第六章 継承 濃尾の覇権(4)
天心が沢彦、快川に連れられ部屋を去った後、一益、益氏、玉の三人は天心との別れに気を落としていた。
「行ってしまったね、天心」
力無く呟く玉に一益と益氏が心情を寄せる。
「あぁ、あとは元気で過ごすことを祈るのみだな」
「またいつか会えると良いのぉ」
これまで家族同様に生活を共にしていた天心、少し前には慶次郎との別れがあり、これで三人の子供たちが皆バラバラの道を歩むことになる。これまで苦労してきた生活が楽しかった思い出として三人の心中を巡り回る。
三人の思いは同じ部屋にいる吉法師と信秀にも以心伝心で伝わっていた。幼くして自身の道を歩み出す天心とそれを見送る家族、部屋の入口付近で勝三郎があっけらかんとした表情を見せている中で、二人はその別れの心情に共感しもらい泣きをしていた。
しかし次の瞬間、三人の様子が一変する。
「さて、では我らも行くか!」
「そうじゃな!」
「行きましょう 行きましょう!」
三人は突如楽しそうな表情に一変させると、何処かへ旅立とうとした。
「一益、何処へ行くのじゃ?」
吉法師がその心情の変化を不思議に思い訊ねると、一益と益氏は咄嗟に真剣な表情に戻し、今し方思い付いた様な表情で語った。
「吉法師様、実は我ら天心を見送った後、一度伊勢参りに行こうと決めておったのです。自分たちの道を歩み始めた慶次郎と天心の安泰祈願が目的ですが、未だ定まっていない我らの歩む道も伊勢にその起点があるのではないか、その様に思うた次第です」
「儂らの友人が伊勢に居りましてなぁ、訪ねるつもりでおったのですじゃ」
「ふ~ん」
その二人の伊勢参りの理由は何となく納得できるものであった。しかし先ほどの突然の三人の表情の変化からして何か今一つ合点がいかない。疑念を抱いた吉法師はもう一人、自分の横にいる玉の様子を窺った。すると玉の表情は先ほどから緩んだままになっている。吉法師は即座に玉の心境を察すると、伊勢参りの本当の理由を推察して問い掛けた。
「伊勢は美味しい名物が多いしなぁ?」
その問い掛けに玉はうわの空の状態で答えた。
「楽しみじゃ~、伊勢ぇ」
玉は尾張に来てから様々な人からあれこれと伊勢の名物について聞かされていた。伊勢には美味しい物がたくさん集まっている、玉はその名物に囲まれた妄想の中に入り込んでいる様であった。その玉の様子に伊勢参りの真っ当な理由を述べていた一益は話の筋通りが悪くなり苦い表情を見せた。
「全くぬしらは…」
吉法師は三人を呆れた様子で見つめた後、一つ笑みを溢した。
三人は今し方まで天心との別れに対し気を落としていたのに、もう自身の心を次の楽しみに向かわせている。苦しい生活の中で育ちながらも自由な将来を持つ三人に吉法師は改めて何か羨ましさを感じた。
一方で信秀は未だ感情移入を受けた状態でもらい泣きを続けていた。
「そうかそうか、安泰祈願に伊勢に参るか、ぬしらは家系の血縁や継承など超越した所の家族愛で結ばれておるのだのう」
信秀はその時一人の親の視点で家族としての思いを強く抱いていた。
「吉法師の所にこの様な者たちがおったとはのう」
子の行く末の安泰祈願のための伊勢参り、共感を受けた信秀は一益たちのその伊勢参りに何か大きな意味を持たせてあげたいと考えた後、一つの案を思い付いた。
「そうだ、実は二年ほど前、伊勢の神宮には遷宮にて木材や銭を寄進しておってのぉ、ぬしら儂の名代としてその後の状況を視察してきてくれぬか?」
それは尾張織田弾正忠家の名代としての伊勢訪問ということになる。この信秀の提案に一益と益氏は驚いた。その様な訪問となれば、その任は重く先方では厚遇を以て迎えられるであろう。そして帰着後も伊勢方面の担当窓口という立場となり、放浪生活からの脱却の良き機会となると考えられる。将来は伊勢からという漠然と口にした言葉がまさに現実になる様に思えた。
驚きの表情を見せる一益と益氏に信秀が話を続ける。
「吉法師との関係もあるが、天心の親としての務めの見事さ、そしてこの羽織を借りた礼もある、ぬしらは信頼できる者と見込んだ、頼むぞ」
驚きの表情を見せている二人に信秀は再度依頼の言葉を伝えた。
「一命を賭して承ります」
一益は力強くそう応えると深々と頭を下げた。益氏も一益に一歩遅れて頭を下げた。吉法師と信秀の親子から受ける大恩、それは全身全霊を以て返さなければならない。二人はそう考えていた。
この時、玉はまた新たな妄想の中にいた。
「信秀様名代での伊勢視察か~」
玉の頭の中では夢の様な伊勢での接待料理がぐるぐると舞い巡っていた。
吉法師はそんな三人を微笑ましく見ていた。
(ぬしら 良かったな…)
今回の伊勢参り成功の後は、この三人の将来の道も切り開かれていく。そう思った吉法師は部屋の入口に控えている勝三郎の方に目を向けた。
「勝三郎、祐筆の者を至急これへ」
吉法師は一益たちの身分を保障する父信秀の文を持たせるべく、勝三郎に祐筆の者を呼んでくる様に伝えた。
この吉法師の指示に勝三郎は慌てた。これまで遠縁の誼で一益らの尾張での生活の面倒を見ていた勝三郎は自分への話の関係は薄いと思い、その成り行きをぼうっと聞いていた。そのため突然の自分への指示に対して、話を聞く準備ができていなかった。
「は、はい、只今呼んでまいります」
咄嗟にそう返答した勝三郎は即座に立ち上がると、入口の戸を開けっ放しにしたまま部屋を出て行った。
「もう、しょうがない奴じゃな」
吉法師は不満を口に漏らしながら立ち上がると、自ら歩み寄ってその戸を閉め戻した。
するとその直後だった。
バキッ
ドターン!
