第六章 継承 都の統治者(10)
中広場では篝火が灯される中、百済寺樽を囲って国友の工人たちが集まり壮大な宴が催されていた。十兵衛は治五郎、徳二郎、勘三郎の三人が組む騎馬の上にまたがり、その宴の場に向かっていた。
(賑やかだな)
まだ中広場までは少し距離があるが、工人たちの楽しそうな話し声が聞こえてくる。正直な所、あまり酒が飲めない自分としては、酒の勢いを以て騒ぐ宴の場は居心地の良い場では無く、宴の立役者などと評されて皆の前に登場するのは気乗りがしない。
(早めに終われば良いのだが)
そんな思いで広場の入口に到着したその時だった。十兵衛は宴の場から逆に出て行こうとする一人の男を見かけた。それは先ほど山法師の一件で顔を合わせた浅井新九郎だった。
「浅井殿!」
何か険しい表情をしている様に見えた新九郎に十兵衛はすれ違い様で声を掛けた。しかし自分を乗せた騎馬は止まらず、そのまま新九郎から離れていく。
「止まれ、止まれ!」
十兵衛は静止を促したが、騎馬は騎手の言う事を聞かない上に物を言う。
「早くおぬしを届けないとならぬのだ、あと少しというこの様な所で止まってはおれぬ」
騎馬の先頭を組む治五郎はこの時、兵衛四郎の意向もあり早く十兵衛を宴の場に連れ込みたいと思っていた。この宴は本来立役者の十兵衛がいなければ成り立たないもの、その十兵衛をあともう少しで連れて行ける。そうなれば自分たちの任務も完了となり、再び百済寺の美味い酒を楽しむことが出来る。一緒に騎馬を組む徳二郎と勘三郎も同じ思いであった。
しかし十兵衛にとって、宴は気乗りするものでは無く、険しい表情でこの宴の場を去って行く新九郎の方が気になる。
「言う事を聞かない馬だな、どうすれば止まるのだ、こうか!」
そう言いながら十兵衛は騎上から治五郎の首を思い切り絞めた。
ぐぇ!
突如無防備な状態で首を絞められた治五郎は後ろの二人と組んでいた手を離し、態勢を崩してその場に倒れ込んだ。
「殺す気か!」
到着目前での思い掛けぬ仕打ちに治五郎は思わず唸った。しかしその時既に十兵衛はその場におらず、新九郎の方へと駆け寄っていた。
「浅井様、もうお帰りですか?」
十兵衛は宴の場から離れていく新九郎に追い付くと、その背後から声を掛けた。
「あぁ、捕えた山法師の尋問がまだ途中でな、それに他にもやることがたくさんある」
新九郎が抱える問題は今回の山法師の件だけでは無く、宴どころではないのであろう、その振り向いた時の表情の険しさが自分と同じ年代の若い領主の苦悩を表している。
「そうですか、では馬留までお見送り致しましょう」
十兵衛はそう言って新九郎に付き添って歩き始めた。すると新九郎は険しい表情を見せて話し掛けてきた。
「十兵衛、これまで山法師に襲われていた者たちなのだが、何れも得珍保に敵対している村の座商人たちでな」
「え、という事は…」
「あぁ…」
得珍保とは京の都から東国、北陸への広域流通路を独占する延暦寺系列の座商人集団で、経路の要衝となる近江の観音寺近くを一大拠点としていた。得珍保が裏で山法師らを使い略奪等の妨害を行いながら、商売実上で攻勢を掛けているとなれば、それは流通の専横に対する本寺の意向が働いていることになり、一地方領主の手に負えるものでは無い。しかし自領民には流通での直接の不利益が及ぶため、放置しておく訳にも行かない。
「細川様には改善の御依頼はされたのですか?」
今ここで考えられる最大の策は幕府を動かして調停してもらうことである。十兵衛はこの宴に参加されているであろう幕府管領細川晴元への依頼について訊ねた。しかしその問いに対して新九郎は一層険しい表情を見せると、逆に十兵衛に問い返した。
「十兵衛、細川様から聞いたぞ、此度美濃土岐家の守護職復権のために、近江、越前、尾張の三国連携で派兵するそうだな?」
その問いに十兵衛は内心驚いた。三国連携による美濃侵攻はまだ公には公表されていない内密の事であった。十兵衛は新九郎に一歩近寄ると、声を細めて言った。
「現在各国で派兵の準備を進めております、細川様から浅井様も派兵を要請されたのですか?」
細川様は美濃派兵の話をされている以上、新九郎にも援軍の派兵を求めていると思われる。しかし浅井家にとって美濃への派兵は何の利にもならず、家臣の同意も得難い様に思う。一方でまた得珍保と山法師の件は幕府としても厄介な問題で、取り上げてもらえなかったのであろう。この二つが新九郎の険しい表情の原因なのだと思った。
(新九郎、辛苦労だな…)
十兵衛は何か新九郎が答えるのを待ったが、新九郎は険しい表情を見せるのみであった。ある意味においては、その表情が答えを示している様にも思う。やがて留め置いていた新九郎の馬が見えて来た時、新九郎はふと夜空を見上げながら重い口調で十兵衛に問い掛けた。
「十兵衛、ぬしは今の真の都の統治者を一体誰だと思う?」
「えっ?」
それはまた十兵衛にとって思いも寄らぬ問い掛けであった。都の統治者は誰か、それは自分が新九郎に発した問い掛けとは関連が無い様に思えるが、新九郎にとっては関連している様に窺える。
(真の都の統治者?)
