第六章 継承 都の統治者(2)
~若狭国小浜~
その京の都の北に位置する湊町にはこの日も早朝から日本海を南北に行き交う多くの商船が訪れていた。
明智十兵衛は越前から乗って来た船を下りると、荷物の運搬で行き来する者たちの中を通り過ぎ、馬に跨って後瀬山城下の壁伝いの道を進んで行った。
この壁の反対側は行先となる守護館であったが、その敷地は非常に広大で、その入口までは遥かに遠く延々と壁が続いていた。
やがて館の入口の門に辿り着くと、その到着の機会に合わせたかの如く、硬く閉ざされていた門が自然と開いた。その門の動きに対して十兵衛に違和感は無い。十兵衛は門の前で立ち止まる事なく館の中へと入って行くと、直ぐ横手にある駐屯所の若い門番たちに声を掛けた。
「お疲れさん!」
十兵衛が軽く手を振ると、門番たちは笑顔を見せながらお辞儀をして通してくれた。十兵衛はこの館では顔見知りの存在で、壁伝いの道を進む間に城外監視の者から門番の方に連絡が伝わっていた様であった。
十兵衛は馬留で馬を降りると、正面の大きな御殿へと入って行った。御殿の中は幾つかの部屋に分かれ、事務方の者たちによる政務が執り行われている。十兵衛は忙しそうに働く彼らの中を素通りすると、そのまま御殿の奥へと向かって行った。
中庭に集まる農民たちを横目に見ながら廊下を歩いて来た十兵衛は、その先にある一室の前で足を止めるとその部屋を覗き込んだ。すると部屋でちょうど接客を終えた一人の男がその十兵衛に気付き声を掛けてきた。
「おう、十兵衛、久しぶりだな、元気であったか?」
それは若狭守護家の当主武田信豊であった。信豊は十兵衛の母方の叔父で、幼少の頃、美濃を出た自分の面倒を見てくれていた。
「はい、叔父上、お忙しのところ申し訳ありませぬ、訪問の御挨拶に伺いました」
十兵衛はこの館への到着に際して、先ずは主である叔父の信豊への挨拶と思い赴いた。しかし若狭の領主である信豊には次の対応事が控えていた。中庭の農民たちは信豊の姿を目にすると信豊に向かって一斉に騒ぎ立てた。
「武田さま、丹後から荒らしに来る連中さけぇど、きいてけんな」
「ごうがわく、ほたへてひでぇから、なんとかしてけんほしい」
「まえぇどまえぇど、作物へぇかまされてほんまにかなん」
「とにかくみておくれなさぇ」
農民たちは信豊に田畑を荒らされている窮状を信豊に訴えるために集まっていた。
「皆の者、すまぬが少々待たれよ」
信豊は少し時間を求めたが、もう既に長時間も居並んでいるためか、農民たちの窮状に対する不満は治まらない。信豊はそれを無視して十兵衛に小声で訊いた。
「この館には暫くいられるのか?」
「いえ、今晩のみにて、明日は近江の御爺上の所に赴く予定です」
最近の活動はどうか、周辺諸国の動向はどうか、その様な話をしたかった信豊であったが、十兵衛も独り立ちして多忙な日々を送る様になって来ていると見受けられる。信豊はその十兵衛の返答に理解を示しながらも残念そうに応えた。
「そうか、儂は今この通りの状況にて、これから領内の視察に回らねばならぬ、いずれまたゆっくりとな」
背後では側近の者たちが必死に農民たちをなだめており、今自分とゆっくり話をする余裕は無い様に見える。
「はい、では叔父上、また」
「うむ」
信豊は十兵衛に笑顔を見せると、農民たちの窮状に耳を傾けるべく、彼らの許へと向かって行った。
十兵衛は義叔父である信豊の後ろ姿に一礼すると、その場を離れ再び御殿の入口へと戻っていこうとした。すると次の瞬間、別の部屋から二人の若者が現れ、目の前の行く手を遮ってきた。
「陽射ししむ明地に咲ける桔梗かな」
若者の一人が歌を詠み掛けてくると同時にニヤッと笑顔を浮かべ、歌に対する自分の反応を窺ってきた。しかしこの突然の出来事に対して、十兵衛は予め想定したかの様に動じる事無く、冷静にその歌の意味を詠み解くと、その若者に対してニヤッと笑顔を返し、次いで歌を返した。
「越山若水を帰郷と思ふ」
十兵衛は東から訪れた自分を歓迎する相手の歌に対し、相手の桔梗を帰郷に変え、故郷に戻って来た様に懐かしむという思いを込めた歌を返した。
二人が競う様に歌を繋ぐ中で、またもう一人の若者が歌を繋げた。
「朝まだき興そふなるや時鳥」