大きな音と共に勝三郎が今閉めたばかりの戸をぶち破って飛び込んで来た。
「あいたたたた…」
苦悶の表情を浮かべる勝三郎を見て吉法師は叱り付けた。
「勝三郎、いい加減にせよ、部屋を出た後は戸を閉める、部屋に入る前は戸を開ける、面倒だと言って壊してはならぬ!」
それは勝三郎にとって思わぬ咎めであった。勝三郎は直ぐに弁解しようとしたが、その時、長棒を持った数十人の男衆が部屋の中に押し掛けて来た。
「おいこんな所にも残っておるぞ!」
「早く追い出せ!」
「おらぁ、もう時間終わりじゃ、出て行け!」
男たちは怒鳴り声を上げながら自分たちを部屋の外に追い出そうとしている。
「貴様らよさぬか、こちらの方々がどなたか分からぬのか!」
勝三郎は男衆に対して吉法師と信秀を示しながら叫んだ。しかし男たちは見た目で二人を商人だと思い込んでいる様で、強気な態度を続ける。
「これからこの城では内密の軍議を行うのじゃ、ぬしら商人どもがおっては軍議ができぬ、さっさと出て行け!」
聞く耳持たぬ様子の男たちは容赦なく部屋から全員を追い出すと、その勢いのまま本丸御殿からも追い出し、更には城からも追い出そうとしていた。
(一体何事か、もしかするとこれは謀反なのか…)
吉法師は色々な懸念を抱きながら父信秀の表情を窺った。しかし信秀は自分の身の安全を最優先にしているのか、特に反抗する様子もなく男衆の勢いのままに退いている。
「吉法師様!」
するとその時、自分を呼びながら駆け寄ってくる者が目に入った。それは別の部屋で待機していた犬千代であった。犬千代も別の男衆に待機していた部屋を追い出されていた。
「犬千代、ぬしらも追い出されたのか?」
「はい、問答無用で部屋を追い出されてしまいました、他の皆は向こうにいます」
吉法師が犬千代の示す方向に目向けると、少し離れた所で内蔵助、九右衛門、弥三郎の三人が男衆に抵抗を試み、都度逆に押し戻されているのが見える。
(あ、あれはまさか?)
