第五章 女房鉄砲仏法 力への意志(18)
太陽が西の遠くの山の奥に沈み込んでいた時、吉法師は池の中の小島に掛かる狭い橋の上で、孫一と共に大人数の敵の衆を相手に奮闘を続けていた。
将来の自身の立場は、時として周囲の者たちに犠牲を強いる。そんな将来を憂いて、一時は完全に戦意を失っていた吉法師であったが、孫一の将来における希望と発見と楽しみに満ちた孫一の世界観、人生観を思い重ねることで、自身の将来に明るさが持てるようになっていた。
(不思議な物じゃ、こんな状況を楽しめるとは……)
吉法師は孫一が鉄杖で突いて態勢が崩れた狩人姿の男を、止めを刺す形で池に突き落とした。落とされた男は池の中でもがきながら武器の長棒を放し、怯えた様子を見せながら慌てて池の縁へと戻って行く。小橋の前で高い戦意を持つ者が犇めく中で、池の縁では武器と戦意を失い呆然と池の方を窺っている者が増えていた。
(このまま全員倒せるかも知れない、いや、倒せる気がする)
そんな達成感がこの場の楽しみとなっていた。
「おりゃあ!」
また一人、今度は足軽姿の男が二人に挑んで来た。
しかし、これまでの男たちと同様に孫一がその打撃を防御し、体勢を崩した所でまた吉法師が止めを刺す様に池に突き落とした。男は時折池に沈み込みながら、這々の体で逃げ戻って行く。そしてまた次の男が攻め掛かって来る。
孫一と吉法師は何人もの男たちを次から次へと池に落とし込んでいた。しかし小橋の前にはまだ挑戦して来ようとする多くの男たちがいて、自分たちの消耗の度合いを見計らっている様に見える。
「ふう」
敵の攻撃が一時止まった所で吉法師は一つ息をついた。特に自分で意識をした訳でもなく、長引く戦闘に一息つきたいという無意識な思いから出たものだった。すると孫一は仁王立ちを見せた状態のまま、笑顔で問い掛けて来た。
「何じゃ、吉、もうへばったのか、だらしないのぉ」
その皮肉の籠った様な言い方に吉法師はむっとした。
無意識な一息にも皮肉を込めて来る孫一を何か腹立たしく思う。しかし一方で、自分の将来に対する指摘と考えると、それは前向きでない姿を見せて家臣を不安にさせているぞ、との忠告にも思える。
(孫一め、儂の心構えを固めようとしてくれているのか…、それとも単に意地悪なのか……)
孫一の言葉に対しては色々と考える所があるが、問い掛けに対する返答としては一つしかない。
「笑止、これしき!」
吉法師は孫一に張り合う様に思いっきり強がって見せた。
「いいぞ、吉、その意気だ!」
孫一はその吉法師の子供ながらの強がりに対して、子供受けする様な笑顔を見せた。吉法師はその孫一の笑顔を見た時、今度は何か妙な強い安心感を感じた。
(何だ、この感覚は?)
吉法師は不思議に思った。
孫一はこの難局の中で、自分に気合入れと共に安心感をもたらしてくれる。それは共に戦う相手として最高の存在であり、共にこの難局を乗り越え、再び平穏な時に笑顔を交わし合いたいという仲間意識への思いへとつながっていく。
ヒューッ!
その時一陣の通り風が池の水面の蓮の葉を揺らした。それを目にした吉法師は笠寺に渡った時の揺れる舟上での友閑の言葉を思い起こした。
(お方はまだ個として成長することを考えねばならぬ)
舞の師匠の松井友閑は、今の自分に必要なのは個の力を高めることだと述べていた。その時、それは漠然と武者として、識者として高い能力を有する者になることだと思った。しかし天下への目標に対しては一人で成し得るものではなく、生き死にを共有できる多くの仲間を必要とする。その仲間とは共有できる世界観とそれに向かって楽しめる人生観が必要で、自身には仲間との一体感と安心感を与える度量が求められる。
吉法師は孫一の方を振り返って思った。
(これだ!この感覚をもたらす度量こそが個の力として最も必要なんだ)
吉法師は何かまた一つの結論に辿り着いたような気がした。今、その結論の模範となる男が明瞭な形で目の前にいる。
(鈴木孫一、儂はこの男の様な姿を目指す、そして超える!)
