第五章 女房鉄砲仏法 力への意志(22)
仲間となった者と楽しく酌み交わす一杯の美味い酒、その前では年齢の差も、出身の差も、ましてや身分の差も無い。
「くぁんぱーい!」
「くわんぱ~い、そのはちじういち!」
大広間の隣の間では烏丸と一人の伊賀衆の上忍の男が酒杯を交わし続けていた。昼間の激戦の疲れもあってか、他の男たちが各人各様の姿で寝入っている中で、二人は酒と談笑を楽しんでいた。
「ぷあ~、何とも美味い酒やぁ、こんな酒は伊賀の里ではなかなか飲めぬ」
「ぷはぁ、いやぁ、我らも初めてですよ、この様な美味い酒は」
その酒は織田信秀が水野家に同盟の祝いとして送った当該一級のもので、庶民がなかなか口にできるものでは無かった。上機嫌となった二人の話は互いの身の上話へと及んだ。
「そうか、ぬしは元々紀州の者か、ほんなあ、今度帰る時は途中、我らの里に寄れ、他では食えぬ里の秘宝料理を特別に用意してやろう」
伊賀の男は酒の相手となっていた烏丸を殊のほか気に入る様になっていた。これまで男は里を出ては周辺国で工作活動を行う日々を送っており、人との関わりはなるべく避けるようにしていた。この様に他国の者と楽しく酒を交わすなどあり得ないことであった。
「ははは、それは楽しみだ」
一方の烏丸も敵対していた相手に気に入られ、嬉しさを感じていた。里の秘宝料理とはどの様なものであろうか、食事と言えばこれまで寺の精進料理しか思い浮かばぬ烏丸はあれこれと想像しながら笑顔を見せた。
その烏丸の笑顔に気を良くした伊賀の男はまた別のもてなしを思い付いた。
「そうじゃ、秘宝料理と一緒にぬしが来た時のための家を準備しておいてやろう、見晴らしの良いいい場所がある、きっと気に入るぞ」
「ははは、それはまた楽しみじゃ、絶対に行かなければならぬなぁ」
烏丸は山並みの景色に浮かぶ自分の家屋を想像してまた笑みを浮かべた。するとその烏丸の笑顔に更に気を良くした伊賀の男は更にまた別のもてなしを思い付いた。
「おお、そうだ、何ならうちの妹をやろう、妹は儂に似て弁天さんやぞ!」
そう言う男の顔はにっと笑っていても阿修羅を思い浮かべる。八十杯を超えた盃でもこの男の妹が弁天につながらない。
「あ、いや、ちょっとそれはいいかな~」
烏丸は何か急に酔いが冷めていく思いを感じながら、その場の雰囲気を大切にしつつやんわりと断った、つもりだった。
「そやろ、いい話やろ、よし決まりじゃー」
烏丸を気に入った伊賀の男は強引な誘いを見せる様になっていた。烏丸はこのまま話が進むことは避けたがったが、強く拒否して雰囲気を悪くすることも避けたいと思った。
(まずい、これはまずい、このままでは儂は伊賀に連れていかれて阿修羅顔の弁天と一緒にさせられる、こ、こうなったら…)
バタン!
烏丸は酔いが冷めていく中、逆に酔ったふりをしてその場に倒れ込み、伊賀の男との話そのものを絶つことにした。
「それじゃ、明日にでも一緒に里に行くか、いやぁ、めでたい…、あれ?」
伊賀の男は今まで陽気に談笑していたはずの男がいつの間にか寝込んでおり、戦場の中で一人生き残った様な状態になっていることに気が付いた。周りの皆は既に酔いつぶれて気持ち良く寝込んでいる。
男は周りを見渡しながら自らの盃に酒を注ぐと一人その盃を掲げた。
「かんぺえい、そのはちじゅう…、あれいくつだっけ? まぁいい、この場はわしらの勝ちじゃぁ!」
そう唸って盃の酒を一気に飲み干すと、男はそのままその場に倒れ込み、怪獣の様ないびきを上げ始めた。
そしてこの時寝たふりのはずの烏丸は逆転で起きて来ることは無かった。
「う~ん、う~ん 来る、追い付かれるー!」
その時、寝たふりをしていた烏丸は完全に寝入っており、謎の弁天に追い掛けられる夢を見ていた。
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烏丸たちや伊賀の上忍たちが寝入っていた広間の前の廊下では、賑やかな掛け声で通り掛かる者たちがいた。
「よいよいちー、よいよいちー!」
「よいよいちー、よいよいちー!」
それは尾張黄金世代の岡田助右衛門と下方左近の二人であった。
