08 守るためにしたことは【補足編】
「なにか言った?」
振り返った花凛は、いつもと変わらない無邪気な表情だった。
結構デカい声で話していたけど、聞こえてなかったのか……?
いや、それならそれでいいのだ。
俺は首を振る。犯人はお前だ、なんて、幼馴染に言う台詞じゃない。
「――なんてね。ちゃんと聞こえてたよ」
「花凛……」
「わかっちゃったんだね。私がやったこと」
どこか寂しげに告白した花凛。
絆は信じられないというように目を見開いた。
「嘘だろ?」
俺も驚いた。
適当に適当な推理を重ねただけだったのに、それが当たっていたなんて。
「そうか……花凛が西木幌に帰ってきたのは一年ぶりだもんな。樫葉会長のこと、知らなくて当然か」
「樫葉さんっていうか、町内会長が変わったこと自体知らなかった。でも、町内会長を泥棒と間違えるなんて……ひどすぎるよね、私」
絆の呟きに、掠れた声で花凛が返した。
つい一時間程前のことを回想する。
雪に埋もれた石段を上がっていたときのことだ。絆が滑り落ちたせいで、俺と奴は、石段を登り直すハメになった。その間も、花凛はひとり先にずんずんと登っていた。
おそらく想像していたよりもずっと早く、花凛は境内に着いていたんじゃなかろうか。
そして――
「賽銭箱の前に誰かがしゃがんでいて……鍵を壊そうとしているように見えたの。途端に、カッときちゃって……」
薄桃色の着物生地をぎゅっと握る。
「気が付いたら、大きい男が血を流して倒れてた。私、すごく怖くなって……これは夢なんじゃないか、って思った。でも、夢なんかじゃなくて現実で……」
倒れている会長を発見したとき驚いていたのは、まったくの演技ではなかったのだろう。
「だけど、目が覚めた会長は何も覚えてなくて。私がやりました、って謝らなきゃと思ってたんだけど、なかなか言い出せなくて……ごめんなさい」
「本当のことを言えなかったのは、他に理由があるんじゃないのか?」
静かに尋ねると、花凛は、はっとしたように目を見張った後、気まずそうに目を伏せた。
「――そういえば、凶器は?」
とがった顎に手を当てて、絆が疑問を挟んでくる。自由なヤツだ。
「だって、花凛は何も持ってなかっただろ。凶器になるようなものなんて、現場には無かったし」
「あっただろ。『石』が」
「狛犬様の頭か!」
倒れた会長の頭の下に置かれていた石――狛犬像の欠けた頭部――のことである。
「狛犬様で会長を殴ったっていうのか? いや、違うな」
喋りながら、絆は自分の考えを否定する。
「なぜなら、あれは偽装されていた」
なかなかに冴えてきた推理小説マニアに、そうだ、と頷いてやる。
「会長自身が狛犬様の頭をあの場所に置いたということは考えづらいし、実際に石が凶器として使われていたなら、被害者の頭の下に置く意味がわからない。
石が置かれていた理由はひとつ――会長が頭を打ったのは『石のせいだ』と錯覚させるため。つまり、事故に見せかけるための偽装だ」
結果的に、会長のコブが後頭部でなく頭頂部にあったことから、事故ではないということが判明したわけだが。俺はわざとらしく咳ばらいをする。
「――最初から妙だなと思っていたことがある。現場には、絶対になくてはならないものが無かったんだ」
ちらと花凛を見ると、まだ赤い唇を結んだままでいる。
「無くてはならないもの?」
「会長は、除雪作業をしていたところを襲われたんだぞ。除雪に必要不可欠なものがあるだろう」
絆が微かな呻きを漏らした。
「あ! スノーショベルか」
雪かき用スコップ、ともいう。
あの場には、スノーショベルもスノーダンプも存在しなかった。不可思議な状況と言わざるを得ない。
「でも、会長は参拝しようとしていたんだろ? そのとき、スノーショベルをいったん社務所に仕舞ったんじゃないかな?」
「会長は『除雪の途中、参拝しようと思いついた』と言っていた。作業途中にわざわざ道具を仕舞う必要はないだろ。それに、社務所には鍵がかかっていたんだぞ」