するとその時吉法師は三人を追い立てている男衆の中に自分たちと同じ年頃の子供が混じっていることに気が付いた。
「のこっていたのはこれですべてか、はやくおい出してしまえ!」
その子供は高い身分を有している様な身なりで男衆に指示を出している。
「はっ、勘十郎様」
その男衆を指揮していた子供は吉法師の実弟の勘十郎であった。勘十郎は城内で信秀の子として広く認知されており、まだ幼く無役ながらも城内各所で威勢を誇っていた。
「勘十郎、儂だ、こちらは父上だぞ、分からぬのか!」
吉法師は勘十郎に向かって叫んだが、残っているのは全員商人の者と思い込んでいる勘十郎は確かめようともしない。
やがて玉を抱えた益氏がいち早く城の大手門から追い出されると、それに続いて一益、吉法師と信秀、勝三郎と犬千代らも城から追い出され、最後まで抵抗していた内蔵助、九右衛門、弥三郎の三人が摘み出されるとすぐさま城門が固く閉ざされた。
城の前では近くを通り掛っていた民衆が何事かと集まり様子を窺っていた。信秀はその民衆の中を通り大手門の前に安置された地蔵に歩み寄ると、静かに腰を下ろして手を合わせた。
その様子を見ていた吉法師は背後から声を掛けた。
「父上、なぜ彼らに抵抗しなかったのですか、父上が一言違うと声を上げれば、城を追い出されぬ様なことにはならなかったでしょう」
城主なる者が手違いで城を追われるという前代未聞の事態、それに対して無抵抗で臨む父信秀の対応に吉法師は納得できなかった。すると信秀は吉法師の方を振り向き落ち着いた様子で答えた。
「吉法師、ぬしは自身のうつけ姿を以て、人は外見で判断するのではなく内に宿る真意を以て見極めるべきと訴えておるのであろう、儂も同じく我らの城の者らがどう人を見て動くのか試しておきたかったのだ」
それを聞いて吉法師は呆れた様子を見せた。
「しかし父上、この試しは無謀じゃないか、城主が城から追い出されるというのは美濃出陣前に縁起が悪かろう」
そう問い掛ける吉法師に対して、腰を下ろした父信秀は吉法師と同じ目線の高さで笑顔を見せた。
「ははは、吉法師、ぬしも縁起など担ぐのか?」
その父の逆の問い掛けに吉法師ははっとした。確かに自分は縁起より理に適うかどうかということを優先する。しかし生死を賭ける戦を前に縁起を担ぐ者は多い。
「いえ、自分にとって縁起というものは必要な時に利用するもの、担ぐことは致しませぬ」
「ははは、吉法師らしい」
信秀はその吉法師の返答にまた笑顔を見せると、目の前の地蔵の方に目を向けた。
「吉法師、儂はこの城の大手門を良き未来に開かれた門であると思うておる。であるから城から出る時は良きことしか起こらぬ、因みにこの地蔵様がその案内者なのじゃ」
信秀はそう言いながら目の前の地蔵を紹介した。
「ははは、なるほど父上らしいお考えじゃ、では儂も肖らせてください」
そう言って吉法師も笑顔を見せると父信秀と共に目を閉じて地蔵に手を合わせた。
(父上が無事美濃より凱旋できますように…)
吉法師が祈りを終えてその目を再び信秀に向けると、信秀は真剣な表情を見せていた。
「吉法師、此度儂は将来を天下に賭けるぬしの展望を知った。そして儂のこれからの役割がぬしの展望につながる継承であることを悟った。此度の美濃での戦、良き結果を得てまいろうぞ」
父からの継承という言葉が重く感じる。そしてまた美濃への戦には不安が募るが、それこそ出陣前に不安げな表情を見せる訳にはいかない。
「父上、期待しておりますぞ」
吉法師はこれまでの様な生意気な態度で信秀に返答した。
フッ
信秀はその吉法師の返答にまた笑みを溢した。吉法師は自身の継承者でありながら何か自身への挑戦者の様でもある。幼くして自分と同じ立場を示す吉法師に何か妙な親近感が募っていた。
するとその時であった。
ギーッ
バタン
城の門が開かれると同時に、立派な髭を蓄えた大柄な男が大勢の男衆を率いて駆け寄ってくる。
「大殿ぉー、手違いがあった様で申し訳ありませぬー」
ようやく信秀と吉法師の一行を商人と間違えて城から追い出したことに気が付いた様で、大柄の男は遠くから詫びを叫びながら近寄っていた。そしてその大柄な男を見て周囲に集まっていた民衆が騒ぎ始めた。
「あ、権六だ」
「本当だ、鬼柴田さまだ」
「何、どれどれ、本当だ」
「やっぱり強そうじゃのぉ」
その大柄の男は尾張の豪の者として有名な柴田権六であった。権六は勘十郎の目付け役の任と同時に城番を取り仕切っていたが、此度その城番の男衆が商人の成りをしていた信秀を間違って城から追い出したと知り、慌てて自ら迎えに出ていた。
その権六に対し信秀は大声で怒鳴り付けた。
「権六、不調法だぞ!」
その信秀の声は殊のほか大きく覇気を伴って周囲に響き渡った。その声に圧倒された権六はまだ信秀のいる場所まで距離があるその場で、即座に跪き頭を地面に擦り付ける勢いで下げた。
「も、申し訳ありませぬー」
軍議の時刻ゆえ部外者を即刻退城させよう、そう指示したのは確かに自分であった。それがまさか大殿を部外者扱いし、城から追い出す様なことになるとは思ってもいなかった。これまで自分を引き立ててくれた大殿に対し、美濃への出陣という大事な時に何てことをしてしまったのか、自分が今やるべきことは必死になって謝る事しかない、権六はそう心得ていた。
その鬼柴田と恐れられた権六が平身低頭な姿で必死に許しを乞う様は他の男衆たちの動揺を誘った。
(実際の当事者の自分たちは柴田様以上に謝らなければならない)
自然とその様な意識が男衆たちの間で広まっていた。
「申し訳ありませぬー」
五十余名ほどの城の男衆たちは権六の背後で権六よりも更に低頭させて許しを乞うた。
それは異常な光景であった。
豪で有名な権六をはじめとする武者たちが必死に城主に許しを乞うている。前代未聞の珍事であり、その場を通る多くの民衆が立ち止まってその成り行きを見守っていた。
「あの権六殿があそこまで頭を下げられておる」
「やはり弾正忠様は別格のお人の様じゃな」
その光景は民衆に強烈な主従の印象を与えていた。
(なるほど、父上はこの事態を教訓に据え家臣の質の向上を図っておるのか…)
父は権六以下家臣に反省を促しながら、人を見る目の重要さを諭しているのだと吉法師は思った。恐らく父が城を追い出されたというこの珍事はこの後、軍勢の中で噂となって広まるであろう。そうなれば人を見る重要性は全軍の知る所となり、全軍が気を付ける様になることで軍勢の質の向上を図ることができる。吉法師はその大胆な父の意図に感心していた。
(ん、あれは?)