尾張の酒宴に精通していた二人は最初この様な山中の寺で飲む酒が非常に美味いのが逆に気になり、台所を探してその理由を確認しようとしていた。しかし台所に辿り着くまでの間にあちらこちの宴で飲み足して行く中で、その様な確認などどうでも良くなっていた。
「よいよいちー、よいよいちー!」
「よいよいちー、よいよいちー!」
上機嫌になった二人はいつもの宴会芸の与一の舞を披露しながら、本堂の中であちらこちらを彷徨う様になっていた。
「よいよいちー、よいよいちー!」
その二人の後には一人の水野家の童顔の侍女が面白がりながら一緒に付いて回っていた。
「やるな、我らのよいちの舞を会得するとは!」
「うむ、筋も良い、我らとの息も合っておる!」
自分たちに踊りながら付いて来る者などこれまでいなかった。二人はこの侍女を逆に珍しく思った。
するとこれまで酒に酔って騒ぐことなど無かったその侍女は助右衛門と左近に笑顔を見せて言った。
「楽しいわー、おじさんたち、今度は向こうの広間に行ってみましょう、それ、よいよいちー!」
そう言って侍女は本堂の奥の方へと踊りながら去って行った。
「ちょっと待て、我らの先手を取るなー、よいよいちー!」
「ていうか、儂らまだおじさんじゃないぞー、よいよいちー!」
助右衛門と左近も陽気に踊りながら侍女について本堂の奥へと去って行った。
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一方外陣では他の尾張黄金世代の男たちと水野家の侍女たちが飲み続けていた。
「はい、又さん、一献どうぞ」
「おお、すまぬ桜殿、では桜殿も一献」
「ありがとう、又さん、じゃ、かんぱーい!」
「かんぱーい!」
笠寺から吉法師探しで離れた中野又兵衛と水野家侍女の桜は、この寺で再会した後、外陣の隅で他の皆から少し離れ、二人だけの世界を作っていた。
又兵衛は桜の顔を見ながら安堵していた。
もし誘拐された吉法師を発見することができず、他国に連れ去られてしまったら、護衛をしていた自分はその命を以て償うことになり、自身の将来を閉じることになっていたであろう。しかしこの寺で吉法師は我らの許に戻り、今こうして桜と酒を酌み交わしている。
「将来がつながったな…」
又兵衛は桜と目を合わせながら、自身の将来が続く実感をしみじみと感じていた。それは武骨な成りをした又兵衛に不釣り合いな感傷的な台詞であり、言い方であった。
「え、そ、そうね、私の将来とつながったわね、又さん、うれしい!」
桜はそれが又兵衛なりの求婚の言葉と勘違いし、又兵衛に抱き着いた。
「え、あ?、えっ?」
又兵衛は何か自分が桜に結婚を申し込んだ状況になっていることに少し慌てた。
(あれ、儂、求婚したっけ…、うーむ、まっ、いいか!)
二人は笑顔で見つめ合うと、改めて盃を重ねて至福の一時を送っていた。
一方、佐々孫介と毛利新助は傍で河尻与兵衛が寝込んでいる中、水野家の二人の侍女と二対二で飲み交わしていた。
「お二人がいる那古野のお城は熱田の宮には近いのですよね?」
「そうだね、良くご利益求めに参拝に行くよ」
「いいですわね、私たちはまだ参拝したことなくて」
「そうか、じゃあ今度、我らが案内致そう、湊の方には良き店や名物があるゆえ」
「わー、うれしいですわ」
孫介と新助も山中での吉法師の保護という一仕事を終えた後、他家の同世代の侍女たちと酒を酌み交わす機会を得て、楽しい一時を過ごしていた。
しかし時に酒は人を変える。
「さぁ~、みんな、次は一気に飲むよ~、かんぺーい!」
「よおし、つぎは一番早くとなりの人に飲ませたひとが勝ちだよ~、いくよー!」
孫介と新助が相手をした二人の侍女は頗る酒癖が悪く、酒が進むと共に、目を据わらて二人を圧倒する様になっていた。
「ほら~、孫ちゃん、しっかり飲みなさい、七本槍の意地を見せなさい!」
「あ~、手酌ってやるせないわ、あれ、もうこの酒樽、底ついとる、樽、次いー」
それは孫介と新助にとって、これまでの戦場でも味わったことの無い戦慄であった。
(駄目だ、勝てぬ、この戦には勝てぬ!)
(逃げられぬ、しゅ、修羅場だ!)