十兵衛は新九郎の心意を探りながらその答えについて考え込んだ。普通であればその答えは幕府の将軍であり、管領であると思う。しかし新九郎が口にするそれは恐らく真の統治者という意味であり、真の実力者は誰かということなのであろうかと思う。となれば都の統治者として思い付くのは別の一人に絞られてくる。
十兵衛は周囲に人がいないことを確認ながら応えた。
「将軍様も管領の細川様も六角定頼様のご後援があってこその現在のお立場、もし真の都の統治者を真の実力者と考えるとすれば、その答えは六角様かと」
新九郎はその十兵衛の答えを聞くと、更に自身の思いをぶつける様に問い掛けた。
「十兵衛そこだ!真の実力者が真の統治者とならぬところ、不自然と思わぬか?」
もし十兵衛が幕府奉公衆という立場を通した話しか出来ないのであれば都の統治者は、という問い掛けに対して一に将軍、二に管領という答えしか出てこない筈である。しかし十兵衛はその状況に応じて、立場を超えた的確な意見を述べることができる。新九郎はこの時、十兵衛のことを幕府奉公衆でありながらも自分と話が出来る相手だと考え、勢い付いて問い掛けていた。
「出来れば同じであることが望ましいのでしょうが…」
逆に十兵衛は新九郎に幕府統制の矛盾を突かれて答えに窮し、浮かぬ表情となっていた。
「十兵衛、此度侵攻しようとしておる美濃の斉藤道三は真の実力者であり真の統治者だ、その様な国は強いぞ、逆に今の幕府の体制はどうだ、ただ古い体質を延命させて行き詰っている様な状況じゃないのか、儂は美濃の道三の方にはるかに同調するものを感じておるのだ」
馬留に着いた新九郎は留め置いた自身の馬に乗る準備を施しながら、現状の幕府の統治に対する自身の考えを述べた。
(た、確かに…)
それは十兵衛にとって衝撃的な考えであった。確かにそうかも知れない、しかしもし諸国の領主が皆、その様な考えで動く様になればそれは幕府体制の崩壊に繋がり、幕府奉公衆の自身の立場として同意することは出来ない。
思えば浅井家も斉藤家と同様に主家の勢力を凌駕して独立した勢力である。先代の時には主家の京極家を傀儡化させるなど、北近江で独立の機運を高めていた。その後、新九郎への家督継承を機にその勢力を落とし、現状に到っては祖父六角定頼に臣従している状況となっているが、新九郎は独立への気概を持ち続けている。
新九郎は馬に跨りながら更に主張する。
「十兵衛、新しい世が来ておるのだぞ、その新しい世に向けてぬしが大事にすべきは古い幕府の体質で良いのか?」
十兵衛はこの新九郎の言葉を無言のまま受け止めていた。
天皇家の分断から始まった今の幕府はこれまで内外の権力闘争が絶えず、その統治はもう限界を迎えている。祖父が臨まれる古来からの血統を重んじた統治とは相反するかも知れないが、今の幕府を失くし、一から真の統治者による仕組みを再構築した方が良いのかも知れないとも思う。
「十兵衛、この様な乱世が続けば、この先美濃はおろか、都の統治者ですら誰がなってもおかしくない。それはどういうことか、つまりは明日の都の統治者は私かも知れぬし、十兵衛、ぬしかも知れぬということだ」
(えっ!)
