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天下の再構築 ~信長幼将戦記~   作者: 飛里信成


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第五章 女房鉄砲仏法 力への意志(5)

 伊賀の服部半蔵と修験者の格好をした四人は、吉法師を追い掛けて山に入り込んだ後、直ぐに吉法師の姿と共に方向性を見失い、一晩山中を彷徨った挙句、酒樽が流れ着いた河原に戻っていた。


 これまで険しい伊賀の山中で忍術や戦闘、探索行動の鍛錬を行ってきた自分らが、山中で方向性を見失う事など考えられない。その原因が山中に張られた結界の封印によるものであると半蔵が気が付いたのは、ちょうど夜が明けて周囲が明るくなってきた時であった。


 半蔵は山上の方を眺めながら立ち尽くしていた。


(何故この山に結界が張られているのだ?)


 そこはどう見ても普通の山にしか見えない。半蔵が疑問を抱きながら吉法師の逃げ込んだ山を眺めていると、一人の村人の格好をした男が半蔵の所に走り寄って来た。


「お頭、分かりましたよ、近くの百姓の話によると、この山の上には知る人ぞ知る隠し寺があるらしい」


 その男は半蔵が周囲の探索に出していた伊賀の衆の者であった。


「隠し寺?」


 半蔵は少し驚いた表情で再度山の方を眺めてみたが、やはりそれらしき物は確認できない。


 吉法師を乗せていた酒樽が流れ着いたこの河原から一番近い山、そこは吉法師が自分らから逃げるため、他に選択の余地なく咄嗟に逃げ込んだ場所だと思っていたが、そこには結界が張られ、外部の侵入を拒絶している隠し寺があるという。


(吉法師は隠し寺の事を知っていたのか?)


 もし吉法師が予めその寺の事を知っていて、そこに味方内の者がいるとすれば、相手の事を良く知らずに山に入り込んで吉法師を捕まえ様としている自分たちの方が、地の利において不利になる。それは吉法師を再度浚う事に成功するより、自分たちの身を窮地に追い込む可能性の方が高い。


「どうしやす、お頭?」


 押し黙ったままの半蔵に伊賀の衆の男がしびれを切らして判断を求めた。しかし半蔵は吉法師と隠し寺の関係が分からない状況の中で、再度山への侵攻を決断しかねていた。


 暫くすると他の村人に成りすました配下の者たちが続々と戻って来た。


「お頭、この山の隠し寺は商人や僧侶などが旅の中継地として利用している様じゃ」

「お頭、時には有名な舞子や役人がお忍びで訪れているらしい」

「お頭、寺を常時警備しているのは数人程度しかおらぬ様じゃ」


 半蔵は彼らのその報告を逐次頷きながら聞いた。


「お頭!」


 そしてまた一人百姓の格好をした新たな集団が半蔵のもとに走り寄ってきた。


「山の奥に隠し寺見つけましたよ、結界の正体も分かりやした、巧妙に幻惑の薬粉が撒かれる仕組みになっておりました、でももう全ての位置を把握しやしたのでもういつでも踏み込めますぜ」


 この伊賀の衆の者たちの探索の成果により、隠し寺と結界の位置についてはほぼ把握できる様になっていた。しかし半蔵は隠し寺と吉法師の関係が分からない事が気になったままで、まだ再度の侵攻に二の足を踏んでいた。


