第五章 女房鉄砲仏法 力への意志(16)
本多俊正は草場に身を隠しながら奥堂の様子をじっと見つめていた。
(尾張のうつけか…)
吉法師はこの奥堂に隠れている。先程の威嚇発砲が、何よりもそれに対して是と答えている。俊正は大木の枝から味方を鼓舞する吉法師の畏怖堂々とした姿を思い起こした。その様子は世間のうつけの若殿という評判とは異なり立派な勇将を思わせる。
(真の姿は大分異なるようだな……)
俊正は将来の尾張の領主となった吉法師の姿を思い浮かべながらも、目の前の奥堂を攻略する策を考えていた。
パーン!
陽が徐々に傾く中で、奥堂からの威嚇の発砲は続いていた。このまま地の利のないこの場で夜を迎えれば、暗闇の中で吉法師には逃げられ、自分たちは思いがけぬ窮地に陥る可能性がある。どの様にしてこの鉄砲で武装された堂を攻略するか、その検討においてももうそれほど時間はかけられない。
「どうしやす?」
近くの沓掛衆の一人が訊ねてきた。良き案は無い、と答えようとしたその時、俊正は男の背後の木の根元にあるものを見て閃いた。
「おい、そこのものを取って来てくれ」
男は振り向き俊正が指し示したものを見ると驚きの表情を見せた。
「えっ、えっ、あれっすか?」
「そうだ、ほら、この風呂敷貸すから」
俊正は戸惑いを見せる男に煽る様にして言った。男は俊正から風呂敷を受け取ると、数人の衆の仲間を連れて、しぶしぶと背後の木の方へと向かって行った。
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孫一は奥堂近くの山中の斜面で、近藤と一対一の勝負を繰り広げていた。鉄の長棒を振り回す近藤に対して、孫一は距離を取りながら石礫と木の枝で応戦していた。
パーン
奥堂からは一定の間隔で鉄砲の音が響いていた。その音を耳にすることで、未だ奥堂が落ちておらず健在であることが分かる。孫一は早くこの目の前の男を倒して、奥堂の方に向かいたいと思っていたが、ほぼ素手の状態ではまともな勝負を仕掛けられない。
(武器無しでこの者を倒すのは容易でない)
相手の男は経験豊富な強者の様で、小手先の今の攻撃では全て弾かれてしまう。有効な攻撃の手段が無い中で時間だけが過ぎていき、焦りが募っていた。
(こ奴、狩人の成りをしておるが完全に武家の者だな)
そう思った時であった。
「棟梁!」
自分を呼ぶ声と共に烏丸、猿彦、熊吉、猫実の寺の若い四人が山中の下方より駆け寄ってきた。
「おぉ ぬしら」
四人とも激戦を繰り広げて来たのであろう。着物のあちこちが破れており、猫実に到っては内掛けのみの姿となっている。しかし、人数において圧倒的に劣勢の中、皆大きな手傷を負ってはいない様に見える。孫一は安堵しながら四人を迎えた。すると、目の前まで来るや否や、焦りの表情を浮かべながら烏丸が伝えて来た。
「棟梁、この狩人の衆の後から、五十人ほどの武士団が迫っています」
孫一はその武士団は先程の吉が叫んだ味方となる尾張の軍勢の事と思った。
「そうか、五十名も迎えによこすとは、よほど吉は尾張で重要な御子なんだな」
しかし四人はその孫一の表情とは異なり深刻そうな顔を続けていた。
「いえ、それが様子がおかしいんです」
孫一はその猫実の言葉に表情を変えた。すると猿彦と熊吉がここまで来る途中で見た光景について話を始めた。
「この狩人の衆の最後尾にいた者が、後方から来た武士団の方に合流していくのを見ました」
「その時、その者は上空の鷹の方を指差しておりました、あれは奥堂への方向を教えているとしか思えぬ」
烏丸は続けてそこから導き出される考えを述べた。
「あの武士団は味方ではありませぬ」
