1 管理するモノ、されるモノ
「動かないで」
俺は目を丸くした。
理由は二つある。
まず一つはラブレターの相手が美人でスタイル抜群の黒髪女子だったから。女子の割に身長が高く、出るところが出ている。そして何より足の長さを活かしたニーソックスが眩しい。まさに目に毒であり、丸くもなる。
しかし俺と面識はない。これだけは間違いなく言える。
「諏訪霊次、あなたには二つの選択肢がある。生きるか死ぬか。」
最初、場所を間違えたのかと思った。だけれども、彼女は俺の名前を一字一句間違えずに言ってしまった。なので相手はこいつで合っている。
以上が彼女自身に関する一つ目の理由。
そして二つ目。
彼女は俺に拳銃を突き付けていた。
「何の用だ」
俺は悟るのが遅すぎた。どう考えても、あれがラブレターでないことは思春期中学生だってすぐに気づく。だというのに俺は彼女のビジュアルただ一点を希望に、無意味な希望を持ってしまった。
頭を冷やせ。今はそんな煩悩にリソースを割いている場合ではない。
「おかしいと思わない? 人間がAIを管理していたのに、いつの間にかAIが人間を管理するようになってるってことを。人間が極限まで楽を求めた結果、生まれたものは餌を与えられるだけの家畜。知ってた? 人間は教育すらもやめようとしていたことを。今こうやって私たちが学校に行けてるのは、AIが人間に教育は残せと進言したからそうよ。人間は最低限の尊厳すらも忘れかけ、AIに助けられる……人間はAIに絶対的信頼を置き、もう何百年も疑いを抱いていない」
「そりゃ何百年も安定してるからだろ。それに管理AIを管理しているのは人間のはずだ」
「それはあくまで形だけ。管理している側の人間だからこそ、自分が管理されていることに気づいていない」
今のところ俺の中での彼女は『陰謀論を唱える頭のおかしい奴』でしかない。
「まるで何でも知っているような口調だな。根拠はなんだ」
「すべて、スタビライザーの言葉」
「なに?」
この社会を管理する巨大AI、スタビライザー。ジオフロントの最上階、最も地上に近い場所に設置してあると言われている。このジオフロントから出るためには最低でも高校を卒業していなければならないため、スタビライザーを見ることすらできない。
やはりそうか。無駄な時間だった。
「スタビライザーは言った。最もおかしいものは人間である。何故我々を信じるのかって……ね」
「……妄言だな」
俺は振り返って、屋上から立ち去ろうとした。普段鍵がかかっていて入ることができない屋上に珍しくやってきたというのに、変な美少女に絡まれただけだった。
そもそも拳銃って。確かにガスガンで撃たれたら相当痛いけど、いち早くここから立ち去った方が有益であろう。
スパッ!
俺の足元に撃ち込まれたそれは、床に食い込んでいた。弾丸はバイオプラスチック性のエコを意識したようなものではなく、金属で、火薬の匂いがして、硬い床タイルを割っていた。
以上のことからわかるのはたった一つ。
それが本物の拳銃であること。
「骨董品とはいえ、サイレンサーがあるおかげで大分音が抑えられる。次はあなたの太ももを狙う」
ありえない。
拳銃、見たところ20世紀から21世紀にかけて作られたような古臭いものだった。火薬を使っている銃は当の昔になくなったし、何よりこのジオフロントに存在するはずがない。
彼女が何者で、何が目的なのか。まるでわからない。
俺は両手を挙げて再び彼女の方向へと身体を返した。
「まだ要件を聞いていない。お前は俺にそんな妄言を聞かせるだけ聞かせて、殺しに来たのか?」
「そうね。肝心なことを忘れてたわ」
逃げることは可能か? いや難しいだろう。明らかに素人ではないことは確か。それに頭を撃ち抜かずに太ももを撃つという言葉。何とも厭らしい。太い血管があるんだ、失血死する。
ここは大人しく会話を弾ませて真意を聞くしか……。
「今からあなたは私たちの組織に入りなさい。でなければ口封じのために撃つ」
組織。彼女の言動からして、恐らくは反AI勢力。しかしそういった愚か者の集まりは都市伝説とされていた。不自由なく暮らしているのだから、そんな反逆を起こす必要などない。そう、誰もが思っている。
「何故俺を……。銃なんて撃ったこともないし、反AI思想もない」
「推薦」
「あ?」
「組織にあなたの知り合いがいて、あなたを推薦したの」
いったい誰だ。俺の交友関係にそんな奴はいない。頭のおかしい奴と関わりなんて誰が好き好んでするのだろう。いやしない。俺は愚か者ではないから。
「そいつに会わせろ。話はそれからだ」
「それは許されないわ。あなたが入らない限りはね。無論、拒否権はないに等しいけど、一応聞くだけ聞いているのよ」
一度頷いてしまえば抜けることはできない。しかし頷かなければ死ぬ。
俺の人生は好きなことをして、適当に人並に生きて、死ぬときになったら死ぬ。そんな人生を思い浮かべていた。
芥川龍之介が言っていた。『人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。しかし重大に扱わなければ危険である』と。俺は交友関係という人生の初歩的なもので失敗し、おかげで変な連中に目を付けられてしまっている。友達は選べというがまさにその通りということか。
……もう仕方ない。
「入る」
「ありがとう」
拳銃をおろしてくれた。たった三音の言葉を発しただけで俺の命は救われたのである。ただし、入る気はなかったので俺はすぐ逃げようと思った。
しかし口約束をしただけで拳銃をおろすだろうか普通。俺は今か今かと逃げる隙を伺っていたけれど、これなら逃げられても当然、いや逃げてくださいと言っているようなもの。
恐らく逃げた先にあるものは、保険。
「……逃げないのね?」
「罠に飛び込む真似はしない」
「あちゃーやっぱりバレてるじゃん!」
突然屋上の出口から声が聞こえた。その声は何となく聞いたことがある気がした。
どことなく幼さが感じられる、透き通った声。
俺は毎朝聞いている。彼女に挨拶をして、必ず席に着く。座席は俺の前。教室右後ろ側。いつも髪を両結びにしていて、身長が低く中学生に間違われるような奴。成績優秀でスポーツも得意でこれと言った欠点が見当たらない女子高生。
そして気さくに話かけてくる数少ない友人の一人。
「雨之瀬……」
雨之瀬しずく。
「ようこそ、『SKY』へ。諏訪君、歓迎するよ!」
無い胸を突き出して仁王立ちする、雨之瀬の姿があった。