第五章 女房鉄砲仏法 力への意志(14)
内着姿の猫実は丸腰が丸見えの状態で餓鬼から逃げ続けていた。
境内に退いた直後は、武器になりそうなものを探して抵抗の構えを示そうとしていた。しかし、最初に隠れた鐘楼が金剛杖の一撃で破壊され、その後も身を隠した場所が次々と破壊されていく中で、立ち止まって武器を探す余裕は無くなっていた。その後は背後から迫る破壊音に圧倒されながら、ひたすら境内を逃げ回るのみとなっていた。
唯一境内で烏丸と交差した時は連携して反転攻勢する機会であった。しかし、烏丸の方も手にする武器が無く逃げの一辺倒になっている様で、その機会を活かすことができなかった。
「何か武器になるものを見つけねば…」
逃げ回りながらも探してはいるものの、中々武器になりそうな物は見つからない。そんな中、洗濯場を通り掛かった時、餓鬼に破壊され適度な長さに折られた竹竿があるのを目にした。
(あれは使えそうだ!)
猫実は通りすがりにその竿を手に取ると、即座に背後に迫る餓鬼に振り向けた。しかし餓鬼はそれを一振りで跳ね除けると、すかさず反撃に向かってきた。猫実は横にあった桶を投げつけたが、餓鬼はそれを簡単に弾き返し、更に勢いを付けて急接近して来ると、金剛杖の一撃を浴びせてきた。
(まずい、やられる!)
猫実は思わず近くにあった洗濯板を手に取って防御に充てた。これまで色々な物を一撃で散々破壊していた相手の攻撃を考えればこんなもので防げるものではない。猫実は更に回避の体勢を取りながら、歯を食いしばって衝撃の痛みを覚悟した。
バキン
洗濯板は餓鬼の一撃を受けると意外に軽い音を残して四散した。猫実はその衝撃で跳ね飛ばされたが、餓鬼が金剛杖を落としているのを見て、直ぐに立ち上がりその場を離れた。
(何だ 威力が落ちているのか?)
猫実は受けた衝撃が思いのほか大きくなかったことを疑問に思った。境内に逃げ込んだ時に放たれた最初の一撃は鐘楼の頑丈な柱を破壊し、楼を傾かせるほどの威力があった。それを考えればあの様な洗濯板などで無事にいられる訳がない。
(もう一度確認してみるか)
猫実は目の前に折れた旗竿を見つけると、通りすがりに手に取り、再度背後に迫っていた餓鬼に連続で打ち込んだ。そして旗竿がボロボロになると、それを投げ付け早々にまた逃げた。
(やはり…)
この手合で猫実は気が付いた。
(なぜか杖が短くなっている、それで威力が半減しておるのか)
いつ変わったのかは分からないが、明らかに餓鬼が手にする金剛杖が短くなっていた。それが威力の差になっていることに猫実は気が付いた。
(よし、もう一つ!)
猫実は寺を訪れる子供に見せる竹馬の一対を掴むと、その一本で宙に舞い上がって反転し、振り向きざまにもう一本を餓鬼に向けて振り翳した。餓鬼はその一撃を辛うじて避けると、金剛杖で応戦してきた。そして数回のほどの打ち合いとなった後、二本の竹馬も粉々にされた猫実は再びそれを投げ付けその場を逃げた。
猫実は再度逃げながら思った。
(よし、何とかいけそうだ)
金剛杖の威力の程度と共に、猫実はその打ち筋も見える様になっていた。
(よしあれで勝負)
そこで猫実の目に入ったのは境内に入った時に、最初に身を隠した鐘楼であった。猫実はその傾いた楼の柱を背にして振り返った。すると、正に餓鬼は自分に向けて金剛杖での渾身の一撃を放つ所であった。
(まだ、まだ、よし今だ!)
バキッ!
猫実が餓鬼の一撃を直撃の寸前で躱すと、勢い余った餓鬼はその一撃を鐘楼の柱に打ち込んだ。その跳ね返った衝撃で餓鬼は杖を落とした。慌てて杖を拾おうとする餓鬼に向かって、猫実はその頭上から鐘楼に掛けてあった竹梯子を振り下ろした。
ガシッ!
するとその竹梯子は餓鬼の上半身を拘束する形で捕えた。
ウガー!
手が出ない状態となった餓鬼は何とかこの梯子を外そうと、その状態のまま暴れた。
「うお、危ない!」
何とか逆に攻撃を仕掛けたい猫実であったが、梯子を振り回して暴れる餓鬼に近付けずにいた。
その時であった。
バキバキバキ ドガーン!