するとその時、吉法師は数人の女中を従えた如何にも高貴な奥方が民衆の中を通り抜けて、隣の父信秀の前に歩み寄って来るのを目にした。全身に緊張感が走る。その奥方は吉法師を一目見た後、気兼ねも無く父信秀に話し掛けた。
「一体何の騒ぎですか?」
「お、今帰りか?」
その奥方は信秀の正室であり吉法師と勘十郎の実母である土田御前であった。御前は所用で外出していた様で、ちょうど城に戻る途中の様であった。
「いや、権六の所の城番に商人と間違われて城を追い出されてな、その不調法を正していたところじゃ」
その説明を聞いた御前は冷ややかな目を信秀に向けた。
「その商人の様な羽織を煽っていたら当たり前です。権六が悪いことはないでしょう、あなたはこの城の城主なのですよ、身なりは常にしっかりなさってください」
御前は外見が第一で民衆とは一見した違いがあって然るべきと考えている。武士からぬ格好をしている自分が悪い、そう一蹴された信秀は何も言い返せなかった。さすがに御前に対して家臣と同様に人を見た目で人を判断するなとは言い難い。信秀はその場の話のバツが悪くなって羽織を脱ぐと、一益の方に向かって小声で囁きながら返した。
「すまんな、ありがとうな、伊勢への文は後ほど届けさせるから」
その様子を厳しい目付きで見つめていた土田御前は次にその目を吉法師に向けた。そして緊張感に体を硬直させる吉法師にも強く苦言を呈した。
「吉法師、あなたのその姿は何ですか、あなたはその姿でこの織田弾正忠家を継承するつもりですか、それとももう武家はやめたのですか?」
物事は見た目からという感覚に徹する母の厳しい言葉に対しては吉法師も反論する意欲は無い。
「あ、いや母上、これは何というか、戦略とでも言いましょうか…」
「早急に正しなさい!」
歯切れの悪い説明をする吉法師を他所に、土田御前は吉法師を一刀両断にして正す様に求めた。そしてその御前の怒りは更に勝三郎ら子供衆に及んだ。
「あなたたちも一体何という格好をしているのですか、あなたたちは弾正忠家嫡男の親衛隊という身分でしょう。それでは町の悪ガキの集団にしか見えないではないですか、くどくどくどくど…」
ひゃぁー
勝三郎、犬千代、内蔵助、九右衛門、弥三郎の五人は直立不動のまとめられた状態でこってりと絞られていた。その横で信秀は吉法師にそっと近付くと笑顔を見せながら囁いた。
「吉法師、母の申すのも確かに一理ある、外見だけでしか判断できぬ者もおる、人の考え方は多様だ、その様な人の世を治めるというのは骨が折れるものだのぉ」
父信秀は自分への継承を想定しているからこそ、この様な悩みを挙げて見せる。吉法師は笑みを返しながら信秀に言葉を囁き返した。
「多様な考えがあるからこそ、人は栄えることもあり滅びることもあるのでしょう」
その吉法師の返答は深いものであった。
「ふっ、ぬしにはいちいち考えさせられる」
目の前では権六が武者衆を連れて申し訳なさそうに近付いて来ていた。吉法師はそれを見て父信秀に伝えた。
「父上我らはこのまま城を出ます」
出陣への体制を進める城内に自分たちが再度戻る必要はない、権六が目の前まで来ると同時に吉法師は一益や子供衆らと共に城を離れることにした。
「父上、ご武運を!」
「おう!」
土田御前や権六らを引き連れて城内へと戻っていく父に吉法師は声を上げた。信秀は後ろ目に吉法師を見ながら拳を突き上げて返答した。
この後大軍を率いて美濃に向かう父、吉法師は父信秀の背中を見続けながらその姿を想像していた。




