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天下の再構築 ~信長幼将戦記~   作者: 飛里信成


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第六章 継承 濃尾の覇権(1)

 天文十三年(一五四四年)秋、尾張那古野では美濃への出陣に向けた準備が進められていた。城内にはたくさんの荷駄が整列し、商人と城の台所方の確認を経て食料や武器などの物資が載せられている。城は物資輸送の基地となっていた。


 吉法師はその様子を視察しながら本丸の中庭へと向かっていた。吉法師の両隣には林秀貞、平手政秀の二人の家老が付いて歩き、後ろには内蔵助、犬千代、九右衛門、弥三郎の四人の子供衆がずらずらと付いていた。時折気になった荷駄に着目しながら歩いている吉法師に、秀貞は出陣についての説明を始めた。


「此度那古野の軍勢は青山に預けて古渡の織田本隊に合流させます。その後は大殿の指示にて動く予定です」


 青山は城で軍事面を担当する三番家老で、吉法師の父信秀の意向により、吉法師元服後の家臣団の育成を目的として、最新の知見を研究しながら専門的な鍛錬を行っていた。


 吉法師は秀貞の話を聞くと憮然とした表情を浮かべた。


「この間三河と大戦(おおいくさ)を行ったばかりなのに、此度は美濃とやるのか?」


 此度の戦を行うことで濃尾の北と東に大きな敵を作ることになる、吉法師は国を跨いだ大きな戦が広がることを懸念した。しかし二人の家老は此度の美濃派兵の決定について既に納得している様で、余裕の表情を見せている。


 政秀が吉法師に説明する。


「若、此度の出陣、実は京の幕府の意向による所が大きいのです。今の美濃は守護の土岐殿が追放され、京の幕府の認定した者ではない斎藤道三が統治をしている状況で、幕府から独立統治の状態になっています。これは幕府にとっては全国の統治体制を揺るがす深刻な事態で、各国の協力を求めて全力で潰さなければならないという訳です」


 続いて秀貞が説明を加える。


「若、此度の出陣は近江や越前の軍と連携して侵攻すると聞いておる。美濃も三方の国から攻められればどうにもなるまい、直ぐに降参するしか無かろう、実際に派手な大戦まで展開されることも無いであろうから、大きな損害を被ることは無いであろうと推測しておる」


 政秀は京の幕府の存在を含めてその背景を説明し、更に秀貞が戦の展開の予想を付け加えた。


 確かに三国連携による圧倒的な兵力、軍事的、政治的圧力の差を考えれば、美濃の衆は直ぐに降参し大規模な実戦に発展することは無い様に思う。しかし吉法師はその予想に対して何か釈然としないものがあり、荷駄に点在している商人たちを指差しながら二人に懸念される点を問うた。


「こちらの軍勢の規模や進軍の様子はあの様な商人たちを通じて、美濃方に知られているのであろう。であれば美濃衆も何かしらの対応を仕掛けて来るのではないか?」


 その吉法師の懸念に対して秀貞は笑い飛ばした。


「ははは、対応策とすれば稲葉山であろう、あの山城は尾張の城には無い難攻不落さを誇っておる。これまでも攻められて困ると籠るということを繰り返しておるから、此度もほとぼり冷めるまで山城に籠り、一生懸命和議の議論でもするであろう」


 秀貞は三国連携で軍勢が侵攻した後は稲葉山の城が中心になることを予想していた。その話を聞いた吉法師は目を光らせた。


「ほう、稲葉山とはそれ程にすごい城なのか、その様な城を攻める三国の軍勢や父上の采配を是非とも見てみたいものだ」


 吉法師は稲葉山の城の難攻不落という点に興味を示した。実際に城攻めで人が殺し合う様子を見たいとは思わない。しかしその様な城を大軍で攻めるという機会はそう有るものでなく、自身の後学に活かしたいと思う。