その若者は二人に繋いでききょうの句を忍ばせつつ、十兵衛を時鳥(土岐の鳥)と見立て、歌合わせを楽しむ思いを込めていた。
「はっははは…」
「ははははは…」
「あはははは…」
三人は歌を詠み合わせた後、互いの顔を見て笑い合った。三人が綴ったのは連歌であった。
十兵衛の前に現れた二人の若者は若狭守護武田家の嫡男彦二郎とその実弟の右衛門であった。二人は十兵衛の母方の従兄弟に当たり、兄の彦二郎は二歳年長、弟の右衛門とは同い年と年の頃が近く、幼少期から高い素養を持っていたことから良く気が合い、兄弟同様に十年来の付き合いとなっていた。
この若狭武田家では戦乱の世においても文化的な素養が大事にされ、連歌においても度々京から連歌師を招いて会が催されていた。
久し振りの再会への思いを、三人は共通の趣向である連歌にて繋げ合っていた。そしてその歌の繋ぎが上手くまとまったことに声を上げて笑い合った。
「ははは、よう来たな、十兵衛」
「さぁ、こっちじゃ、茶でも飲みながら話そう」
「あぁ」
この御殿は事務方の者たちが忙しく動き回っており落ち着かない。十兵衛は二人に連れられて御殿を出ると、館の奥の庭園の方へと向かって行った。
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三人は庭園の奥にある竹林に囲まれた草庵に場所を移した。
草庵は僅か一間のこじんまりした造りで、他に人は無く、落ち着いて話ができる場所となっていた。三人はここで茶の湯を立てながら近況を話し合うことにした。
「どうじゃ、この若狭の状況は?」
十兵衛が訊くと二人は少し困惑した顔を見せた。
「やはり畿内での戦の影響が痛い」
「家来衆の中には従わぬ者も出て来ておりますからね」
前年、二人の父である武田信豊は国内情勢に余裕が無い中、管領細川晴元の要請に応じて畿内に派兵し、敗け戦の末、大きな損害を被っていた。晴元が敵対している阿波三好家は貿易都市として莫大な利益を上げている堺の支援を受け畿内への勢力を伸ばしていた。晴元は勢力維持に苦慮する状況となっていて、その後も度々派兵の要請が続いていた。
「派兵は断れぬのか?」
十兵衛は若狭武田家の将来を心配しながら訊ねた。現状畿内に派兵してまた負け戦となれば更なる求心力の低下に繋がってしまう。この負の連鎖は国内の治安維持に直結しており、断ち切らねばならないと思った。
「晴元様も苦戦されておる状況なれば、派兵は断れぬであろう」
「御爺上様の力で何とかできれば良いのだけど」
御爺上とは近江の管領代六角定頼のことで、三人とは義祖父の関係にあった。管領細川晴元と武田信豊は何れもこの六角定頼の娘を正室としており、三家は一蓮托生の仲となっていた。
十兵衛は思った。二人は現状の厳しさを十分に理解している。将来の統治に対しては自力にて維持できるかどうか分からない。このままでは他力に縋るしか無くなるかも知れないが、現状有効な手立てが見つからない。
(何とも大変だな…)
十兵衛は将来訪れるであろう二人の苦労について考えさせられる思いがした。二人には将来の選択性無く、勢いが失われつつあるこの若狭武田家を継承する責務が背負わされる。それに対して、自分は明智家の家督相続を放棄した状態で、将来の身分への保障は無いが、将来の進むべき選択性においては自由度が広がっている。
「そうか、厳しいな…」
二人の将来を思って悩まし気な表情を見せる十兵衛に彦二郎はフッと笑って見せた。
「悩んでも致し方なきことだ」
「そうそう、日々やるべきことをやるのみ」
右衛門もそう言ってまた笑顔を見せた。
将来の考えて暗い気持ちになるより、今やるべき目の前のことを全力で取り組み、興味があることを全力で楽しむ。それも人の一生における一つの考え方かも知れない、と思う。
「そうだな、この後状況が好転すると良いな」
そう言って十兵衛も笑顔を見せた。
「それで土岐頼純様の方はどうなのじゃ?」
彦二郎は越前に亡命した元守護家の土岐頼純の状況を通じて、十兵衛の近況を訊いた。
「あの方は相変わらず亡くなられた父親の美濃守護職の継承に拘っておられる」
十兵衛は少し呆れた様子で応えた。