天下の再構築という大きな志、それに対する敦盛の舞に込めた覚悟、新しい世界観を皆に共有しまとめていく個の力、そしてその手段となる最新兵器の鉄砲や槍等の武器の改良、将来行おうとする事にもはや迷いは無かった。
(儂はやる、儂がやる、天下を再構築する!)
夕陽の最後の灯を受ける吉法師はこの時、晴れ晴れしく精悍な表情を見せていた。
一方で、隣りに立つ孫一はその表情を再び厳しいものにしていた。小橋の前には先程の狩人の格好をした男が他の包囲している男たちにその道を譲られる様にして近付いていた。
(再びあの男が来たか、今度は何か仕掛けてくるかも知れぬ、烏丸、熊吉、猫実、気を付けよ!)
孫一は踵で橋を叩き、橋の下に隠れている三人に無言の合図をした。
烏丸、熊吉、猫実、猿彦の四人はこの池にいち早く来た後、孫一と吉法師が優位になるように周囲にその存在を潜ませた状態で二人の戦いを支援していた。
四人の中で烏丸、熊吉、猫実の三人は橋の下や池の中に潜み、橋の表面の板を操って敵の態勢を崩したり、池に落ちた敵を池の底に引きずり込んだり、武器を奪ったりしていた。そして猿彦は池の周りの木の上から小さな石礫や、虫に見立てた攻撃を密かに加えていた。
四人の攻撃はその姿を伏せながら意表を突くものであった。このため攻撃を受けた者たちは、何か超常的な作用が及んでいると思い込み、池の小島の祠に祀られている神仏の祟りと慄いた。
「この池は妖怪の溜り場じゃ、我ら近寄ってはならぬ」
池の底に引きずられた一人の男はおぼろげに見えた姿からそれを妖怪の仕業と思い込んでいた。男の恐怖は周囲に伝染し、周囲の者たちの戦意を下げている。この四人の目に見えない心理的な攻撃は目に見える人数差を補うものとして大きな効果を得ていた。
この状況の中で、狩人の格好をしながらも明らかに武家の者であろう男が再び堂々と橋の入口に現れた。
コン
橋の下から烏丸たちの了解という合図が聞こえたその時だった。
「おりゃー!」
ザボン!
ザボン!
ザボン!
目の前に来た男が渾身の気合と共に鉄杖を振り翳して突進して来たのと同時に、小橋の入口付近にいた何人もの男たちが自ら池に飛び込んだ。そして男たちは橋の下に向けて槍や石礫を投げ付ける。また同時に蓮が群生する池の一ヶ所と一本の木の上に向けても槍や棒、石礫を投げ付けていた。
(何じゃ、何をしておるのじゃ、こ奴ら?)
この時、烏丸たち四人の存在を知らない吉法師にはこの敵の衆の行動が理解できなかったが、孫一は即座にその意味を理解していた。
(ばれておる、まずいな…)
敵の衆が槍や石礫を投げ込んだ場所には、烏丸たち四人が潜んでおり、孫一は既にその存在も、その位置すらも相手方に悟られていたことに内心焦りを感じた。目の前からは男が突進してくるが、烏丸たち四人の影の支援は期待できない。
ガチーン!
孫一は男の鉄杖の打撃を自身の鉄杖で受けた。そして此度簡単には相手の態勢を崩せないだろうと思いながらも、先程と同様に一層の力を込めて押し返そうとした。しかしその動きは男に予測されていたためか、男の鉄杖には既に想定以上の力が込められていて、かち合わせた状態から押し離すことができなかった。
「もらった」
目の前で男がそう呟いた時だった。
「とりゃぁー!」
クワァー!