「そうだ!」


 吉法師は何かを思い付くと、後ろを振り返り、後から付いて来ている子供衆に声を掛けた。


「味方の城攻めの様子、お忍びで見聞に向かおうぞ」


 それまで話を聞いていた子供衆の四人は吉法師の案にすぐさま反応して声を上げた。


「はい、分かりました、吉法師さま」

「自分もお味方の城攻めを行うところ、気になっていました」

「楽しみじゃ、兄者たちの活躍を直接見ることができる」

「それでは早速我らも準備を」


 三国連携による難攻不落の美濃稲葉山の城攻め、近親家中の者が参加する子供衆の四人も大きな興味を抱いていた。


 するとその子供衆との会話に秀貞が割って入った。


「駄目です若、若は那古野で留守居です」


 もしこの戦で大殿の身に何かあった場合、この尾張は嫡男である吉法師を中心にまとまることになる。その時はこの那古野が中心となるため、秀貞は吉法師の行動を強く制した。


「留守居かぁ、つまらぬ!」

「若、爺と一緒におとなしくしていましょうね」


 政秀もやんわりと行動を規制して留守居を促した。折角の大戦の見分の機会、吉法師は不満な表情を見せていた。


 ほどなく中庭が見通せる場所へと進むと、そこには城の三番家老の青山与三右衛門を筆頭に佐々孫介、毛利新助、川尻与兵衛など二百人ほどの城の精鋭の若武者が整列して吉法師の登場を待っていた。


 吉法師は若武者衆の前に立つと無言で一同を見渡した。一番前の部隊を統括する青山が吉法師に声を掛ける。


「吉法師様、我ら那古野の部隊、これより古渡に参ります」


 青山は静かな物腰で吉法師に部隊出発の挨拶を伝えた。


「うむ、青山、此度は部隊を頼むぞ」


 青山はそう指令する子供の吉法師が妙に凛々しく見えた。青山は笑顔を見せながら吉法師に応えた。


「はい、吉法師様、お任せください」


 青山がそう返事をすると部隊の若武者たちが声を上げた。


「吉法師様、此度はこの戦で我ら大手柄を上げて見せますよ!」

「那古野の衆、ここにありとね!」

「儂は此度こそ七本槍を狙ってみせるぞ!」

「うむうむ」

「何なら美濃で城の一つ二つ落として見せるわ!」

「いやいや、この際美濃一国平らげてしまおうぞ」

「戦が楽しみじゃ!」

「我らこの日のために日々の鍛錬を積んできたからな!」

「全くじゃ、自信しかない!」


 若武者衆は今回の戦に対して、高い士気と共に気勢が抑えられない様子となっていた。


 若武者たちは殆どが十歳後半で、武家の次男以下の者や農民、商人から体型や体力、性格などを基準に選出されていた。通常であれば他家の養子に出る以外に自身の家を興すことができない者たちだが、尾張では戦での功績が認められれば領地が与えられ、武家としての家を興すことができる様になっていた。


 青山の指導の下、彼らは日々鍛錬に特化する生活を送っており、此度の美濃派兵は皆がこの功績を得る絶好の機会と考え、血気盛んに勢い付いていた。


(此度の出陣の前に少々気勢が高すぎるな…)


 吉法師は自分より七、八歳くらい年上のこの若武者たちを一度見渡した後、彼らの中心にいる佐々孫介に焦点を当てて声を掛けた。


「孫介、今回美濃の敵は稲葉山の城に籠って戦に応じず、早々に和議になる可能性が高いそうだ、であるから手柄が得られるかどうかは分からぬぞ」


 吉法師は先ほど秀貞から聞いた想定される戦の展開を述べて、勢い付いている皆に水を差した。


「え、そうなのか?」


 孫介は吉法師の言葉に戸惑いの様子を見せながら、周囲の仲間にその展開予想について確認した。日頃の鍛錬は合戦を想定しているものが多く、攻城戦についてはあまり行われていない。しかし若武者たちの中には、日頃の鍛錬にて揺るぎない自信を持つ者も多い。


