第六章 継承 濃尾の覇権(2)
古渡城、そこは熱田湊の市場経済を抑えながら国の政務行うと共に、国外に対する軍事防衛を行うことを目的に築かれた城であった。この日城には美濃への出陣に向けて荷駄を伴った尾張各地の軍勢が次々と集結していた。
尾張領主織田信秀の実弟信光は城の本丸に置かれた本陣で、織田本隊の軍勢の取りまとめを行っていた。
「御器所西城の佐久間殿の部隊はどうか?」
信光が周囲の者に問い掛けた。すると城の見張り台との連絡を担当している一人の若者が即座に答える。
「東方近くまで来ております、間も無く到着する模様です」
「そうか」
続けて見張り台からの報告が届く。
「東後方から更に奥田城飯尾様らしき軍勢を確認、到着予想はあと半刻」
信光はその報告にフッと笑みを浮かべ呟いた。
「定宗め、予定より早いな、余程此度の出陣に気合が入っておると見える」
飯尾定宗は信秀や信光の従兄弟に当たる元織田家の者で、尾張の名家飯尾家に養子に出た後、管領細川晴元から娘をもらい受け家名を高めていた。此度の戦は東国を一つにまとめて自分たちの戦力にするという現幕府の思惑があり京でも注目されている。定宗は京で自身の功名が広まる事を思い描き気合が入っているのだろうと信光は思った。
信光への報告が続く。
「西から荒子の前田様の軍勢を確認、軍勢は予定より多く見えます」
荒子の前田家はこれまで代々織田家と共に発展をしてきており、合戦の際にはその忠義を以て多くの兵で参陣していた。此度の美濃への出兵においても、他の武家がその負担を抑えるべく要望最低限の出兵に留めているのに対し要請以上の兵を率いている。
「蔵人の奴、毎度律儀な男だな」
信光はその報告を聞き前田家のその忠義心に感心していた。するとその時、今度は一人の城番の若者が信光への所に駆け込んで来た。
「熱田加藤図書助様の小荷駄隊が到着しました、ですが…」
若者はそう報告した後、その後の説明に戸惑い言葉を詰まらせてアタフタしている。
「何だ、はっきり報告せよ!」
本陣のとりまとめとして状況の把握と直近の指示は直ぐに執り行う必要がある。信光が注意をすると、若者は改めて気を入れ直し報告を続けた。
「はっ、実は軍勢と一緒に到着しているはずの図書助様ですが、城内に入った後、姿を消し行方知れずとなっているとのことです」
信光はそれを聞いた瞬間、笑顔を浮かべて女子を追い駆け回す図書助の姿を思い浮かべた。
(全く、図書助の悪い癖だな…)
そう思った信光は苦笑いを浮かべながらその若者に指示を伝えた。
「図書助殿はおそらく女衆の集まっている所におる。探して先ずは大殿の所に挨拶をしに行く様に伝えよ!」
「はっ!」
若者は信光に力強く返事をした後、即座に本陣を後にした。そして図書助を探しに行こうとしてふと首を捻った。
(女衆の集まる場所ってどこだ?)
その若者は首を捻ったまま城内の女子の集まりそうな場所を探しに向かった。そしてまた別の若者が一人、前の若者にすれ違う様にして報告に訪れる。
「那古野の軍勢と荷駄隊が到着しました……」
「よし、勘定方に至急荷駄の中身を確認させ!」
信光は報告に対して素早く指示を返した。しかし若者は未だ報告が途中だったためか困惑した様子を見せている。
「何だ、如何した?」
不審に思った信光が問い質すと、若者は困惑の表情を浮かべたまま報告を続けた。
「実は荷駄隊の後ろに町衆の子供どもがくっ付いて城内に入り込んで来てしまっている様なのですが、追い返しますか?」
那古野の軍勢に付く町衆の格好をした子供たち、その報告を聞いた信光は即座に吉法師の姿を思い浮かべた。
「あー良い、良い、そのまま通せ」
「え、良いのですか?」
その若者は重ねて確認したが信光はもう言葉では無く、手の仕草で良いと言っている。首を捻りながら番所に戻っていく若者に目を向けながら信光は思った。
(全く吉法師はなぜ町衆の格好などして自分を悪く見せ様とするのか…、理解できぬ…)
信光もまた前の若者と同じ様に首を捻っていた。
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本丸の中庭では朝早くから織田信秀が尾張各地から集まる軍勢や物資の協力に集まる商人たちの訪問を受けていた。
「信秀様、今回の戦勝の折には我が家に美濃での専売特権を!」
「奥美濃にある田畑の一反を儂らにくだされ!」
「長良川の鵜飼漁に是非我らの縄紐をご推奨くだされ!」
集まる者たちは皆それぞれ戦への協力と同時に見返りを要求してくる。
「分かった検討しよう」
要求される見返りが現実的に可能なものなのかどうか、今個別に判断する余裕は無い。しかし美濃での戦の前に彼らに悪しき印象を与える様な対応はできない。信秀は彼らの要求に対して良い印象を与えるべく検討という言葉でしきりに頷いて見せていた。
「今日の面会はまだたくさんおるのか?」
一つの訪問を終えた所で信秀は側近の者に問い掛けた。