目の前の男の背中を踏み台にして、大きな掛け声と共に槍を手にした若武者の男が頭上から孫一に飛び掛かって来た。更にその若武者の上からは一羽の鷹が急降下して襲って来る。
(三段攻撃!?、こ奴ら!)
孫一は相対している鉄杖への力が抜けずその場から動くことができない。
(まずい!)
孫一の危機に対して、吉法師は咄嗟に持っていた杭を飛び掛かって来る若武者に投げ付けた。しかし、若武者はそれを槍で簡単に弾くと、そのまま動けない孫一の頭上を目掛けて振り下ろした。そしてまた直上からは鋭い鷹の爪が迫っている。
「覚悟!」
クワァー!
孫一がやられる、吉法師がそう思った時だった。
パーン!
バキッ!
「うおっ!」
ザッパーン!
クワー!
クアー!
バシッ!
ズザザッ!
・・・・・・
瞬時の出来事だった。
遠くの山間では未だ銃声が轟いていた。吉法師は目の前で過ぎた一連の状況が理解できずに唖然としていた。
その時、池の右方から鳴り響いた銃弾は若武者が振り下ろした槍に命中すると、若武者は空中で態勢を崩しそのまま池に落下していた。一方で同時に上空から迫って来ていた鷹は横から飛んできた別の鷹に急襲され、怪我を負って橋の上に堕とされていた。
「なんと!」
孫一と鉄杖で相対していた九十郎はこの三段攻撃の戦法で決着が付けられなかったことを悟り、背後に堕ちた俊正の鷹を拾い上げて再び後退した。
その様子を見て孫一は安堵の表情を見せた。
「ふぃ~、今のは危なかったのぉ、誰の鉄砲じゃろ?」
そう吉法師に問うた。
(そ、そうだ、誰だ、今の鉄砲は!)
その言葉で我に返った吉法師はすぐさま辺りを見回した。
絶体絶命な状況での援護の一射、吉法師は寺の若い四人か、老僧の四人の姿を思い浮かべながら探していると、池の右方で一筋の砲煙が上がっているのを見つけた。しかしそこで鉄砲を握っていたのはその八人の誰でもなかった。
(あれは子供?! 慶次郎?、あれは慶次郎じゃないか?)
そこには得意顔をした慶次郎の姿があった。その時だった。
「吉法師さまー!」
自分の名を呼ぶ聞き覚えの声と共に、幾人かの集団が右方の奥から駆け寄って来るのが見えた。
「吉法師さまー!」
それは物心つく前から毎日のように耳にしていた声だった。それがこの数日間無かっただけで妙に懐かしく感じる。吉法師はその声に向かって大声で応えた。
「勝三郎、ここじゃー!」
その声は勝三郎のものであった。
辺りが徐々に薄暗くなる中で、池の畔へと近付く者たちの姿が目に映る。それは十人程の女子供の集団であった。集団はそのまま果敢にも大人数の沓掛衆の男たちの集団に打ち掛かって行く。数でも力でも相手に劣る様に見えたが、子供衆の敏捷性と侍女たちの妙な幻術で敵の衆を翻弄していた。
やがて吉法師のいる場所から一人一人の顔が確認できる様になっていった。それは最新の衣装を身に纏った那古野城の池田勝三郎、千秋四郎、佐々内蔵助、前田犬千代、菅屋九右衛門、加藤弥三郎の子供衆に加え、水野家の四人の侍女であった。
一方、逆にその子供衆の方からも小橋の上の吉法師の姿が見える様になり、皆で敵を翻弄しながらその姿を確認し合っていた。
「おい、吉法師様は見えるか?」
「あの小橋の上にいるのがそうじゃない」
「あの巫女さんの格好をしたのか?」
「そうだ、あれは確かに吉法師様じゃ」
「あの格好、趣味が変わったのかな?」
そう言って皆が小橋の上の吉法師の姿に着目した時、弥三郎が呟いた。
「まさか今度は皆であの格好になるのか!?」
その弥三郎の呟きは他の子供衆に明日の自分たちの姿を連想させた。
(那古野七人の巫女隊!)
