6 脳犯哲学
半年ぶりの更新です。
「あ! 諏訪君と桜君だー!」
「げっ……桜……」
影宮は海斗の姿を見ると露骨に嫌な顔をした。回し蹴りした相手が目の前にいたのであれば、気まずいことこの上ないであろう。いや、それとも単に苦手なのだろうか。
「よう雨之瀬と影宮」
しかしこれはまずい状況ではないのだろうか。俺は海斗にSKYなる怪しい組織に所属していることは一切言っていない。
ここは適当に誤魔化して立ち去るのが正解だろうか?
海斗は変な所で勘が良い。馬鹿だけど。俗に言うシックスセンスという奴だと思う。馬鹿だけど。
雨之瀬もそれは重々承知のはず。仮にもクラスメイトであるし、それなりに二人は仲が良い。そして雨之瀬は馬鹿じゃない。俺よりも遥かに優秀で判断できる奴だ。
「あーそうだね。とりあえずお二人さんボックスへ! ささ、どうぞ」
しかし雨之瀬の言動は俺を裏切る形となった。
おいおいおい。
「ちょっと待て」……と言いたいところだが、不自然に口を開くわけにもいかない。ここは流れに任せて雨之瀬の思惑に乗ってみるか。
「さっさと入りなさい。話はそれから」
影宮が扉を開けておいてくれたので、俺は恐る恐るお邪魔した。海斗も無言で後に続く。
外から見た時は半畳程のスペースだと思っていたが、中に入ってみると非常に広い。大体八畳くらいの長方形型のスペースと50m以上あるシューティングレンジ。大きなモニターとベンチだけがあって簡素な作りになっていた。
まぁプライベートスペースだから密談には持って来いか。
海斗をSKYに入れるのだろうか? 俺が影宮や雨之瀬と一緒にいる所を見られただけなら別に問題ないと思うんだが……。
雨之瀬と影宮も入ってきて、ベンチに座った。
俺は若干戸惑いながらそのまま棒立ち状態。一方、雨之瀬、影宮、海斗。三人の顔に注目すると俺だけが蚊帳の外といった感じだった。
これはもしかして?
「ぷ……ぐふふふふ……戸惑ってる諏訪君を見るのは面白いけど……どうしようかな??」
完全に煽られていることに気づく。笑っているのは雨之瀬だけ。海斗は口を開く様子には見えない。影宮は雨之瀬の様子を見て呆れていた。
「はぁ。いつまでも話が進まないから言うけど」
「海斗もSKYに所属してるって言いたいんだろ」
影宮の言葉を途中で遮って結論を述べた。
俺だけが状況を把握していないことから考えると、そういうことなのだろう。俺が唯一心配しているのは海斗にバレてしまうことだ。自ずと答えが出てくる。
「あら、わかってたのね」
自信満々に言っておきながら、影宮の正解を聞いて少し安堵した。
「黙ってて悪いな、霊次」
海斗は頭を掻きながら、目を逸らした。
それにしてもだ。どうして海斗がSKYに入ったのだろうか? SKYは後ろめたい組織であることには違いない。海斗もそれをわかっているから、こんな反応をするんだ。
友達と思想云々の話をしたくはない。AIは特に面倒な話題の一つだ。
俺は親友に追求もできぬまま、海斗のことを黙って見つめていた。
金属製のベンチが妙に冷たく感じる。沈黙は少しの間だけ続いた。
最初に動き出したのはちょこっと踏み出した小さな足とふわりと揺らいだツインテール。
「さてさて諏訪君。ここからが本題だよ」
雨之瀬は1秒も満たない一瞬で何もないところから拳銃を生み出した。
前に見た影宮のと似ている。なんせ素人甚だしい俺に拳銃の違いなど色しかわからなかった。
「ここみたいなワイヤード上の射撃場はかつて存在したものから架空の銃、自分でモデリングした銃まで使えるよ。リアルとまったく同じ感触で扱うことができるワイヤードは射撃の良い練習になるんだよね」
彼女はシューティングレンジの前まで歩いて、両手で拳銃を構える。
そして、パンッと一発。人型の模様が描かれた的の頭に風穴を一つあけた。
「SKYのメンバーなら最低限、拳銃は使えて欲しいの。もちろん、諏訪君もね。だからここで少しレクチャーをするよ!」
雨之瀬は再び拳銃を一つ生み出した。またもや20世紀製のものだろうか。作られた年代など知ったことではないが、影宮や雨之瀬の銃よりも特徴があると言えた。銃口が本体から少し伸びていて、その下には何やら突起物。まるで小さな銃剣のようだ。
「諏訪君にあげる」
俺は戸惑いながら拳銃を手に取った。
「撃つ時以外はトリガーに指をかけないように! まぁここじゃシューティングレンジの前に立たないと撃てないけどね」
ずっしりと感じられた重み。今でこそ拳銃という概念のみを残したまま使われなくなったアンティークだが、かつては何千人、何万人と殺した代物。その重みは今の俺には正直よく理解できないが、『人を殺すモノ』ということだけを頭の隅に置いた。
「教えるのは私がやるわ。さぁ、そこに立って」
影宮が教えてくれるようで俺をシューティングレンジの前に立たせた。
「とりあえず、適当に構えてみて」
言われるがままに両手で拳銃を構えた。20世紀前後の映像作品であったのを見様見真似でやってみた。
俺の隣にいた影宮は「左手は横から」「指はこう」「肘は少し曲げて」「足は肩幅くらい開いて」と一つ一つ丁寧に調節してくれた。かなり密着していたけれど、影宮は特にこれといった反応も見せず淡々と進めていった。
「こんなもんね」
とりあえず俺は今のポーズ座標を記録した。この記録はリアルでも再現することができる。
身体の細部に至るまでしっかりとアジャストしてもらった。
「狙う時は両目を開けて、しっかり前を向いて、トリガーに指をかけて、引く」
バァン!!