「はい、まだこの後暫く続きます」
「うーむ、味方が多いというのも時に問題だな」
延々と続く訪問者の予定に信秀はうんざりしていた。
「次は那古野の部隊です」
そう側近の男が信秀に伝えると、信秀の顔付きが変わった。
「ほう、次は吉法師のところの軍勢か、どれどれ」
那古野の部隊であれば嫡男吉法師の配下にて身内のため要求事は無い。また部隊の創設には吉法師自身が直接関わり、巷では尾張の精鋭と謡われていると聞き及ぶ。信秀は隊列を揃えて奥から歩み寄って来るその軍勢に興味を持って着目した。
(うむ、確かに、強そうだ…)
信秀は軍勢を見て即座にそう思った。
二百人ほどの那古野の軍勢は皆良き体付きをした若武者で構成されており、小柄な者や年配の者の姿が見られない。それは集団の塊として弱点となる穴の無い一枚岩の様に見えた。また彼らが手にする槍は那古野の城で揃えた独自の規格物らしく、全てが同じ長さ、同じ品質でしっかりと作られていることが見て取れる。その二百本の槍と若武者衆からは格段に洗練された部隊の印象と共に圧倒的な集団的攻撃力の強さを感じることができた。
(さすが巷で精鋭と謡われるだけのものがある。軍勢を構成するための観点がこれまでと異なる様だ。戦での勝利という目的に対して、的確に課題を抽出し、改善を行った結果なのであろう。これは吉法師が自らの意思を持って作り上げたものなのだろうか…)
戦経験の無い子供の吉法師にそこまで軍勢に対する思慮が及ぶとは思えない。信秀は不思議に思いながら吉法師の姿を脳裏に思い浮かべた。するとその吉法師は自身の驚く姿を見て笑顔を浮かべている。
「大殿、那古野の軍勢、只今到着致しました」
信秀はその自分への声にハッと我に返り、改めて那古野の軍勢を見渡した。目の前に居並ぶ若者衆による軍勢、これを率いて自分に挨拶の声を掛けてきたのは那古野の家老の青山であったが、何かこの軍勢からは吉法師自身の意思を感じる。
「那古野の皆の衆、よくぞ参られた、大儀である」
信秀は奇妙な思いを抱きながら決まり文句の様な礼節の言葉を述べた。若武者たちは皆引き締まった体と共に戦う武士の表情を見せている。この人数から考えて、彼らの大半は元々武家では無く、農民、町民から徴集された者たちなのだろうと思うが、皆全員が立派な武家の表情をしており、無理矢理に徴集されたという様な意識の低さは感じられない。
(吉法師の用兵技なのか?)
軍勢からは威圧感と共に再び吉法師の笑みが感じられる。
信秀は不思議に思いながらふと軍勢の背後に目を配った。すると町衆の子供の様な集団がそこにいるのが目に入った。信秀は笑みを浮かべると、青山に問い掛けた。
「ほう、今回の那古野勢は吉法師の初陣を兼ねておるのか?」
「え、吉法師さま???」
その信秀の問い掛けに青山をはじめ那古野の軍勢は不思議に思いながら皆で顔を見合わせた。
「は、いえ、その様なことはありませぬ、若殿は留守居にて」
戸惑いながら答える青山に信秀は軍勢の後方を指差して言った。
「それではあれは誰じゃ?」
那古野の衆が皆で一斉に信秀の指差す方を振り向くと、そこには場違いな町民の流行服をまとった子供の集団がおり、一人騎乗している子は明らかにその子供であった。
「若殿!」
「おぉ、吉法師様だ」
「吉法師様、一緒に来られていた」
自軍の最後尾に付いて来ていることを知らなかった若武者衆は吉法師の姿を見て驚き歓喜の声を上げた。
一方で初めて吉法師を目にする古渡城の者たちは目を細めつつ、互いに声を潜めて囁き合っていた。
「あれがうつけと噂の御嫡男殿か?」
「どうやら、その様じゃな」
「あの格好、何を考えておるのか」
「しっ、声が大きい」
吉法師はその場の者たちに様々な形で注目される中、笑いながら父信秀に声を掛けた。
「ははは、父上、お久しゅう、此度は我ら身内の天心がこちらに参られている快川和尚と京に上がると聞いたので、那古野の軍勢と一緒に見送りに来たのじゃ」
相も変わらずの吉法師の態度に信秀も笑顔を見せた。その笑顔はまさに先ほど自分が脳裏に思い描いたものであった。武家としてはあり得ない町民のうつけ姿は家中で受け入れられないと思うが、何かその計り知れない感性は昔の自分に似ている気がする。
那古野の軍勢の間を通り抜ける吉法師に若武者衆の者たちが話し掛ける。
「吉法師さま、一緒に来ておられるなら我らの中で行軍されれば良かったのに」
「そうじゃ、初陣の予行演習を兼ねてとかで」
「うむ、吉法師様を囲って行軍したかったのお」
若武者衆の皆が家臣という立場を超え、親しみを以て吉法師に接している。
「ははは、すまぬ此度はお忍びでの行軍が必要であった」
残念がる若武者衆に吉法師はそう言って笑顔を見せた。
その様子を見ていた信秀は吉法師と家臣の皆の距離感の近さを感じていた。自分は家臣の一人一人とこれほど近くで会話することは無い。
(そうか、なるほど!)