 その中でまた一人、鉢巻きをした男が息を切らしながら走ってきた。


「はぁはぁ、お頭、大変じゃ、今隠し寺にはあの熊野比丘尼のお民の一行が訪れている様じゃ」


 この鉢巻の男の報告を聞いて、これまで静かに半蔵の指示を待っていた配下の伊賀の里の者たちが一斉に騒ぎ立てた。


「何!、熊野比丘尼のお民の一行じゃと?」

「今一番人気の舞子じゃないか!」

「儂好きやねん、是非お民を観たい!」


 熊野比丘尼お民の舞の人気は伊勢の隣国の伊賀でも広がっていた。皆が騒ぐ中で半蔵は不思議そうに鉢巻の男に訊ねた。


「佐介、よくそんな情報入ったな、誰に訊いたのじゃ?」


 佐介と呼ばれる鉢巻きのは荒れた息を整えながら答えた。


「山から場違いの派手な格好をした男が下りて来やしたので、そいつを取っ捕まえて聞き出したんでさぁ、その男はあちこちで舞子の追っ掛けをやっとるらしくて、今ここの寺には熊野比丘尼のお民の一行が立ち寄っておるとの事じゃ」


 伊賀の衆は皆が近くに寄り集まり興味を持って聞いていた。


「うーむ、折角であればお民の舞っている姿を見たいのお」


 一人がそう呟いた時、佐介は声を高めた。


「そこなんじゃが、何と、隠し寺の中には練習用の舞台があるそうじゃ」


 それを聞いて皆が驚いた。


「なるほど、それでその練習を見るために、追っ掛けの衆が集まって来るという訳か」

「その男もお民の練習を観に来ておったという訳じゃな?」


 その質問に対して鉢巻の男は面白おかしく応えた。

 

「いや、そ奴は運が無い様でのぉ、お民が舞台で練習していた時は日中の歩き回った疲れが出て境内で寝入っていたそうじゃ、目が覚めたらお民の練習は終わっていて、舞台で舞を演じていたのは泥だらけの子供だったらしく、かなりがっかりしておった」


 その話を聞いて皆が笑った。


「あー、それは同情するな」

「あぁ、何のためにこの山登ったのか」

「ははは、ちげーねぇ」

「はははははは」


皆がその男の失敗を笑い飛ばしている中で、半蔵は一人驚いた表情をして佐介に訊き返した。


「おい、ちょっと待て、その話の中の泥だらけの子供というのは吉法師の事じゃないのか?」


 すると佐介は一瞬考え込んだ後、困った様子を見せて言った。


「あ、確かにその時泥だらけで現れて舞を演じる子供とすれば吉法師の可能性が高いか、な」


 それを聞いて他の衆は佐介を野次った。


「おい、気付くの遅いじゃろ!」

「全く、比丘尼に夢中になりおって!」

「しかしお民の一行をそのまま捨て置けぬなぁ!」

「そうであろう、ついでに吉法師と一緒に浚っていくか!」

「ははは」


 皆の話がすぐに熊野比丘尼に傾く中で、半蔵は渋い顔をして呟いた。


「うーむ、どうやら山中の隠し寺は吉法師の味方内という訳ではなさそうじゃな」


 それを聞いて伊賀も衆の皆は不思議に思った。


「なぜです、お頭?」


 訊ねる伊賀の衆の者たちに、半蔵は神妙な面持ちをして答えた。


「いいか、考えてみよ、もし隠し寺の者たちが味方内の者たちであれば、山中を彷徨って泥だらけの状態で訪れたであろう吉法師に舞台で舞などさせぬのではないか、先ずは平穏に休ませるであろう」


 半蔵は横で伊賀の衆の者たちがポンポンと手鼓を打っているのを見ると、更に続けて述べた。


「恐らく吉法師は寺を訪れた時、味方内ではないその隠し寺の者たちを警戒して自身の身分を偽ったのであろう。舞子が訪れる隠し寺なれば、恐らくは神事舞に関係する者などと称したに違いない、それ故、その確認として舞を演じる破目になったのであろう」


