第五章 女房鉄砲仏法 力への意志(4)
真夜中の山中にあるお堂の土間で、吉法師は憮然とした表情の山師の男の前に、目を閉じて座り込んでいた。
昼間は酒樽の中で揺られ、夕刻からは山中を逃げ回っていた吉法師は極度の疲労の中で、時折気を失いそうになりながらも、ここにいる者たちの素性について考えていた。
(一体何者たちなのだろう?)
このお堂に来るまでに商人や僧侶の格好をした者たち、そして興業の舞を披露する者たちの姿を見かけた事から、ここは旅の者たちが中継地として集う場所ではないかと思うが、なぜこの様な山中の不便な場所に、世間から隠れる様にして集まっているのかが理解できない。
そしてここには何か怪しい雰囲気を持つ者たちの姿がある一方で、悪行とは無縁そうな舞女の娘子もいる。自分を浚った集団とは異なる様だが、かと言って全員が普通の民の集団とも思えない。
吉法師は自分の身なりを一目見て考えた。
(取り敢えず儂が那古野の吉法師だという事は伏せておいた方が良い)
もしここに笠寺の時と同じ様な人浚いの集団がいたとしても、自分の身元さえ知られなければ、山中を彷徨って泥だらけの今の自分に身代の価値は無いと思われるであろう。吉法師は極度の疲労で気が緩みがちな中、改めてその気を引き締めた。
暫くすると土間の上にある廊下の奥から複数人の者たちが歩いて近付いてくる音が聞こえた。吉法師はその方向を振り向くと、もう一人の山師の格好をした男が装いの異なる三人の者を連れて来る所であった。
一人は商人の格好をした男、一人は少し派手な僧衣を纏った男、そしてもう一人は煌びやかな衣装を纏った女であった。
(あの女は先程まで五人の中心で舞っていた舞女じゃ)
吉法師はこの場所に辿り着いた時に見た暗闇に浮かぶ舞台の上で舞う女たちの幻想的な舞を思い出した。
今考えるとそれは光と音で遠くから自分を導くものであったと思うが、それは善意とは限らず、悪意を持って誘ったものとも考えられる。吉法師はその女の薄笑みをした顔の奥に、何か不敵な意図が潜んでいる様に思えた。
吉法師はその目線を土間の上の廊下に腰を下ろす二人の男に移した。すると僧衣を纏った男は少し驚いた様な表情で、そして商人の男は何か吉法師を威圧する様な表情で自分の方を見ていた。
(三人は成りも表情も三者三様じゃ)
吉法師はここに現れた三人からここの集団の素性を探ろうとしたが、三人はその成りも表情も全く異なっており、一見でその判断をする事はできない。このため吉法師は土間から見上げながら、三人が発する気を含めてその素性を探った。
(女は先程見た通りの舞女、そして僧衣の男は少し洒落た感じではあるが、その気を察する限り僧籍の者である事は間違いなかろう。問題はあの商人の格好をした者じゃ、あの体付きと肌の色、そして伝わってくる気は普通の商人の物ではない)
吉法師はこの時三人の真中に座す商人の格好をした男と合わせた目線を逸らせずにいた。相手は自分を威圧する様な目線を続けており、吉法師は身元を隠す事を考えればこの目線を早々に逸らした方が良いと思いながらも、それに対抗するかの様に自らの目線を当てていた。
(この者、何であろう、何か強い力を感じる…)
吉法師は商人の格好をした男の気に何か強く大きな力を感じていた。
それが具体的にどの様な力か、商人としての商売力なのか、戦での戦闘力なのか、それとも国をまとめていく政治力なのか、それは分からない。父信秀や権六、造酒丞に似ている様にも思えるが、全く別の様にも思える。吉法師はその男の気を受けながら、その強さの根源を探っていた。
その時、鈴木孫一は自分の目線を逸らすことなく、逆に自らの視線を当ててくる目の前の子供を不思議に思いながらその正体を探っていた。
(この子供が結界を超えてきた子供か、確かに身なりは浮浪者の様じゃ、しかしその着物はよく見ると今時の若い商人のもの、だが受ける目線の奥からは子供とは思えぬ武家の気構えを感じる・・・、不思議な子じゃ)
夜の山中に一人で結界を超えてきた子供を実際に見て、お民はどの様な子供か興味津々という表情をしており、善空は驚きの表情をしていた。孫一も内心善空と同様の驚きがあったが、表面にはそれを出さずにいた。
(よし、声を掛けてみるか)
孫一は目線を合わせたままその子供に話し掛けた。
「ぬしは何者じゃ?」
吉法師はこの問い掛けで、改めてここにいる者たちが笠寺で自分を浚った者たちとは異なり、自分の事を知らない者たちであると確信した。
先ずは内心一つほっとした吉法師であったが、この後自分の本当の身分を知れば、その時点で新たな身代金を要求する者たちとなるかも知れない。しかも彼らは自分のこの身なりを見ても簡単に浮浪者とは判断していない様で、自分に対して異常な警戒をしている。
(何と返答しようか)
この男に下手な答えをすればすぐに嘘だと見破られてしまう。しかもここでゆっくりと時間を掛けて考えれば不信感を与える事になり、即座に返答する必要がある。
(そうじゃ!)