その瞬間、六人の子供衆は無意識的に強い拒否反応が出てその進行を止めた。吉法師を早く救出したい、しかし救出すれば、明日の自分はあの姿かも知れない。武士らしからぬ今の格好は民衆の若者の流行り様式として容認できても、さすがに路線がずれたあの巫女姿は受け入れられない。六人は拒否反応で動くに動けず敵中に並んだ状態で固まっていた。
すると敵の衆がここぞとばかりに押し返してきた。それに気付いた水野家侍女の二人は焙烙玉を炸裂させながら敵の接近を防ぎ、固まっている子供たちに向かって叫んだ。
「こらぁ、止まるなー!」
「しっかり吉法師様を助けなさい!」
六人の子供衆は二人の侍女に発破を掛けられながら、再度気を取り直して敵の衆の中で進行を再開させた。すると今度は別の二人の侍女が敵の衆を相手にしながら吉法師の姿に気が付き呟いた。
「あら、あの吉法師さんの巫女姿可愛いわね、萌えるわ~」
「神さまのご加護を直接受けるためかしら、確かに皆があの姿だと敵も戦い難いわね」
それを聞いた瞬間、再び六人の子供衆に連想が広がった。
(那古野七人の巫女隊!)
六人の子供衆は再び揃って固まっていた。
一方で、ようやく池から這い上がって来た小五郎はずぶ濡れの状態で憤りを見せながら叫んでいた。
「まだ辿り着いている相手は女子供だけだ!」
小五郎は自分が提唱した三段攻撃の戦法が計算外の援軍の登場で破られ、内心動揺しながらも味方の衆を鼓舞していた。
(まだ行ける!!)
小五郎は吉法師の確保にまだ意欲を燃やしていた。そしてまた九十郎も本多俊正に傷付いた鷹を手渡した後、鉄杖を振り上げながら小橋の方に向かって叫んだ。
「ここまま手ぶらでは帰れぬ!」
他の沓掛衆が新たな女子供の一団との戦闘を交える中で、九十郎は小五郎を含めた酒井衆と共に三度池に掛かる小橋に押し寄せた。
「何?」
しかしその小橋の前には突如四人の若い男たちが現れ、池の中で奪われた自分たちの武器を構えて守りを固めていた。
(こ奴らがあの二人の戦闘を影で支えておったのか)
それは烏丸、猿彦、熊吉、猫実の若い四人であった。
小五郎と九十郎は忌々しく思いながら、酒井衆の前面に出て四人に向かって行った。
「邪魔だー!」
「そこをのけー!」
小五郎と九十郎は大声を張り上げながら、力ずくで四人を押し切ろうとした。すると四人はこれまでの連戦の疲労もあり、その勢いに押されて、じりじりと押される様になっていた。その状況を目の前で見ていた孫一は何か妙に名残惜しそうな顔を見せながら吉法師に言った。
「吉、残念だ、そろそろこの祭りも終わりの様じゃ」
山中には暗闇が広がってきていた。このままでは敵味方の判別も難しくなる。しかし孫一の言葉はそういう意味でも無い様に思える。吉法師が孫一の言葉の真意が理解できずにいると、それを確認する間もなく、孫一は烏丸たち四人を後ろから後押しする様に敵の衆の方へと突っ込んで行った。
「そりゃぁー!」