力を失った肩書きだけの守護職、実力の無い単なる飾り職、その様な立場で美濃に戻ったとしても、威勢を張る斉藤道三を抑えて国を治めることは出来ぬであろう。それでも頼純は父の代まで続いていた美濃守護職の継承を望む。自分の役目はその頼純を美濃の守護に就かせることであるが、自分としてはその様な力の無い守護を継承することに意味があるのだろうか、と思う。
しかし若狭武田兄弟の考えはまた十兵衛と異なる。
「まぁ、美濃といえば土岐家が治めるものであろうからな」
「確かに、先ずは土岐の家柄が重要になりますね」
二人は土岐と同じ守護家としての立場から、国を治めるのは幕府から信認された守護大名家でなければならない、という考えを基本としていた。それは統治に必要なのは実際の統治力では無く、古来から続く武家の家柄が優先されるという意味になる。
「いや、この乱世の世においては家柄よりも統治に対する真の力が求められるのではないか?」
十兵衛は違和感を以て反論した。実際に諸国では幾つもの守護家が力を失って没落しており、それは現実に沿った考え方であった。
「そうだな、確かに十兵衛の言う通りだ、美濃の斎藤道三などは守護家不在の新たな形で治めておる。よほどその統治の力が優れていると見受けられる」
「我ら守護家は近江の御爺上の様に真の実力を兼ね備えなければなりませんね」
隣り合う美濃と近江で統治に大きな差が生じている。十兵衛は二人の話に頷きながらも、また少し困惑した様子を見せた。
「その御爺上が一番家柄に拘り、美濃の斎藤道三の統治に怒っておられるのだ」
近江の六角定頼は幕府管領代として、古来からの家柄と守護家による統治を特に重要視していた。このため隣国の美濃で守護の土岐家が没落し、道三なる出自の分からぬ者が台頭することに強い嫌悪感を抱いていた。
「確かに美濃が今のままでは幕府にとって好ましいものでは無かろう」
「各国に連鎖する可能性もあれば、放置できないでしょうね」
将軍以下、道三の事例については幕府体制の崩壊に繋がりかねない懸念を持っていた。
「十兵衛も大変な役を負うたな」
彦二郎がぼそっと呟いた。
幕府管領代の六角定頼はその懸念への対策として周辺国の支持による土岐氏の美濃での復権を目論んでいた。尾張に逃げ込んだ土岐頼芸に娘を送って姻戚関係を結び、越前に逃げ込んだ土岐頼純と和睦させ、近江、越前、尾張の周辺国の支持を得ながら一致団結して美濃の支配を固めるというものであった。
その背景には京の東に位置するこれらの国の力を束ねて現幕府側に付け、西の三好方に対抗するという狙いがあった。定頼はその幕府特命の体制作りを行う専任者として、出自や適性、身元の状況などの考慮した結果、外孫でありこれらの国に繋がりを持ち、どこの国にも属していない十兵衛を選出していた。
(十兵衛、東の国をまとめる、そのために美濃が道三などでは困る)
十兵衛は定頼から受けた指示を思い起こしながら、二人に現在の進捗状況を語った。
「越前の朝倉孝景、尾張の織田信秀とは此度共同で蝮退治に動くことになった」
二人はその話を聞いて驚きの表情を見せた。
「おぉ、さすが十兵衛じゃ、越前と尾張が共に動くか」
「というと御爺上の近江の軍も美濃に動くということですね」
かつてない周辺国の共同作戦に二人は興味を沸かせた。
「この後近江の御爺上の所に行って、越前と尾張の状況を報告すると共に今後の指示を仰ぐつもりじゃ」
幕府守護職による国の統治という威信をかけて三国が連携して美濃を改める、それはこの若狭においても今後大勢を通じて関係して来る話であり、二人にとっても考慮しておきたいことと思う。
「そうか、おもしろそうだな、我らも久し振りに御爺上の所に挨拶に行くか」
「そうですね兄上、もう少し十兵衛とも話をしたいですし」
二人の同行の意向に十兵衛は笑顔を見せた。
「ははは、御爺上も我ら三人で訪れればまた喜ばれよう」
「孫の成長をみせて進ぜようぞ」
「楽しみですね」
明日義祖父六角定頼の観音寺城を訪れることを決めた三人はその後、暫しの間、世間話をしながら、草庵での茶の湯を楽しんだ。
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翌日、十兵衛は彦二郎、右衛門と共に小浜を立ち、義祖父六角定頼の観音寺城を目指して琵琶湖へと続く若狭街道を南下していた。
