国境
村を出てから、行商の隊列と行き交っていくうちに最初の夜を迎えた。
天には、無数の星々が輝く。
月明かりが地上を照らしている。
だが、月が雲に隠れると様相は変わり、地上は漆黒に飲まれ、星々のか弱い光だけが天に浮いているのであった。
天は不死の大海と呼ばれ、完全な王国が月にあるという。
そして、地上は、そんな天や月から落ちてきてしまった物で出来ているという。
星々の輝きに関しても、あれらは地上で物が死を迎え、その魂が元あった天へと帰る道中、地上に残された物に向けて光っているのだそうだ。
星々の輝きがなくなった時こそ、世界には安らかなる新世界が到来し、全てはバルベロー、万物の母の夢を見る…と。
オース帝国が天下を統一した際に、異教として闇に葬った、この地でかつて語り継がれていた伝承である。
それを知ってか知らずか、満天の星空に抱かれイザックは星々を眺めていた。
あのどれかにダビドの星はあるのだろうか。
道すがら生えていた一本の木に寄り添うように天幕を張っていた旅芸人の一座がいた。
二人は、その一座と夜を共にすることにした。
どうやら旅の一座は、二人の来た道を行ってウルダに行くという。
「ウルダ国が蛮魔に襲われたと聞きます。私らは、彼らに笑顔を届けにカンジュナ連邦国からやってきました」
座長は語る。
カンジュナとは、大陸の中央部にある連邦国だ。
イザックたちは、武芸の修行者親子で話を通している。
「おお、差し支えなければ武芸を見せてもらっても良いかな」
座長が、にこやかに言う。
ウルダの者と悟られぬように、かつ溶け込むため怪しまれずに話をでっち上げたのだが、武芸という言葉に反応に困った。
クルは腕を組んで何かを考え込むようにした。
「そうですな。ただでお見せできるとは思ってません。イルシュナさん、マギイさんいいですかな?」
イルシュナ、マギイと呼ばれた男女は、スッと立ち上がりクルたちの前でお辞儀をした。
「つたない芸ですが…私の芸は“ナイフ投げ”でござい、こちらには助手のマギイ、以後お見知りおきを」
「よろしくだで」
道化師の格好した男は、木に背をつけ、果物を頭の上に乗せた。
「まず手慣らしに、彼の頭の上の果物を射抜く技をお見せいたします」
「さぁさぁ、さぁ、今宵お見せいたしますは美女イルシュナのナイフ芸!道化マギイの運命やいかに!」
音頭を取る座長。団員たちが、手を鳴らし始めた。まばらであったそれは、ひとつ道筋を得るとリズムを奏でる。
イザックに緊張が走り、固唾をのむ。
緊張が頂点に達する。
「いきます!」
ナイフは投げられた。
見事、果物にあたり、それは真っ二つに割れた。
「お見事!」
すぐさま座長が合いの手を入れる。
「しかしこれは序章、彼女の本当の技はこれからでございます」
道化が、新しく果物をポッケから取り出した。そして、あろうことか、器用に頭に乗せつつ曲芸をしているではないか。
「次は動く標的にナイフを当てる技です」
ひょこひょこと動き回る道化。
イルシュナは、腰に手を当て投げる気がない素振りをした。
「おっとどうしたイルシュナ、そうか、物足りないときましたか!天性のナイフ投げ、おみそれ致す、ではご要望にお答えして!」
座長は、道化に向かって果物を投げ入れた。
道化は、戸惑うように果物を受け取った。そうして、パントマイムを交えてあぐねていると、空中に投げ始めた。うまい具合にそれは、お手玉のようにひょいひょいと空に浮かんでは落ちていく。
女はそれをみて良しとした。
一本のナイフをイザックとクルに見せるように取り出した。そして、一本だったナイフは幾本にも分裂した。
ちょっとした手品もさることながら、次の瞬間、流れるように投げられたナイフたちは、空中に放り投げられた果物にすべて命中。
見事というほかなかった。
イザックは、手放しの拍手を二人に送った。
「すごい芸当だ!まさに神業、ありがとうお二人さん!」
お辞儀する二人。拍手の渦に飲まれて、二人は元の場所に帰っていった。
さて、返するはイザックたち。
「どうですかな?」
クルは、観念したというように焚き火の前に出る。
そして、拳法の型を披露した。
気合を発しながら繰り出される拳と蹴りの数々。
確かに、先程の曲芸ほど華やかさはないが、圧倒される美しさがあった。
「ほぉ…」
関心する座長と一味。
披露し終えると、クルは何も言わずに座した。
「良いものを見せていただいた、我が微笑みの雑技団一同感服しております」
座長は、クルたちに惜しみない拍手を送って、彼らを歓迎したのであった。
ウルダでは聞かない旋律を奏でる吟遊詩人。カンジュナの音楽なのだろう。
夜の帳にしっくり来るその響きが眠りを誘う。
クルとイザックに割り当てられた幕屋。そこには、イルシュナとマギイの姿もあった。
マギイは、さっきとはうって変わって、書物をしながら物思いにふけっている。
「マギイはね、バカらしいことをやっているけど本当は堅物なの。こうして、私達の一日一日を伝記として残してるのさ」
ナイフの手入れをしているイルシュナは、イザックが物珍しそうにマギイを見ているのに気づき、そう語った。
各様各々の時間を過ごす。火を絶やさぬよう、誰かが火番をしている。順番が来れば、マギイとイルシュナは出ていってしまう。
イザックは彼女たちと話がしたかったが、自身の秘密のためにうかつには話せない。クルもいる手前、緊張感もあった。
なので、そうそう寝ることにした。
吟遊詩人が弦楽器を鳴らしながら、神々への誓いを捧げる唄を吟じていた。
『…詩人の神ムーサよ、愛する人の子らの栄光を歌え…
…混沌を払い、手に入れし豊穣の地。そこに居ます戦乙女はオースから賜りし儀仗…
…戦乙女ウルダ、練磨された剣はその軛を降ろし、日々と仕事、廻るカルジュナの威光を身に受けて…
…ウルダ神の息吹が一陣の風となりて…
…蛮魔は払われる…
…しかし、ああ宿敵よ、その槍はまさしく我らの行く手を阻む雷土…
…勇士は未だ死なず、その百本剣は城を堅める礎となりて…
…神々の眷属たる我らも、オースの怒りとなりて連なる勇士なり…
…カルジュナの威光よ、ウルダの民へと伝わり広まれよ…
…詩人の神ムーサよ、愛する人の子のため勇気を歌え…』
旅の途中、行商と共にしたり、旅芸人の一座とともに夜を明かしたのであった。
旅に出て、二日後。
道に大きな碑と古びた石造りの建物が建っているのが見えてきた。
碑には、オース神を現した象形文字が彫られている。神々が魔神と戦っていた頃の文字である。
そして建物だが、中に入ると旅人たちがたむろしていた。
まさしくこの施設が、広大な大地に置かれている国境の目印である。
天下統一される前は関所として機能していたらしいが、オース帝国が宗主国となった今はその役目を終え、旅人たちの旅路の憩いの場になっていたのだ。
行商人も商魂たくましく、風呂敷を敷き、鶏めしや酒といったものから装飾品、武器防具を売っている。
イザックたちは、そんな旅人たちに紛れて、部屋の入り口に陣取っていた。
「俺の役目はここまでだ」
クルは、そう言ってイザックを置いて部屋から出ていった。
一人残されたイザックは、壁にもたれ掛かり、賑わう部屋を見回して急に心細くなる。
そして、今後のことを考えた。