味方と考えていた軍勢が実は敵方であった、それはあまりにも衝撃的であった。ここで敵の数が更に増えれば鉄砲を持ってしても、瞬く間に殲滅されてしまうだろう。一刻の猶予も無かった。
先程まで対峙していた男も後続の狩人の格好をした衆と合流した後、奥堂の方に向かって移動を開始していた。後方から五十人もの軍勢が来るとなれば、この場での戦闘はもはや互いに無意味なものであった。
孫一は四人に向かって言った。
「よし、我らも奥堂に向かうぞ」
「はい!」
一つの返事と共に孫一と寺衆の若い四人は山中を奥堂へと向かって行った。
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奥堂では五丁の鉄砲と数張の弓がいつでも外に向けて放つことができる態勢が出来上がっていた。部屋の中には次射の弾込めが効率良く出来るように、鉄砲の弾や火薬が整然と並べられている。四人の老僧たちは演奏隊の面々に鉄砲の弾込めのこつを教えていた。
「いいか、鉄砲は火薬の扱いが大事じゃぞ!」
「火薬は鉄砲筒の中でしっかりと固めよ!」
「導線にもしっかりと火薬を込めるのじゃ、甘いと点火せぬぞ!」
「火縄には気を付けよ、周囲の火薬に引火したら皆吹っ飛ぶぞ!」
老僧たちは鉄砲術に詳しく、鹿之助らの演奏隊も威嚇射撃と弾込めを何度か繰り返す内に、徐々にその手際が良くなっていた。
(これなら相手も迂闊には近付けまい、味方の到着までの時間は十分に稼げる)
この奥堂にいるのは自分一人では無い。一つの部隊として防衛の態勢が整っていくことに、吉法師は安心感を感じていた。
「違う、こうだ、見ておけ!」
ガシッ ガシガシ
パーン
一人の老僧が手本として素早く弾込めから発砲までを一連の工程を手際よく行って見せた。それを見ていた吉法師は老僧たちの存在について気になりだしていた。
(不思議な老僧たちじゃ、この様な場に隠遁しているかと思えば鉄砲術を極めておる……)
先程の一人の老僧の話では、仏と人の道を積年の課題として四人でここに隠遁し議論してきたというが、老僧たちの身なりもそして振る舞いも、何か現実離れしている様に見える。
(もしかすると、この者たちは…、異能者とかいうやつか?)
老僧たちは積年の課題を追求している中で、何か人の限界というものを超えたのではないか、吉法師は老僧たちにこれまで出会ったことの無い異質な雰囲気を感じていた。
(最新兵器の鉄砲を操る老僧たち、気、気になる)
気になったものはとことんまで見極めないと気が済まない。そんな性格の吉法師は徐々に老僧たちに近づいていくと、一人一人を間近で観察し始めた。
(うーむ、取り敢えず人の様じゃ、仏が化けたものでもなければ、魑魅魍魎の類でもなさそうじゃな、いやまだ分からぬ)
吉法師は試しに一人の老僧の腕に噛み付いてみた。もし何かの動物が化けているのであれば、喰われる様な行為は嫌がる筈であろう。しかしその老僧の反応は薄かった。
「何じゃ、食うてもおいしくないぞ」
冷ややかな態度を見せるその僧に、吉法師は笑いながら訊ねた。
「いやいや、すまぬ、本当に人なのかどうか確認したかったのじゃ、ところで御坊方の仏と人の道の積年の課題とは一体何なのじゃ?」
恐らくその積年の課題とやらが、最後に鉄砲という結論を導いたのであろう。未だ武家にも浸透していない鉄砲を老僧たちが実践している理由が知りたかった。
「ぬしは若い、我らが議論の結論を知りてまた違う展開を思うやも知れぬ」
「うむ、話して進ぜよう」
四人の老僧たちは目を光らせながら吉法師の周りを囲って座り、議論の成り行きについて語り出した。
「拙僧らはある日、いつも行っていた議論の中で一つの課題を挙げた」
「それはこの乱れた人の世は如何にすれば治まるのかということじゃ」