吉法師は内心焦りを見せぬ様にしながら返答を考えていた時、笠寺で同じ様な問い掛けを受けた時の勝三郎の返答を思い出し、力強くその名を名乗った。
「儂は熱田の石問屋の吉じゃ!」
しかしその直後、吉法師は後ろを振り返り自己嫌悪に陥った。
(あぁ、自分で石問屋を名乗ってしまった)
吉法師は思考の程度が低いと言って勝三郎を責めた石問屋の吉の名を、咄嗟に自ら称してしまった事に、自らの発想の程度が勝三郎と同じであることを痛感していた。
しかし一旦言葉に出た以上、それを修正すれば一層不審に思われる。吉法師は開き直って石問屋の吉として話を進めた。
「この山に良い石があると聞いてやって来たのじゃが、山中探している内に暗くなり、道に迷うてしまっていたのじゃ」
吉法師はここはうまく辻褄を合わせた説明になったと思ったが、孫一はそのその説明を信じられずにいた。
(明らかに偽っている、その様な者では無い筈じゃ)
孫一はその偽りの説明に怒りを感じた訳では無かったが、試してやろうという思いから更に威圧する様にして問い詰めた。
「ほお、ぬしは吉と申すか、それではなぜ草叢に身を潜めて我らを窺う様な真似をしておったのじゃ!」
その力のこもった言葉尻に、吉法師はここで怯む訳には行かぬと、その時の様子を思い起しながら言った。
「暗闇の山中でここの光が目に入ったのじゃ、近くまで来てみると、舞台で舞っている舞子の姿が目に入り、思わず夢かと思いながら草叢から見入っていたのじゃ」
そう言いながら吉法師はお民に目を向けた。この吉法師の話には偽りがなく明快な説明であった。
(ほぉ)
孫一はこの物怖じしない説明に少し感心しながら後ろを振り返ると、善空、お民の二人と顔を見合わせて囁き合った。
「お民、ぬしが結界を破って奴を引き付けた事になるぞ、その様なことあるのか?」
「う~ん、分かりませーん」
「いや、あり得る、共鳴じゃ、結界自身があの子供を仲間と認識したのじゃ」
その善空の話に三人は揃って一度吉法師の方を振り向き、その様子を確認した後、改めて顔を見合わせて囁き合った。
「いや、やはりこの子供は普通では無い、危険かも知れぬ」
「いえ、予想した通り、面白い子だわ」
「いや、結界が共鳴している所を見れば潜在的には仲間という事じゃ」
「いや、この小僧自体に危険は無くても災いの方からやって来ることもある」
「いえ、やってくるのは面白いことかも知れないわ」
「いや、それはあり得る、神童に災いは付き物じゃ」
「いや、付き物などと言って軽くこの場を危険な目に巻き込む訳にはゆかぬ」
「いえ、付き物と言えば面白いものに決まっているわ」
「いや、潜在的に仲間と認識されている子供をこの夜半山中に追い出すのもしのびない」
「いや、」
三人は夜中に山中の結界を超えて来たこの子供の身元ではなく、この場に災いを引き起こす者かどうかという事を確認し合っていた。
中々止まぬ三人のひそひそ話の間、吉法師は目を閉じてまたここを訪れた時のお民と娘子の舞を思い起こしていた。暗闇の中に浮かぶ舞台の上の天女の舞、吉法師はそのまま意識が遠のきそうになる中で呟いた。
「華やかな舞じゃ、儂の舞とは大違いじゃ」
それは非常に小さな声であったが、孫一はその言葉を聞き逃さなかった。
「何、ぬしの舞とな、それは面白い、是非我らに披露願おう」
孫一のその言葉に、夢と現実の狭間に達していた吉法師の意識は瞬時に現実へと引き戻された。
「ああそれいい、面白そう」
「うむ、儂ら舞を見る目にはちとうるさいぞ」
吉法師への舞の所望、それはいつも三様の三人が一致する意見であったが、吉法師にとっては半ば強制的な要求であった。
「烏丸、猿彦、この子を舞台にお連れしろ」
孫一は山師の格好をした二人に即座に吉法師を舞台の方に連れ行く様に命じた。吉法師は疲労でもはや立ち上がる事もままならない状態であったが、否応無しに二人の山師の男に起こされ、舞台の方へと連れて行かれた。
舞台の周りにはちょうど練習を終えた興業の舞女たちと、彼女たちを取り囲む商人や僧侶たちが集まっていた。吉法師を抱えた山師の男たちは、皆に注目されながらその中を通り過ぎ、舞台へと続く階段の下で吉法師を降ろすと、そこからは一人で舞台の上に登って行く様に指示した。
その舞台の上へと続く階段は長く急であった。
(この階段を登って舞が出来る体の状態では無い)
そう諦めの思いが募った瞬間、吉法師は笠寺に向かう舟上での友閑の言葉を思い出した。
(先ずは己を高めよ)
その時友閑は自分が不可能だと思った大波で揺れる舟の上での舞を見事に演じて見せた。敵に勝ち続けるためには敵にできぬ事をできる様にならなければならない、そのためには家臣の者たちに高度の鍛錬を強いる必要があり、その将となる者にはそれを先頭で引っ張る力が必要である。そのために先ずは己の力を高める必要があると、同時に友閑は教えてくれた。
吉法師は舞台へと続く階段を再度見た。
(これは戦場に向かう階段じゃ、この勝負に求められるのは自分の力のみ、そして勝負をかけるのは自身の覚悟の舞の敦盛じゃ)
そう思い立った時、吉法師から笑みがこぼれた。
(ふ、今の儂にこれ以上の戦の舞台は無い)
吉法師は動かぬ体に、力の入らぬ足に気を込めて階段を一歩一歩登って行った。
(はぁはぁ、もう少しじゃ)
そして息を切らしながら、ようやく舞台の上に登った時、吉法師はそこに舞女の娘子と四人の奏者が舞台の上で最後の後片付けをしているのを目にした。
舞台の上には既に誰もいないと思っていた吉法師も少し驚いたが、相手方も瀕死の重症の様な状態の自分に驚いている様子であった。
(あの娘子は!?)