「相手が城に籠るのであれば、その城を落とせば良いだけであろう」


 そう口にする一人の若武者に別の若武者が反論する。


「いや、知らんのか、稲葉山の城はそんじょそこらの城ではないぞ」

「うむ、難攻不落と聞き及ぶ」

「儂は以前見たことがあるが、確かにあれは中々落とせぬぞ」


 若武者たちが城攻めの展開を聞いて戸惑う中で家老の林秀貞が更に話を続けた。


「皆、よく聞け、此度の戦の目的は近江、越前と連携して三国で稲葉山を威圧して土岐様を美濃守護職にお戻しすることだ、小豆坂の時の様に功績を上げようなどとは考えるな、無意味な合戦も、無理な城攻めも無用じゃ、良いな!」


 秀貞は此度の戦の目的を明確にしながら、念を押す様にして若武者たちに無用な戦闘を自粛することを伝えた。


 この秀貞の話を聞くと若武者たちは静まり返った。


 此度の戦で功績を上げることばかりを考えていた若武者たちは思考が追い付いていない様であった。此度は美濃に戦に行っても活躍すべき場所は無い、手柄を得る場所など無い、精鋭の若武者衆にはそう聞こえていた。自分たちにとっての出陣の意義は何であろうか、皆が悩んでいた。


「ご家老、しかし美濃側が城から打って出てくる可能性もありますよね、その時は戦になりましょう?」


 その孫介の質問に対しても秀貞は厳しい目を向けながら答える。


「孫介、お前が変に突っ走らなければそれは無い!」


 ピシッと言い切る秀貞に、若武者たちは早々に手柄を得る機会が失われた思いで皆肩を落とした。


「あー、何か儂気合が抜けてきた」

「儂もじゃ」

「あれ、我ら何をしに美濃に行くのだっけ?」

「日頃の鍛錬の成果を示すためと思っていたけど…」


 若い衆の士気は秀貞の言葉を聞いて急速に低下していた。


(まずいな…)


 戦で功績を上げて自分自身の家を持つ、若武者たちのこの一戦に掛ける思いは思いのほか強かった。それが叶わぬと分かると同時に出陣への意欲を失っている様子が見て取れる。この士気の下がった状況で赴くのは実際の戦闘が行われないとしても、好ましいものではない。


 吉法師は再び孫介を中心にして皆に声を掛けた。


「孫介、皆、此度は敵方の美濃衆にも、味方の近江、越前衆からもぬしらの様な若武者が大勢参戦して来るのだぞ、ぬしらはこの那古野を、尾張を代表する精鋭の若武者衆だ、その雄姿を内外に見せ付けてくる事からして大事と思え」


 その吉法師の言葉に若武者たちはこれから目の前に広がる戦場を想像した。


 他国にも自分たちと同年代の者たちがおり、皆自分こそが一番の武者だという表情を見せている。その様な場で尾張の代表となる自分たちだけが力の抜けた表情を見せる訳にはいかない。


 皆で吉法師の方に目を向けた。


 若武者たちも未だそれほど戦場経験が豊富という訳ではないが、初陣すらまだこれからの子供の吉法師に戦場での対応を忠告されることは恥ずかしいことの様に思えた。


「吉法師様の言う通りです、我ら尾張の精鋭を自負して臨みましょう」


 孫介はそう言うと皆の方を振り向いて叫んだ。


「皆、他国の者に侮られる様な姿は見せられぬぞ!」


「おう、我らの強さ、雰囲気だけでも見せ付けてくれる」

「そうじゃ、我らが一番じゃ!」


 孫介の声に合わせて若武者衆は再び士気を高めて気勢を上げた。それは先程の様に過分では無く、今回の戦の展望に対してちょうど冷静に望める程となっている。


 吉法師は最後に皆に向かって強く激励した。


「皆の健闘と無事の帰還を祈っておるぞ!」

「おおー!」


 若武者衆は城中に響き渡る威勢の声を挙げた。この時、参戦しない吉法師を心に描く集団の象徴として那古野の若武者衆は一つにまとまっていた。


 政秀はその様子を吉法師の隣で黙って見ていた。


(いつの間にか若は味方の士気を調節しながら、まとめることができる様になっている…)


 全体の士気の高さ、そしてその個人間のばらつきを揃えるということは集団戦の戦術において非常に重要な要素となる。吉法師は若武者衆の士気が此度の戦の展望に対して士気が高過ぎると考えては下げ、下がり過ぎだと思えば上手く上げて調節している。戦経験の無い吉法師がそれを理解して行っているとは思えない。しかし直感で行っているにしては適格過ぎる。