「しかし、それは難題で容易に答えが出るものではなかった」
「議論に明け暮れた我らは世間から隠遁し、積年の課題としてきた」
その課題はまさに吉法師自身が目標に掲げていた天下の再構築を実践するための課題であった。この老僧たちは自分と同じ事を積年の課題としている。吉法師は内心驚きながら更に訊ねた。
「それで御坊方はどうされたのじゃ」
強く興味を抱いた吉法師に、四人の老僧たちは唸るように言った。
「一切皆苦、即ち、人の世は思い通りになるものではない」
「諸行無常、即ち、人の世も心も絶えず移り変わりゆくものである」
「諸法無我、即ち、人の世の全ては因縁により繋がり固定した実体などない」
「涅槃寂静、即ち、煩悩の消された悟りの世界こそが安らぎの境地である」
それは仏教の根本的な理念である四法印であった。老僧たちはこの仏様の教えを唱えた後、更に話を続けた。
「我らはこの今の乱れた世にこそ、この仏様の教えが必要だと思うた」
「世の皆がこの教えを理解し、悟りの境地へと辿り着けば争いはなくなる」
「我らはこの仏様の教えを世に広めるために色々な努力をした」
「自ら仏像となりて、世の皆を導こうとしておったのじゃ」
吉法師はその時仏像に成りきっていた老僧たちの姿を思い起こした。
「なるほど、それであの様に仏像に成りきっておったのか?」
世の皆を悟りの境地に導く、それは非常に難儀なことであると思った。しかし自身が掲げた天下の再構築も同様かも知れない。吉法師は再び老僧たちに訊ねた。
「それで世の皆は悟りの道へ向かおうとするのであろうか」
どの程度の者が悟りへの道に向かうのか、もし大半の者が賛同するのであれば、天下の再構築は仏の力を以て成されるものかも知れない。吉法師の問いに対して、老僧たちはその場に立ち上がって話を続けた。
「悟りの境地、それはこの世の様々な欲を絶つことに始まる」
「しかし人は基本的に欲のために行動し、思考し、時に争いを起こす」
「問題の根源にもなるが、行動の原動力として進化を生み出すこともある」
「つまり欲というのは人が高みを目指した故の、力への意思であり、それは人の本質なのだ」
欲を除けば争いも無くなるが進化も無くなる。しかしそれは人が人で無くなることにも繋がりかねない。吉法師は老僧たちの話をそう聞き留めた。
(人の世の乱れは無くせぬということか?)
吉法師はここで老僧たちの議論に一つの結論を得た様に思った。しかし四人の老僧は吉法師に鉄砲を構える振りを見せた後、更に強い口調で話を続けた。
「根本的に人と仏様はできているものが違う、人から欲は無くせぬ」
「欲を糧にして力への意思を示す者をどう治めるか、我らは再び議論した」
「そして一つの答えに達した、それは力には更なる大きな力で押さえ込むことが必要じゃと」
「それで我らは老人でも屈強な武士を倒す力を得るべく、最新兵器の鉄砲術を学んだのじゃ」
それは鉄砲と仏様、精神面と肉体面の両面から人の欲を押さえ込み、世を治めるという内容であった。
(何とも極端な結論じゃが、一つの参考にはなるか)
圧倒的な武力を以て世を治めることのみを考えていた吉法師はこの老僧たちの結論は参考になると思った。しかしその一方でまだ何か不十分なものを感じていた。
「お坊殿方の結論良く分かった、しかし人の欲を押さえ込んで治めるのは大変だと思う、何とか欲を活かして世は治められぬかのぉ」
この吉法師の言葉に四人の老僧たちははっとした。欲を活かして世を治める、それはこれまでの四人の議論に無い発想だった。
(こ、この子は一体…)
この子供は自分たちが時間を掛けて議論した結論を超えた域の発想をしてくる。老僧たちは驚愕の眼差しで吉法師に注目した。
その時であった。
バサバサ、ガコッ、ドサッ!