吉法師は恐らくこの場でただ一人の自分と同じ年代の娘子のことを気にしながら、一計を案じて奏者の四人に近付き頭を下げて言った。
「突然ですまぬが演奏を頼む」
奏者の四人はそれぞれ笛や鼓などの楽器を持っていて、まさにそれを片付け様としていた所であった。二人はこの依頼を最初自分たちでは判断できぬ様であったが、娘子が軽く頷くのを見て快く吉法師の依頼を引き受けた。吉法師は再度頭を下げると、二つ三つ簡単に舞の演奏の曲調と定型を伝えた。
(よし!)
四人に演奏を伝え終わった吉法師はじっと隣でその成り行きを見ていた舞女の娘子に目を向けた。そしてその娘子が二本の扇を手にしているのを見て話し掛けた。
「すまぬがその扇を貸してもらえぬか?」
その吉法師の問い掛けに最初反応が薄かった娘子であったが、少し遅れて俯くと、無言のまま扇を差し出した。
「すまぬ」
吉法師は一言礼を言って娘子から扇を受け取ると、体を引きずる様にして舞台の中央に向かって行った。そして皆から見える舞台の中央に立つと、諸肌を脱いで自らの舞に気を込めた。
孫一は舞台の周りにいた者たちと一緒に舞台の下から注目していた。
「さて、あの小僧はどの様な舞を演じるか?」
孫一は吉法師の舞う姿とそこで発する気に着目していた。
「孫一は面白いことをさせるわね」
「全くじゃ、我ら訊かずともその舞を見ればその人の成りが分かるというもの」
善空とお民の二人も孫一の隣で吉法師の舞に注目していた。
吉法師は皆が注目する中で、二本の扇を両手に広げると呼吸を整えて目を閉じた。それを合図にして先程指示した笛と鼓の伴奏の音が耳に入ってくる。
(動け、体)
すると同時に吉法師は自身の気が高まるのと同時に、これまでに出会った皆の姿が一斉に舞台に浮かんで来るのを感じた。
(しっかりせよ、ぬしの力はこの程度であるまい)
沢彦和尚の声が聞こえた。
(吉法師、我らの力を使え)
(吉ちゃん)
(吉法師さま)
(吉法師殿)
(若)
織田家の親類、家臣の皆がその声と共に自分の背中を、足元を支えてくれていた。吉法師には現実と幻の中で未知の力が沸き上がっていた。
(吉法師、これも我らが定めぞ)
右方から父信秀の声が聞こえた。
(これも天下の再構築に必要な事ですわ)
左方からは吉乃の声が聞こえた。
吉法師は皆に支えられながら舞を演じた。
「人間五十年、下天の内を比ぶれば、夢幻の如くなり、
一度生を受け、滅せぬもののあらざるべきか」
それは吉法師が天上の舞台で見せる将来の領主としての覚悟が込められた全身全霊の敦盛の舞であった。
(皆が儂を支えている、儂は一人では無い)
この時吉法師の気は大きな広がりを見せていた。
舞台の下ではこの吉法師の舞を皆が言葉を失いながら見ていた。
(何じゃ、こ奴の舞は!)
(この子は何か大きな物を背負っている、でなけでればこの様な舞は演じられぬ!)
(この年にして何という舞を演じるの!)
孫一、善空、お民の三人もその舞を通じて吉法師の生きる意味の重さを感じ取り、驚愕して言葉を失っていた。
舞台の端で見ていた娘子は目に涙を浮かべていた。
(一介の商人の子供にこの様な舞を演じる事が出来る訳がない)
孫一はその子供の舞を見て今度は本気でその正体が知りたいと思った。
「ぬしは一体何者じゃ?」
孫一は舞台の下から先程の問い掛けを繰り返した。しかしそれに対して吉法師が答える事は無かった。
その時吉法師はその舞台の上で力尽きる様にして意識を失っていた。




