第六章 継承 濃尾の覇権(3)
父信秀と一緒に本丸御殿に入った吉法師は入り口の待機部屋に犬千代、内蔵助等の子供衆を残し、天心、勝三郎、一益、益氏、玉の五人を連れて御殿の奥にある部屋へと向かった。庭園を眺めることができるその部屋には若壮年の二人の僧が待っていた。
「吉法師たちを連れてきたぞ!」
信秀が部屋の入り口で二人に声を掛けると、一人の僧が振り向き吉法師に着目して声を上げた。
「おぉ、吉法師殿、今日もうまく着飾っておりますなぁ」
そう言って笑顔を見せる僧は父信秀の旧友である沢彦宗恩であった。その言葉はうつけ姿の吉法師を茶化す様にも聞こえるが、沢彦は吉法師が生来真面目な性格の持ち主であることを良く知っており、その真意が見た目とは異なるところにあることを認識している。
沢彦は笑顔を見せながらもう一人の僧に話し掛けた。
「どうだ、快川、面白いご嫡男殿であろう、この吉法師殿はこの様な成りを世に見せておきながら、内心では今から将来の領主たる者どうあるべきかと真剣に悩んでおるのじゃぞ」
沢彦が話し掛けたもう一人の僧は快川紹喜であった。以前より快川は沢彦から面白き領主の嫡男として吉法師の話を聞いている。快川は沢彦の話を聞きながら吉法師の方をじっと見つめていた。
吉法師は沢彦の言葉に苦笑しながら近寄ると一礼して二人の前に座した。その後信秀が吉法師の隣に少し離れて座し、他の皆は吉法師から一歩下がって座した。
「何じゃ、ぬしは吉法師と同じくうつけの真似か?」
沢彦は信秀の姿を見て不思議に思いながら問い掛けた。その時信秀は吉法師と同じ様に町人の様な上掛をまとっていた。
「いや、これは少々事情があっての、あの者から借りたのじゃ」
そう言いながら指差す先で一益が会釈をしている。信秀は青山に自身の羽織を貸した後、この部屋に向かう途中、出陣を前に体調を気遣ってくれた一益から上掛を借りていた。
「ははは、領主の親子が揃って町人姿とは何か新しいな」
そう言って大笑いする沢彦に信秀も笑みを浮かべた。
「いや、この上掛を纏って思ったのだが、何か妙に気分が落ち着くのだ。重荷が抜けた様な感じだな」
「ははは、ぬしの立場と装いは普段一体物だからな、羽織にも苦労が染みついておるのだろう」
「うむ、たまにはこうして気分を変えるのが良いのかも知れぬ」
そう言って信秀と沢彦は笑顔を見せ合った。旧知の二人は冗談も感想も意見も率直に言い合える仲であった。
その時吉法師は目の前の快川に鋭い眼差しで様々な角度から見つめられていた。吉法師は先に沢彦に妙な紹介のされ方を受け、快川からは観察か検分という様な雰囲気で見られ困惑していた。
「なるほど…、この戦乱の世に面白き御嫡男殿かな」
快川は自身の検分が完了したのか、暫く吉法師を覗き込んだ後、一言そう呟いた。沢彦の様に笑顔は見せず、食い入る様にして尚も吉法師を見つめている。その時、快川は吉法師に何か不思議な印象を抱いていた。
領主の嫡男であれば自分を格式高く見せるべく相応に着飾るのが快川の知るこれまでの常であった。しかしこの吉法師は真逆で、町人の若者に流行りの武家としてはうつけ姿を晒しており、見た目で格式を下げている。もしかすると本当にうつけなのではないかと思えば、目の前で見せる表情やこれまでの沢彦宗恩の話を窺う限りそれは無さそうで、明らかに何かを意図しての行動と思われるが、その意図を窺い知ることができない。これまでたくさんの良家の子を見てきたが、この様に自分が計ることのできない子に会うのは初めてであった。思わず口にした面白きご嫡男という言葉、それは自身の経験が通じない御子ということを形容した言葉であった。
吉法師は目の前で異様な雰囲気を発している快川に緊張した面持ちで会釈し、挨拶の声を掛けた。
「お初にお目に掛かります。那古野の吉法師です」
その挨拶はその成りにも歳にも似合わぬものであった。
世間ではその外見よりうつけと評されている吉法師だが、沢彦が口にする通りその実は真面目な嫡男の様である。見た目で人を判断してはならぬとは正にこのこと、もしかしたらこの吉法師はそれを世に問うていて、自分は今この吉法師に試されているのかも知れない。そう思った時ようやく快川は吉法師に笑顔を見せた。
「初めまして、吉法師殿、貴殿のことは度々沢彦殿より聞いておった。何でも尾張の根が真面目な風雲児だというので、一度お会いしたいと思うておったところでした」