(色々な経験をされておるのだな…)


 その吉法師の素養は守役の自分の教育によって得ているものだけでは成し得ず、様々な経験から得ているところが強い様に思えた。


 政秀が満足そうな目で吉法師を見つめる中、青山が吉法師に声を上げる。


「それでは吉法師様、行って参ります」

「うむ!」


 家老の青山は一礼すると若武者衆を引き連れ、出立の準備のためその場を離れて行った。


 吉法師はその後二人の家老と子供衆を伴ってその場を離れると本丸の方へと向かった。


「吉法師さま!」


 本丸の御殿に入ろうとした時だった。背後から呼び止められた吉法師が振り向くと、そこには勝三郎が立っており、その勝三郎の背後には滝川一益、益氏、そして天心と玉が付いていた。


「吉法師さま、我らもこれより城の軍勢と一緒に古渡に参ります」


 笠寺での一件の後、尾張に留まっていた一益らは、遠縁である勝三郎の池田家にその身を寄せていた。


「何、ぬしらも揃って古渡に赴くのか、して何用じゃ?」


 吉法師が問い質すと、勝三郎に代わって一益が答えた。


「此度この天心が京の寺に上がることになり、本日はそのご挨拶に伺わせて頂きました。今古渡のお城にその迎えの高僧が来られており、我らはこの天心の見送りに参ります」


「何、そうなのか?」


 吉法師は突然の話に少し驚きを見せると、一益が振り向くのと同時にその目を天心に向けた。天心は既に仏門に入る姿となっており、その表情からはこれから仏門に身を置く覚悟が感じられる。


 天心は吉法師に一礼すると先ほどの若武者衆とは異なる穏やかな表情で言葉を述べた。


「吉法師様、私はこれから京の寺で仏門を学ぶ道に入ります。私がこの道を歩むことができるのも吉法師さまとの出会いがあってこそ、本当にお世話になりました」


 その言葉に吉法師は何かぐっと来るものを感じた。


 これから天心は一益たちと別れ、一人前の僧となるために一人修行で京の寺に向かうという。家族同然に過ごしてきた一益たちの別れは嘸かし寂しかろう。そしてまた修行の場となる寺には不安もあろう。しかし将来の定めた天心には前向きな声援を送りたいと思う。


「天心、ぬしは自身の将来を自身で決めることができる。今のぬしの未来に家の継承や生きるための保障は無いが自由がある。自分が最もやりたいと思える生を描くことができるのだ。それは幸せなことと思うぞ」


 それは定められた自身の将来と対比した激励の言葉であった。天心は吉法師の言葉に一つ頷くと笑顔を見せて言った。


「吉法師様、いつか是非京を訪れてください、その時私は吉法師さまを最高の御馳走でもてなせることを一つの楽しみに思いながら修行に励んでまいりたいと思います」


 京での自分との再会を楽しみにして、これから辛い修行に励むという天心、別れ間際に笑顔を見せる天心に、自分も笑顔を印象付けたい。


「分かった天心、約束じゃ、儂も京での再会を楽しみにしておる」


 隣で号泣する一益たちからの伝心の力が更に強まる中、吉法師は天心の笑みに応え、出来る限りの笑みを浮かべて見せた。


 これから迎えの高僧に連れられて京に向かうという天心、吉法師はその時一つ気になる点が浮かび勝三郎の方を振り向いて問い掛けた。


「勝三郎、京からの迎えの高僧というのは誰か、沢彦様か?」


 そう言えば最近は沢彦と会える機会が無く、ご無沙汰となっている。もし沢彦が来るのであれば自分も会いたいと思う。


「あ、沢彦さまも来られている様ですが、天心が修行に入るのは今回一緒に来られている快川和尚という方の所らしいですよ」


「えっ、快川和尚、快川紹喜さまか?」

「あ、はい、その様です」


 快川紹喜、それは以前から沢彦より聞いている名であった。何でも沢彦さまとは義兄弟を結んだ仲で、高徳を有し、京でも周囲から絶大な信頼を得ているという。


(是非自分も会ってみたい…)