突然、大きな鳥が窓の隙間から侵入して来たと思いきや、大きな風呂敷包みを投げ捨てて立ち去って行った。
「何じゃ?」
部屋の皆がその包みに着目していると、包みは床に落ちて解け、中から茶色い固まりが転がり出してきた。すると、そこから何か無数のものが音を立てて部屋中に広がって行った。
ブーン、ブーン
ブーン、ブーン、ブーン、
ブーン、
「蜂じゃ!」
たくさんの大きな蜂が部屋中を飛び回り、堂の中は突如大混乱に陥った。
「うわーっ!」
「まずい、」
「あいてー、刺された!」
「逃げろー」
「ってどこへじゃぁ」
防戦の態勢どころでは無くなっていた。
俊正は一仕事終えた鷹に餌を与えながら目の前の堂の様子を窺っていた。そして堂内の混乱の状況を察し作戦の成功を確信すると、近くにいた顔に腫れ物を拵えた沓掛衆の男たちに向かって叫んだ。
「よし、今じゃ、皆の衆、堂を制圧するのじゃ、突撃じゃー、いけー」
沓掛衆は最初こそ半信半疑で、また一斉発砲を受けるのではないかと思って及び腰になっていたが、明らかに堂内が混乱していて、その様子が無いことを見て取ると、勢いに乗じて堂の入口へと押し迫っていた。
「まずい、奴ら攻めて来た!」
「鉄砲だ、撃て、まずとにかく撃て」
堂内は飛び回る蜂に混乱しながらも、迫って来る者たちに鉄砲を撃ち掛けようと皆が焦っていた。
「だめじゃ、ぬしら焦ってはいかん」
「え、うわっ!」
「あ、いた! まずい!」
その時、鹿之助は焦って火縄が付いた鉄砲を床に落とし、近くで鉄砲に火薬を込めようとしていた馬太郎はその周囲にその火薬をぶちまけた。
パチパチパチ
あちこちで火薬が火花を上げ始めた時、老僧の一人が叫んだ。
「いかん、だめじゃ爆発する、皆窓から飛び降りろ!」
それを聞いた演奏隊の皆は敵が近くに迫って来ているにも関わらず、次々と窓から飛び出して行った。
「結と若いの、こっちじゃ」
この混乱の中、吉法師は結と共に一人の老僧に付いて急ぎ部屋の端の壁へと向かった。そこには隠し扉が施されていて、その先は隣接する大木へと繋がっており、周囲から隠された秘密の出口となっていた。そして三人が大木から離れ、祠の下に積まれた岩陰に隠れたその時であった。
ドーン!
大音響と共に奥堂が爆発して吹き飛んだ。
(皆は大丈夫か?)
吉法師はこの時改めて自分が無関係な皆を自身の問題に巻き込んでいると思った。自分に味方したために爆発に巻き込まれた、ということになってはいないだろうか。吉法師は皆の顔を思い起こしながらその安否が気になっていた。そんな吉法師の気持ちを察してか、老僧は朗らかな表情を見せて呟いた。
「ぬしはお民と善空が申す通りの御子の様じゃな」
老僧たちは密かにお民と善空より吉を守るようにと伝えられていた。何か秘めている面白い子、そう伝えられていたが守る必要性としては理解できずにいた。その中で、この子は四人で議論してきた世治めの結論を超越させた発想を見せてきた。確かにこの御子は将来に何かを秘めており、世の未来に向けて守るべき存在であることを確信していた。
「おい、こっちに抜け道があるぞー」
「そう遠くには逃げていないはずだ、探せ!」
近くに迫る男衆の声がした。
老僧は吉法師を見つめると微笑んで見せた。
「如何にして世を治めるか、我らの議論の続きはぬしが考えよ、新しい世はぬしの様な若者の創造によって生まれるものだ」
吉法師はその老僧の言葉にまた何か重いものを背負わされた様な気がした。将来の尾張の領主という立場はこれまで幾度も重荷に感じていた。この老僧は自分が尾張城主で織田弾正忠の嫡男ということは知らないはずであるが、恐らくその様な立場を察して伝えてきている。吉法師はその老僧の思いを受け取るしかなかった。