吉法師はこの快川の言葉でようやく緊張が解け、自然と笑みが零れた。
続けて沢彦が吉法師に話し掛ける。
「快川は儂と同じ美濃の出身でな、京の寺では最も信頼できる弟分なのじゃ」
そう言って沢彦もまた笑みを浮かべた。そんな沢彦に吉法師は困惑した表情を見せて言った。
「沢彦様、吉法師は世間的にうつけで良い。逆にあの吉法師のうつけは偽りだという様な風評が広がる方が困ります」
それを聞いて沢彦と快川は揃って笑った。
「ははは、吉法師殿、分かった、もし人に聞かれたらそういうことにしておこう、ははは、ぬしも何やら大変だな」
「ははは、ぬしの考えは儂にも読めぬ、吉法師殿は本当に面白い、沢彦が興味を示すのも良く分かる」
吉法師のうつけ姿にはどの様な真意があるのであろうか、自分たちにもそれを窺い知ることができない。この若さにして世に策を講じる吉法師に二人は強い興味を抱いていた。
信秀はこの時吉法師に対する二人の様子に着目していた。
(どうやら二人にも吉法師の真意は計り知れぬ様だが、良き方向で考えているようだな)
うつけ姿の真意は分からないが吉法師は将来の領主としての自覚を持って今から策を講じている様に見受けられる。信秀は吉法師と国の将来を考えて、先ずは安堵していた。
この時吉法師は困惑の表情を浮かべながら二人を見ていた。二人には自分のうつけ姿とその真意についてこれ以上話題にされたくないと思った。
「天心!」
吉法師は早々に話を逸らしたく、背後を振り向いて天心を呼んだ。すると天心は畏まりながら吉法師の隣に座り、二人に向けて深々と会釈して言った。
「お初にお目に掛かります。天心と申します。昨今吉法師様の所にお世話になっておりましたが、この後学問を学ぶべく仏門に精進してまいる所存です。どうかよろしくお願い申し上げます」
そう言って天心が再度二人に深々と会釈すると、続けて吉法師が背後の一益たちに目を向けながら彼の紹介を加えた。
「この天心はあちらに控える滝川家の者ですが、元は戦乱の中で身内を亡くした孤児で、我も縁があり一時を家族の様に過ごしてまいりました。此度この天心が京に上って仏門への道を志すと決断するに当たり、是非その門出の力になりたいと思うておりました。京での天心のことよろしくお願い申し上げます」
そう言って吉法師は深々と頭を下げた。
その下げ方には心が込められた願いであることが感じられる。背後では滝川家の面々が吉法師の言葉に感激の表情を浮かべている。領主嫡男の吉法師が一介の子の入信に頭を下げるという対応に周りの皆が驚いていた。
しかしこの時快川は何かこの吉法師の過剰とも思える行動に妙な違和感を抱いた。いくら一時を共に過ごした仲とはいえ、領主の嫡男の吉法師が自らここまで頭を下げてお願いすることであろうか、何か別の目的があるのではないか、そう勘ぐった。しかし沢彦と信秀はその様な違和感を抱くこと無く、素直に吉法師の言葉を受け入れている様に見える。
(私の穿った見方か…)
快川は吉法師に対して少し疑念を抱きながらも、天心に向けて話し掛けた。
「天心、ぬしの身柄は私が責任を持って預からしてもらう。何でも困ったことがあれば相談するが良い」
「はい、ありがとうございます」
天心は快川の言葉を聞いて再度会釈した。続けて快川が問い掛ける。
「天心、これからの修行において鍛える所の一番は心となろう、ぬしは何か将来に対しての展望を抱いておるか?」
苦しい修行の中でも、将来の展望がしっかり抱けていればそれが心の拠り所となり乗り越えることができる、そう考えての問い掛けであった。それは天心にとって少々唐突かも知れない、そうも思ってものであったが、天心からの答えは早かった。
「快川様、私は京の修行を経て、戦乱の終わりに向けた人の世に尽くして参りたいと思うております。そして平和な世となった京を訪れる吉法師様をおもてなしで迎えるというのが、吉法師様とのお約束であり私の展望になります」
天心は爽やかな面持ちでそう答えた。
戦乱の中で孤児となり自らの意思を以て仏門で将来を切り開いていこうとしている天心と、武家に生まれ自らの意思とは無関係に武家としての将来を運命付けられた吉法師、戦乱の世に生まれた二人の御子の進む道は異なるが、将来京での再会を約束している。二人が一人前となる頃に戦乱の世は終わりを告げているであろうか、それは難しきことかも知れないが、世の皆が切望していることであり、皆が強く願い続ければきっと現実となるのではないかと思う。