もう何とかしてこの場を離れたい、この場に留まっていてはこの身がもたない、そう思っていた二人の中で、いち早く孫介が閃いた。
(この上は致し方ない…、新助すまぬ…)
孫介は新助の方を振り向いて一度笑顔を見せると、そのまま与兵衛の横にバタンと倒れた。それは侍女の二人に対して対応拒否の寝たふり作戦だった。
「ちょ、ちょっと、孫介、寝ないで、自分を一人にしないでー!」
この孫介の行動に新助は激しく動揺した。
死んだふりをする孫介、激しく動揺し理性を失う新助、それは戦でも見せたことの無い二人の姿であった。
「あらー、孫ちゃん寝ちゃったのぁ?」
「ここで新ちゃんまで寝ちゃだめよ」
「う、うわぁー!」
二人の酒癖の悪い侍女の前に一人残された新助はその両脇を固められ、逃げられない状況の中、延々と酒飲みの相手を続けさせられていた。
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その時、吉法師は大広間の大饗宴の中にいた。
吉法師の周りには勝三郎や四郎の子供衆が食膳を囲って集まっており、そのすぐ隣には孫一、善空、お民の三人が互いの労をねぎらいながら酒を酌み交わしていた。
そこに慶次郎を連れた一益、天心を連れた益氏、そして玉を連れた照がやって来た。
「おお、皆良く来てくれた、心配かけてすまなかったな」
そう言って吉法師は近寄って来る皆に声を掛けた。
「吉法師さま」
玉は吉法師の姿を確認する様に見つめながら笠寺での思いを強めていた。
(吉法師さま、笠寺で初めて出会った自分に握り飯を下さり、美味しいごちそうと共に綺麗な衣装を着る機会を下さり、思い出を共有する家族だと言ってくれた。われの幸せはこの吉法師さまと一緒になることにある…)
玉は吉法師に近寄りながらそんな思いを強めていたが、ふと吉法師の背後を見た時、その後方左に自分と同じ位の年頃の一人の女子がまるで吉法師の内室に納まっているかの様に寄り添っているのに気が付いた。
(こ、この女は何???)
それは舞娘の結だった。
結は今回の一件で会話が出来るようになり、その性格の変化と共に吉法師の近くにいることに幸せを感じて、自然と吉法師のすぐ後ろに寄り添う様になっていた。
(ま、負けられない…)
玉は吉法師の後方右にしゃがみこむと、結と同じ様に内室気取りをして見せた。
「玉は何をしておるのだ?」
「さぁ?」
一益と益氏は玉の様子を見て首を傾げた。
慶次郎と天心はさっそく他の子供衆の中に紛れ込み、食膳の料理を摘まみ始めている。いつもであれば食べることに対してはこの二人以上に執着する玉がひたすら吉法師の後ろに押し黙って座り込んでいる。一益と益氏は玉の行動が理解できなかった。
(ふふふ、玉ちゃんかわいい…)
この時、水野家の照だけは玉の心の内を感じ取っていた。照は笑顔を見せながらお民たちの許に向かって行った。
この後、水野信元室の春と叔父の織田信秀室の咲の実の姉妹が久し振りの舞の披露すると、大広間はこの宴で一番の盛り上がりを見せた。
美春と美咲という名で伝説の舞女の姉妹となっていた二人は、若い時の技量そのままに、時に優雅に、時に悲しく、苦難に負けずに強く生きる戦国の姫の姿を表現していた。その舞を観ていた者たちは感情移入させ、心を揺さぶらせながら見入っていた。
そして二人の舞が終わった時、大広間は大きな拍手に包まれ、多くの感涙している者たちがいた。
「これまで生きててよかったすぅ」
「これまでの一生で一番感動したっすぅ」
「もうわしは思い残すことないす、もう明日死んでもいいすぅ」
「これも寺へ行くと言ったおかしらのおかげじゃ~」
「そうじゃ、おかしらのおかげじゃあ」
「おかしら~、ありがとおございますぅ、伝説の美春と美咲見れて感動すぅ~」
その者たちから感謝を伝えているのは、伊賀の半蔵であった。
半蔵は皆を見ながら少し呆れていた。
自分が孫一と真剣勝負を繰り広げている時に、皆は吉法師を捕えるために本堂に侵入した筈である。しかし何故か今、皆で人生最高の楽しい時間を満喫する時間となっている。
(まぁ、いいか)
何故こうなってしまったのか不思議でならないが、半蔵も善空に諭された今となっては、逆に皆が楽しい時間を過ごせて良かった様に思えた。
そして舞を終えた春と咲は吉法師のいる所に寄っていた。
「吉法師、どうだったかしら、私の舞は?」
