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天下の再構築 ~信長幼将戦記~   作者: 飛里信成


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第六章 継承 都の統治者(5)

~近江国国友~


 観音寺から琵琶湖岸を北上した北國街道沿いにあるその町は古来より鉄工を主力とした職人たちが集まる場所だった。町内のあちこちでは朝早くから煙や水蒸気が立ち上り、鋼を打ち下ろす音が鳴り響いていた。


 そんな国友に幕府管領の細川晴元は鉄砲の製作を依頼するため、二十人ほどの伴を連れて訪れた。十兵衛はその供の一員として同行していた。晴元と十兵衛は国友の長である善兵衛が街道裏手の精錬の工場にいることを知ると、早速赴き面会を求めた。


「儂に何用か?」


 工場で二人が面会した善兵衛という男は妥協を許さない頑固な職人という印象の初老の男だった。


(交渉、手強そうだな…)


 鉄砲製作の依頼を円滑に進めるためにどの様に話を運べば良いか、十兵衛は話の取っ掛かりを窺いながら、気難しそうな表情を浮かべる善兵衛の内情を見定めていた。しかし管領の晴元はその様な事を気に掛ける事は無かった。


「都の足利将軍の要望じゃ、直ちにこの鉄砲の複製に取り掛かってもらいたい」


 それは配下の者に指示を出す様な言い方であった。晴元は単刀直入に要件を述べると、持って来た鉄砲を善兵衛の面前で箱から出して見せた。


 しかし今の戦乱の世において幕府の力は低落しており、その様な依頼を受けるかどうかは相手の意思に委ねられる。


「なんじゃこりゃ、鉄砲だぁ? こんな面倒くさそうなもの、作っておれぬわ!」


 善兵衛は鉄砲を手に取って一度見回した後、ぶっきら棒にそう答えた。


 晴元は思いも寄らぬその返答に言葉を失った。


 国友への鉄砲製作の依頼など幕府管領の自分が自ら足を運べば、その権威であっという間に話が進むだろうと楽観的に考えていた。


(幕府の権威は…)


 この都から然程遠くない国友ですら幕府の権威が通じない。晴元は幕府と自身の力の弱さを痛感させられ、成す術なく項垂れた。


 十兵衛はその晴元の横で依頼交渉の厳しさを実感していた。


(割に合わぬと見られたか…)


 十兵衛は善兵衛が鉄砲を一度手にした時の様子を見図っていた。善兵衛は鉄砲を手に取って見回しながら、一瞬にしてに製作の難易度や掛かる費用、売価、市場と需要規模を割り出し、費用対効果において割りに合わぬと算段したのだと思った。


 今国友で製作されている鉄工具や鉄器、装飾品などは様々な民衆を対象としており、職人たちが長期的に安定した生活を送るための需要が見込まれている。しかしながら、鉄砲は複雑な工程を必要とし、各部に高い精度が求められ、生産能力においても難点が多いにも関わらず、需要としても一部の裕福な大名にしか売れぬと思われる。善兵衛は短い時間ながら、そこまでの考えを経て拒否という判断に到ったのだろうと思われた。


(何とか前向きに考えてもらえる様にしなければ…)


 十兵衛は依頼交渉という戦場において、既に精神的に玉砕している様相の晴元を横目に、話の取っ掛かりを考えていた。


 しかし相手はそのための猶予を与えてはくれない。


「話はそれだけか、ではもう帰れ!」


 激しい勢いで善兵衛に怒鳴りつけられた晴元と十兵衛はそのまま力づくで外に追い帰されてしまった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 けんもほろろに依頼を断られた晴元と十兵衛は出直しの機会を思案しながらトボトボと湖畔の小道を歩いていた。二人の後には同様にトボトボと二十人程の衆が続いている。


 晴元が十兵衛に訊ねた。


「十兵衛、如何にすれば良いかのぉ?」


 これまで幕府管領という立場にて、直接この様な交渉事を行った事はない。晴元は早くも万策が尽きたも同然の状態になっていた。


「さて、どう致しましょう、諦めるというのは…」


 十兵衛は少し冗談を交えて返答しかけたが、意気消沈した様子で湖を眺めている晴元を見てその言葉を止めた。


 晴元は湖面の波に過去の思いを遡らせていた。


 細川管領家の権力争いに敗れた父と共に京を追われ阿波に逃れるために渡った瀬戸内の海、その後阿波で没した父の跡を継ぎ、四国勢の協力を得た後、管領として京の都の統治者に復帰したが、かつての細川管領家の威厳は完全に失われており、今や管領職は名ばかりになっている。