「うむ、良き展望じゃ、京での再会、楽しみじゃな」
そう言って快川は天心に笑顔を見せた。天心から感じる気に武家特有の尖ったものは感じられない。この子は武家の中で育つべきではなく、将来を考えてもここで仏門に身を置く方が妥当であると思った。
続けて快川は話の展開に乗せる様にして吉法師に訊ねた。
「それで吉法師殿は家督を相続された後、どの様な展望を描いておいでか?」
その問い掛けは吉法師の真意に直結するものであった。将来に向けた吉法師の度量やうつけ姿も意味においても分かり得るものとなるかも知れない。その快川の問い掛けの返答に沢彦と信秀も着目した。
吉法師はその問い掛けへの返答の仕方に悩んだ。
これまでは自身の将来の展望を敵に知られ、早期に警戒されることを避けるため、周囲にうつけ姿を晒して、その真意や展望を秘めてきた。しかし父信秀、沢彦、そしてこの快川の三人にはうつけ姿で秘することに意味がなく、逆に自身の考えを知ってもらい、意見してもらえる様にしておくことの方が重要に思える。背後に控える家臣たちも家族的な間柄の者たちのみで、敵方に漏れる恐れは低い。
吉法師は沢彦や信秀の視線をも自身に取り込む様にして答えた。
「我が展望は天下の再構築にあります」
吉法師が真剣な表情でそう答えるとその場の雰囲気が固まった。天下の再構築、それは皆にとって想定できない重い展望であった。皆の理解が追い付かない中で吉法師は話を続ける。
「今の戦乱の世は一時の平和を得てもまた直ぐに乱れてしまいます。それは今の統治の仕組みがもはや妥当ではないからという理由に他ありません。となれば平和の世のためにその仕組み自体を変える必要があると思うております」
快川は吉法師の話を聞きながら驚きの表情を見せ続けていた。
(まさか天下の大事とは…)
それは想像を遥かに超えたあまりにも大きな展望であった。
戦乱の世は当初幕府内の権力闘争から始まったが、現在は幕府を支える勢力と戦乱の中で新規に力を伸ばそうとする勢力との争いとなっている。新規勢力は従来の武家以外に地域の独自勢力、宗教・有力商人などを中心とした集団など多様化と共に無秩序化している。
吉法師にとって家督相続はその様な戦乱の世における生き残りをかけた戦いの始まりである。敵に負けて自身が討ち死にし、家が滅びるということを避けたければ、敵がいなくなるまで勝ち続けるしかなく、その後世代を超えて平和を維持しようと考えれば、その統治の仕組みから考えておかねばならない。
戦乱の世の終結と平和な世の持続、それを一言にまとめたものが再構築という言葉で表現されている。その展望は吉法師の立場を考えれば納得できるものであるが、非常に過酷なものである。
(余程の覚悟を持って臨まねばならぬ展望だ…)
そう思った時、快川は吉法師に向けて頭を下げた。
「今の世への挑戦とも思える展望、この快川感服致しました」
吉法師はこの歳にして壮大な展望と共に戦略的な内面の思考を有している。そしてそれらを今はひたすら外見で隠し、来るべき家督相続の日に備えている。快川はその吉法師の真意を垣間見た時、自分よりも小さな吉法師に自分より大きな人物像を感じていた。
その快川と吉法師のやりとりを沢彦は真剣な表情を浮かべながら見ていた。
(天下の再構築、その展望となる目標が高ければ高いほど自身に対する悩みも大きい、儂に何ができるか、吉法師の世に向けた展望、聞いてしまったからには儂も助けをせねばならぬ)
京から尾張にかけて教えの地盤を持つ沢彦は吉法師の将来への展望に対して裏方から援護すべきこと思い描いていた。一方で信秀はまた異なる思いにて真剣な表情を浮かべていた。
(そうか、那古野で行っている武器の改良と規格化、あの若武者衆の者たち、全てが吉法師の将来の展望に繋がっておるのだ、天下の再構築か、先ず家督継承が重要となるか、儂の責務も重大じゃな)
吉法師の展望においては先ず良好な形での家督継承が重要になる。もし信秀自身が何か大きく失敗すれば、吉法師の展望は実行されることなくその機会を失う。今回の美濃出兵は是非とも家督継承時の濃尾覇権に対する良き道筋としておきたい。信秀はそう思っていた。
(吉法師の展望のために!)