「分かった、御坊殿」
返事を聞いて頷いた老僧はまた笑顔を見せると、岩陰にある幾つかの岩をどかした。するとそこには小さな隧道への入口が隠されていた。老僧は結に向かって言った。
「結、この隧道の先は寺の南の祠に繋がっておる、そこから先に広がる森の中に身を隠すのだ、良いな」
老僧の言葉には何か覚悟めいたものがあった。結が深く頷くのを見て吉法師は老僧に訊ねた。
「御坊殿はどうするつもりじゃ」
吉法師は不安そうな顔を見せた。それは自分自身に対してでは無く、老僧の身を案じてということが分かる。老僧はまた笑顔を見せた。
「この入口を隠すためには外から塞ぐ必要があるのじゃ、この先は二人で行くのじゃ、幸運を祈っておるぞ」
「御坊殿…」
吉法師はその老僧の言葉に涙が出るのを堪えた。
「あっちだ、向こうの岩の周囲も探せ!」
自分を探す男たちの声が迫っていた。
「行け!」
吉法師は老僧に急かされ結と隧道に入って行った。それと同時に老僧は元あった通りに岩でその入口を塞いだ。
(ありがとう、御坊殿、儂は、)
吉法師は老僧のことを思いながら結の後を追って暗い隧道の奥へと入って行った。
知り合って間もない者が自分のためにこれほど身を犠牲にして動いてくれるものなのか、自分はこの者たちの期待に応えられるのか、複雑な思いを巡らせながら隧道の暗闇の中を進んで行った。
隧道の中は時折岩の隙間から外の光が漏れ入る程度の明るさであったが、道の先を見定めるには十分であった。暫く上下左右に入り組んだ道を進み、どちらに向かっているのか分からなくなってきた時、突如目の前に一つの扉が現れた。
(これが出口か?)
結と顔を見合わせた後、吉法師はその扉を開いた。すると陽の光が直接目に入った。
(眩しい!)
そこは夕陽が差す丘の上に建つ祠であった。吉法師と結は祠から出ると、人目を避けて近くの窪地に滑り込みその身を隠した。その時、また自分を探す男衆の声が聞こえた。
「おいそっちはいたかー!」
「いや、いない 向こうはどうだ!」
「向こうはさっき探した」
「まだこの近くにいるはずだ、探せー」
何か自分を探す男衆の数は増している様に思えた。もし先程目にした尾張の味方の軍勢が到着しているのであれば、敵の衆は逆に離散しても良い様に思えるが、どういう訳か増している様に思える。この先に逃げ込もうとしている森までは少し距離があり、逃げ込む前に見つかる可能性が高い。吉法師と結は今いる窪地から動けなくなっていた。
「おい、あの祠の方はどうだ」
「おう、行ってみよう!」
二人の男が、吉法師と結が隠れる窪地に迫っていた。男たちは祠の所まで来るとその扉が開いていて、その奥が隧道となって続いていることに気が付いた。しかも祠の周りには直近に何かが通った形跡がある。
「おい、これは!」
「あぁ、皆を集めよう、おーい、こっちだ!」
男たちは大声で近くにいた三人の男たちを呼び寄せた。
「どうした、見つけたのか?」
「いや、この近くにいる、この祠を通って出た形跡がある」
「お、本当だ、よし周りを探せ」
その男たちの会話を聞いた吉法師は結に耳打ちした。
「このままでは見つかる、走って山中の森に逃げ込もう」
その声に結は真剣な表情で吉法師を見つめながら頷いた。
「あそこに見える木の横から森に入りこむぞ、三、二、一、よし行こう!」
歩調を合わせた掛け声と共に吉法師は森に向かって走り出した。
「な、結!」