 半蔵の説明を聞いた伊賀の衆の者たちはまたポンポンと手鼓を打ちながら頷いていた。


「なるほど、さすがお頭、読みが深い」

「とすれば吉法師と寺の者は互いに正体を探り合い、警戒し合っている感じですかねぇ」


 その伊賀の衆の者の言葉に半蔵はニヤッと不敵な笑みを見せて言った。


「うむ、恐らくその通りじゃ、寺の警備の者も多くない様であるし、よし!」


 意を決した半蔵は集まっていた十余名の伊賀の衆を前にして、背後の山を指差して言った。


「これから我らは再度あの山に侵攻する。結界を破壊しながら隠し寺を目指し、そこにいる吉法師を捕らえに行く」


 この半蔵の決断に伊賀の衆は一丸となって勢い立った。


「よおし、吉法師、今度は逃がさぬぞ」

「もう結界の位置は凡そ把握できておるしな」

「待ってろよー、吉法師!」


「待ってろよー、熊野比丘尼のお民!」

「今、会いに行くぞー!」


 里の衆は全く異なる意味においても、一丸となって勢い立っていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 その頃吉法師は朝陽が差し込む部屋の布団の中で目を覚ました。


「ここは?」


 昨夜、山中を彷徨った末に見つけた天上の舞台、そこで一度身柄を拘束された後に披露した覚悟の敦盛の舞、その後自分はどうなったのか、なぜ今自分は布団の中にいるのか、覚えがなかった。


 困惑しながら布団から起き上がった吉法師は、自分の格好を見てその困惑の表情を更に深めた。


「何じゃ、この格好は?」


 その時吉法師は巫女の様な格好をしていた。


 吉法師は自分が置かれた今の状況を直ぐに確認したいと思ったが、この格好で部屋を出る事に躊躇した。日頃周囲の目を気にせずうつけの様な格好をしている吉法師であったが、巫女姿を晒す事には抵抗感があった。


(この様な格好では人前にに出れぬ、いっその事これを脱いで素っ裸で出てやるか、いやそれも如何なものか、うーむ、巫女姿か、裸姿か、変質者としての程度はどちらの方が低いだろうか)


 吉法師が中々この後の行動の決断できずに部屋の中でうろうろとしていたその時であった。


「おっ、吉、目を覚ました様じゃな」


 部屋の前を通り掛かった昨夜の商人の格好の男が、吉法師の姿を見つけて、吉と声を掛けながら部屋に入って来た。


(そうだ、今の儂は石問屋の吉と名乗っておった)


 慣れない格好と慣れない呼び名に戸惑う吉法師に、男は笑顔で話し掛けて来た。


「ははは、昨夜のぬしの舞は見事であったぞ、何か将来への強い意思を感じた」


 男の笑顔とその話し方には昨夜とは異なり、旧知の身内を思わせる安心感が感じられた。


「我らはぬしの舞に深い感銘を受けた。ぬしの若さでその様な舞を演じる者が我らの仲間でない訳がない」


 男は笑顔のまま一つ頷いて見せた。吉法師は昨夜の覚悟を表した敦盛の舞がこの男に強く伝わったと思うと、自身も心嬉しくなり自然とその男に笑顔を返していた。


 この商人の格好をした男は紀州雑賀衆の鈴木孫一であった。


 孫一は廻船業で新兵器の鉄砲を売り込む傍ら、自ら鉄砲についての鍛錬や研究、改善を行っていて、鉄砲の使い手や傭兵軍団の頭領としての知名度も高まっていた。しかしこの時、吉法師はその様な孫一の事を知らずにいた。


 そしてまた孫一も吉法師の事を普通の子供ではないと思いながらも、この尾張の国の領主である織田信秀の嫡男である事を知らずに話し掛けていた。


 互いに互いの正体を良く知らぬまま、吉法師と孫一は笑顔を交わす様になっていた。


(人を威圧する気と人を安心させる気…)


 昨夜の男の厳しい表情を思い起こした吉法師は、目の前の孫一の顔を見てそう思い、その瞬間はっとなった。


(これは友閑先生が話されていた己の力を高めよという事ではないのか?)


