第一週 ~挨拶は大事と習ったので~
「うむ、空中浮遊も楽ではないな」
歪みの空間から出ると、この星の重力によって下へと引っ張られた勇者。
見事に華麗な空中一回転を決めると、そのまま勇者は軽く音を立てて異世界へと着地する。
変に固まった肩を軽く回すと、勇者は背筋を伸ばして身なりを整えた。
大きく息を吸い込むと、じりじりと照り付く太陽の光で思わず勇者は目を瞑ってしまう。
「あっ、勇者様だ~! おはよ〜!」
もう少しだけ固まった身体をほぐそうとしていた勇者。
そんな勇者の後ろから、登校してくる女子数人が笑顔を向けて通り過ぎて行く。
「ああ、おはよう」
この世界特有の、制服という名のひらひらしたスカートから見える若々しい素足。
それを視界に入れつつ平常心を保てた勇者も、爽やかにこの国の挨拶言葉を操って、丁寧に返事を返してみる。
「やった~! 勇者様に挨拶して貰えた~!」
なんて、嬉しそうにしながら手を振って先を歩いて行く女子達。
その女子達を皮きりに、続々と後ろから追い越していく異世界人達に「おはよー!」と、声の嵐を受ける勇者。
勇者はその一人一人へきちんと敬意を払う為、立ち止まっては挨拶を返してからまた歩き始める。
「そっかー! 挨拶は大事だもんな! 勇者は本当に、律儀だなー」
そんな勇者を見て、後ろから声を掛けてきた同じ制服を着ている一人の男。
「おはよう勇者! 今日も元気そうだな!」
声に反応してサッと振り向いた勇者の俊敏さを笑いながら称え、男は隣に並ぶ。
「ああケンタ、おはよう。今朝も登校前の稽古をしてきたからな」
一方、声の主がクラスメイトの健太だと分かると、すぐに元通りとなって再び歩き出し、当たり前のように話した勇者。
そんな勇者へ、健太もずいぶんと慣れたような態度で「そっかー。勇者は朝から、大変なんだな!」と受け流す。
「どうでもいいけどあんた達~、このままだと走らないと遅刻するわよ」
会話をしながらゆったりと登校していく勇者と健太の二人。
そこに突如後ろから話し掛けながら、あっという間に抜き去っていった一人のスーツ姿の女性。
「あっ、せりな先生。おはようございまーす」
颯爽と走っていく女性の背中に、健太が挨拶を投げかけた。
勇者も健太を見習って、その女性へ向かってシャキッと挨拶を投げかけていると「……んっ? 遅刻?」と健太が固まった。
「私のクラスから、今月一人でも遅刻者が出たら、タ〜ダじゃおかないわよ~!」
そう声を上げながら、校門の中へと消えていったせりな先生。
その姿を見送りながら、勇者は何気なく校舎に大きく掲げてある時計を見ると、長い針は間もなく数字の『6』を指そうとしていた。
「やっべ! このままじゃ完全に遅刻だ! 走るぞ勇者!」
一方、携帯と呼ばれる薄い固まりで同じく時計を確認した健太が、勇者を諭して一足先に走り出す。
「ぬっ? すまないケンタッ遅刻……とやらになると、どうなってしまうのだ?」
そんな健太へ、何を慌てているのかがさっぱり分かっていない様子の勇者は、一瞬で健太に追い付き隣を並走しながら問い掛ける。
そのあまりの速さに、一瞬ぎょっとした健太。
「ぇえっと! 遅刻すると、先生によっては説教を食らったり! 常習犯だと罰としてトイレ掃除とかさせられたりっ、あーもう! とにかく色々めんどくせーんだ!」
まだこの世界へ来るようになってから日が浅い勇者の為、健太は走りながらも、頑張って説明をしてくれる。
しかし、健太自身も慌てているからか、呼吸が少しばかり荒くなっている健太の様子。
それを受けて、勇者は「遅刻」と言うものが、この国では良くないものであると認識した。
「うむ、そうか。要するに、急いで教室に行かないといけないのだな」