大きな掛け声と共に小橋の前の戦闘に孫一が加わり、その戦闘は相手の衆を押し返した後、膠着状態となっていった。吉法師はその孫一の様子を見て思った。
(孫一め、本当に祭りの如く楽しんでおったのかも知れぬ、先程はやられる寸前であったろうに……)
吉法師は四人の若者と共に活き活きと戦う孫一の姿を見て、改めてその人生観の前向きさに感心していた。
戦闘は二つの局面で一進一退の攻防が続いていた。その中、勝三郎と水野家侍女の桜は池の縁から敵中を突破し吉法師の許に駆け寄って来た。
「吉法師さまぁ!」
勝三郎は吉法師の目の前まで来ると、そのまま家臣という立場を忘れ、感涙に咽びながら吉法師に抱き着いた。もしかしたらもう二度と会えないかも知れない、自身は切腹、家は取り潰しかも知れない、そんな不安からの脱却でもあった。とにかく会えて嬉しい、言葉では表現しきれない思いが吉法師に抱き着く勝三郎の両腕に込められていた。そして吉法師にとっても勝三郎との再会はここまでの非日常から日常につながる安心感があった。
「勝三郎、参上が遅かったのぉ!」
吉法師はここで孫一の様な余裕を見せた。笠寺で突如誘拐され、夜の山中を彷徨い、敵の衆との戦闘が続く中で、本来全く余裕などない状況であったが、自身に取り付いた孫一の世界観や人生観が、勝三郎に対してその様な態度を見せていた。
そんな吉法師の元気な姿は勝三郎を安心させていた。勝三郎は吉法師が元気でいてくれたのを嬉しく思いながらも、子供ながらに意地を張って応えた。
「吉法師様が、捕まった時に、もう少し、手掛かりを、残しておいてくれれば、もっと早く、参上できたのですよ。皆で、四方八方、探したのですから」
咽びながら途切れ途切れに話を切り返す勝三郎に吉法師は笑顔を見せた。
「ははは、そうであったか、よくぞここが分かったな?」
すると勝三郎は吉法師の手掛かりについて話し始めた。
「この寺の麓に、酒樽に乗って、酒太郎が現れたって、噂を聞きつけたのです。もしかしたらと、思って皆で来たら、案の定だったという訳です」
吉法師はその話を聞いた時、閉じ込められていた酒樽が漂着した河原で、地元の民が自分のことを酒太郎と叫んで恐れられた時のことを思い起こした。その時、酒太郎とは何だろうとは思ったが、それが妙な地元の妖怪で、それと勘違いされた自分が恥ずかしく思えた。
「あ、あぁ、なるほど、しかし良くここまで辿り着けたな、ここまでの道は其処箇所に仕掛けがあって、辿り着くのは難儀であったろう?」
吉法師は少し話題を逸らそうと、勝三郎に別の問い掛けをした。それを聞いた勝三郎は周囲を一度見渡した後、不思議そうな顔を浮かべて答えた。
「加藤図書助様が子供だけが通れる秘密の通り道というのを知っていて、その案内を受けながら通り抜けて来たのですけど……、変ですね、図書助様、今行方知れずです」
「ふーん、しかし子供しか通れぬ道といっても図書助は通れるのか、まぁ、あの男、少々変わっておるからな」
この時、勝三郎の話を聞いた吉法師も不思議そうな顔をしていた。
「えい!」
「うあ!」
ザパーン!