(強い管領家を、鉄砲の力で…)


 そう思いを強める晴元の前方の湖上では幾艘もの小舟に乗った漁師たちが漁を行っている。漁師が網を使って当たり前の様に漁を行なう様に、自分は鉄砲を使って安定した政務を執り行わなければならない。


 晴元は十兵衛に語り掛けた。


「十兵衛、儂は生まれながらに細川管領家を背負っておる。だが一度京を追われた我らは一度滅んでおるのに等しい、今、儂が管領としての体裁を保っておられるのは六角の義父上の後ろ盾があってこそだ。儂は何とか自力で管領家を盛り上げていかねばならぬ」


 それは晴元の管領家の継承に込められた思いだった。


(同じく先の見えない継承だな)


 十兵衛は先の若狭武田家の兄弟の継承への思いを思い起こしていた。


 幕府管領細川家、この継承を考えると人生の重荷でしかない様にも思える。しかしこの人生の全てを掛けて家を盛り返そうとしている晴元の苦悩には、明智家の継承を放棄した自分にとは真逆の何か心打たれる物がある。


 十兵衛は晴元の思いを汲み取りながら応えた。


「観音寺の定頼様の御父上である六角頼高様は何度も城を追われながらも都度復帰され、機を見ながら更に勢力を拡大させていったとお聞きします。一つの勝利にてまた情勢は大きく変わりましょう」


 それは晴元への励ましの言葉を添えての返答だった。


ふっ


 晴元は思わず笑みをこぼした。


 自分はその立場を忘れて若い十兵衛に少し愚痴を溢してしまった様だと思った。どの様な状況となっても家名を背負った以上は前を向いて事を進めなければならない。


「そうだな十兵衛、義父上は御長男の兄上が若くして亡くなられた後、六角家を継承されあそこまで家を発展させてこられたのだ。それには戦略の試行錯誤と的確な状況判断、そして状況転換までの粘りが大切だと聞かされてきた」


 義父定頼の存在が精神的にも晴元の後ろ盾となっている。言葉に力が戻ってきていた晴元に十兵衛も笑顔を見せた。


「粘り、確かに大事ですね、晴元様、何が起きるか分からぬのが今の戦乱の世と思えば、常に状況は変化していくもので、問題はそれまで粘れるかどうか、という事になりますね」


 十兵衛は殊更に粘りを強調して見せた。晴元はその言葉の意味を理解してまた笑みを浮かべた。とにかくここは善兵衛に再度粘りの交渉をしてみましょう、十兵衛は暗にそう伝えてきている。


(望むところだ)


 意を固めた晴元は一行の他の皆に向かって声を上げた。


「再度鉄砲製作の交渉に行く」


 力強い号令の後、晴元は皆の先頭に立って善兵衛の再び工場へと向かって行った。そこには強い幕府管領家の武家の棟梁の姿があった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 再度工場の前に着いた管領晴元の一行は、討ち入りの如く全員一斉に工場に乗り込むと、鬼気迫る勢いで善兵衛に詰め寄って行った。そして善兵衛の前で腰を落とすと、一斉に深々と土下座をしながら叫んだ。


「善兵衛殿、鉄砲の製作、今一度御頼み申す!」


 その勢いに一瞬たじろいだ善兵衛であったが、直ぐに平静を取り戻すと素気無く言い放った。


「何度来ても同じじゃ、鉄砲など作っておれぬ!」


 すると今度はその騒ぎを聞きつけてか、工場の奥から鉄工職人のなりをした屈強な体格の男たちが集まって来た。


「何じゃ、善兵衛殿、この者たちは?」

「どのぞの武家者か?」

「この忙しいのに!」

「全く困ったものだ!」


 男たちは国友の親方衆の様であった。


(何か会合が始まる所であったか…)


 十兵衛は彼らの表情を窺った。皆自分たちを招かざる客と見ている様で厳しい目を向けている。しかしその中で善兵衛の表情からは厳しい目の中に何か他の者たちとは異なる意図が感じられる。


(一方的に拒否している感じでは無い気がする、何だ?)