依然隣で一緒に走っている健太へ、最終確認を取る勇者。
「ああ、そうだよ! だからこのまま、教室までダッシュでって、ええええーーっ!?」
健太の言葉を最後まで聞かず、確認を取った勇者はその言葉を信じて踏み込むと、勢いを付けて飛び上がり、器用に校舎の壁の凹凸を使って駆け上がる。
そのままあっと言う間に、勇者達の教室がある階の窓の中へと入っていった勇者。
口をあんぐりして走る事を辞めてしまった健太へ、振り返った勇者が格好良く声を掛ける。
「さあ、ケンタ! 君も早く来い、遅刻してしまうぞ」
爽やかな笑顔を向けて健太へ手を差し伸べる勇者。
「……いやいやいやいや! それは無理でしょおおおおーーーーっ!」
そう叫んだ健太の声の後ろで、時を知らせる鐘のチャイムが、空しくも大きく鳴り響いていた。
・・・・・・
「あー……もう」
朝のホームルームが無事に終わって、廊下でせりな先生からこってり絞られた健太。
肩を落としながら自分の席に座った健太へ、勇者は残念そうに声を掛ける。
「すまない。まさかケンタが、運動音痴だとは思わなかったんだ」
申し訳ない気持ちで、健太へ精一杯の謝罪の言葉を投げ掛ける。
「そうじゃないんだよー、違うんだよー……」
勇者の予想外なストレート過ぎる言葉を受けて、更に落ち込まざるを得なくなった健太。
そのまま机にのめり込んでしまいそうな程、健太は身体を突っ伏してしまった。
誠意を込めて謝ったつもりが、余計に健太を落ち込ませてしまった勇者。
どう声を掛けて良いのか分からず、思わず困ってしまう。
「あははははっ! 勇者君っ、あーれは君にしか出来ないよっ! 私達には無理無理っ!」
そんな二人のやりとりを見て、笑いながら話し掛けてきた近くにいた女子の一人。
「なぬ? ……カナコよ。この国の者は皆、運動音痴なのか?」
ケラケラと笑っている加奈子と呼ばれた女子は、大真面目で質問する勇者を受けて「んーっ?」と返事をした。
「この国にはわざわざ『体育』という、運動する事を主とする授業があるくらいなのだから、てっきり皆、身体能力は高いのだと思っていたが」
自分の分析が間違えていたのかと不安になった勇者。
依然顔を上げない健太をチラリと見ながら、勇者はそう言って加奈子に確認を取ってみる。
一方、そんな勇者を楽しそうに見ていた加奈子。
案の定の反応が返ってきたからか、再びケラケラと笑いながら「いやいやっ、忍者じゃないんだからっ」と、勇者に突っ込みを入れた。
「えっとね、勇者くん」
すると、加奈子と元々話していた為に、流れで輪の中へ一緒に入ることとなった別の女子。
小柄で大人しそうな見た目から奏でた可憐な声を受けて、勇者は途端に胸が高鳴った。
「はいッ! シズハさんッ」
本人は平常心なつもりなのだろうが、明らかに声が裏返っている勇者。
加奈子の隣にいる静葉と呼ばれた女子へ身体ごと向き直ると、背筋をピンと伸ばした。
その俊敏さと迫力に、思わず静葉も反射をする。
うっかり勇者と同じように背筋をシャキッと伸ばしたことで、三度目の加奈子の笑いを誘った。
「確かにね、授業に体育はあるんだけど……。どちらかというと、スポーツとかで身体を動かして、健康な身体にするというか……」
そこまで説明を試みた静葉だったが、結局体育が何故授業であるのかが静葉自身も漠然としている。
どうやって簡潔に説明をすれば良いかが分からず、言葉を詰まらせ困ってしまった静葉。
一方、そんな静葉の様子に気が付き「シズハさん?」と勇者が声を掛けていると、教室の前方からやって来た背の高めな女子が、凛とした声を響かせて代わりに説明をしてくれた。