再度攻撃を受けた鐘楼が激しい音と共に倒壊し、楼に吊ってあった鉄の鐘が転げ落ちた。
ゴロン ゴロン
鐘は猫実と餓鬼のいる方向に転がってくる。それを見た餓鬼はすかさず、体を回転させて自身を拘束している竹梯子をぶつけ破壊しようとした。
「させるか!」
猫実はすかさず近くに飛んできた鐘楼の屋根瓦の破片を投げつけた。すると破片は餓鬼の足に命中し、足を絡ませた餓鬼は大きく態勢を崩した。そこに鐘が転がってくる。
ガン!
思わず目を背けたくなる音が猫実の耳に響いた。手の自由を塞がれていた餓鬼は受け身など出来ようも無く転がってきた鐘に頭をぶつけるとそのまま失神してしまった。
「ふう」
再度確認しても竹梯子に拘束された餓鬼が動く様子は見られない。ようやく戦闘の緊迫感から解放された思い一息ついたその時であった。
ドカーン!
背後で大きな衝突音が鳴り響いた。猫実が恐る恐る振り向くと、転がっていた鐘がそのまま観音堂に突っ込み、そこに安置されていたたくさんの観音様が蹴散らされたかの様に放り出され、地面に転がっていた。
「ま、まずい」
その様子を目にした猫実は力が抜けその場にしゃがみ込んだ。
するといち早く戦いを終えていた烏丸、熊吉、猿彦の三人が衝突音を聞きつけ、戦闘の疲労感を漂わせながら、重そうな体を引きずって猫実の許に集まって来た。三人は猫実の周りに倒れる様にして腰を下ろすと、互いに安堵を込めた笑顔を見せあった。
「猫実、ぬしも勝ったようだな、良かった良かった」
「しかしまたぬしも派手にやったな」
「ああ、あっちもこっちも酷い有様だ」
四人とも辛うじて得た勝利であった。意表を突く戦い、無我夢中の戦い、逆転の発想での戦い、そして良く見極めての戦い、それらは地の利があったとはいえ、皆それぞれが形勢が不利な中での発案を活かして得た勝利であった。しかし四人の戦いとなった場は何れも酷い惨状となっていた。
「まずいなぁ、棟梁だけでなく善空様にもお民様にも怒られそうだ」
猫実は困った表情を見せた。戦いに必死だった時には周りを気にする余裕が無かったが、改めて見渡すとその惨状の酷さがが気になってくる。
猿彦は地面に散らばる観音さまたちを指差しながら冗談めかして言った。
「まずは観音様たちに怒られるな、身代わり観音じゃねーって!」
しかし三人は猿彦に言われて、猿彦は自分で言ってみて、本当に観音様たちが自分たちの身代わりで、地面に倒された様に思えて来ていた。地の利があったとはいえ、伊賀上忍との戦いでの勝利の結果は自分たちの実力以上のものがある。もしかしたら本当に観音様のご加護があったのかも知れない。そう思うとこの観音様たちの姿と自分たちの勝利が関連付いている様な気がした。
そして次の瞬間、我に返ったかの様に真顔になって立ち上がった四人は、観音様たちを一体一体拾い集め始めた。いつまでも観音様たちを無造作に転ばせておくのは問題であると思い直していた。
「しかし何はともあれ皆で勝ったのはすごいぞ」
「相手は伊賀衆上忍の手練れの者たちの様だったからな」
「あぁ全く奇跡に近い」
「そうだな」
四人は観音様を拾い集めながら、改めて互いに振り上げた手を叩き合い、互いの健闘を称え合った。そしてようやく全ての観音様を集め終えたその時であった。
「こっちだ!」
「突入じゃ!」
「やれー!」
「突っ込め—」
餓鬼と化した伊賀衆をようやく倒したのも束の間に、狩人の格好に扮した集団の凡そ三十人が四人のいる境内に一斉になだれ込んで来た。しかしもう四人にその侵入を食い止めようとする力は残されていない。
「だめだ、もう戦うこと敵わぬ」
「もう力がでぬ」
「もう動けぬ」
「もう困った」
力が抜けた四人はその場で呆然と立ち竦んだ。
その様子を吉法師は裏山中の奥堂を覆い隠す大木の枝の上から見ていた。舞の成果もあってか、四人の絶体絶命の状況を目にしても何か妙に落ち着いていた。
吉法師はこの直前に全体の戦況を見渡していた中で、もう一ヶ所、沓掛衆の後を追い掛ける様に迫る五十人程の軍勢が側道から向かって来ているのを見ていた。
(あれは援軍に違いあるまい)
明らかに武士団と思われる集団の姿とその進行の様子から、尾張の何れかの軍勢が、自分の所在を知り助けに来たのだと思った。すると吉法師は境内の若い四人に向かって大声で叫んだ。
「寺の衆! 我ら味方の大軍がすぐそこまで来ておる! くじけるでないぞー!」
その吉法師の叫び声は頗る大きく、寺の境内全域を越え遥か遠くの山中まで響き渡った。
境内の若い四人はその声に山中の奥堂の方を振り向いた。すると木の上で堂々と仁王立ちしている子供の姿が見えた。その光景は四人の挫けそうな心と抜けていきそうな力を暫し押し留めた。
(あ、あ奴は一体?)