 十兵衛は善兵衛の胸の内を覗き見ようとした。しかし今度は集まって来た親方衆たちがその時間を許さない。


「おら、ぬしら邪魔じゃ!」

「とっとと出ていけ!」


 怒号を浴びせながら圧倒して来る親方衆に、十兵衛を含め晴元の一行は全員工場の外へと追い出されてしまった。


「またもや交渉すらさせてもらえぬとは…」


 管領の自分が恥を捨て土下座までしてみせたのに、全くその効果が無かった。晴元はまたもや交渉も出来ず、呆気なく追い出されたことを残念に思っていた。


 十兵衛はその晴元の横で先程の善兵衛の表情を思い起こしていた。


(分からぬ、あの善兵衛殿の表情…)


 その表情を窺う限り、全く交渉の余地が無いとは思えない。しかし交渉の進展に向けた切っ掛けが見つからない。


(見つからぬ内は…、とにかく当たって砕けろだな)


 十兵衛は意を決すると晴元の方を振り向いた。


「晴元様、ここは再度私一人で交渉に臨んでみたいと存じます」


 晴元はその十兵衛の提案を聞いて少し心配に思った。十兵衛に何か策がある様とは思えない。しかしこの依頼交渉を何とかしようという、やる気があることは分かる。


「そうか、十兵衛、難しいと思うが、頼むぞ」


 自分自身にも案が無い晴元は十兵衛のやる気に掛けて交渉を一任した。


 十兵衛は晴元に向かって一つ頷くと、すぐさま単身で善兵衛のいる工場へと乗り込んで行った。


ドタンバタン、ダーン!

 しかし十兵衛は派手な響きと共に、すぐさま転がりながら飛び出て来た。


「あいたたた…」


「帰れと言ったろうが!」

「もう来るなよ!」


 工場に入って直ぐに先程の親方たちに取り押さえられ、外へと放り出された様であった。


「いたたた、よし、今一度!」


 十兵衛は親方衆たちに罵声を浴びせられながらも、善兵衛との交渉の切っ掛けを探っていた。今回僅かな表情の変化からその胸の内が見えて来た様な気がする。十兵衛は更なる確証を得るため、再び工場へと乗り込んで行った。


「じゅ、十兵衛、大丈夫か…」


 晴元が心配したその時だった。


ドカーン!


 工場の中から戸口をブチ破ってまた十兵衛が吹っ飛ばされて来た。


「いい加減しつこいぞ!」

「痛い目に合っても分からぬのか!」


 工場から出て来た親方衆は激しい剣幕で十兵衛に怒鳴り散らした。


 その状況の中で、当の善兵衛は十兵衛が投げ出された時にその身から落とした物を拾い上げていた。小さな金属の塊、するとそれを目にした瞬間、善兵衛は驚きの表情に変わり、土埃まみれとなっている十兵衛の所に来て問い詰めた。


「おぬし、これを何処で手に入れた?!」


 それは鋼の勾玉であった。


 その勾玉は若狭から来る途中の峠で車借の子にもらったものだが、表面の円滑な状態や、見た目の大きさと重量の釣り合いが普通では無かった。十兵衛も純度の高いかなり良質な鋼で作られた勾玉だと思っていたが、それはどうやら鉄工職人の善兵衛から見てもそう思うらしい。


「あ、それは…」


 十兵衛がその勾玉について説明をしようと思ったその時であった。


「あー、兄ちゃんだ!」

「おお、あなたは?」


 見覚えのある親子がその場を通り掛かった。それは正に峠道で荷車が壊れ難儀していた車借の親子であった。


(そうそう、この子から貰った)


 丁度良く現れる親子に十兵衛はそう心で思いながら、その再会に笑顔を見せた。車借の父親は丁寧にお辞儀をしながら十兵衛に声を掛けた。


「その折は馬を拝借頂き助かりました。おかげさまで無事に荷物を運ぶ事ができました。それでこの様な所で如何されたのですか?」


 その車借の父親の問い掛けに、どう答えようかと思いながら苦笑いを浮かべていた十兵衛だったが、その前に親方衆の怒号が飛んで来ていた。


「こ奴は我らにしつこく鉄砲なる物を作れと言って来ておるのじゃ」

「そんなよう分からぬ物は作っておれぬから、追い返しておった所じゃ」


 車借の父親はそれを聞くと、善兵衛に向かって言った。


「義父上、この方がこの間お話した若狭から来る途中、荷車が壊れて難儀していた時に馬を譲ってくれた方なんです。今、出雲のたたら鉄を使って製品が作れるのはこの方のおかげ、何とかなりませぬか?」


