第六章 継承 都の統治者(8)
時刻はもう夜戌の刻を回っていた。国友に戻った十兵衛は善右衛門が協力を必要とするとして挙げた三人の最後の一人となる藤九左衛門の工場の前に着いた。しかしその表門は周囲の暗がりの中で堅く閉ざされている。
(今日の作業はもう終わってしまったのであろうか?)
十兵衛はそう思いながら隙間から灯りが漏れている表門に近寄った。
カンカン
カンカン
すると門の中で金属を打ち鳴らしている音が聞こえてくる。今日の作業がまだ続いている様であった。
「御免あれ!」
十兵衛は工場の中まで届く様な大きな声を上げた。そして暫くすると、一人の下男がらしき者が門の扉を開けて出て来た。十兵衛は男に軽く会釈をした後、夜分に失礼と先置きしながら藤九左衛門への面会を申し出た。
「こちらへどうぞ」
するとその下男らしき男はすんなりと工場の中に招き入れてくれた。
(こうもすんなり入れてくれるとは…)
少し逆の立場で考えると、帯刀した者をこの様な時間に立ち入れる事は工場の安全上に問題がある様に思う。もう時間からして断られる可能性の方が高いのではないかと思っていた十兵衛は少し違和感を感じながらも、先ずは難無く工場内に通されたことに安堵していた。
藤九左衛門の工場は生活の場も兼ねている様で、作業場とは別に幾つかの屋敷が連なっていた。下男らしき男は一棟の屋敷に入ると、行灯が点々と灯る廊下を伝って一室に案内してくれた。
「この部屋でお待ちください」
そう言って立ち去る下男に最後まで自分を警戒する様子は無い。
十兵衛は腰の太刀を横に置き、座して藤九左衛門を待つことにした。すると今度は工場の若い女中らしき者が会釈をして部屋に現れ、一杯の茶を差し出してきた。
「かたじけない」
十兵衛は茶を受け取りながら、突然の訪問に対する自分に対して、やけに好待遇だと思った。国友を訪れてからこれまで何れの場でも始めは冷遇状態から始まっており、この様な客人扱いを受けたことは無い。
(藤九左衛門殿の工場は訪れる者拒まずなのかも知れぬ、この調子で鉄砲製作の依頼もすんなり受けてくれると良いのだが…)
十兵衛は茶椀の中で浮き沈みしている茶柱を見つめながら交渉が無事に進むことを期待した。
暫くすると今度は工場の自分と同じ位の年代の若い工人らしき者が部屋の前にやって来た。その若い工人は十兵衛を見て首を捻ると、部屋に入る事無く十兵衛に問い掛けた。
「えーと、あなた様は?」
そう言えば自分はこの工場に入り、この部屋に通され、茶を馳走になっているこの状況まで全く素性を明かさずに来ている。十兵衛自身も不思議に思いながら答えた。
「私は京の幕府の者で明智十兵衛と申す。此度一つ製作の依頼事があり参った次第ですが、藤九左衛門殿は御在場でしょうか?」
それを聞いた若い工人は十兵衛の問い掛けには答えず、バタバタと慌てて廊下の奥へと駆け戻って行った。
(何だ?)
十兵衛はその対応を不審に思いながら廊下に出て、若い工人が向かった廊下の先を窺った。
廊下の奥では先ほどの若い工人が、仲間の工人たちに慌てながら話し掛けていた。
「おい、違う奴だぞ!」
「何、本当か?」
「こんな時間に事前の連絡も無しに訪問して来る奴がおるのか?」
「非常識であろう」
「幕府の者とか言っておった、太刀を持っておったぞ」
「何、本当か、最近流行りの強盗の類ではないのか?」
「こんな時分にその様な者を通して、危険であろう」
「丁重に帰ってもらえよ」
若い工人たちは人違いで十兵衛を工場に招き部屋に通したことに気が付き、この後の対応をどうするか困惑していた。
その時、十兵衛もまた彼らとは違う困惑の表情を浮かべていた。
(全部聞こえているんだよ!)