新九郎は今の乱世の状況を積極的に捉えていて、機会があれば自分が都の統治者になってやろうと思っている。この乱世においては真の実力を持ったものが真の統治者となり、誰もがその可能性を与えられていると考えている。一生懸命幕府に仕えながら一生を送る、そう思っていた十兵衛にとって、その考えはまた衝撃的なものであった。
「十兵衛、この乱世、考え方によっては悪い話ばかりでは無いと思うぞ!」
そう言い残して去って行く新九郎を、十兵衛は色々な思いを巡らせながら見送っていた。
(今の乱世が政務の仕組みの再構築を求めて起きているものと考えれば、新しい統治者には圧倒的な力と共に従来には無い新しい考え方が求められる。つまりはその統治者には誰しもが成り得る可能性がある。自分にも…)
十兵衛は新九郎の言葉を強く意識する様になっていた。
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その後、十兵衛は少し遅れてやって来た藤九左衛門と一緒に管領細川晴元がいる宴の場を訪れた。晴元の一行は国友に着いた時とは異なり、歓迎の気運が高まっていて、その宴の場は広場に設けられた上座に置かれていた。
晴元は酒杯を手に赤ら顔の上機嫌の状態で訪れた二人に声を掛けた。
「じゅうべえ~、ようやった、ええと、とっくりざえもんであったか、ははははっはははっは、もうてっぽうもできたもどうぜんじゃなぁ」
着物を取り乱し、へべれけになっている晴元に幕府管領としての威厳は見られない。
(晴元様は酒を飲まれると別人になられる、初対面の藤九左衛門殿に対して失礼であろう…)
十兵衛は晴元のあまりの変貌ぶりに気まずい思いを抱きながら、隣に座す藤九左衛門に頭を下げた。
「わしがかんれい、ほそかわはるもとであ-る、酒だ、酒をもて~!」
「世がみだれるのはぬしらのはたらきがしょぼいせいじゃ、もっとよくはたらけーい!」
「なんじゃぁ、ぬしのそのしょぼいかおは、せっぷくじゃあ!」
もはや晴元の酒乱は近習の者たちにも手の施し様の無い状況となっていた。
「藤九左衛門殿、それでは我らは別の場で」
「うむ」
これ以上晴元の醜態を藤九左衛門に見せ続ける訳には行かない。十兵衛は藤九左衛門に声を掛けると、共に晴元の宴の場を後にすることにした。少し離れた所から振り返ると、晴元は更に過激な様相を示す様になっていて、近習の家臣を小突き回している。
(きっとあの泥酔した状態で浅井殿にも色々な要求を出したのであろうな、だから浅井殿は嫌気が差して、都の真の統治者は誰か、などという考えになったに違いない)
十兵衛は酒の威を以て威勢を放っている晴元に呆れつつ、新九郎の胸中を察していた。
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十兵衛と藤九左衛門は橋本一巴と藤九左衛門の弟子たちが先に合流しているはずの兵衛四郎の宴の場に向かうことにした。
その途中では善兵衛と助太夫がそれぞれの宴を楽しんでいた。
「じいちゃん、お酒おいしいの?」
「うまいぞ、これは最高の酒じゃからな」
善兵衛は孫とのふれあいを酒の肴にしながら宴を楽しんでいる。
「それそれそれそれ御船さーん!」
「それそれそれそれ御船さーん!」
別の場所では鉢巻を巻き観音像を手にした助太夫が数人の男たちを引き連れ、今一つの出来の舞を披露する御船の前で活況付いている。
(二人とも楽しそうな時間を過ごしているな)
十兵衛は二人を微笑ましく思いながら、兵衛四郎の宴の場に向かった。
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兵衛四郎の宴の場は多くの工人が集まり中広場で一番の盛り上がりを見せていた。
「治五郎、おぬしの酒は無くなるのが速すぎやないか?」
「そうか? 蒸発して消えておるんかな?」
「はは、蒸発ってぬしの胃の中に入ることを言うんやったか?」
藤九左衛門の工場から十兵衛を運んできた治五郎、徳二郎、勘三郎の三人も戻って宴を再開していた。兵衛四郎は皆の前で、宴を取り仕切りながら飲んでいた。
「おう十兵衛、ようやく参ったか、藤九左衛門殿まで連れて来るとはさすがは宴の立役者、交渉上手じゃな」
十兵衛は到着すると待ちわびていた兵衛四郎から即座に声を掛けられた。
「はは、兵衛四郎殿、遅くなりました」
「いやぁ、十兵衛殿には粘られましたわ」
そう言って笑顔を見せる藤九左衛門に一足先の合流していた橋本一巴が声を掛けた。