 その男の気は敵となる相手に対しては強い威圧感を与え、仲間となる相手には強い安心感を与える。その気の強さは自身の内面に持つ個の力の強さに由来するものであり、それは敵に向けてはその戦意を削ぎ、味方に向けては戦意を向上させる様に働く。吉法師はその力が将来の領主として、そして更には国の力として求められるものになると思った。


(自分にはこの男の様な内面に持つ個の力の強さが必要じゃ)


 吉法師は友閑の言葉を思い起こしながら、その目標としての孫一との個の力の差を測ろうと、己の力を高める事を意識して全身に力を込めた。その時であった。


グーッ


 吉法師は大きな音で腹を鳴らした。


 吉法師は少し恥ずかしく思った。ここで個の力を比較できる様な状況では無かった。思えば笠寺で半蔵らに捕まってからまともな食事が取れずにいた。ここに着くまでは拘束の緊迫感があり空腹を感じる事はなかったが、孫一から安心感を得て、吉法師は無性に空腹感を感じる様になっていた。


「ははは、吉は腹を空かしておる様じゃな、少し待っておれ」


 高笑いを残して一度部屋を離れた孫一は、暫しの後、鮮やかな衣装を纏った舞女のお民と派手な柄の僧衣を纏った僧侶の善空と一緒に、朝飯の膳を持って戻って来た。


「吉、朝飯を持ってきたぞ」


 その孫一の声に振り向く吉法師の姿を見たお民は笑顔を見せながら言った。


「やっぱり似合っているわね、その巫女さん衣装」


 同様にその吉法師の姿を見た善空はお民とは異なり申し訳なさそうに言った。


「すまぬな、今ぬしの服は寺の者が洗っておる所じゃ、その間替わりの服を探したのじゃが、この寺には男児がおらぬ故、今ぬしに合うのはそれしかなかったのじゃ、暫し我慢してくれ、じゃが中々よく決まっておるぞ」


 二人に自身の巫女姿をジロジロと見つめられ、吉法師は恥ずかしく思った。その中で孫一は部屋の奥に膳を据え置いて言った。


「さぁさぁ、食べてくれ」


 孫一に食膳を進められた吉法師であったが、未だ互いの身分を明かせ合う仲に至っていない事を気にしていた。自分の正体も知られていない様な中で、まさか毒を盛られる事はないであろうとは思いながらも、直ぐに手を付けるのを躊躇った。


 孫一はそんな吉法師の意を察し、笑顔を見せながら言った。


「大丈夫じゃ、吉、妙な物は入っておらぬ、儂が拵えたものじゃからな」


 その言葉を聞いて更に戸惑いの表情を見せる吉法師に、お民と善空が笑顔を見せながら言った。


「孫一が拵えたと聞けば余計に躊躇うじゃない、ねぇ」

「孫一の料理はともかく、この儂の料理は大丈夫じゃ、美味いぞ」


 孫一は二人に茶化され子供の様に拗ねた表情を見せた。


「おいおい、ひどいな」


 その時の困った表情の孫一を見て皆が笑った。敵への威圧感と味方への安心感、そして時折見せる子供の様な愛嬌のある表情が孫一に親近感を寄せる魅力の一つになっていた。


(あの男の名は孫一というのか、大丈夫そうじゃな)


 三人とは昨夜出会ったばかりでまだその素性をよく知らずにいる。しかし吉法師は何か三人に対して信頼できる仲間と確信するものを感じていた。そして吉法師は笑顔を見せながら椀の吸い物を口にした。


「うまい!」


 吉法師は思わず叫んだ。


「そうじゃろう、この汁の出しにはちょっとこだわりがあるからのぉ」


 善空が自慢げに言った。吉法師は一気に椀の汁を啜ると、それを見ていたお民が別の椀を指して言った。

 