しかし結は同時に吉法師と反対の方向に向かって走り出し、顔を隠しながらもわざと男たちの目に触れるようにしてその近くを駆け抜けた。衆の男たちはその姿を見て大きな声を張り上げた。
「いたぞ!」
「こいつだ、この白装束の子供だ!」
「間違いない、追え! 追え!」
目の前を駆け抜ける白装束の子供、それはまさしく遠目で見た大木の上で声を張り上げる吉法師の姿であった。男たちは逃げる結を吉法師と思い込み追い掛けて行った。
(ゆ、結、何で…、儂の身代わりになって……)
吉法師は森の前で立ち止まっていた。何か体の力が抜け、呆然とした状態で結が逃げる姿を見ていた。
ほどなく結は男たちの手によって捕まえられた。すると男たちは直ぐにその子供が吉法師ではないことに気が付いた。
「何じゃ、この小娘は?」
「こいつ、違うじゃないか!」
「騙しおったな、こいつ!」
「いや、間違いなくやつも近くにいる筈じゃ、探せ!」
沓掛衆の男たちは周りを見回した。すると森の手前から自分たちの方を見ている別の白装束の子供がいることに気が付いた。
「いた、あそこだ、あっちが本物だ!」
「そうだ、追え、追え!」
衆の男たちが迫って来る状況で吉法師はまだ動けずにいた。ここまで自分を導いてきてくれた結が最後に自分の身代わりで捕まってしまう、それは吉法師にとって大きな衝撃となっていた。
そんな吉法師の姿を、結は男たちに押さえつけられながら目にした。
(吉様、逃げてー)
声を失っている結は必死に心で叫んだ。しかし呆然と立ち尽くしている吉法師に動き出す様子は見られない。その間にも男衆は吉法師に迫っている。
(吉様、逃げて!)
(吉様、逃げて!)
何度目かの心の叫びだった。
「吉様ー、逃げて—!」
結の心の声は現実の声となり吉法師に届いた。
(ゆ、結……)
吉法師はその結の声に押されるかの様にして森へと逃げ込んでいった。
(声を発することができなかった結が、儂のために…)
涙が止まらなかった。
森の中を敵から逃げるためにしっかりと前を見なければいけないのに、溢れる涙がそれを遮る。そしてまた少し目をつぶれば笑顔で草鞋の編み方を教える結の笑顔ばかりが浮かぶ。
(儂の天下の目標には…、儂の将来には人の犠牲が付き纏う……)
先程まで自分を守っていた者たちは皆いなくなってしまった。吉法師は一人森の中を逃げる中で、体力的にも精神的にも追い込まれていた。
そしてまた吉法師が身に纏う巫女姿の白装束は山中で頗る目立っていた。沓掛衆の男たちは時折その姿を見失いながらも確実に吉法師を追い込んでいた。
「よし、頭を押さえた、挟み撃ちだ」
その男たちの声を吉法師は逃げている先の方向から耳にした。背後からは別の者たちが迫って来ている。
「いたぞ、そこだ捕まえろ」
森の中で挟み撃ちにあった吉法師はついに隠れる場所も無く動けぬ状態となった。
(これまでか)
衆の男たちが前後から迫り、正にその手に捕まろうとした瞬間だった。吉法師は自分の体が別の方向からの力を受けてふわっと浮き上がるのを感じた。
(こっちの方向からも敵が来ていたのか)
そう思いながら、吉法師はもはやじたばたもせずにいた。しかしその後自分を捕えた男は余りにも素早く自分を運んで行く。そこには何か捕まったという感触が無い。吉法師は自分を抱える男の顔を見てあっと思った。
「よぉ!」
その男は鈴木孫一であった。孫一は間一髪吉法師を保護し、吉法師を胸に抱えながら颯爽と森の奥へと逃げていた。背後からは敵の衆が悔しそうにして追って来ている。
(また命が、将来がつながった)
吉法師は孫一に抱えられながら、また溢れる涙を堪えられずにいた。




