第五章 女房鉄砲仏法 力への意志(3)
吉法師は自分を狙う追手から逃げながら、前方の暗闇の中に見える灯を目指して、山の急な斜面を這い上がっていた。
はぁはぁ
息を切らす吉法師の体力は既に限界を超えていた。吉法師は時折意識を失いそうになる中で、目に映る灯に対し次第に現実感が感じられなくなっていた。
(あれは幻ではないだろうな)
もしかしたら幻、いや天上の世界の灯なのではないか、自分はあの灯に近付くと同時に現実の世界からは遠退いているのではないか、妙な不安が過った。
しかしこの期に及んで不安に思ってみても、追われている自分が活路として向かうべき方向は他に無い。吉法師は限界の体力の中で、時折ぼんやりと翳む灯に意識を集中させて、山の斜面を登り続けた。
そしてようやくその灯が現実のものと思える大きさになった時、吉法師はその灯の方から放たれる微かな鼓の音を耳にした。
とんとんとん
とんとんとん
不思議に思いながらもその音は灯の光と共に大きくなっている。
そして更に近付いた時、その鼓の音に調和する三味線と笛の音も聞こえて来る様になってくる。
(この様な山奥で何じゃろう?)
吉法師は不思議に思いながらも、前方の灯から発せられる光と音に導かれる様にして、山の斜面を這い上がり、灯の源となっている中腹の平らな場所に出ると、その長い草叢の茂みをかき分けたその先に、灯の光に包まれた舞台があるのを目にした。
(あ、あれは?)
その舞台の上では囃子方が奏でる鼓や笛の演奏に合わせて、一際煌びやかな衣装を纏った舞女を中心にして五人の舞女たちが舞を演じていた。周囲を篝火の灯で照らされ、暗闇の中に浮かび上がって見えるその舞台の光景はこの世とは思えぬ幻想的なものだった。
吉法師はその光景に見とれたまま引き寄せられる様にして、無意識に草叢の茂みから一歩踏み出た所で突如我に返り、慌ててまた茂みの中に戻った。
(あ、危なかった、何の気なしに近寄る所じゃった、これは儂を誘い出す罠かも知れぬ、いや、もしかしたらあれはそのまま戻って来れぬ天上の世界かも知れぬ!)
そう思いながら吉法師は、改めて茂みの中から覗き込む様にして、その舞台の様子を探る事にした。
篝火に照らされた舞台は、何処かの神社か寺の境内にある様で、舞台の奥の方には現実的な本堂らしき建物が見えた。すると同時に舞台の上の舞女たちの舞も現実的なものに見える様になってきた。
(些か神前の舞としては軽い印象を受ける。神楽舞とは異なる様じゃな)
そう思いながらその舞を見ていると、その吉法師の思いに異を唱えるかの様に、突如曲の途中で演奏の音と舞の光景が止まった。
吉法師はその変転に一瞬驚いたが、その後舞台上の舞女たちが互いの舞の動作を確認しあっているのを見て、それは舞女たちが舞の練習をしている状況である事を理解した。
(あの奥の本堂らしき建物やあの舞女たちの練習の様子は如何にも現実的じゃ、どうやらあそこは天上世界では無い様じゃな)
吉法師は先ずは一つ安心して、更に舞台の周囲の境内を見渡した。
そこには大きな荷駄を携えた商人たちや何処かの宗徒らの姿があり、皆が旅の途中の様な出で立ちをしている。彼らの内の何人かは、舞台の上の舞女の姿を食い入る様に見ていたが、殆どの者は境内の所々で休息を取っており、中には寝入っている者もいた。
吉法師は尚も注意深く境内にいる者たちを観察したが、そこには自分を狙っていた怪しげな一団の者の姿は無く、人を浚う一団の拠点という様な緊張感も感じられなかった。
(ここは諸国を旅している者たちが立ち寄る場所の様じゃな)
吉法師がそう理解して安心すると、その吉法師の意を斟酌したかの様に、舞台の演奏が再開され、再び舞女たちが舞いの練習を始めた。
吉法師は直ぐにでもその境内を訪れ、那古野の城への連絡を取る協力を得たいと思ったが、舞台の舞女たちの舞に興味を引かれ、茂みの中からその様子を見続けていた。
(興行の舞か…)
その演目は興行的な趣向が取り入れられている様で、これまで見た神楽舞とは異なり、その舞には斬新な創意工夫が感じられた。特に演奏に合わせた個別の華やかさを強調する動きや五人の舞女の連携した舞は、観衆からの視点を意識した物に思えた。
自らも覚悟の舞として敦盛を舞う吉法師は、暫し舞女たちの練習の光景に見入っていると、一際煌びやかな衣装を纏った舞女が、他の舞女より一回り以上も体が小さい娘に代わった。
(あれは娘子か?)