「こっちの煮物もどうぞ」


 吉法師はそのお民が勧める椀から、箸でひとかけらの芋を摘み口にした。すると口の中で程よくしみ込んでいた旨味の効いた味噌だしの味が広がりをみせた。それは吉法師がこれまでに食べた事の無い素材と味付けの調和の取れた煮物であった。


「うん、うまいうまい」


 吉法師は一気に腹を満たす様に夢中になって椀に向かって箸をつついた。その煮物はお民が調理した様で、お民はそんな吉法師の姿を見てにこやかに笑っていた。


 その姿を見ていた孫一は、吉法師に別の皿の料理を指して言った。


「吉、ちょっとこっちのも食ってみろ」


 それは吉法師がこれまでに見たこともない料理であった。


(こ、この赤いやつは?)


 孫一が指す皿の上には何か毒々しい赤い色をした食材が展開していた。恐る恐るその料理を口にした吉法師は次の瞬間、口の中にピリピリとした強烈な痛みを覚えた。


「ぐあ、何じゃこれは!」


 吉法師は思わず叫び声を上げた。それは吉法師にとって初めての味覚であった。しかしそれは正確に言えば痛覚である。その赤い食材が引き起こした口の中の痛みは、喉や舌に痺れを引き起こしている。


(謀られた!)


 吉法師は孫一に口にしてはいけない何かを盛られたと思い込み、恨めしそうに孫一の方を振り向いた。しかし孫一は謀った様な不敵な笑みではなく、何か純粋な笑みで自分の反応を楽しんでいる。


 すると苦悶の表情を見せる吉法師をお民と善空が気にかけた。


「ほら、やっぱり子供に南蛮胡椒は無理でしょう」

「うむ、この孫一の料理は刺激が強すぎる」


 吉法師は三人の様子からこの赤い食材が毒物ではない事を窺い知った。しかしこれが普通に食せる物とも思えない。


「何なのじゃ、この赤いやつは?」


 実際には食えぬ物を食わされたと思い不機嫌な顔をする吉法師に、孫一は笑顔のまま答えた。


「ははは、吉、辛かったか? その赤いやつは南蛮の胡椒でな、儂の力の源じゃ、慣れればうまいぞ、やみつきになる」


 そう言って孫一は皿の南蛮胡椒を一つまみして自分の口に放り込んだ。吉法師はその後の孫一の様子に注目していたが、孫一は特に辛そうな素振りは見せない。吉法師はじっと料理の赤いやつを見つめた。


(これがこの男の力の源?)


 内面の力を高めることを求める吉法師にとって、当面の目標と考えるこの男に力の源と言われた食材を避ける訳にはいかない。吉法師は意を決して再びその赤いやつを一つまみすると、孫一に負けじと口に詰め込んだ。しかしその直後、吉法師は口から火が出るような感覚を覚えた。


「からひー!」


 吉法師は再び絶叫の声を上げた。吉法師が口にした赤いやつは、口の周りの感覚を麻痺させた後、吉法師の体の中で熱となって拡がり、全身から汗を噴出させた。


「孫一に乗せられたらだめよ、ほら水」

「その食材、ぬしには未だ刺激が強い、無理せぬ方が良い」


 お民も善空も初めて南蛮胡椒を口にする吉法師の反応には関心があったが、それを無理に完食させるつもりはなかった。善空は無理に食べ続けようとする吉法師を止めようとしたが、吉法師はそれを聞かず挑み続けた。


「はーはーはー、水!水!」


 吉法師は唇を腫らしながら、ある意味で言えば久し振りの食を弾ませていた。


(個の力の伸ばす、そのためには出来ぬことを出来る様にすること、そして未知の新しいことに挑戦すること、先ずはこの赤いやつじゃ)


 自分にはこれから将来の良き領主となり、戦国の世を切り開いて吉乃と交わした天下の再構築をするという人生をかけた目標がある。その実現のためには先ず己の個としての力を高める必要があり、未知の新しい事に挑戦しながら、これまで出来ぬ事が出来る様になる事が必要となる。