若狭街道は古来より日本海側の国々が京の都に物資を搬送するための重要な経路であり、小浜湊で陸揚げされた諸国の物資は、この陸路を通って琵琶湖岸の今津へと運ばれ、そこから再び湖運で大津へと運ばれた後、京の都へと運ばれていた。
この街道の峠道はその経路における最大の難所であった。三人はそれぞれ自身の荷を運ぶ駄馬を引きながら、路面の岩や木の根、急こう配や狭い道幅などの障害を幾つも越え峠道を登っていた。
彦二郎と右衛門は必死に駄馬を操りながら十兵衛に声を掛けた。
「十兵衛、そろそろ北近江に差し掛かると思うが、浅井は大丈夫か?」
「確か浅井は御爺上に敵対していた様に思ったけど?」
二人の不安そうな問い掛けに対して、十兵衛は淡々と駄馬を操りながら言った。
「大丈夫だ、浅井も先代(亮政)が亡くなられた後、家臣の離反が起きて、今や後を継いだ新九郎(久政)は御爺上に従属しておる」
それを聞いて二人は安心しながらも必死になって進んだ。
「そうか、新九郎も家の継承には苦労しておる様だな」
「でももう御爺上にとっては近江から東に敵無しですね」
浅井家の新しい当主となった浅井新九郎は彦二郎と同い年、十兵衛の二歳年長の同世代であった。家督の継承においては、実績の差異を見られることで家臣や周辺国に侮られ、統治における混迷の度が深まる。先代の浅井亮政が武勇を以て守護京極家から独立した勢いを、実績無く若くして継承した新九郎にそのまま求めるのは酷かも知れない。しかしそれによりこの近江一帯は義祖父六角定頼の一強状態となり、一時的に安泰となっている。
彦二郎と右衛門がこの先の北近江の情勢に安心したその時であった。
「わっ!」
彦二郎は路面の石につまずくと、そのまま体勢を崩して転んでしまった。
「あいててて、あぁ、しまった!」
彦二郎が右足に履いている草鞋を見ると、かえしの紐が切れていた。
「困ったな、この様な場所で、これでは歩けぬ」
困惑しながら彦二郎は草鞋を脱いだ。右衛門はそんな彦二郎の所に駆け寄りながらやはり困惑の表情を浮かべていた。
「迂闊でした兄上、私も草鞋の予備は持ってきておりませぬ」
そんな二人に十兵衛は冷ややかに言った。
「なんだ、ぬしらは草鞋も自分で直せぬのか?」
二人はその十兵衛の言葉にまた別の意味で困惑した。
「そんなもの直せる訳が無かろう」
「えっ、十兵衛は草鞋編めるの?」
「旅をする者であれば当然であろう」
そう言って十兵衛は道端で即座に代用となりそうな蔓を見つけると、彦二郎の草鞋に編み込んで修復させた。
「よし完了、さぁ、先を急ごう」
二人はその十兵衛の手際の良さに感心した。
「さすがに十兵衛は良く旅慣れておる、お遍路さんなみだな」
「そう言えば、十兵衛は昔から工作得意で、何でも自分でやっていたね」
「性分なんだ」
十兵衛は平然と答えた。
そして再び三人は峠道を登り始めた。
その後、暫く峠を登っていた三人は車借(運搬業者)の一家が駄馬の周りで途方に暮れている様子を目にした。その一家にはまだ仕事にはならぬであろう小さな子供の姿も見える。先を急ぐあまり一度素通りしようとした十兵衛であったが、両親と一緒に悩む様子を見せていた子供の表情が気になり、再度戻って声を掛けた。
「如何したのじゃ?」
その問い掛けに一家の若頭と思われる男が答えた。
「見ての通り、路上の石に躓いて荷車が壊れ、荷物が運べぬ様になってしまったのだ」
彦二郎と右衛門も戻り、三人でその荷車を確認すると、駄馬が引く荷車の車輪の片方が破損していた。
「あぁ、これはいかんな」
その状態を見て十兵衛も事態の深刻さが理解できた。
「簡単に壊れる荷車では無いのだが…」
若頭の男は荷車の破損に対して、信じられないという思いの様であったが、そもそもこの峠道を荷車を使って運ぼうとする所に無理があると十兵衛は思う。
恐らくこの一家は初めてこの街道を通る者たちなのであろう、十兵衛は一家の様子を見ながらそう思った。
「これはさすがに先程の草鞋の様にはいかぬな」
「この峠では難儀ですね」
彦二郎と右衛門は状況が深刻であるとは思いつつ、事態は自分たちとは関係の無い所という感じでいた。一方で十兵衛は自分自身への課題と位置付け、その荷物を確認させてもらいながら一家と一緒に対処法を考えていた。
(何だ、この荷物はかなり重い、この重い荷物をどうやって運ぶか?)