橋の上の吉法師の前では、水野家侍女の桜が橋の中央で迫ってきた足軽の男を池に蹴り落としていた。吉法師はその桜にも不思議さを覚え問うた。
「桜殿も子供しか通れぬという道を通って参られたのか、もしかして桜殿は自在に子供になれるのか?」
水野家の侍女たちは普通ではなく、吉法師は特殊能力を有する者たちだと思って興味を抱いていた。他にどの様な人間離れしたことができるのであろうか、そんな思いは孫一から受けた新しい発見と出会いという楽しみにもつながっていた。
桜は振り向くと、自分を見てワクワクしている吉法師に、にっこりと笑いながら言った。
「それは秘密です」
そしてまた迫ってきた男に飛び蹴りを加えていた。
未だ数に勝る沓掛衆と酒井衆であったが、二方面からの攻撃と戦闘の長時間化、そして周囲が暗くなってきている状況からその勢いは衰えつつあった。そんな状況の中で、更に第三の方向から接近して来る一団があった。
「桜どのぉー!」
その集団の先頭を突っ走って来る男は沓掛衆と酒井衆の間を真っ二つに分断しながら、吉法師のいる池の方に向かっていた。しかしその男が呼び掛ける声の方向は小橋ではあるが吉法師ではない。
「又さーん、こっちこっちー!」
その男は中野又兵衛であった。桜との再会は笠寺で吉法師探しに別れて以来で、軽快な桜の声が又兵衛を強く引き寄せ、その進行上にいる者たちを蹴散らしていた。そして又兵衛の後に続く若武者の一団は、周囲の沓掛衆と酒井衆の男たちを更にバタバタと倒しながら又兵衛の後を続いていた。
しかしその若武者の一団の男たちは敵の衆を相手にしながら先頭を突っ走る男に、何か呆れ顔を見せていた。
「おい、又兵衛ってあんな奴だったか?」
「いや」
「何か感動の再会の相手が間違っているね」
「よいよいちー、今の又兵衛は無敵じゃ!」
「よいよいちー、儂らは元々無敵じゃけどな!」
そんな会話をしている一団に見覚えのある沓掛衆と酒井衆の者たちは揃って驚きを表した。
「おい、あれは小豆坂の戦いの七本槍の奴らじゃないか?」
「そうだ、小豆坂七本槍の佐々孫介、中野又兵衛、下方左近、岡田助右衛門だ」
「おい、あとの二人は毛利新助と川尻与兵衛じゃないか」
「そうだ、ということは、尾張大永七年の黄金世代か?」
「何と、あの黄金世代の六人がこの場に集結して来るとは!」
尾張の大永七年生まれには逸材が多かった。吉法師の父の信秀も小豆坂の戦いの七本槍の勲功に、将来への期待を込めて若い彼らの内の四人を選出していた。
沓掛衆と酒井衆は共にこの小豆坂の戦いで彼らの戦いぶりを目にしており、その顔を覚えている者が多かった。
その仲間の衆の会話に、寺の四人を相手にしていた小五郎は即座に反応した。
ドカッ!
「又さん!」
小五郎は小橋に辿り着こうとしていた又兵衛に急接近すると、蹴りを入れて倒しその進行を止めると、続けて来た孫介と新助にも槍を振り翳してその進行を止めた。そして小五郎は自分に警戒の構えを見せる尾張の黄金世代の六人に向って、この場に参戦してきた不快感と共に怒鳴った。
「儂も大永七年の生まれじゃー」
小五郎も尾張の黄金世代の六人と同じ大永七年の生まれであった。しかし、自分は今川・松平方で小豆坂の戦いでは敗軍の側である。その時の悔しさを思い起こしながら、小五郎は一人で六人に槍を突き当てに回った。
「こ奴、一体何者だ?」
一人で挑んでくるこの男のことを知らなかった孫介は誰にともなく訊いた。するとその顔を知る左近と助右衛門が答えた。
「皆、気を付けよ、こ奴は三河の酒井小五郎じゃ」
「三河では有名な暴れ者じゃ」
小五郎は尾張黄金世代の六人に華麗な槍捌きを見せつけていた。その槍筋はその一撃、一撃が黄金世代の六人の誰よりも速く、重く、鋭く、強者の突きとして上回っていた。
「何じゃあ、尾張の黄金世代とはこの程度かー!」
小五郎は六人を相手に自信を持って奮戦していた。
(あの男、強い)
その時、吉法師も小橋の上からその戦いに着目していた。普通であれば無謀とも思える挑み方であるが、その小五郎の戦いの様には、何か自身の参考になるものが感じられる。
瞬時に相手の弱そうな所に狙いを定める着眼点、様々な態勢から渾身の一撃を繰り出せる槍技、特別な業物と思われる朱槍、そして何よりもこの戦いを楽しんでいる。まるで孫一の様な心構えだ。まだ若武者でありながら全てが一流の武の者として完成している様に思える。
吉法師は尾張の黄金世代の参上に余裕も出てきて、何か敵ながらこの男の戦いを見続けたいという思いに駆られていた。
しかしその時、近くで吉法師を守っていた桜が呟いた。
「来たわね!」
吉法師は桜の目線の先にある空を見上げた。すると陽が落ちて一度暗闇に覆われたはずの空が再び明るく照らされているのが分かった。
えっ?