 車借の父は善兵衛の娘夫であった。善兵衛は少し考え込んだ後、鋭い睨みを効かせて言った。


「ならぬ、国友の職人の生活が第一だ!」


 娘夫としてもその様に強く言われては何も言えない。すると車借の幼子が義祖父の手の中に自分が十兵衛に渡した勾玉を見つけて叫んだ。


「あぁ、じいちゃん、それ兄ちゃんにあげたやつだよ」


 その幼子は善兵衛の手から鋼の勾玉を取り上げると、更に義祖父にお願いする様に言った。


 「じいちゃん、この兄ちゃんはいい人だよ、助けてあげて!」


 頑固な職人の善兵衛であったが、孫の頼みは無下に出来ない。


「もちろんだよ、爺ちゃん、いっぱい手伝うぞぉ」


 善兵衛の顔は全く別人になっていた。


(はっ?)


 周囲にいた親方衆と晴元の一行の双方全員がこの急激な話の展開を理解出来ずにいた。


(やれやれ、急所を付かれると脆いというのは戦も交渉も同じだな…)


 孫は善兵衛の急所になっていた様であった。十兵衛も鉄砲製作の依頼交渉がようやく前進しほっとしていた。


「じいちゃん、全力で手伝ってね」

「じいちゃん、全力で手伝うぞぉ」


「じいちゃん、いっぱいいっぱい手伝ってね」

「じいちゃん、いっぱいいっぱい手伝うぞぉ」


 緊迫感が崩れた爺と孫の会話は尚も続いていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 その後、善兵衛は工場に戻り腰を降ろすと、複製に向けて、改めて晴元が持って来た鉄砲を詳細に確認する事にした。その表情は元の職人のものに戻っている。


「なるほどな、鉄筒の中で火薬を爆発させ一方向に向けて弾を飛ばすという構造か」


 善兵衛は鉄砲の構造を見渡しながらその原理を理解すると、その詳細な製作の方法を想像しつつ、製作の課題になる事項について考えていた。


「どうじゃ複製できそうか?」


 晴元が訊ねると、善兵衛は幾つか鉄砲の部位を指し示しながら答えた。


「この鉄筒の部分、この引き金のからくり部分、そしてここの銃床との接続部分は他の工場の者たちの協力が必要だ、そうだな助太夫、兵衛四郎、藤九左衛門の三人が良かろう」


 その名前を聞いた十兵衛は徐に立ち上がった。


「晴元様と善兵衛殿はこれから掛かる費用の算段や部材の手配など早急に行うべき事が御座いましょう。その御三方には私が協力の依頼と取り付けて参ります」


 そう言って十兵衛は三人の居場所を訊ねた。


「三人とも癖が強いからな、心して行け」


 善兵衛は三人の工場の場所を伝えた後、その依頼に当たっての忠告を付け加えた。三人の癖とはどういうものであろうか、十兵衛は少し気になりながら戸口の方に向かって工場を出て行こうとした。


「あぁ、それからな…」


 まだ他に忠告があるのであろうか、十兵衛は戸口の所で足を止め善兵衛の方を振り向いた。


「この鉄砲の製作だが、儂は孫に頼まれたから受ける事になった訳ではないぞ」


 その善兵衛の言葉を一緒に聞いていた他の者は、『いや、その通りでしょ』と思った。しかし十兵衛は孫の言葉が最終的な切掛けになったと思いながらも、一方で別の善兵衛の様子を捉えている。


「分かっておりますよ、善兵衛殿は他の親方衆とは明らかに異なる目で我らを見ておられました。我らの鉄砲の製作依頼に掛ける本気度を試しておられたのでしょう」


 そう言って一つ笑みを見せると、十兵衛は颯爽と工場を出て行った。


「ふっ、生意気な若造め」


 善兵衛は一言そう呟きながら、内心ではいい仕事が出来そうだと思っていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 太陽が空の頂点に昇りつめる頃、十兵衛は善兵衛が挙げた三人の内の一人で、近くの寺の鬱蒼とした林の中の小屋で作業をしているという助太夫の許を訪れた。