それはとても子供の声とは思えなかった。何か今の世を変える力がある様に感じられた。自分たちの体は満身創痍でとても戦いを続けられる状況では無い。しかしその声を聞いて体は動こうとする。何か守らなければならない、戦いを続けなければならないという気持ちが沸き起こっていた。
「やらねばならぬようだな」
「あぁ今はまだ終わりの時ではないようだ」
「休息はもう少し先じゃな」
「あぁそうだな」
同様に吉法師の声を耳にして、奥山中にその姿を見つけた狩人の集団の者たちは口々に確認し合うと、境内から反転し裏山中へとその鉾先を向けていた。
四人は皆で一つ頷くと疲労感が支配する体をおして奥堂へと向かって行った。
裏山中へと向かう沓掛衆の中で、近藤は大樹の上に仁王立ちしている子供の姿に釘付けとなっていた。子供離れしたその声の大きさに、何か子供とは思えぬ強い気を感じたが、戦場で強敵を前にした時に感じる様な威圧感を伴う強さの気ではない。近藤は隣を進む本多俊正に訊ねた。
「あれが尾張の吉法師か?」
「そうじゃ あ奴だ 間違いない」
一度既に目にしている俊正は一目で確信している様であった。
(あれが吉法師、尾張の嫡男か…)
近藤は相手が普通の子供では無いことを直感で確信した。子供相手に本気で長棒を振り回すことはないと思っていたが、ここで確実に敵とする以上、その考えを変えざるを得ないと思った。
(油断するとやられるのは自分の方だ)
長棒を握る手に何か自然と力が入っていた。
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孫一を振り切った半蔵は本堂の裏に辿り着いていた。そして佐助の鉢巻を見つけるのと同時に裏山中から響き渡る吉法師の声を耳にした。
(どういう事じゃ?)
佐助の鉢巻を見つけた時、半蔵は先行している伊賀の衆の皆がこの本堂を制圧して、吉法師を捕えている状況を思い描いた。しかし吉法師の声は離れた裏山中から響き渡っている。
半蔵は疑問に思いながらその声のした方を見渡すと、一本の大木の枝の上に一人の子供が仁王立ちしている姿が目に入った。
「あれか!」
その姿からは先程の声に相応する威風堂々とした気が伝わって来ていた。なぜそこに伊賀衆の皆が絡んでいないのかは分からない、しかし半蔵はその子供を姿を見て一目で吉法師だと確信した。
半蔵はその子供に意識を集中させながらその裏山中に向かって一歩を走り出した。するとその瞬間、真横から強烈な攻撃の気配を感じた。
「何!」
吉法師の姿に集中していた半蔵はその気配に気付くのが遅れ、咄嗟に回避しようとしたが間に合わなかった。
ドカッ! ズガーン!
半蔵は何者かの強烈な蹴りを真面に受けると、そのまま本堂に向かって吹っ飛ばされ、その外壁を突き破って本堂の中へと消えて行った。
「ふーっ!」
半蔵に渾身の蹴りを放った男はその一撃に手応えを感じ一息ついた。その男は半蔵を追っていた鈴木孫一であった。孫一はその後少しの間、本堂にできた穴から半蔵から出て来るかどうかを窺っていたがその様子は見られない。一方で吉法師の声を聞き及んだ別の集団の者たちが、声を掛け合いながら奥堂がある裏山の方に向かっている。
(側道の橋の所に迫っていた者たちか、もう突破してきたのか)
孫一は本堂の方に再度目を向けた。
(善空、ぬしに半蔵を預けるぞ)
孫一は善空に心で語り掛け、狩人の格好をした新たな集団を後ろから追い掛けて行った。寺方も敵方も皆が最後の勝負を掛けて吉法師のいる奥堂に向かっている。孫一は子供の吉の一声で皆が集まるこの状況を、何か面白く感じていた。
「吉、面白い奴め ぬしも自ら参戦するか!」
孫一は笑みを浮かべながら奥山中の奥堂へと向かって行った。