吉法師がその空の明るさを不思議に思った時、近くにある大岩の上に登って山麓の様子を窺っていた俊正が叫んだ。
「小五郎殿、来たぞ、撤収じゃ!」
「何?」
小五郎は与兵衛の一撃を躱すと、すぐさま自身の目で確認すべく、俊正のいる大岩に跳び登った。するとそこからは、山麓からその背後の平野に向かって広がる幾万もの灯りの光景が見えた。その灯りは周囲の山々から夜空まで照らしており絶景であった。しかしこれを敵方の立場で見れば、この絶景は単なる脅威であり、早期撤収を判断する材料でしかない。
「撤収!」
「撤収!」
その掛け声が響き合うと、沓掛衆と酒井衆の男たちは、那古野の子供衆の前から、水野家侍女たちの前から、寺の若い四人の前から、そして尾張黄金世代たちの前から波が引くように一斉に山中へと消えていった。
「ぬしの様な男と渡り合えて楽しかったぞ」
九十郎は最後まで勝負を競い合っていた孫一にそう言い残して去って行った。
「ふっ」
孫一は自分と同様に相手の男が勝負を楽しみながら臨んでいたことを、妙に可笑しく思った。
やがて敵方はすっかり消え去り、その場には勝者という立場の者たちだけが残った。そんな時に皆が集まって行うことと言えば一つしかない。
「えいえい」
「おう!」
「えいえい」
「おう!」
子供衆にとってはこれが初めての勝利の掛け声であった。その子供衆の掛け声に他の皆が楽しく乗っかり、共に健闘を讃え合った。
「桜殿!」
「又さん」
勝利の掛け声が続く中で又兵衛と桜もようやく笑顔で再会していた。
小五郎らが去った後、吉法師は代わって大岩の上に登り、眼下に広がる幾万もの灯の光景を見つめていた。
(この灯の一つ一つが自分を案じて集まって来た者たちか)
普段の生活のでは全く気がつくことはなかったであろう。自分は常にたくさんの人と繋がっていて、たくさんの人により支えられている。それがこの場ではっきりと認識できる。ありがたい思いで一杯になりながら、吉法師はその光景を眺めていた。
「吉の人気は物凄いものだな、尾張の国中の民が集まっている様じゃ」
後から大岩に登ってきた孫一は、そう言って吉法師に語り掛けた。もう既に孫一は吉が石問屋の吉ではなく、尾張織田弾正忠家の嫡男の吉法師であると分かっている。それでも敢えて孫一は愛着を持って吉と呼んでいた。
「孫一、すまぬな、儂は……」
吉法師は自分の正体を偽りながら、孫一には命を掛けさせて自分を守らせたことを申し訳なく思った。最後に自分の正体を明かして再度礼を伝えようとしたが、孫一はそれを止めた。
「吉、吉は自分の人生を楽しめ」
そう言って笑顔を見せる孫一に吉法師も笑顔で応えた。
「そうじゃな、それでは孫一に負けぬ様に楽しく生きるとしよう」
その張り合うような吉法師の言葉はまさに孫一が待っていたものであった。
「おう、儂に負けぬ様に楽しむとなるとそれはまた大変じゃぞ、はははははは」
「あははははは」
二人は大岩の上で広がる灯りの絶景を背後に笑い合っていた。