信秀はその時吉法師のうつけ姿に一つの利点を見出した。
おそらく吉法師はあのうつけ姿で領内の町や田畑を訪れ、見込みのありそうな若者を見つけては一人一人声を掛けてその素養を見定め、自らの武者衆に勧誘してきたのであろう。人の本質を見極めるためには距離感を縮めることが必要である。それを課題として優先した時に、あのうつけ姿は一つの解になると思った。
(うつけ姿は家臣との距離感を思ってか、いや他にも利点があるやも知れぬ…)
信秀は深く感心しながら近寄る吉法師に声を掛けた。
「ぬしの軍勢、此度はいよいよを以て活躍の機会となろう、期待しておるぞ」
吉法師もその父信秀の言葉に対し表情を真顔に変えて応えた。
「父上、なぜに今美濃を攻めるかつゆ知らず、されど今さら論じる是非無し、ゆえに今問うは快川様いずこ?」
それは連歌風に擬えての言い回し方であった。吉法師は此度の美濃出陣に対して異論があるのであろう。しかし吉法師の歳で自身の考えを持つことは良い事であり、また出陣を前に軍勢の士気が下がる様な力説も避けている。
(内面は嫡男としてしっかりとしておる様だ)
信秀は改めて吉法師のその内面の意思と外見の印象の差が大きいことが気になった。それは吉法師が狙ってのことと思うが、その真意を計り知ることは出来ない。周囲の者たちは吉法師を怪訝な顔で見ており、おそらく世間には吉法師の真意は伝わらないだろうと思う。
「吉法師、彼なれば沢彦と共に奥の間ぞ、早速この後行ってみるべし」
信秀は吉法師の謎めいた問い掛けに対し、奥の間を指しながら和歌風にして返答したが、その時沢彦と快川の顔を思い浮かべてふと思った。
(沢彦と快川はこの吉法師をどう見るのであろう?)
賢人として様々な人を見てきた二人の目に吉法師はどう映るであろうか、二人であれば吉法師の外見に囚われず内面の真意まで見通すことができる様に思う。
「皆、此度の戦、殊勝な心掛けで臨むのじゃ、皆で共に積んできた鍛錬の成果を、美濃で父上に見せてやってくれ」
「おう!」
父信秀から快川の所在場所を聞いた吉法師は最後に那古野の軍勢を激励すると、若武者衆は戦勝に対しての一層の思いを込み上げさせた。
「青山、頼むぞ、父上の力になってくれ」
「はっ、畏まりました」
吉法師は青山に那古野の軍勢を託すと信秀の方を振り向いた。
「それでは父上、ご武運を」
吉法師はそう言葉を残して子供衆と一益らを連れて快川と沢彦が待つ奥の間へと歩き出して行った。
信秀は暫しその吉法師の姿を目で追った。その武家の者とは思えぬ成りをした小さな姿に何か大きな存在感を秘めている様に見える。しかし大半の家臣に見えているのは見た目に映るうつけ姿のみで、尾張の将来を危ぶむ者たちが多い。吉法師の将来は織田家の将来であり尾張の将来となる。今の吉法師を沢彦宗恩と快川紹喜はどの様に見るであろうか、真の人を見る目を持つ二人の反応に信秀は強く興味を抱く様になっていた。
「ちょっと待て、吉法師、儂も行こう」
二人の反応への興味が勝った信秀は吉法師を呼び止めると一緒に自分も向かおうとにした。しかし側近の者が慌てて引き留める。
「大殿、お待ちを、まだこの後、訪問の予定が続いておりますれば不在にされることなりませぬ」
この後も戦の協力に訪れる武家や商人らの訪問が続く中で、信秀当人が不在となるのは印象が良くない。挨拶を受ける自分も必要、しかしその重要性は直近において高いものではない。少し考え込んだ後、信秀は目の前にいた家老の青山に向かって言った。
「青山、早速ですまぬがぬし、儂の代わりにここに座って、この後訪問する者たちの面会を受けておいてくれ」
「えぇ、私がですか?」
嫡男吉法師の代理出陣から、領主信秀の身代わり接客、青山はその信秀からの頼み事に驚きの様子を見せた。
さすがに嫡男吉法師の代わりに那古野の軍勢を率いることはできても、その父大殿の代わりの接客は困難であろうと思う。しかし今しがた吉法師に父の力になってくれとお願いされたばかりで、簡単に断る訳にも行かない。
どうして良いものかと困惑していると、信秀は自身がまとっていた織田家の家紋が誇張された上掛けの羽織を着させてくる。
「青山、この儂の紋付羽織を着てうんうんと頷いておれば誰も偽物とは気が付かぬ、頼んだぞ」
「は、はぁ」
その後信秀は困惑する青山や側近の者たちを置いて、吉法師らと共にその場を離れて行った。