 吉法師は強くそう思った。しかしこの美濃への派兵が行われている中、留守居の自分がこの那古野を離れる訳には行かない。後ろでは秀貞が自分の心意を察してか、必死に指で×を作っている。


 吉法師は残念な様子を見せながら勝三郎に言った。


「そうか、勝三郎、儂も是非お会いしたい所だが、今この戦時に儂はここを離れることができぬ。せめて儂の代わりに水野家から届いたあの八丁味噌樽を土産に持って行ってくれ、あれは本当に美味いものだ、是非天心の寺入りに持たせ、寺の皆で召し上がってもらいたい」


 そう言って吉法師は小屋の手前に置かれた大きな味噌樽を指差した。勝三郎はその樽を見ると困惑の表情を浮かべた。


「分かりました吉法師さま、然しながら此度の戦でもう駄馬が全て出払っていて、少々運ぶのに時間が掛かるかと…」


 それを聞いた吉法師は更に落胆の態度を見せて勝三郎に言った。


「儂の馬を使って良い、どうせ儂は留守居で動けぬゆえ」


 その吉法師の言葉には皆が驚いた。


 吉法師の馬は良馬で駄馬で用いる様な馬では無い。馬がそのまま戻って来ない可能性を考えれば味噌樽以上の価値を投じることになる。吉法師はそこまでしても天心に土産を持たせたいのか、それほど天心、快川和尚、そして行った先の寺の和を気遣っているのか、皆が感動した。


「分かりました、吉法師さま、水野の八丁味噌樽、届けてまいります」


 勝三郎はその吉法師の思いに応えて引き受けた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 その後、青山を先頭に那古野の軍勢が出陣を開始した。青山に続く二百名の若武者衆は皆恵まれた体格に揃いの鎧をまとい、手には鍛錬で研究を重ねた最新の槍を携えている。その意気揚々とした姿は如何にも尾張の精鋭部隊の雰囲気を出していた。


「うむ、誇らしい軍勢だ」

「そうですな」


 家老の林秀貞と平手政秀は城から出た所で軍勢の行進の様子を確認しながら見送っていた。若武者衆の後に軍備輸送の小荷駄隊が続く。


「おや、吉法師は軍勢の見送りに出て来ぬのか?」


 秀貞はこの出陣に際して吉法師の姿が見えないことが気になり政秀に問い掛けた。すると政秀は大手門の上を指差して言った。


「あそこにおられますよ、何でも軍勢が遠くまで見えるところで見送りたいのだそうです」


 秀貞が振り向くと吉法師は城の大手門の上の櫓に立ち、時折軍勢に向けて手を振っているのが見える。


「もしかしたら留守居など承知しないかと思ったが、大丈夫そうじゃな」


 秀貞は吉法師がおとなしく留守居を承知して軍勢を見送っている様子に安堵していた。


 最後に勝三郎を先頭に一益、益氏、天心、玉の一行が続き八丁味噌樽を乗せた荷駄が続いた。そして荷駄の後には四人の子供衆が樽の護衛なのかずらずらと付いていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 那古野の城を出て半刻ほど、軍勢は古渡との中間にある田園、小丘を通り古渡の城が遠望できる草原で小休止となり、最後尾の勝三郎と一益の一行も草原の中で小休止を取っていた。


(はぁ、気持ち良い日だな~)


 勝三郎は馬を降りて晴れ渡る空を見上げていた。これから前の軍勢は戦に向かうというのに何か天気も良い長閑な一時、空を舞う小鳥のさえずりが妙に心地良かった。一行の皆がゆったりとした気分を感じていたその時であった。


「さて、もう良いであろう」


 突如目の前に吉法師が現れ皆の表情は驚きに一変した。


「き、吉法師さま、どうして、留守居では???」


 特に勝三郎は長閑な一時を一気に吹っ飛ばして驚きの表情を見せていた。そしてまさかと思いながら運んできた味噌樽の方を見ると、樽は横が開く構造になっており、上からは二重底の作りになっているのが見えた。吉法師はこの樽に潜んでいたことが瞬時に理解できた。