 先ず目の前の孫一と呼ばれる男の個の力を超えるべく、赤いやつに挑み続ける吉法師の表情には、苦痛の中にも、個の向上を確信する笑みが零れていた。


「大丈夫か、吉」

「無理して食べなくてもいいのよ」


 善空とお民は吉法師の様子を心配していたが、孫一は変わらず笑顔を見せ続けていた。


「ははは、吉は面白い奴じゃのぉ、お民の言った通りじゃ」


 孫一の言葉にお民は少し困惑した。


「行動の予想ができないという面白さだったわ」


 唇を腫らし汗だくになりながら必死の形相で赤い南蛮胡椒をつつく巫女姿の吉法師は、何か戦場で戦いを挑み続ける阿修羅の様になっていた。三人はそんな吉法師を様子を見守る様にしていた。


 暫くしてようやく赤いやつが消滅してきた頃、徐に舞女の娘子の結が部屋に入ってきた。結は吉法師の食膳の様子に一瞬たじろいだ後、黙って吉法師に近寄り、一つの包みを手渡した。


「儂に?」


 何だろうと思いながら、吉法師がその包みを開くとそこには一足の自分の足の大きさに合わせて作られた草鞋が入っていた。吉法師はここに辿り着く間に草鞋を無くしていて、娘子がそれを気遣ってくれた事に感激して言った。


「ありがとう、すごいな、これはぬしが編んだのか?」


 無言で頷く娘子に、これまで草鞋を編んだ事がない吉法師は、その草履を見渡しながら草鞋を編む事ができる娘子に感心していた。するとその吉法師の様子を見ていた孫一、お民、善空の三人は少し違和感を醸し出しながら言った。


「ははは、吉はよほど育ちが良い様じゃな」

「私たちは皆、自分の草鞋くらい自分で編めるわよ」

「まぁ、我ら旅を生活の基軸としておるからな、自然とそうなる」


 この三人の話を受けて吉法師は恥ずかしく思った。自分で自分の草鞋を編む事が出来ない自分は、一人では歩く事も出来ぬ赤子の様に思われている様な気がした。


(これは個の力を伸ばす以前の問題じゃないか)


 那古野の城にいれば常に誰かが世話をしてくれる。そのため身の回りの事で不自由を強いられる事は無い。しかしその事は世間において当たり前に出来る事が出来ないという弊害を生じさせている。吉法師は己の個としての力を高める、という課題を前にして、世間の生活における自身の個の力が低いことを痛感した。


 思えば笠寺に渡る際に舟上でうまく舞う事が出来なかった際に、それを高い波のせいにしたのも、そうした周囲の環境が整った中で育って来たためであろうと思った。もし逆境の中で何でも自身の力で熟していく事を重んじて来ていれば、例えその場で出来なかったとしても、その様な言い訳は出てこなかった筈である。将来の領主となる定めの吉法師に、それは重要な心構えになると思った。


(どの様な時でもどの様な事でも自身の力で熟していく様にならねばならぬ)


 そう思いながら吉法師は娘子が編んでくれた草履をじっと見つめた。手始めに皆と同様に自身の草鞋を自身で編める様になるべく、この草鞋がどの様に編まれているのか知りたいと思った。しかし外観を見る限りでは分からない。吉法師は娘子の方を振り向いて言った。


「教えてくれ、儂も草鞋を編める様になりたい!」


 熱く求める吉法師に娘子の結は少し困った表情で他の皆を見渡した。


「ははは、結、教えてやれ、ぬしも人にものを教えるなど良い機会じゃ」

「そうね、いつも教わってばかりですから、教える方の立場にもなってみるのも良いわ」

「うむ、吉も年の近い結の方が何かと訊きやすかろう」


 三人の意見を聞いた娘は少し赤らめた顔を隠す様にして立ち上がり、そのまま部屋を出ると、廊下の方から吉法師に手招きをした。


(こっちに来て)