(助太夫殿とはどの様な者であろうか)


 善兵衛への依頼は最初人物の様子が分からず非常に苦労をした。相手のツボとなる話の取っ掛かりが掴めれば、依頼話を容易に進める事ができる。十兵衛は依頼の前に、助太夫がどの様な者なのか小屋の隙間から様子を探ってみることにした。


 小屋の中では二十代前半と思われる小太りの男が、大小たくさんの製作中と思われる観音像の中で黙々と作業に没頭していた。何かその様子は偏執的で近付き難い雰囲気を呈している。


(この男が助太夫殿か、確かに癖が強そうだ…、いやいや、話をすれば印象が変わるやも知れぬ)


 十兵衛はこれまで色々な事に興味を抱き、理解し、精通してきており、様々な世界観の人に合わせて多角的な思考を充てることが出来る様になっていた。しかし、目にした男にはこれまでに無い異世界感を感じる。十兵衛は内心少したじろぎながら小屋の戸を開けて声を掛けた。


「御免、助太夫殿とお見受け致す、少々お話をさせて頂きたい」


 いきなり見ず知らずの者が訪れ、作業小屋に入ってくれば驚かれるであろうか、いや、もしかしたらまた先程の様に摘まみ出されるかも知れない。十兵衛は色々な展開を予測しながら、工場の中に置かれた観音像の合間を縫って助太夫に近付いた。そして助太夫の前で来て片膝を床に下ろすと、依頼について述べ始めた。


「私は都の幕府に仕えておる者で明智十兵衛と申します。此度鉄砲の製作をこの国友の善兵衛殿に依頼しておるのですが、助太夫殿にも製作に御助力頂きたく参画へをお願いに参った所存です。お忙しの中、申し訳ありませぬが、今から共に善兵衛殿の工場にお越し頂けませんでしょうか?」


 十兵衛はそう述べ終えると、助太夫の反応を窺った。


(さてどう来る…)


 こちらの依頼にこの相手はどう応答してくるか、受諾か、拒否か、目の前の相手は作業の手を止め無言で自分の方を見ていた。


(あれ?)


 しかしその応答は十兵衛の想定外のものであった。助太夫は十兵衛の話に全く応答する事無く、視線を製作中の像に戻すと再び作業を始めた。十兵衛はこの助太夫の対応に焦った。


(だんまり拒否か…、交渉という中では最も厳しい展開だ)


 相手は自分の存在を気にする事なく黙々と作業を続けている。取り敢えず善兵衛の時の様に追い出される事は無さそうではある。十兵衛は助太夫の横で作業の様子を観察する事にした。


(さてどうするか…)


 暫く様子を見ながら交渉の糸口を探っていた十兵衛であったが、ふと自分の横に置かれていた試作品の観音像に目が留まった時、何気にその印象を口ずさんだ。


「おや、この観音様はいい容姿体型をしている」


 すると助太夫は初めて十兵衛の言葉に反応して、ニヤッと笑みを浮かべた。十兵衛は思わぬその反応に驚きながらも助太夫の心内が読めた様に思った。


(この助太夫殿は我らの依頼を拒否しているのでは無い、ただ観音像製作以外に関心が無いのだ)


 関心事が隔たっている相手に関心を持ってもらうにはどの様にすれば良いか、それはまた新たな課題だった。十兵衛は助太夫が作業している横で再び考え込んでいた。


(どうすれば良いでしょうか、教えてください、観音様…)


 十兵衛は思わず横の観音像に問い掛けた。


 しかし良く考えれば、その像には観音様としての意思は無く、あるのは製作者である助太夫の造形美だけである。この観音像を製作した助太夫の事をこの観音像に問い掛けるのも変な事だと思う。


(観音像から鉄砲に志向を向けさせるのは至難の業だ、他に何か関心事を示す物は無いのだろうか?)