沢彦と信秀は吉法師が将来に掲げた展望の実現に向けて、その一端を引き受けるべく行動を起こす必要があると感じていた。
吉法師は自らが語った将来の展望で、その場が重い雰囲気となる中で、気を和ませるべく快川に笑顔を見せて言った。
「安堵しました、快川様にはその様なものは展望ではなく無謀だと怒られるかも知れないと思いました」
それを聞いてまた快川も笑顔を見せた。
「いやいや、吉法師殿、ご立派な展望です、念ずれば花開く、一念岩をも通すと言います。実現のためには強く心に念じることが大切、心頭滅却して無念無想の境地を臨めば、障害となる火も自ずと涼しく感じられましょう」
予想外に大きな吉法師の展望、快川にとってもその言葉と笑顔が今精一杯の激励であった。
「ありがとうございます快川様、吉法師心得ました」
吉法師は如何にも子供といった笑顔を快川に返した。
すると次の瞬間、天心が焦りを抱く様な面持ちで声を上げた。
「快川様、私に早く修行させてもらえますでしょうか、一刻も早く修行を始め、吉法師のお役に立てる様になりたいと存じます」
今の自分が行うべきは修行を始めること、将来に向けた吉法師の展望を目の前で聞いた天心は強く感化されていた。
その天心の言葉を聞いて快川は思った。
(そうか、この天心の存在も吉法師にとって展望実現における取り組みの一つ、天心の行動の全ては将来的に自身に通じる、だからあの様に熱心に頼んできておったのだ)
快川が吉法師の思慮に驚いていると、横から今度は沢彦が声を掛けて来た。
「快川、儂も京に一度戻る、今出れば熱田湊の京の方に向かう船に間に合う」
その顔付きは天心と同じで急いで何やら始めなければという表情をしている。そしてまた目の前では信秀も同じような表情を浮かべている。二人も吉法師の展望に感化されていて、居ても立ってもいられないといった様子が窺える。
「分かった、急ぎ出立しましょう」
そう言って快川が立ち上がると、続いて沢彦と天心も立ち上がり三人は他の皆に一礼した。
「天心、しっかり修行するのじゃぞ」
「達者でな~、天心」
「うっうっ、てんし~ん、また会えるよね、きっと会えるよね」
一益、益氏、玉の三人は別れを惜しんで涙ぐんでいた。
その様子を見た快川が天心に話し掛ける。
「天心、ぬしはこれまで辛きこともあった様だが、こうして見送ってくれる者たちがおるとなれば、幸せな時を過ごしてきたのだと思うぞ、これからは存分に修行をして世の皆に幸を与えられるようになるのだぞ」
それは深き言葉であった。天心の身に起きた不幸なことを快川は前以て聞いている。しかしこの戦乱の世で似た様な事情を持って仏門に入る子はたくさんいる。天心には見送ってくれる者がいる、それだけでも幸せ者なのである。
「はい、心得ました」
天心は快川の言葉にしていない所まで含める様にして返事をすると、一益たちの方に顔を向けた。
「義父上、義叔父上、これまで親代わりとなって育てて頂きありがとうございました。御恩は一生忘れませぬ。玉、達者でな!」
そう言うと天心は涙を拭いながら大きく手を振って部屋を出て行った。
「てんしーん!」
玉の声が部屋から廊下に向けて響き渡った。
その声はほんの少し天心の歩みを鈍らせた。血のつながりは無くとも家族として過ごした数々の思い出が脳裏に過る。そしてこれが最後の思い出、天心はそれを振り切る様にして歩みを進めて行った。