十兵衛は駄馬の状態や荷物の重さを確認すると、一つの解決案を思い付き、荷車の板材や紐を組み合わせて、馬の背の左右に釣り合いを保ちながら運べる様にした。
「しかし、これでは全ての積荷を運ぶのは無理だ」
左右の釣り合いを取ることで、山中でも駄馬の負担をなるべく減らす工夫を施している。しかしそれでも元々荷車で運んでいた荷物の半分しか載せられない。残りの半分を人の力で運べる余力は無く、若頭の男は残念そうな顔を見せた。
すると十兵衛は自分が引いて来た馬も同じ様に積載できる様にした。そして残りの半分の荷物を載せながら言った。
「この馬を使うが良い」
一家の者たちはこの十兵衛の思いも寄らないはからいに大いに驚きながら感謝した。
「ありがとうございます、大変助かります、でも貴方様は馬が無くなり困るのでは?」
「いや、私の荷物は然程でもない、同行している二人の馬に分散して載せても十分行ける」
彦二郎と右衛門が呆れ顔を見せる中で、十兵衛は一家に心配無用と笑顔を見せた。しかし若頭の男は高価な馬を譲ってくれるという、十兵衛にまた気遣いながら言った。
「我らは本当に助かります、しかし行きずりの我らに馬をお譲りなさるというのは…」
「気になさるな、私が引く馬はこういう事態も想定して然程高価な馬ではない」
そう言って十兵衛は一家の荷物を自身の馬に載せ終えると、自分の荷物を彦二郎と右衛門の馬に振り分けて載せ始めた。すると一家の子供が十兵衛に近付いて来て、笑顔を見せながら小さな手を差し出してきた。
「お兄ちゃん、これあげる」
十兵衛はその子につられて思わず笑顔を見せた。
きっとこの子は自分が何を施したのかについては、理解できていないであろう。おそらくは自分の一家に明るさを取り戻してくれた、ということを感じてお礼がしたいと言っているのだと思う。
「ありがとな、いい子だ」
十兵衛は腰を下ろしてその子の視線に合わせながら一度肩に手を当てた後、その子が大事にしていたものであろうものを両手で大事に受け取った。
(何!)
するとその瞬間、十兵衛は手の平にずしっとした重量感を感じた。それは光沢のある金属で作られた勾玉だったが、大きさの割にこれまでに感じたことの無い重量感がある。
(こ、これは…)
驚きながらその子供の方を見返したが、既にその子供は既に一家の方に走り去って行く所だった。十兵衛はこの勾玉のことが気になったが、一家も再出発の準備を急いでおり、自分たちもこの場でかなり時間を費やした中で、先を進まなければと思う。
十兵衛は勾玉を懐にしまうと、綱を手にした彦二郎と右衛門に道の先を示して言った。
「よし完了、さぁ、先を急ごう」
十兵衛は一家に手を振りながらその場を後にした。彦二郎と右衛門は馬を引きながら十兵衛の後を付いて行った。
「気前良く馬を与えるとは、彼らにとって十兵衛は救済の仏様だな」
「そう言えば、十兵衛は昔からよく困った人を助けていたね」
「よしてくれ、単なる…」
「性分だろ!」
話を受け応える十兵衛に彦二郎と右衛門は声を合わせて言った。三人は笑いながら、目の前に広がる近江の海を見渡しながら峠の頂上を進んでいた。
暫く行くと峠は下り坂となった。
三人は前を進む旅の座の一団に追い付くと、その一団がどういう者たちなのか眺めながら追い越していた。
出雲大社の関係らしき旗を掲げ、舞を披露する者たちらしいが、峠越えで転倒するなどの難儀な目にあったためか、皆ボロボロになっている。
(この者たち、大丈夫なのか?)