彼らの会話は十兵衛に全て筒抜けとなっていた。
どうやら自分は別の誰かと間違えられてここまで通されたらしい。ここまでの好待遇の理由が分かったという点については納得できる所であったが、啜った茶の渋みと共に居心地が悪くなるのを感じる。
きっと彼らはこの後自分を追い出しにかかるであろう。しかし自分もここで簡単に帰る訳には行かない。十兵衛は再び座して彼らの次の対応を待った。
暫くすると、再び先程の若い工人がやって来て、今度は部屋に入ると十兵衛の目の前に腰を下ろした。そして先程とは異なる少し強い口調で話し掛けて来た。
「もうこの夜分にて今日の所はお引き取り願えますでしょうか?」
「そこを曲げて是非面会のほどお願い申す」
十兵衛は相手の言葉に対して即座に返答し、目力に圧を込めて若い職人をじっと見つめた。すると若い工人は十兵衛の目線をサッと交わし再び立ち上がった。
「少々お待ちを」
そう言ってまた廊下の奥へと戻って行った。十兵衛はその様子を窺いながら再び廊下まで出て奥の様子を伺った。するとまた彼らの会話が聞こえて来る。
「だめだ、あ奴、自分は梃でも動かぬ、みたいな顔してくる」
「本当かよ、面倒くさい奴を屋敷に上げちゃったな」
「皆で脅して追い払うか?」
「そうだな、皆で威勢よく出て行けば尻尾巻いて逃げるだろ」
「馬鹿、相手は太刀持っているんだぞ、暴れられたら大変だろうが」
「確かに、それは大事になってしまう、脅し方を考えねばならぬな」
「この世の者では無い者の脅しなら行けるのではないか?」
「おお、それいいね!」
十兵衛はその彼らの会話を耳にして今度は思わず笑みを溢した。自分が仕掛けた返答に対して相手の反応が手に取る様に分かり、その先の対応策を考えておくことができる。もう少し粘れば、相手はもう藤九左衛門との面会を取り繕うしかなくなる、十兵衛はそう思った。
(ただこの太刀は振り回せぬなぁ)
十兵衛の太刀は先程の山法師との戦闘で根元から折れてしまっている。十兵衛は太刀が収められた鞘を横目に見ながら、再び部屋の中に戻り、座って彼らの次の対応を待った。
また暫くすると、先ほどの若い工人が三度やって来て、十兵衛の前に座った。今度はまたこれまでと様子が異なり、暗く沈んだ声で話し掛けて来る。
「実はここの所、この工場では夜間に不意に訪れた者が奇怪な者に遭遇し、凄まじい形相で命を落とす事件が頻発しておるのです。我らの間では、近くで徘徊している鬼業のせいではないかと噂しあっています。悪いことは申しませぬ、本日はお引き取りください」
十兵衛は緊張感を煽る様に話す若い工人を前に、思わず笑ってしまう所を必死に堪えながら、逆にその話に乗って恐がった表情を見せた。
「そ、それは何とも恐ろしや…、そんな者に遭遇したら面談どころではない…、その時は全力で逃げましょう」
十兵衛はそう言いながらこの場に居残る態度を示した。
「お気を付けください」
言葉だけでは帰らないと思った若い工人はまたその場を立ち上がり、廊下の奥へと戻って行った。十兵衛は彼の動きを追って再び部屋の前に出て廊下の奥の様子を窺った。
「いけるぞ、あ奴、完全に話に怯えておった、恐いのは駄目そうじゃ」
「よし、やるか、確か倉庫にあったろう」
「ああ、安全祈願の際に使ったやつがあるはずじゃ」
「ははは、きっと驚くぞ、逃げる様子が楽しみじゃ」
その彼らの会話は全て十兵衛の耳の中を通っていた。
十兵衛は薄笑みを浮かべると、また部屋の中に戻り、時折周囲の気配に恐がる様子を演じながら、彼らの次の対応を待った。
そしてまた暫くの後、十兵衛は不意に廊下の行灯が一つ消えたことに気が付いた。
「ひぃ!」
(おっ、いよいよ来たか?)
十兵衛は少し過敏に恐がる様子を演じながら彼らの対応を待った。十兵衛の演技に応じてまた廊下の行灯の灯火が一つ消え、更なる恐怖を煽って来る。
うおーっ!!!
そして次の瞬間、大きな雄たけびが廊下で響き渡り、同時にドスンドスンという音が迫って来た。
「うわ~、何じゃ~、恐い~~~~~~、」
十兵衛は頭を抱えて恐怖の声を上げた。
うおーっ!!!
うぉーっ!!!
うおーっ!!!
たーべーちゃーうぞー!!!
廊下から迫っていたのは四人の鬼の格好をした若い工人たちであった。若い工人たちは十兵衛の恐怖の声を聞いて、更に威勢を挙げながら部屋に迫った。この姿を目の当たりにしたら、あの男は一目散に逃げ出すであろう。四人はその姿を想像しながら鬼に成りきって廊下を進み、十兵衛のいる部屋の前でその姿を現した。
「うわー、出たー!!!」
次の瞬間、四人は部屋で自分たちに恐怖の視線を向けている十兵衛の姿を目にした。今にも泣きそうなその表情は直ぐにも全力で逃げ出しそうな勢いだった。
うおーっ!!!
うぉーっ!!!
うおーっ!!!
たーべーてーやーるー!!!
若い工人の四人は十兵衛の前に進み目の前で強烈に威嚇した。
(ここもう逃げ出すとこ!)
そう思いながら部屋に入り込み十兵衛に歩み寄った。しかしこの後の十兵衛の対応は彼らが思い描いていたものとは違っていた。
「十兵衛は負けぬぞぅ、藤九左衛門殿の工場に潜む鬼たちめぇ、成敗してくれる~」
十兵衛は泣きそうな表情でそう言い放つと、次の瞬間、横に置いていた太刀を左手に掴み、鞘から太刀を抜く様子を見せ、逆に鬼たちに斬り掛かる勢いで迫って行った。
うわっ!
ちょっと!
あぶなっ!
ちがっ!
すると鬼に身を扮した四人の若い工人たちはその十兵衛の対応に驚き、一目散で廊下の遠くへと逃げ去って行った。
(全く、私は子供か…)
彼らが逃げ去った後、十兵衛は少し呆れていた。
多人数と鬼の形相で自分を追い帰そうと思ったらしいが、完全に子供だましであった。十兵衛は再び廊下に出て彼らが逃げ去った先の方を窺った。しかし今度は屋敷のかなり奥まで行ってしまったらしく、彼らの気配は無い。十兵衛は部屋に戻ると再び太刀を置いてその場に座り込んだ。
すると何事もなかったかの様に先ほどの女中が部屋に訪れて、十兵衛に茶のお代わりを問い掛けてきた。
「あ、ああ、かたじけない」
十兵衛は空いた茶碗に注いでもらうとまた改めて次の応対を待つことにした。
茶碗の中で浮き沈みする茶柱は二本になっていた。