義叔母に当たる咲が吉法師に舞の感想を求めた。大広間は自然と吉法師と春、咲がいる場所を中心にして輪が広がる様になっていた。
「かの様に舞われるとは、さすがは伝説のお人、叔母上見事じゃ」
吉法師は叔母の舞を褒めた。しかし咲にとって大勢の皆がいる中で、甥っ子に真剣に褒められるのもまた恥ずかしい。
「吉法師、家中では言無用よ、恥ずかしいから」
そう言う咲の言葉で大広間は笑いに包まれた。
皆が尾張の国の一員、その様な場の雰囲気は昼間に敵対していた伊賀の衆にとって居心地の良いものではなかった。半蔵は大広間が笑い声に包まれる中、集まっている伊賀衆に言った。
「そろそろ我らは出るぞ」
そう言って半蔵は皆に引き上げを伝えた。他の伊賀の衆が名残り惜しそうに帰り支度を始める中で、半蔵は吉法師に近付き声を掛けた。
「吉法師殿、此度はすまなかった。再度詫びをいれさせてもらいたい、それから里の部下の者たちにとっては今宵は頗る楽しい時間を与えてもらった様だ、こちらは礼を言わせてもらいたい」
謝罪と感謝の意を述べながら半蔵は軽く頭を下げた。
すると吉法師は大人びた態度で半蔵に言葉を返した。
「半蔵、此度のこと気にするでない、儂も色々と勉強になった。ぬしの里、良き里になる様に儂も祈っておるぞ、また尾張に来ることあれば遊びに来るが良い」
吉法師はこの時既に捕えられて酷い目にあったという思いよりも、様々な人に出会って、様々な実体験を得る機会ができたという思いが強まっていた。また家臣から離れた一人からの出発で、松井友閑に指摘された個の力を高めることにも通じた様に思う。これらは自身の将来につながる重要な体験になると思った。
半蔵は上から目線で自分に話をする子供の吉法師に対し、フッと笑みを浮かべた。
(態度も目線も、そして将来の世の行く末も高みから見ている様な物言いじゃ…、我らが捕える獲物にしては大物すぎた様じゃ)
半蔵は捕えた時に初めて見た吉法師の様子を思い起こした。その時はごく普通の運の無い武家の子と思っていた。
「そうだ吉法師殿、少し忠告しておくことがある」
半蔵はその時、最後吉法師に伝えておくべきことを思い付いた。
「ぬしは町中での隙が多い。今の乱れた世には裕福な者を営利目的に浚って身代金要求したり、他国へ売り飛ばしたりする集団がたくさんおる。少し用心した方が良い」
吉法師はこの半蔵の忠告に対して、今回での苦労を思い起こしながらも、笑い飛ばして言った。
「ははは、そうじゃな、もう捕らわれの身になるのは勘弁願いたい、よくよく気を付けよう」
半蔵はその吉法師の言葉に失敗は繰り返さぬという自信と余裕を感じた。それは将来の領主としての自信にも見える。
ふっ
半蔵は一つまた笑みを浮かべた。
そして半蔵は少し離れた所にいる孫一と善空に目を合わせると、二人にも小さく頷くようにして頭を下げた。孫一と善空は笑顔を見せながら手に持つ酒杯を掲げた。
半蔵の周りには帰りの身支度を終えた伊賀の衆が集まっていた。隣りの間で酔いつぶれていた四人の上忍も担ぎ出されていた。
「さらばじゃ!」
半蔵がそう呟くと伊賀の衆は風の様にして去って行った。
この時、伊賀の衆が目の前から去って行くいくのを見ていたお民は耳元で囁く若者の声を聞いた。
(お民さま、次に戻って来た時はよろしくお願いします…)
それは取水場で水運びを手伝ってくれた若者の声であった。思わず周囲を見回したが本人の姿は無い。
お民はその若者が水運びの後も台所の修繕や食事の配膳など、多岐に渡って手助けしてくれたことを思い出した。今思えば若者は尋常ではない動きを見せており、伊賀衆と一緒に立ち去るということでなるほどと思う。恐らく若者は伊賀衆の仲間で、吉の確保に向けた先行調査を当初の任にしていたのであろう。しかし結果として、この若者の働きが伊賀衆の戦意の変化に大きく貢献している。
(いつでもいらっしゃい…)
もしかしたらその声は気のせいだったのかも知れない。そう思いながらもお民は若者に向けて呟いた。
そしてこの時、お民の隣りにいた春は吉法師への半蔵の忠告を耳にした後、改めて行方知れずになっている小紅の事を思い返していた。
(営利目的で人を浚う集団などたくさんいる…、小紅もどこかの集団に浚われたのかのかも知れない…)
春は自分に舞の指南を乞う幼い小紅の姿を思い起こしていた。




