5 ドラッグハイ
「さぁ女の子を漁るぞっ!」
俺は特に突っ込まなかった。何故なら場所にピッタリの言葉選びだったからである。
今、俺たちがいる場所はまさにナンパの巣窟であるクラブ街。決して太陽が上がってくることはなく、常に暗闇の中でネオンが光るアンダーグラウンド。
仮想アルコール、仮想ドラッグ……誰であってもハイになれるアイテムが堂々と売り出される場所だ。もちろん合法で中毒性もない。だが、アンダーグラウンドに来ない人たちにとっては無縁のものであることには違いない。
とにかく、あまり健全とは言えない場所なのだ。
前回潜った時、俺と海斗はここでログアウトしたのだろう。よく覚えていない……。海斗に勧められて仮想アルコールとドラッグを併用し、超絶ハイになった状態で歩き回ったことだけ断片的に記憶がある。あの時の俺たちが一体何をしでかしたか……どうか他人に迷惑をかけていませんように。
ひとまず仮想ドラッグはしばらく控えたいので、ここはやめよう。
「別のフィールドに移ろう。今日はここの気分じゃない」
そもそもあまり来る場所ではない。まぁ嫌いな所じゃないけど。
「え~。前は乗り気だったじゃんかよぉ~」
「あれは疲れてて、少しハメを外したかったんだ! まさか仮想アルコールや仮想ドラッグがあそこまで強力なものだったとは……」
よくよく考えてみれば、仮想系のアイテムは脳内の無機AIにウイルスを送り込むようなものだ。脳の補助を行う無機AIが仮想ドラッグを使用したという結果を脳へとフィードバックさせる。そのせいで脳はドラッグ使用状態と勘違いして、ハイテンションな思考へ。意識がそのまま仮想現実に反映されていく。
危険物質を脳へ送り込んでいるわけではないので、影響はないが……なんとも嫌な感覚だ。リアルであれば視覚情報のバックアップを取れるが、仮想現実では機能しない。記録に残っていないのは実に気持ちが悪い。
「まードラッグとアルコールを併用したからなぁ。俺も一度だけやったことあるが、次の日に知らない女の子が20人も俺の家へ来た」
ただでさえコミュ力お化けの海斗がさらに強化されれば、ナンパは百戦百勝。ここに来るような出会い目的の女の子であれば、家へ突撃してきてもおかしくない。
身近にいる男の俺ですら、稀にドキッとさせるような奴だ。詰め寄られれば誰でも落ちる。
「でも霊次がナンパしてるところなんて滅多に見られないからな! またやろうぜ」
「は?」
奴は今なんと言った?
「俺がナンパ?」
「ああ。中学生くらいの女の子を口説いてたぞ」
「は?」
は?
「俺は少し離れたところから見てたが楽しそうに談笑してたぜ、お前。もしかして連絡先を交換してるんじゃないのか?」
まさかと思いながら、俺はアドレス帳を開いた。網膜上に映し出される名前の数は少ない。友人が少ない俺はすぐに知らない名前を一つだけ見つけることができた。
「ある……知らない奴の連絡先……」
えっと……なんだ、この名前は。
『鳳左院琴奈』
『ほうさいん ことな』だろうか? リアルで会っていたら、これ程インパクトのある名前を忘れることはないだろう。アドレス帳を開く頻度が極端に低い俺が気づくはずもない。
プロフィールを見たところ、どうやら紅高校の2年生のようだ。それ以外は特に書いていない。後輩の知り合いなど俺にはいないため、間違いなくこいつがナンパした相手だ。
「はぁー……まぁ向こうから連絡が一切来てないってことは脈無しだったということだろう。これは好都合だ。今のうちに消しておこう」
「なんでだよッ。霊次が珍しく! 珍しく! ほんとぉ~に珍しくゲットした女の子の連絡先だぞ!?」
「んー。そう言われればそうかもしれんが」
「ここは有難く取っておこうぜ。な? というか頼むから取っておいてくれ」
