第五章 女房鉄砲仏法 力への意志(17)
孫一は小脇に吉法師を抱えながら、森の中を奥へ奥へと逃げていた。
吉法師の姿を見つけた追手の衆は勢い付きながら、左右と後方から取り囲む様に迫っていた。その衆の中には、これまでの狩人の格好をした者だけでなく、武家に仕える足軽の様な一団が混ざって来ており、その人数は次第に増している。
「吉、おぬしは本当に人気者だな」
孫一は時折行く手を阻もうと現れる男たちを振り払いながら吉法師に声を掛けた。しかし吉法師は孫一の腕の中で塞ぎ込んでいた。
(自分が何か事を起こせば犠牲になる者が現れる…)
吉法師は自分を逃がすために自らを犠牲にした老僧や結のことを思い悩んでいた。
これまで自身の使命とする天下の再構築のために、自分に対する覚悟の象徴として熱盛の舞を極めてきた。しかし自分が何か行動を起こせば周囲の者たちに大きな犠牲を強いることになる。今回はそれを痛烈に実感していた。
(皆を巻き込んで良いのか)
奥堂の爆発で散り散りになった仲間たち、自らを犠牲にする老僧と結、周囲に集まる者たちにも自分と同じような覚悟を求めることになるのか、そして天下の再構築にはどれほどを犠牲を強いることになるのか、自分の先の将来は考えれば考えるほど悩ましいものでしかない。
(人の生き死にを左右する立場、嫌な立場じゃ)
そんな嫌な思いをしてまで、本当に天下の再構築を成さねばならぬのだろうか、自問する中で、父信秀、吉乃、そして先程の老僧の言葉が頭を過った。
(嫡男と言うのは大変よのぉ、あれこれと考える事があってのぉ)
(吉法師様の本当の目標は天下の再構築ですわ)
(如何にして世を治めるか、我らの議論の続きはぬしが考えよ)
それは自分への継承であり期待である。今はその使命を果たすための確実な方法も浮かばなければ自信も無い。もしかしたら犠牲となってしまう者は自身の無謀な使命のための無駄死にかも知れない。吉法師の悩みは心底深まっていた。
孫一は腕の中で塞ぎ込む吉法師の様子を窺いながら森の中を駆けていた。少しでもその速度を緩めれば、瞬く間に相手に囲まれて逃げ道が失われる。そのギリギリの状態の中で孫一は吉法師に声を掛けた。
「吉、奥堂では変な老僧たちに会うたか?」
その孫一の問い掛けに吉法師は奥堂の老僧たちの姿を思い起こしながら弱々しく呟いた。
「会うた…」
恐らく爆発で吹き飛んだ奥堂からの脱出は過酷であったのだろう。その言葉からはここを逃げ切って自身の将来につなげるという気構えが感じられない。この様な困難な状況の時ほど気構えが大事となる。孫一は吉法師の心情を察しながら、その気構えの立て直しを試みようと思った。
「そうか、会うたか、ははは、また延々と変な議論をしておったであろう」
孫一は塞ぎ込む気を逸らす様に話題をぶつけた。しかし、老僧たちが議論する対象の課題は吉法師に共通するものであった。吉法師は孫一の言葉に少し引っ掛かりながら応えた。
「乱れた世を治めるにはどうすれば良いか、という議論をしておった」
「そう、それそれ」
吉法師が重要と思った老僧たちの議論を、孫一は単に変な議論と言う。この見解の差は、孫一の商人という立場との差からくるものなのであろうか、吉法師は少し悩みながらも自身のことを漏らした。
「実はな孫一、儂も今の乱れた世を治めねばならぬのじゃ」
孫一は吉法師のその言葉を聞いて神妙な面持ちを見せた。
(なるほど、やはりそうか)
その言葉からは生まれ持って背負う使命の重さが感じ取れた。自らは石問屋の嫡男の吉と名乗っているが、昨晩の敦盛の舞に込められた覚悟を見る限り、その様なものではない、もっと遥かに重いだと感じられる。