 十兵衛が観音像を見つめながら、助太夫への依頼の困難性を認識していた時であった。


ぐぅ~


 それは助太夫の腹の音であった。それを聞いて十兵衛は閃いた。


(そうか、飯だ、美味い物を食べさせればあるいは依頼を受けてくれる気になるやも知れぬ)


 人間生きるためには食べることが必要で、美味い物には至福の効果がある。何よりもこの観音像に囲まれた工場にいる限りは依頼の交渉にならない。十兵衛は先ず食い物で誘い出そうと考えた。


「助太夫殿、飯に行きませんか、私がご馳走しますよ」


 それを聞いた助太夫はやはり腹を空かしていたためか直ぐに応じた。


(少々気になるが、先ずはよしよし)


 観音像が無いと落ち着かないのであろうか、両手に観音像を手にしている助太夫を連れて十兵衛は町の中心にある湖岸料理の場へと繰り出して行った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 盆に盛られた湖岸料理は見栄え良く盛り付けられ、味付けの方も絶妙で舌鼓を打つ美味しさであった。これであればきっと満足するだろうと思った十兵衛は助太夫に訊ねた。


「助太夫殿、如何ですかお味は?」


 十兵衛は盆の両脇に観音像を載せ、黙々と料理を食べている助太夫に、その満足度を訊いたが反応は薄い。


(この人、何食べても一緒なのかな)


 無表情に食事を熟しているという様なその風景は、さながら食事は体を動作させるための燃料補給という感じで、料理の見た目や味の印象を求めるのは無意味の様に思えた。


(これはもう一度考え直しだな)


 美味いもので鉄砲製作の依頼交渉を進めるという十兵衛の目論見は完全に外れていた。食事を終えた後、十兵衛は助大夫の工場への帰路を歩きながら、新たな策を考え始めていた。


 暫く歩くと町の通りの中で興業の舞が行われているのが目に入った。


 一人の舞女が琵琶や太鼓の演奏に合わせて舞を披露している。しかし、その出来は今一つで、とても客に披露できる程度の物では無い。現に周囲を通り掛かる人々の反応もいまいちで、留まって見物を続けている観客は少ない。


(あの舞ではな~)


 十兵衛は舞の出来栄えと観客の少なさの相関性に納得しながら、その興業が行われている横を通り過ぎようとした。すると舞を披露していた舞女が突如その舞を中断して自分の方に駆け寄って来た。


「あなた様は峠で手当てして下さったお武家様では?」


 それは化粧と衣装で直ぐには気付かなかったが、若狭からの峠にて怪我している所に手当てを施してあげた女子であった。


「おぉ、其方はあの時の、足は大丈夫そうで何よりであったな」

「貴方様のおかげです」


 そう言って舞女は深々と十兵衛に頭を下げた。


「何をされているのです、御船さま!」


 御船というのはこの舞女の名前であろう。仲間の演奏者たちが、この舞女に早く戻る様に促している。


「ちょっとお待ち!」


 御船は一座の中では強い立場なのであろう、困惑している他の皆を制していた。そして十兵衛の隣りにいた助太夫の存在に気が付くと、笑顔を見せながら十兵衛に訊ねた。


「あら、こちらの方はこの間御一緒されていた方たちとは違うのですね」


 その質問に十兵衛は頷きながら答えた。


「うむ、今回はこちらの助太夫殿への依頼に参ったのだ」

「そうだったのですね」


 すると御船はまた笑顔を見せながら助太夫の両手を取って言った。


「助太夫様、こちらの方にはお世話になったので、こちらの方のご依頼件、よろしくお願い致しますね」

「ん、あぁ」


 助太夫はその時少しながら反応を見せていた。


「御船様―!」


 一座の者たちが御船に早く戻って来る様にと煽る。


「それではまたお会いできればと思います」


 御船はそう言い残すと一座の方へと駆け戻って行った。


「観音様…」


 助太夫は去って行く御船の後ろ姿を見ながらぼそっと呟いた。


 その後、足早に歩き始める助太夫に、十兵衛は助太夫が早く観音像の製作に戻りたがっていると思った。しかし実際に歩き始めた助太夫の方向は作業の小屋の方を向いていない。


「助太夫殿、方向が違うのでは?」


 十兵衛は助太夫が帰りの道を間違えていると思って問い掛けた。すると助太夫は目の前の方向を指差して行った。


「善兵衛の工場はこっちであろう」


 その言葉に十兵衛は驚いた。


「おぉ、助太夫殿、依頼を受けてくれるのか」


 いつの間にか助太夫は鉄砲の製作に協力してくれる様になっている。十兵衛は不思議に思いつつ、助太夫を連れて善兵衛の工場へと向かって行った。


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