「勝三郎、うまく運び出してくれたものだな、礼を申すぞ」


 吉法師は勝三郎にそう言って皆に笑顔を見せた。


 勝三郎はその吉法師のお誉めの言葉に一層困惑した。自分は知らずに吉法師を運んでいる。しかし城の者たちはそう見てくれることはなく、最初からグルになっていたと思うであろう。


「吉法師さま、留守居役の身で勝手に城を出て、また私がご家老様に怒られるではないですか」

「ははは、許せ勝三郎、ぬしは演技が下手ゆえ、知らぬ方が成功すると思ったのじゃ」

「ひ、ひどい」


 吉法師は困惑する勝三郎に作戦成功の笑顔で応えた。内蔵助、犬千代、九右衛門、弥三郎の四人の子供衆は樽の吉法師を知って知らぬふりで運んでいた様であった。


「しかしこの様な樽良く作ったな」

「この二重底のからくりがすごい」


 一益と益氏はその樽の出来に感心していた。


「ははは、この様なこともあろうかと作っておいたのじゃ、準備は大切じゃな」


 吉法師は樽の内側を覗き込む二人にそう言うと、改めて天心に笑顔を見せた。


「天心、すまぬな、京へは改めて土産を送らせてもらう」

「ははは、お気遣いなく」


 城の抜け出しに自身も一役持たされた天心は少し苦笑いを見せていた。その横では玉が吉法師に妙な目を向けている。


「玉、その樽に乗っていくか、ちょっとした駕籠だぞ?」


 吉法師は冗談を込めて言った。


「いえ、遠慮します、味噌漬けになりそうで」

「確かに、何か吉法師さま味噌臭いですよ」


 勝三郎が吉法師の匂いに突っ込んだ。


「ははは、酒臭いよりはかなり良い」

「前みたいに突然いなくならないで下さい」

「ほんとうですよ」


 吉法師は笠寺での出来事を逆に利用して何か事を起こすためにこの様な樽を作ったのだと思う。玉と勝三郎は笠寺での出来事を心配していた。


「そう言えば、吉法師様、大手門の上で軍勢を見送る姿をお見掛けしましたけど」

「そうだ、手を振っておられた、一体あれは誰なのですか?」


 二人は城の大手門を出た時、吉法師の姿を見て会釈をしたことを思い出した。その時、吉法師が手を振ってくれているのを目にしており、別人とすればあれは一体誰だったのだろうと思う。


 首を捻る二人に吉法師はニヤッと不敵な笑みを浮かべた。


「あれはな…」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 その頃、那古野の城は部隊の出陣を終えて一段落の落ち着きを見せていた、という状況にはなっておらず大騒ぎとなっていた。秀貞が大手門の櫓に登り怒鳴っている。


「案山子じゃないかー!!!」


 大手門の上の櫓で部隊を見送っていたのは吉法師に似せて作られた案山子であった。それは精巧に作られており、少しの風を受けて手を振る仕組みが施されている。妙な笑顔が作戦成功の時の吉法師の笑顔に酷似していて、何とも小憎らしい。


「どうするのじゃ、この城は、もういややー!」


 恐れていた留守居の大将の失踪に秀貞は周囲に怒鳴り散らしていた。

 政秀はそんな秀貞を横目に見ながらまた吉法師に感心していた。


(若はいつの間にかこの様な空蝉の技を有して、この様な戦術を披露し、自身の目的を成し遂げている、まさに風雲児、もはや我々の型にはめて育てるべきではないのかも知れない…)


 政秀がそう思った時、偶然であろうか、目の前の案山子の首が縦に頷いた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


あっはははは!


 吉法師は城を抜け出したと知った時の家老の表情を想像して笑い込んだ。そして自身の馬に跨ると一行に向けて掛け声を上げた。


「さぁ行くぞ、目指すは父上の古渡の城じゃ!」


 青山を先頭にした那古野の軍勢の最後尾には、密かに城主の吉法師が加わり進軍していた。


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