「藤九左衛門、久し振りの宴だなぁ、さぁ、飲み交わそうぞ、この百済寺樽の酒は美味いぞ」
「うむ、百済寺樽は昔若い時に飲み交わしたことがあったなぁ」
「あぁ、あの時のぬしは修業中で矢の出来はひどかった」
「そうだな、ぬしの弓矢の腕もひどかったしな」
「ははははは」
「ははははは」
藤九左衛門と橋本一巴、若い頃から商売を超えた付き合いの二人は旧交を温めつつ昔話に花を咲かせていた。
「さてと…」
兵衛四郎は十兵衛と二人になった所で十兵衛に酒杯を手渡すと、中広場の宴に集まる皆に届く様な大声で叫んだ。
「皆の衆、こちらがこの宴の立役者の明智十兵衛殿じゃ、今日のこの百済寺樽が飲めるのはこの方のお陰じゃ、皆の衆、一拝みしておくのじゃぞ」
この兵衛四郎の言葉に十兵衛は困惑の表情を見せた。冗談でも自分を拝むとかやめて欲しい、しかしそんな思いとは裏腹に、兵衛四郎の言葉を受けた皆の視線が自分に集まる。
「十兵衛殿、馳走になります」
「最高っすう、酒、美味いっす」
「これまで飲んだ酒で一番じゃあ」
「もう一生の思い出、もうこの世に未練無いわい」
「神様、仏様、十兵衛様」
「もう一生ついていきまーす!」
普通の民が存分に酒が飲める機会などそうそう無い。ほろ酔い、悪酔いの集団は十兵衛の方を向いて拝みまくる異常な盛り上がりを見せていた。十兵衛は程々に酒を口にしながら囁いた。
「兵衛四郎殿…、その…、持ち上げられ過ぎかと…」
十兵衛は自分が皆に拝まれることに対しては良い気分にはなれなかった。
「ははは、なになに酒の上の戯言半分、気にするな」
兵衛四郎は笑い飛ばしていた。
「いやいや、妙な印象が根付いても困る」
十兵衛は困惑の表情を浮かべながら初杯の酒を空けた。少し目の前が揺らぐ。
「お注ぎ致します」
一瞬目を閉じた次の瞬間、そんな声と共に自分の酒杯に女子の手で新たな酒が注がれているのが目に入った。あまり酒が飲めぬとはいえ、もう少し皆と飲み交わす必要があるとは思う。
「かたじけない」
そう言って酒を口にした十兵衛はその女子の姿を見て思わず口に含んだ酒を吹き出した。
「げほっげほっ、そ、其方は?」
その女子は兵衛四郎の工場で受付をしていた女子であった。しかしその女子は工場であった時とは全く雰囲気が異なり、派手な花魁の様な衣装を纏っている。
「そ、その衣装もお役目なのか?」
工場の時と同様にこの衣装はお役目で、本人の意思によるものではないのであろう、十兵衛は少し哀れに思った。しかしそんな十兵衛の哀れみを余所に、女子はほろ酔い気分で笑みを浮かべながら答える。
「いいえぇ、これは成りきり衣装遊びですわ」
「えっ?」
成りきり衣装遊び、それはその場に合わせた衣装を着こなして成りきり、普段とは異なる自分を楽しむ遊びの様で、女子はすっかり酒場の花魁に成りきっていた。十兵衛は女子の変貌に圧倒されながらも、山法師との戦いの時に言付けを頼んだことを思い出した。
「そ、そうだ、山法師との戦いでは一巴様に助けられた、それも其方が晴元様へ言付けをしてくれたお陰じゃ、ありがとうな」
その時十兵衛は女子を直視できず、そっぽを向いて礼を述べていた。すると女子は怪訝な表情を見せた後、十兵衛の頭を両手で抱え、強引に自分の方に向かせた。
「十兵衛さま、話をする時はしっかり相手を見て話す!」
そう言う女子との距離が近い、普段冷静を装う青白い十兵衛の顔色は見る見る間に赤くなっていった。
「十兵衛、顔が赤いぞ、もう酔ってきておるのか?」
「いや、酸っぱいものでも食ろうたのであろう」
「ははは、いい判定色をしておる」
「おーい、十兵衛殿に専用の徳利と升ぅ」
十兵衛は酒と女子の色仕掛けの攻撃に弱い。意外なところで弱みを見せる十兵衛を皆は酒の肴にしていた。
「ちょ、ちょっと涼んでくる」
これ以上この場に留まっていてはこの酒飲みたちの餌食になる。そう思った十兵衛は立ち上がりそそくさとその場を外した。
「十兵衛さま、早く戻って来てくださいよ」
「あぁ、ぬしには一番宴を楽しんでもらわねばならぬからな」
「そうでないと治五郎のための宴になってしまいそうじゃ」
「はははは」
「はははは」
十兵衛は兵衛四郎の宴の場から離れながら、一度皆の方を振り返って思った。
(あぶない、あぶない、あの者たちはあれで自分をもてなしていると思うておる、これだから飲ん兵衛たちとは一緒にはおれぬ…)
十兵衛は酔い覚ましがてらに、一人で他の宴の場を見て回ることにした。