 そう言っているのは分かるが、やはり言葉を発する事は無い。


 吉法師は少し違和感を感じながら娘の後を追って部屋を出ていこうと立ち上がった時、善空が呼び止めた。


「吉、気がついていると思うがあの娘は口がきけぬ、戦で親を失った時の衝撃で声が出ぬ様になってしまったのじゃ」


「これも何かの縁と思って接してやってください」


 お民が吉法師に頭を下げてお願いをした。


(ここにも戦の孤児が…)


 吉法師は笠寺での玉、慶次郎、天心の三人の事を思い出した。自分と同じ年頃の子が、世に知れず戦乱の犠牲になりながら日常を送っている。その原因は今の世の仕組みにある。


(だから必要なのじゃ)


 吉法師は改めて天下の再構築が必要であると思った。


 吉法師が娘子の後を追って廊下に出ると、その娘子は廊下の先で振り返り自分が来るのを待っていた。吉法師はその後を追い掛けて行った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 吉法師が部屋を出て行った後、孫一の前には孫一が周囲の警戒に出していた四人の若い職人姿の者が並んで現れていた。


「頭領、山中で結界を破壊しながら進んでくる者がおります」


 孫一はその報告を冷静に聞いていた。昨夜結界を越えて吉が迷い込んできた時点で恐らくこの様な事態が起きるであろうと予測していた。


「やはり現れたか、して何者らか分かるか?」


 その孫一の問いに対し四人の見解は一致している様で、深刻な面持ちで一人が答えた。


「恐らく伊賀者かと思われます」


 若い四人はその警戒の中で、山中を進んで来る者たちの使っている道具や動きなど、その特徴をつぶさに観察していた。


「人数は十余名、彼らの動きからこの中には上忍が含まれている様です、恐らく率いているのは・・・」


 ここで四人は見解の最後を述べずに孫一の顔を見た。その状況から推測される人物の名を孫一に求める事で、その深刻さを伝えようとしていた。


「服部半蔵か?」


 孫一が口にするその名に四人は頷いた。


「なぜ伊賀の半蔵がこの寺に迫って来るのだ?」


 善空が孫一に問うた。


 その理由について孫一には予見する所があった。皆が孫一に注目する中、孫一は声を潜めて皆に言った。


「恐らく狙いは吉じゃ、あ奴は只者ではない。少々変わっておるがあれは名のある武家の子と見た。そして理由は分からぬが、半蔵らに追われてここに辿り着いたのだ」


 善空もお民もそれは薄々感じる所ではあった。しかしあの吉がそこまで名のある武家の子で、しかも単身でいる事が信じられなかった。


「孫一、如何する?」


 渋い表情で善空が訊ねた。


「我らの行動は一つ、吉を守る。結界が味方と識別し、昨夜のあの様な舞を演じる子供に我らが味方しないという結論はない」


「そうね、でもどうするの?」

「そうじゃ、あの伊賀の半蔵から守れるのか?」


 不安そうに訊ねるお民と善空に孫一は険しい表情で言った。


「うむ、結界を破壊しながらこの山を進んで来るという事は、半蔵は既にこの山の事を良く調べ上げていて、程なく決壊を突破してくると考えた方が良いであろうな」


 その言葉に善空とお民は更に不安な表情を浮かべた。そんな二人の表情を見ると、逆に孫一は笑顔を見せて言った。


「ははは、大丈夫じゃ、まぁ何とかなるであろう」


 そしてまた緊張感を漂わせている若い四人にも笑顔を見せて言った。


「烏丸、猿彦、熊吉、猫実、奴らを追い払いに行くぞ、付いてまいれ」


 そう言って孫一はすくっと立ち上がると、意気揚々と部屋を出ていった。その孫一の言葉に導かれる様にして、四人の職人の格好をした若い四人も悠々と部屋を出て行った。



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