「確かに、私達の国では体育という授業があるけれど、それは身体を鍛える目的の訓練じゃなくて、ルールのあるスポーツや身体を動かす事を通して、心身共に健やかに育つように。また自身の身体の仕組みを知るってねらいがあっての事よ」
サラサラとなびく長くて腰まである綺麗な黒髪の女子は、勇者と静葉に対面する形で話に加わる。
「うむ。つまり……、どういう事だ」
運動=訓練と考えている勇者。
それもその筈、勇者の世界にある学校では、そもそも勉学以外の授業が無い。
魔法学にしても、実践は訓練。
もちろん自身も毎朝欠かさず行っている稽古も、訓練。
その為この国の体育という「身体を動かすことで、健やかに育つ」の説明を受けてもさっぱり理解が出来ず、難しそうな顔をしてしまった。
「まあ要するに……。体育は訓練じゃないし、私達はそこまで自分を追い込んで身体を鍛えている訳じゃないの。だからこいつも、別に運動音痴じゃないのよ。壁を登れないのも、普通の事」
そう言って、健太の方を見た黒髪の女子。
「ほら、いつまで落ち込んでいるの」
なんて、机に突っ伏してしまっている健太の背中を、勢いよく叩いた。
「ぃいってえー! 何すんだよ乙音!」
きっと顔は突っ伏してはいたが、声で乙音が近くに来ていた事は気がついていたのだろう。
突然の背中の痛みを受けて、わざとらしく勢いよく顔を上げた健太。
「なに勇者君の、桁外れな運動神経と比べているのよ。日頃の鍛え方が根本的に違うんだから、当たり前でしょう。それよりほら、一時間目は移動なんだから、早く立って」
そう言うと、無理矢理健太を立ち上がらせる乙音。
そして、途端に顔がほんのり赤くなる健太。
「分かったから、離せって!」
なんて答えた健太の背中を、乙音は教室の入り口まで押していきながら勇者へ声を掛けた。
「ほら、勇者君も行くよ」
その声を皮切りに、加奈子と静葉も移動を始める。
「慎之介も、行こう?」
五人でやりとりをしていたすぐ近く。
丁度勇者の隣の席で、静かにずっと我関せず書物を読んでいた慎之介と呼ばれた男。
そいつに向かって静葉が声を掛けると「……ああ」と返事をして、その男が立ち上がった。
「……何?」
流れるように移動の準備を終えた慎之介。
そのまま歩いて行くのかと思いきや、落ち着いた低音の声を静かに出して勇者を見る。
「「……」」
暫し流れる沈黙の時間。
勇者とさほど身長は変わらないが、それでも互いに立つと、慎之介の方が勇者よりも少しばかり背が高い。
その為なのかは分からないが、何故か本能的に慎之介は敵、と勇者は感じている。
じっと見据えて静葉と慎之介のやりとりを観察していた勇者は、慎之介からスッと視線を外す。
「……なんでもない」
冷静を装ってそう言葉を落とすのが精一杯だった勇者は、そのまま慎之介の横を通り過ぎると、教室から出ていく。
何も知らずに勇者が出てくるのを廊下で待ってくれていた健太と合流すると、勇者は移動先の教室へと向かって歩き出した。
「さっ! 気を取り直して、今日も頑張るかー!」
一方の健太も、きっと乙音に何か喝を入れられたのだろう。
すっかり元気になった健太へ、勇者もしっかり同意する。
「うむ、今日も頑張ろう!」
そして、続け様に健太へ声を掛けた勇者。
「そうだケンタ。次からきちんと遅刻しそうな時は、しっかり君を担いでから駆け上るからな。だからそのまま、出来なくても大丈夫だぞ」
やはり勇者は、健太の落ち込んでいる意味が分かっていなかった。
「あー! だから、そうじゃないんだってー……」
なんて言葉を口にしながら、健太は笑って、ガックシと肩を落としてしまった。
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