(吉は何処ぞの武家の子なのであろう、その将来への重責があの敦盛の舞の起源となっているに違いない)
孫一はこの様な子供が今の戦乱の世を考えねばならぬことに、何か言い表せぬ複雑な思いがした。
孫一が吉法師に深慮する間にも、意表を突いて周囲から行く手を阻もうとする者が現れる。
サッ
バシッ
ズサッ
孫一は吉法師を抱えたまま左から飛んでくる矢を反射的に避けつつ、右から迫る長棒を避けて飛び越えた。更に後方から迫って来た男に蹴りを入れ、不用意な接近に躊躇を与えると、周りを囲まれる前に颯爽とその場を離れた。
そして孫一は一呼吸おくと、走りながら吉法師に思い切り笑い飛ばして見せた。
「はははははは、吉、ぬしも世治めとは大変じゃな、それでぬしは楽しいのか?」
この孫一の態度にかちんとした。
「楽しい訳無かろう!」
吉法師は思わず抱えて逃げてもらっている状況を忘れ強く言い返した。
自分の生涯を掛けて叶うかどうかも分からぬ天下の再構築、自身だけでなく周囲の仲間の生き死にまで関わる、その様な重い未来が楽しいと思える訳がない。
(孫一とは見解が合わぬ)
良く考えれば孫一は鉄砲などの武器を生業としている商人である。世が治まればそれらの武器は売れなくなる。そのため孫一は乱れた世が続くことを望んでいるのではないか、吉法師は孫一に嫌悪の目を向けた。
孫一はそんな吉法師の視線を感じつつ、吉法師の感情の変化を見計らいながら更に問い掛けた。
「それじゃ吉は楽しみも無しに、将来を世治めに生きようとしておるのか?」
「当り前じゃ、世治めに楽しみなどある訳なかろう!」
吉法師は目線の嫌悪感をそのままぶつける様にして孫一に言い放った。すると孫一はふくれ面の表情の見せる吉法師にそっけなく言い返した。
「ふ~ん、楽しみが無いとは、吉の将来はつまらぬのぉ」
(儂の将来がつまらないだと?)
この一言を聞いた時、吉法師は更に腹が立つ思いがした。孫一は自分の使命を果たそうとする生き方をつならぬと言う。所詮は他人事という見方なのだろうと思った。
しかし良く考えれば、将来に楽しみが無いと言ってしまえば、確かにつまらぬ生き方に思える。先ず何よりも、この問い掛けで、孫一が乱れた世が続けば良いという商人の立場で話をしているのではなく、あくまでも自分のことを考えてのものだということが分かる。
(何じゃ、どういう意味じゃ?)
何か考え方が異なっている。吉法師は孫一の言葉の意味が深く気になっていた。
孫一は敵の攻撃を避けながら吉法師の感情の変化を測っていた。最初は酷く意気消沈していたが、一度感情を高ぶらせることで、だいぶ平静さを取り戻して来ている様に見える。孫一は吉法師が自分の次の言葉を待っている様子を感じ取ると、走りながら一瞬吉法師に目を合わせ、教え込むようにして言った。
「吉、ぬしは先ず自身の生きるを楽しまなければならぬ」
「・・・・・・」
その孫一の一言は吉法師にとって衝撃的であった。
それは今まで誰からも教わったことの無いこと、いや本来教わるべき様なことではないかも知れない。しかし人が人として楽しみの中で一生を送るということは、基本でもあり、最も重要なことでもあると思える。
(生きるを楽しむ!)
吉法師の中で何か孫一の人生観が広がっていた。
それは孫一が広域商人として広い世界を見て、たくさんの人と接して来た上での人生観であり、善空やお民とも共感してきた価値観であった。人はそれぞれ個の意思を持ち、それぞれの生きる立場を持ち、それぞれの生き方を生きる。そこには幸の瞬間もあれば不幸の瞬間もある。しかし、最後の瞬間は楽しき良き一生であったと思える様でありたい。そのためにも日々自身が生きていることを楽しめる様でなければならない。
(生きるを楽しむ!?)
