3 無頓着な愚か者
それにしても。
「影宮。反AI思想を持っているのに、この言葉を信じるのか?」
彼女は俺を睨まなかった。相変わらず腕は組んでいて無意識の拒絶を示されてはいたが、さっきよりはマシだ。どんな時代でも握手は通用するのだと実感する。
一応仲間になったわけなのだから、せめて友人くらいにはなりたいものだ。
「スタビライザーはAIの頂点。言葉を信じるとかじゃなくて、私はAIを信じていないからこそ、すべてを管理するスタビライザーが何者で何を考えているのか。それを知りたい」
「何者で何を考えているか、ねえ。スタビライザーに会えたとして、そんなこと聞いて答えてくれるとでも?」
「向こうから一方的に投げかけて置いて、答えてくれないのは不平等じゃない?」
「まるで人間と話すようだな」
微笑を浮かべて「そうかもしれないわね」と言った。影宮がどれ程の反AI主義者なのかは知らないが、彼女の反応からして、このAI社会を完全に破壊しようとは思っていないようだ。自分たちが平和な生活を送れていることは、影宮自身重々承知ということだろう。
そこに補足をするように雨之瀬が口を挟む。
「私たちSKYの目的はあくまでスタビライザーとの対話なんだよ、諏訪君。AIと人間、その立場をはっきりさせたい」
AIと人間の立場……。影宮が言っていた管理する側と管理される側という話だろう。今まで意識したこともない些細な話だ。実際俺にとってそれは不利益になるのか、と聞かれると「わからない」か「どうでもいい」というYES、NOを答えるのにも値しないような考え。
「そんなこと気にしたこともないな」
何故雨之瀬が俺に声をかけたのか、まるでわからなかった。俺がそういう奴じゃないってことは知っているだろうに。
「悪いがこの組織に入ってまで、成し遂げたいとは思わんな。そんなリスクを冒すほど、執念もなければ度胸もない」
捕まったら“底”に送られる。それだけは御免蒙りたいね。
「入る気はない?」
「ここまで聞いておいて何だが、すまんな。このことは黙って……」
影宮がすでに拳銃を構えていた。さっき握手した時は持っていなかったのに、どこから取り出したんだ。射撃に関しては戦争ゲームをやっていたという仮想現実での経験からか、相当の凄腕なのだろう。
これじゃ帰してはくれるはずもない。
「待ってスズ」
ちょうど射線を切るように雨之瀬は俺と影宮の間に割り込んできた。
同時に影宮が拳銃を下ろしたのが見えた。雨之瀬への信頼、いや雨之瀬が俺を信頼してくれているからだろう。
「諏訪君は本当にこのままでいいの?」
雨之瀬は俺の目の前に立ち、真っすぐを見据えていた。雨之瀬の左目は俺の右目だけを見て、雨之瀬の右目は俺の左目だけを見ている。
「どうしてそこまで拘る。俺がどんな人間か知っているだろ」
「私の知ってる諏訪君はもっと考える人だよ」
「過大評価しすぎだ」
「AIと人間について考えたことはあるよね?」
「どうだったかな」
「この社会って変じゃない?」
「さぁな」
「人間がAIに教育されるのは?」
「当たり前のことだ」
「AIは人間か管理するものじゃないの?」
「かもな」
「じゃあ管理されている人間っておかしいと思わない?」
「……」
俺は答えなかった。雨之瀬の質問は誘導尋問のようで、頭の中で鍵が一つ一つ開けられていくような感覚になっていた。鍵が開けられるたびに、自覚したくない何かを無理矢理引き出されそうになる。
「本当に入らない?」
右に目を逸らした。
鍵がすべて開けられなかったせいか、妙に何か引っかかっている。
「私の目を見て答えて」
突然、雨之瀬は俺の手を掴み、至近距離で目を向かい合わせた。
普段見ている雨之瀬からは想像できないほどの気迫。男には決してない女性独特の胆力が俺を圧倒し、目を背けることはできなかった。
しかし気圧されたことで、俺は少し冷静に考える時間を得た。
……俺が持っている唯一の紙の本に、似たような話があったような気がした。情報統制がされているSFの小説。まるで俺はその話に出てくる一般市民のような考え方をしている。彼らは知ることも考えることもせず、ただのうのう暮らしていた。
馬鹿な奴らだと読んでいる時に俺は思った。人間の尊厳すらも忘れ、無駄に生きているだけの存在だと感じた。
……。
いや、あれはSFのフィクションじゃないか。たまたま金を持ち余してたから、たまたま紙の本を買って、たまたまそれがSF小説で、たまたまそういう社会を描いてただけで、たまたま……。
……。
愚か者。
「一つ、聞いていいか」
「なに?」
雨之瀬はただただ俺の目だけを見て、少し口を動かした。
「人間はおかしいと思うか」
「おかしいよ」
即答だった。
俺の知っている雨之瀬しずくという人間はこんな人物だっただろうか。
同じクラスで、近くの席で、他愛のない世間話をして、どことなく頼りなくて、大人しい女子。一緒に遊ぶほど仲良くはないが、話をしないほど仲悪くもない友人。
社会について語ることもなかったし、人間がどうとか、教育がどうとか、そんな深い話をする間柄ではない。
「……俺は薄情な奴だぞ」
「知ってる!」
眩しい笑顔だった。悪意のない、純粋なそれを持つ彼女が自分以上に人間らしく感じた。
「入るよ」
人間という存在。
それがわからなくなっていた。俺にとっての人間観が今の雨之瀬を見ていると少しずつ崩壊していく。人間はここまで純粋な表情ができるのだろうか。少なくとも俺は初めて見たはずだ。
AIに管理され、教育され、AIが描いた人間こそが今の俺たちなのではないか? 人間にすらわからない人間像をスタビライザーが理解し、作り上げること。果たして完成したそれは本物なのか?
俺たちは本当に人間なのか?
「改めて歓迎するよ! ようこそ、SKYへ。諏訪霊次くん!」
俺は俺が人間であることを確かめるために、スタビライザーに会う。