追い越しながら、十兵衛がそう思った時であった。
「きゃあ!」
若い女子が目の前で叫び声と共に転倒した。
「御船様、大丈夫ですか?」
「御船様」
一座の者たちが皆心配して女子の方に集まるのと一緒に、十兵衛も傍に寄って声を掛けた。
「大丈夫か?」
「えぇ、大丈夫…」
見ず知らずの十兵衛に訊かれた女子は気丈な所を見せて、すぐ立ち上がろうとしたが、ぶつけた足に痛みが走りその場に座り込んでしまった。
「いたい…」
足を痛がる女子に十兵衛は問い掛けた。
「どれ、見せてみよ」
十兵衛が確認すると、ぶつけた足の部分は酷く腫れあがっていた。一座の者たちが心配そうに見守る中で、遠慮しがちに足を見せる女子に十兵衛は言った。
「これはいかん、少々待たれよ」
そう言うと十兵衛は路側から森の中へと入って行った。
少しして森の中から一つ小さな花の付いた直物を採って来た十兵衛は、その植物を煎じて布に含ませた後、その女子の患部に当てた。
「これはオトギリソウと言って、切り傷や鎮痛薬に効果のある花だ、これで暫くすれば良くなる」
「あ、ありがとうございます」
女子は恥ずかしそうに十兵衛に礼を言った。
「おぉ~」
十兵衛は周囲で見ていた他の一座の他の者たちが感心しているのと同時に、何か目で訴えかけているのに気が付いた。良く見渡すと一座には他に傷や打ち身などを負っている者たちがいる。
(この者たち普段は峠道など通らないのであろうな…)
そう思った時、数人の若者が何か言いたげに十兵衛の前に出て来た。十兵衛は彼らが自分に言い掛けて来る前に自分から彼らに問い掛けた。
「ぬしら、一緒にちょっと山の中に付きおうてくれ」
他にも傷を負っている者がおり自分たちにその花を教えて欲しい、そう言って来ることを見越して、十兵衛はその応えを先に自分から口にした。
「あ、ありがとうございます」
若者たちは口下手でどうやって頼もうかと思っていた所であった。思い掛けず十兵衛の方から問い掛けて来たことに恐縮した。
「十兵衛、早くだぞ」
「ここで時間掛かると湖に出る前に陽が暮れてしまうよ」
「うむ、分かった」
十兵衛は彦二郎と右衛門に早く先に進むことを促されながら、この場の対応を急いだ。
「よし、こっちだ」
そう言うと十兵衛は一座の若者たちを連れて再び森の中に入って行った。
暫くすると十兵衛たちは一抱えあるほどたくさんの植物を取って来た。良くみると先程とは異なる植物が多く含まれている。
一座の若者たちが先程の十兵衛の様に植物を煎じる中で、十兵衛はせっせと自分で採って来た植物を二人の馬に分けて載せ込んでいた。
「十兵衛、何じゃ、この雑草は、持って行くのか?」
「陽が暮れるよ、さぁ、早く先を急ごう」
先を促す二人に十兵衛は少し興奮した様子で言った。
「待て、もう少し、何とこの先にムラサキが群生しておるのを見つけたのじゃ、ムラサキは殺菌効果もあるのだが、染料としては仏僧の最上級色だぞ、京の都で高く売れる、最近は希少になってきていて奇跡の発見じゃ、もう少し取って行きたい」
そう言うと十兵衛は三度森へと入り込んで行った。
二人はその様子を見ながら呆れた様に言った。
「医学に、植物に、染色に、仏装か、あ奴の頭は色々な事で忙しいな」
「そう言えば十兵衛は昔から何にでもはまり、とことん追究していたね」
暫くしてまた森から戻って来た十兵衛は採って来たムラサキを再び二人の馬に積んだ。二人の馬はムラサキの束でてんこ盛りの状態になり、何か地方の国の祭りの様な異様な状態になっていた。
(か、かっこわる!)
彦二郎と右衛門はこの馬を引いていくことを何か恥ずかしく思えた。しかしながら今高い利潤の追求を優先している十兵衛にはその様な体裁への思いは無い。
「よし!」
準備完了とばかりに一声を上げた十兵衛に対して、二人はこの馬を引いて行くことを、何かの苦行と思いながらそれぞれ自分の馬に近寄って行った。そんな二人に馬の状態を見つめながら十兵衛は問い掛けた。
「すまん、もう少し採ってきていいか?」
「十分だろ!」
もう性分では済ませない。四度植物採取に行こうとする十兵衛に、二人はいい加減にしろと言わんばかりに声を揃えて叫んだ。




