋がる入り口だで。ムイスカ族が守っとる。ただで入れるようなとこじゃないがね、オース共がいるこの時期で森の人が住む魔界行こっちゅなるとそこしかないねぇ~」
マーリヤは詳しく聞こうとしたが、バーバは立ち上がった。
「おっとワイも詳しくは知らんからそっから先はなしじゃて。こっから西にムイスカ族の村がある、行くじゃろ?」
イザックを見て、頷くマーリヤ。
「んじゃ支度してけな」
ひょこひょこと歩き出すバーバ。
マーリヤは、イザックの手を取って立ち上がらせ、引きずるように手を引きバーバに付いていく。
「あう」
バーバの家。
木の支柱にウシの糞と泥で壁を作った素朴な家だ。
紐がそこかしこに張られて、山菜が引っかかっている。
山菜のカーテンの奥に、藁が敷いてある居間があり、イザックとマーリヤの姿があった。
二人はブブドゥルクの人々のように化粧を施している。ここガングロ村を含む地域一帯の文化的化粧。目の周りを白い塗料で塗る。ヤマンバ化粧という。
二人の間の藁が盛り上がり、そこからバーバが現れた。
「おう、ヤマンバってるねぇ。ほら、神棚で祈願しといたからよぉ!」
そそくさと地下室の扉を締めて、手を叩く。
「精霊の加護さあるとええねぇ!」
「あう」
イザックは、フードからぶら下がる飾りに夢中のようだ。
このままではイザックの魂がなくなるのも時間の問題と察したマーリヤは、急いで家を出る。
「ほいじゃ、西の方に伸びる道たどってけなぁ!」
そう、バーバは言って二人を見送った。
「ありがとうバーバ=カジジィ!」
振り向いて手を振るマーリヤ。
それに応えバーバは小さく手を振った。
建物の影に消えてった二人を見てバーバは呟く。
「さぁ~て、お嬢ちゃんたちぃ。
ケモッコ森回廊を抜けられっかねぇ……
あいつらはオースも手をこまねいてるアキバ族だからよぉおぉ……」
この後、悪ふざけ回が続きます