額のケガを応急処置するため、会長と門脇さんは社務所に入った。そのとき、会長は懐から鍵を出して、扉を開けていた。社務所の鍵は閉じられていたのだ。
「貴重品じゃあるまいし、鍵までかけて仕舞い込むっていうのは、不自然にも程がある。スノーショベルは元々あの場に在ったんだろう――スノーショベルが凶器だったんだ」
花凛は溜息を吐いた後、慎重に頷く。
「そうよ」
振袖姿の娘がショベルを振りかぶって大男に襲いかかる――そんな場面を想像して鳥肌が立った。なんて非日常な光景だろう。
「凶器として使われたのに、あの場に無かったってことは……どういうことだ? 花凛がどこかに隠した……?」
「多分違うな」
今度こそ、明らかに狼狽したように花凛は肩を震わせた。
「ショベルを隠しただけじゃない、狛犬様を会長の頭の下に置いたり……。そんなことをする余裕が花凛にあったとは思えない。何故なら、花凛は間もなく俺と絆が上がってくることを知っていたから。だから、あれは他の人物の仕業だと考えなければいけない」
スノーショベルが消えていたり、狛犬様の頭部が置かれていることに一番驚いたのは、花凛自身だったんじゃなかろうか――? そして、それをやったのは……
「門脇さん、だろうな」
絆が息を吞むと同時に、脱力したように花凛がうつむいた。
「俺たちの後、境内に着いたように装っていたけど、本当は先に来ていて花凛が会長を襲うところを目撃したんだろう。そして、行動を起こした。会長を襲った人物など最初からいなかった――ということにするため」
「そうよ……」
花凛が苦しげに呻いた。
「あとは何とかしてやるから、友達のところへ戻れって――って。でも、なんで? ……なぜそんなこと?」
張りつめていたものが切れたかのように、泣き顔の花凛は踵を返し石段を駆け上がっていった。俺と絆は慌ててその後を追う。
すごい早さだ。
この運動神経の良さなら、動きにくい振袖姿でも会長を襲うことが出来ただろう。昔からそうだった。花凛は俺や絆よりも、外遊びが好きで運動が得意だったのだ。
境内には、まだ、門脇さんがいた。先刻までその場になかった黄色いスノーショベルで、除雪作業の続きをしていたのだ。
「君たち……帰ったんじゃ?」
ぎょっとした顔で、戻ってきた俺たちを見つめている。
「オジサン、どうして?」
「……」
「どうして……私なんかを守るために?」
今にも泣き出してしまいそうな花凛を見てすべて悟ったのか、門脇さんは力が抜けたように破顔した。
「決まってるだろ。それは、君がこの町の――西木幌の子だからだ」
象のような目で、まぶしそうに俺たちを見回す。
「この町は、人がどんどんいなくなって、学校もなくなって、子どもなんて数人しかいなくなってしまった。君たちは、私たちにとって……いや町にとって、大事な、貴重な存在なんだよ。
君らを守るためだったら、おれは、自分に出来ることなら何でもやる。町内会長なんて誰でも出来るからな。余所から来た人間よりも……君らのことが大事だから」
小柄な老人の迷いない言葉に、絆と花凛は圧倒されたように押し黙っている。
これを聞かされた俺たちは、いったい何を感じるべきなのだろう――?
オジサンには申し訳ないけど、少なくとも俺は、愛郷心を揺さぶられたりしなかった。
余所――か。その考えは間違ってるよ、門脇のオジサン。
俺もついさっき、道外から移住してきたという樫葉会長に対して、同じようなことを思ってしまったけど。
過疎化が進んだこの町がすべきことは、外からの人間やモノを積極的に受け入れることだ。そうしないと、この町は、本当に数年もしないうちに地図から消えてしまうだろう。
「また降ってきたか」
しわがれた呟きに、灰色の雲で覆われた空を仰ぐ。
真冬の西木幌は、放っておけば数日で雪に閉じ込められてしまう。市内で唯一、この町だけが豪雪地帯の指定を受けているのだ。
まるで、外とを遮断するような雪の降り様に、門脇さんが疲れたように溜息を吐いた。