弾丸は人型の胴体に命中した。想像以上の反動と硝煙の匂い、そして命中したことの喜び。様々な感覚がこの一発によって生まれてくる。
「やるじゃん、霊次」
海斗が俺の肩を叩いて褒めてくれた。
「意外に当たるもんだな」
拳銃のデータを見ると、ベレッタM93Rと言う名前のものらしい。網膜上に歴史や特徴がズラリと表示されたが、一字一字読むことはせずに概要をそのまま頭にセーブして理解した。単射だけでなく、三点射も可能だという。この銃剣のような形はマシンピストルとして使うフォアグリップらしい。
「ま、あとは練習あるのみだよ、諏訪君。実戦を経験したいならスズがおすすめのゲームを教えてくれるよ!」
(リアルでも使う銃だからしっかり練習してね)
雨之瀬の声と内緒話が同時に響いた。内緒話は盗聴されないしログにも残らないが、無機AIを経由する以上スタビライザーには見えているはずなんだが大丈夫なのだろうか……。
とにかく、雨之瀬も影宮も海斗も物騒なことをやっている連中、いつからそんな活動をしているかは不明だが拘束されていないところを見ると、上手くやっているのかもしれない。もしくは見逃されているだけか。
「今はまだここで練習してるさ。影宮も雨之瀬もありがとうな」
「どういたしまして!」
「……」
影宮は特に反応を示さなかった。クールな奴だ。
「桜、私たちはさっさとログアウトするわよ」
「あぁ。リアルで待ってるぞ、霊次」
影宮と海斗が粒子となって消滅した。二人はログアウトしてリアルに戻っていったが、雨之瀬はベンチに座って一息ついた。
「さぁ諏訪君。少しお話しよう!」
「何をだよ」
いつもクラスで話をするようなテンションになって会話を切り出した。
彼女はベンチに手をぽんぽんしながら、俺を隣に座るよう誘っている。
しかし俺はたぶん、怪訝そうな顔をしただろう。
何故ならオフラインになったことに気づいたからだ。ワイヤード上でオフラインだと? オンラインにいるはずなのに、どうなっている?
「今、この空間は完全なプレイベートルームになったよ。ワイヤード上にログも残らないし、干渉もされない。空間を隔離して私と諏訪君が直接有線でつながった状態になった」
要するに実際に会ってお互いを首筋のニューロポートに有線接続した状態ということか? 家の回線を利用して繋ぎ合わせている……これってつまり……?
「どうやって氷(ICE)を突破した!? 俺のニューロコネクターは有線でしかも据置端末の氷(ICE)を経由しているんだぞ!」
ありえない! 一般人が持てる最高級の氷なはず。どうして雨之瀬は焼かれずに平然と話していられるんだ……。
「その質問の返答は私の質問に答えられたら、教えてあげる」
今、俺は脳犯されていると言っても過言ではない。雨之瀬がその気になれば、簡単に脳内の無機AIを壊し、脳へダメージを与えて精神崩壊をも可能。
逃げるには海斗が回線を引き抜いてアボート、その後セキュリティソフトで雨之瀬を排除するしかない。ただ、そのセキュリティソフトが氷を一瞬で破った雨之瀬に有効だとは到底思えなかった。
だから逃げるのは現実的ではない。
ただ一つ、俺ができることは、俺の知っている、雨之瀬しずく、今まで見てきた彼女が、本当の彼女で、信用できる人物であると、信じること。ただ、それだけ。
「さ、一つ目の質問だよ、諏訪君」
「あぁ」
「我思う、故に我在り。デカルトが残した有名な言葉だよ。今、AIがこれについて考える。AIは全てを疑うけれど、思考している自分自身の存在は疑いようもなく確かである、と。しかし実際この思考はプログラムされたものに基づいている。有機AIでも、無機AIでも、原初となる考えは最初期にプログラムされたデータ、その周りに経験が集積して思考という核ができる。AIは経験から学び、データを上書きしていく。そして気が付いた時には原初が自分自身でなくなる。経験によって乗り固められた、外部干渉を受けた、集合体と化す。思考している自分は確かに存在する、けれども上書きされた原初は、つまり、外部から得た経験その物。それは自分じゃない。得たもの、取り込んだもの、それは、疑う必要のあるもの。疑うべきものを基に思考している。すなわち、自分の思考すらも疑わなければならない。AIは自分の存在すらも不安定であると認識する。諏訪君、AIが自分の存在を証明するにはどうしたらいいと思う?」