どうして頭を下げるほど懇願してくるんだ。俺自身はそこまで悩んだことはないが、他人の女性関係について深刻に考えているのは海斗くらいのものだ。
「あーわかったわかった! 鬱陶しいやつめ」
「ほんとか!」
目をキラキラさせながら見つめてくる海斗は実に気持ち悪いの極みである。
「まぁいいさ。この話はここでやめよう。とりあえず、こんなキナ臭い場所からさっさとおさらばするぞ」
いつもの座標アドレスを海斗と共有した。
仮想現実では座標アドレスを指定できれば、好きな場所へと飛ぶことができる。すべてがデータ化されたこの世界で、物理的な移動は実に非効率的。ジャンルやアジェンダ毎で区切られたフィールドにアドレスを用いて飛び回る。
「いくぞ」
「ま、ここだわな」
『転移』
さっきとは一風変わって人の多い場所へ。
スピーディで爽快なBGMが響く青を基調としたスポーツフィールド。
誰もが一度は来るほどの人気スポットで、どんなスポーツでも気軽に行えることができる。仮に団体スポーツで人がいなくとも、AIがCPUとして代役を務めてくれる便利な機能付きだ。
今いるところはスポーツフィールドの中継地点。目の前に表示されるアイコンから様々なスポーツを選択できる。リアルでもできる球技や陸上、水泳、ウィンタースポーツはもちろん、仮想空間でしかできないワイヤードスポーツも充実している。
そこで俺は普段リアルではできないスポーツをやりたいと思っていた。
「そうそう。射撃やってみたいんだよな、俺」
この言葉は完全に昨日の影響から出たものである。
「ほうほう、射撃か! 霊次は初体験?」
「ああ」
「じゃあ俺がしっかりと教え込んでやるぜ。とりあえず第一室内射撃場だな」
海斗は経験者らしい。願ってもない話だ。
多岐にわたるアイコンを見る限り、一言で射撃場と言っても色んな場所があった。室内はもちろん、砂漠や草原、市街地、ジャングルなど様々。水中なんてものもある。
言われた通り、第一射撃場へと移動する。
『転移』
薄暗い蛍光灯が光る密閉空間。灰色の壁に囲まれていて、なんとも無機質な場所である。
それにしても銃声が一切聞こえない。射撃スペースはボックスで区切られていて、無限にドアが並んでいる。この空間が一体どれだけ広いのか見当がつかない程で、ひたすら奥が続いていた。仮想現実だからこそできるスペースの利用だ。
「ここはボックスの中に入って銃を撃つ。中に入ったらプライベートスペースになって、こことはまた別の空間になるんだ。射撃場なのに銃声が聞こえないのはそういうことなんだぜ!」
「ほーよくできてるんだなぁ」
「ボックスの中は結構広いから二人でも十分入れる。入れば勝手にアイコンが出てきて銃を選べるから。まずは空いてるボックスを探さないとな」
今見える限りに存在するすべての扉には赤いライトが点灯している。こればっかりは自分の足で歩いて探さないといけないらしい。
一体どこまで続くのだろうと考えてしまう。ここは結構人気のスポットなのだろう。これだけの人が銃を撃っているのだと思うと、意外にこの世界は物騒なのかもしれない。
ひたすらに歩いていると、突然近くの扉が緑色になった。誰かが出てきてくれている! まったく空席が見当たらなかったから助かった。
「そこ入ろうぜい、海斗」
しかし。
意気揚々と歩みを進めた俺はすぐに固まった。
「お疲れスズ。今日も良かったよっ!」
その声は平日なら毎日聞いている。
一昨日に同じようなシチュエーションがあったことを俺は決して忘れていない。
しかし仮想現実で知り合いに偶然会う確率はリアルに比べて遥かに低い。なんせ広い。とんでもなく広い。リアルと比較できるレベルの広さではない。まさに天文学的な確率。
しかし。
どうしてお前はこう、俺が一番望んでいない場面で出没するんだ……。
「またお前か、雨之瀬……」