吉法師は物心がついた時から、身分と使命と責任の中で生きる自分たち武家の思考は凝り固まっているものだと思った。孫一は広域商人として、見知らぬ地の、見知らぬ人の、見知らぬ品を求めて大海に帆を広げ、新しき世を切り開きながら生きている。その原動力に身分とか、使命とか、責任というものは無く、興味から芽生える楽しさを追求してのものである。自分たちとは生きるための思考が全く異なっている。
(新しき世を思へば新しき人生観が必要…)
吉法師はその孫一の人生観に何か自分の未来が切り開けていく思いがした。その思いと同時に、深い森を抜けると周囲の視界も開けていく。するとそこには蓮の花が生い茂った池が広がっていた。
吉法師は池の中の小島に向かって掛かる橋の真ん中で孫一に下ろされた。その橋は人が一人通れる幅しかない。孫一は最初に渡ってきた沓掛衆の男の足を引っかけて倒し池の中に蹴り落とすと、男が持っていた鉄棒を奪い、ここを通さぬという意思を込め、橋の真ん中で仁王立ちする姿を見せた。
迫る相手を威圧する孫一、吉法師はその傍らに問い掛けられた。
「吉、新しき世を思えば楽しいことなど山ほどもあるのではないか?」
孫一の言う通りであった。孫一の様な人生観で新しき世を思えば、新しきもの、新しき出会い、新しき発見に通じ、山ほどの楽しきことがある様に思える。吉法師も今回初めて鉄砲に触れて思ったが、何よりこれまで知らぬことに接すること自体が面白く楽しい。
(そうだ新しきを知るということ自体が楽しいことになるはずだ)
これからの世は大きく変わる。これから新しき世の治め方を思えば、様々な新しき物事に触れる機会が訪れるであろう。それを生死を共にする仲間たちと共有の楽しみとすれば良い。そう思うと将来に向けた楽しみが沸いて来る様な思いがした。
「よーし!」
吉法師は小島に向かい刺さっていた一本の杭を引き抜くと孫一の前に出て自らも仁王立ちして見せた。ぬしらなどには捕まらぬ、儂の将来を歪めることは出来ぬ。将来への楽しき思いと共に、将来への強い意思を込めた。
しかしその時、池の橋の手前には狩人の格好をした衆に加えて、足軽の格好をした衆が犇めく様に集まっていた。
「さあ吉、まずはここを切り抜けようぞ、楽しんでな」
「分かった、孫一」
二人は笑顔を見せ合った。そして狭い橋に押し寄せる敵の衆を、一人ずつ次から次へと池へ振り落としていった。しかし敵の衆の男たちは引っ切り無しに向かって来る。吉法師は武士団の者たちの登場を見て呟いた。
「しかしまさかあの武士団が敵方であったとは?」
吉法師は先程奥堂から見た武士団が敵方であったことに歯痒い思いがした。狩人の格好をした者を含め、数多くの者たちが自分を狙ってこの尾張に入り込んでいることを悩ましく思った。
「怖気づいたか、吉?」
そう言って孫一は吉法師にまた笑って見せた。その顔はこれしきの苦難、自分はこれまで何度も乗り越えて来ておる、と言いたげな表情をしている。
(孫一め、とかく儂の事を試しておる、嫌な奴じゃ)
周囲で咲き誇る蓮の花も孫一に同調する様に笑っている様に見えた。もう孫一などに笑われたくない、吉法師は苦難に悩む心に逆行して笑顔で強がって見せた。
「笑止、これしき!」
「ははは、いいぞ、その意気じゃ」
二人は橋の上でその逆境を楽しむかの様に奮闘を続けた。
一方、本多俊正と近藤九十郎は池に掛かる橋の手前でこの二人の様子を窺っていた。
「もう一押しなのだがな」
「あぁ、ここまでやるとは」
もうここに至っては完全に吉法師を追い詰めている。後は逃げられぬ様にして、圧力を掛け続ければ、一緒にいる男と共に自然と力尽きるに違いない。二人はそう考えていたが、中々そうとはならない。するとそこに武士団を率いて来た若い武者が現れ二人に声を掛けてきた。
「あれが吉法師か?」
吉法師を指差すその若武者の男の姿を見て、九十郎と俊正は一度頭を下げると、少し恐縮した面持ちで応えた。
「小五郎殿、急な応援の派遣をかたじけない、あれは吉法師に間違いありません」
「しかし、小五郎殿、まさか偽装無しでこの尾張に入り込むとは、大胆ですな?」
その若武者は酒井小五郎(後の酒井忠次)であった。小五郎は尾張嫡男の吉法師捕獲の連絡を受けると、好機とばかりに即座で手勢を集め、国境の警戒の隙を突いて尾張に侵入していた。小五郎は不敵な笑み浮かべて言った。
「ははは、まさかと思われる事が意外に通ったりするものだ」
そう言いながら小五郎は橋の上で孫一と一緒に奮闘する巫女姿の吉法師を確認した。そして、すぐさま納得した様子を見せた。
「なるほど、成りはともかくあの動き、あの状況でのあの気構え、確かに普通の子ではない」
小五郎は幼き頃より松平清康亡き後の力の落ちた三河の国を如何にして再び強い国に立て直すか、ということを課題としていた。そして己が必要だと思うこと全てのことを全て取り組んだ結果、豪傑な若武者でありながら、将としての行動力や判断力にも優れ、戦略家としての機を見極める才にも長ける様になっていた。
小五郎は橋の上で孫一と吉法師が奮闘する様子をじっと見ていた。自身が連れて来た手勢の何人もが橋の上の孫一に挑んでいるが、敵いそうな感じではない。
(うちの者たちがまるで相手にならぬ、あの男は一体何者じゃ?)
