第二章 敦盛(1)
吉法師と勝三郎の二騎は三河の戦場から帰還してくる尾張の軍列を目指して、巧みに馬を走らせていた。
最初に那古野の城を出た時は数騎の護衛の騎馬武者が付いて来ていたが、途中から近道として草原や田の畔道、民家の庭先や寺の山道、そして河原や山中の獣道など、道無き道を進むと、いつの間にか付いて来ているのは勝三郎だけになっていた。
勝三郎だけは今回は遅れまいと吉法師の後ろを必死に付いていた。
吉法師は時折背後の勝三郎を気にかけて、いいぞ勝三郎そのまま付いて来い、と心内で激励しながら、自ら馬術の見本を示すかの様に障害物を巧みに躱しながら馬を進めていた。
二人の乗る馬も騎乗の主が大きな大人であれば、すぐ息が上がってしまう所であるが、体重の軽い子供なれば疲れを感じる事も無い様で、二人の意思に合わせて軽やかに走り続けていた。二騎は人馬一体となり古渡への最短の道を駆け巡っていた。
やがて吉法師は古渡の城の近くの沿道に出た所で馬を止めた。勝三郎も吉法師の近くに寄って馬を止める。その沿道には尾張軍の合戦の勝利とその帰還の噂を聞きつけた大勢の民衆が、その軍列の帰還を一目見ようと集まっていた。もう父上の軍勢は通過したのであろうか、と思いながらその民衆を見ると皆が城とは反対の方向を向いている。
軍勢は未だここを通過してない、民衆の目先を見てそう判断した吉法師は勝三郎に目で合図を送り、民衆が目を向けている方向の道に向かって再び馬を走らせた。
那古野の城を出て凡そ一刻、古渡城から三河に向かう街道を馬で走る中で、中々味方の軍勢に行き当たらなかった。もしかしたら来る道が違うのでは、そう思い始めた時であった。
「見えた、あれだ!」
前方遠くに味方の軍列がこちら向かって進んで来ているのが見えた。程なく近付いて行くとその軍の旗印が見えた。それは隅立四つ目結、比良城の佐々氏の軍勢であった。
今回の小豆坂の戦で隼人正、孫介の佐々兄弟は押し寄せて来た三河の軍勢を逆に蹴散らして追い返し、戦功七本槍としての功名を得ていた。沿道で待ち受ける民衆の称讃の声の中、佐々兄弟は凱旋する軍勢の先頭として畏怖堂々と行進していた。佐々孫介は前方から近付いて来る騎馬に気が付くと兄の隼人正に声を掛けた。
「兄者、こちらに向かってくるあの二騎、かなりの勢いで近付いてくるな」
隼人正がその騎馬を注視して気が付く。
「あぁ、しかし乗っているのは子供の様だ」
騎馬の大きさに比べて馬上の騎手の姿は小さく子供と見える。子供であれだけの馬の乗りこなしを見せる者というと答えが限られてくる。
「あれはまさか?」
「うむ、間違いなかろう、吉法師様だ!」
吉法師が子供ながらに卓越した手綱捌きである事は、家中の武将達の間で広く知れ渡っていた。佐々兄弟は尋常では無い速さで近付く二騎の騎馬に一瞬戦の緊張感を感じたが、馬上の騎手が子供であり、それが吉法師でなければあり得ないと言う事が分かると、隼人正は安心して一時軍を止めて吉法師を待った。
吉法師は軍勢の先頭に佐々兄弟の二人を見つけると、その直前で馬を急停止させ、馬上より二人に大きな声を掛けた。
「隼人正、孫介、そち達の戦での活躍、使者より聞いたぞ、誠に殊勝である!」
それはまるで大将が家臣に言う褒め言葉だった。
二人はこの言葉を齢十の未だ子供の成りをした吉法師から受けると思わず苦笑した。
二人の居城は那古野に近く、赤ん坊の頃より吉法師を知っており、吉法師が幼き頃より織田家の嫡男としての養育を受け、実際に良き大将としての逸材に成長している様を知っている。しかし未だその子供の姿と、言葉使いには大きな印象の乖離があり、違和感がある。
隼人正は苦笑いをしながら応えた。
「吉法師様、お言葉かたじけのうございます」
一礼しながら謝意を述べる隼人正に吉法師は続けて問い掛けた。
「うむ、で、父上の軍勢はどの辺りだ?」
この問いに隼人正は軍勢の後方を振り返って答える。
「我らの後方、六軍目にて凡そ行軍の中間程におられるかと思います」
「分かった、ではまた後ほど古渡の城で会おうぞ」
そう言うと、吉法師は再び軍勢の後方に向けて馬を走らせた。勝三郎も佐々兄弟に一礼しその後を続いていく。二人は暫しの間、遠ざかる二騎の馬影を見送っていた。そして二騎の姿が見えなくなる頃、孫介が兄の隼人正に驚きの表情を見せながら話し掛けた。
「兄者、吉法師様は何か変わっておられるのぉ、もう既に大殿になられた様な話しっぷりじゃ、確かまだ齢十のはずじゃが、儂にはその口元に武将髭が見えた気がしたわ」
「はっはっはっ、確かにな、だがこの戦乱の世で、普通では無いと言う方が何か面白いではないか、末はどの様に成長されるか、楽しみじゃ」
その後、佐々兄弟は再び古渡の城を目指し、軍勢の先頭を進め始めた。
隼人正は軍勢を進めながら引き続き吉法師のことを考えていた。吉法師は非凡な才覚の持ち主であり、将来の尾張の領主としての成長を、佐々家を上げて支えたいと思う。先程吉法師の後ろには池田家の勝三郎が付いていたが、佐々家からも早めに家臣として送る事が望ましく、家中にも同じ様な年頃の弟がいる事を思い浮かべた。
「孫介、内蔵助は今八つか、今から吉法師様に仕えさせれば将来良き家臣になるかのぉ?」
内蔵助は二人の弟で佐々家の三男であった。この言葉に孫介が驚く。
「えぇ! あのきかん坊をか? 吉法師様への奉公など務まりますか?」
内蔵助は佐々家中でもきかん坊で皆が手を焼いており、他家での奉公が勤まる様な気がせず、孫介にはかなり不安に思った。
「うーん、やはり無謀かな」
その不安は孫介に訊ねた本人の隼人正も同様であった。兄の隼人正は佐々家の当主となり、家中では大きな決定権を持っている。しかし弟の内蔵助は気性が荒く、自分でも手に負えない所がある。
二人は家中でわがままし放題の内蔵助を思い浮かべながら、那古野で奉公する姿を想像してみた。しかしながら暴れる、喧嘩する、壊す、という印象しか想像できない。
「やはり内蔵助には無理であろうか……」
「那古野で暴れられたら一大事ですよ……」
その内蔵助の印象の悪さに二人は先程までの畏怖堂々とした姿とは異なり、悩ましげに頭を項垂らせれながらの行軍を見せていた。そして彼らを姿を目にした沿道の民衆は不思議に思った。
「先頭の武将のお二方、何か深くお悩みのご様子でしたけど、戦は大勝利なのですよね?」
「確かに何かおかしいよな、あの様子は?」
「本当は負けたんじゃね??」
先頭の佐々兄弟の様子を見て沿道の民衆も本当の所、戦勝に対する祝いの声援を送って良いのかどうか悩み始めていた。
迎える方も迎えられる方も悩まし気な行軍が続いていた。