常日頃より自身と共に訓練を積み重ねて来た手勢の者たちが、一人の男に対して全くと言って良いほど相手にならず、次から次へと池に突き落とされていく。それは小五郎にとっても信じ難い光景であった。
この時、小五郎は鈴木孫一という相手を知らずにいた。それは鷹匠の本多俊正と沓掛の近藤九十郎も同様であった。
「よし我らが仕掛けてみよう、小五郎殿は今一度相手の出方を見ていてくれ」
そう言うと九十郎と俊正は池に掛かる橋へと向かった。
(何じゃ、それほどこちらが苦戦しそうな場ではないじゃないか)
(これほどの者が叩き落とされるものなのか)
橋の手前まで来た二人は孫一と吉法師に負け続ける味方の衆を不思議に思いながら見ていた。橋の幅が狭く基本的には一対一の戦いの繰り返し、相手がいくら強者であったとしても、数十人が負け続けることは考え難い。
「よし参る!」
九十郎は直前の者が池に落とされたのを見ると、一つの掛け声と共に長棒を振り回しながら橋を渡り孫一に挑んでいった。それと同時に俊正は宙を舞う鷹に攻撃の合図を出した。
「おぉ、ぬしは先程の!」
孫一は先程張り合った男の再来に一言声を上げると、九十郎の攻撃を自身の長棒で受け、そのまま一層込めた力で振り払った。九十郎は再度力を込めて長棒を振り翳し、孫一に向かって行こうとした。その時だった。
「何!」
踏み込んだ橋の表面の一部分が突如思い掛けない方向に傾き、九十郎は思わず態勢を崩した。そしてそれを予測したかの様に孫一は長棒を突き当てて来た。
「うぬ!」
九十郎は必死に体を反らし、自身の長棒を防御に当てながら孫一の一撃を躱すと、辛うじて橋の中央から身を退いた。その時、同時に孫一を襲っていたはずの鷹も俊正の所に戻っていた。
(どういうことだ?)
九十郎がそう思いながら立ち尽くしていると、俊正も同じ様な思いを抱いている様な顔付きをしていた。俊正は急に孫一への攻撃を止めて戻ってきた鷹に対して浮かぬ顔をしていた。
小五郎はそんな二人に駆け寄って来ると、二人が抱く謎を解き明かすかの様にして言った。
「分かったぞ、どうやらここで相手にしておるのはあの二人だけでは無い様だ」
その言葉を聞いた直後に二人は驚きの表情を見せたが、小五郎が今の戦いで見定めた詳細な様子を聞くと、二人は納得した表情を見せる様になっていた。
「なるほど、あの橋の表面が部分的に傾いたのは作為的であったということか、皆それであれほど立て続けにやられておったのか」
「なるほど、良く見えなかったが、鷹は小さな石礫を受けたということであったか、鷹も予期しておらんかった様で怯んでおった」
池に落とされた者の中には池から上がる際に河童に武器を取られたとか、足を掴まれたと申す者もおり、池の畔から弓で狙った者は蜘蛛の様な虫が弦を断ち切っていったと言っている。衆の中には、小島の祠に潜む神がかりな力が作用していると慄き、戦意を喪失させている者も現れていた。
「心理的な攻撃を付随させた高等な防御策だな」
小五郎は不自然な人と景色の動きを捕え、姿を見せずに二人を援護している存在がいることを、結論として見出していた。
孫一と吉法師は蓮の花が広がった池の中の橋で自信満々に仁王立ちしている。小五郎はそんな二人を見ながら言った。
「もう相手の動きは見極めた、次は儂も動く、これで勝負を着ける」
小五郎も自信満々に笑みを浮かべながら仁王立ちを見せていた。