恐らくは自分とそれほど年の差がないであろうその娘子は、その後五人の中心で他の大人の舞女に負けぬ様な大胆で華麗な舞を演じている。
(すごい、まるで天女の舞じゃ)
吉法師の目はその娘子の舞に釘付けとなり、その場を訪れて自身への助けと協力を求める事を忘れていた。
その時であった。
「動くな!」
突如隣の草叢から現れた二つの人影に、吉法師は目の前の左右から長棒を突きつけられた。
(し、しまった、ここまで来て!)
吉法師は笠寺の時と同じ様に、逃げる間も無く影の男たちに両腕を抱えられ、引きずられる様にして草叢の茂みから連れ出された。
篝火の灯に照らされて見えたその人影は屈強な体付きの職人の様な格好をした若い二人の男であった。
吉法師はその二人の姿を見て即座に逆らう事は出来ぬと思った。肩を落す吉法師に、もはや抵抗する体の力も、逃げ出す気力も残ってはいなかった。
二人の男たちは吉法師の姿を見て少し考える様子を見せた後、人が寄り集まる境内に向けて、吉法師を引きずる様に連れて行った。
(この二人は恐らく笠寺で自分を浚った者たちの仲間で、これからその仲間の元に連れて行かれるのだろう)
この後どうなるのだろう、吉法師は不安な思いの中、篝火に照らされた自身の体を見た。
先程まで山を這いつくばっていた自分の体は泥だらけになっていて、片方に残っていた草鞋は連れ出された時に脱げて無くなり、反対側の足に撒いていた袖の布もほどけていた。
この時境内にいた人々は、そんな吉法師が連れて行かれる姿を目にし様々な反応を示していた。
ある商人の格好をした者たちは冷ややかな表情を浮かべ、ある寺の宗徒の者たちは恐れを抱く様な表情を浮かべ、また舞の演奏を奏でる一団の者たちは不思議な物を見る様な表情を浮かべた。
(この姿ではどのみち那古野の城主とは信じてもらえぬであろうな)
吉法師は舞台の横を連れて行かれる時、残念な思いを滲ませながら悔しみの表情で、舞台の上の舞女の娘の方を見た。その時その娘は驚きの表情を見せていた。
(この娘子も儂を狙う集団の仲間だったのだろうか、しかしあの表情は?)
その後も通りすがりで様々な人の反応を受けていた吉法師であったが、吉法師はただ一人その娘の表情の意味だけを考えていた。
境内を通り過ぎた吉法師は二人の職人の格好をした男たちにより、本堂の方へと連れて行かれていった。
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本堂の土間に連れてこられた吉法師は、職人の格好をした一人の男が離れる中、もう一人の監視の下、その場に留め置かれた。吉法師はここで笠寺で浚われた時とは異なる対応に気が付いた。
(猿ぐつわや手足の縛りがない)
もし今度捕まったら厳重に縄で縛られ、即座に自由が制限されると思ったが、その様な対応が無い事に、笠寺で浚われた時との違いを感じていた。
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本堂の奥では吉法師を拘束した職人の格好をした男の一人が、商人の格好をした男に報告をしていた。商人の格好をした男はそれを聞いて驚きの表情を見せていた。
「と言うことは、その小僧はあの結界を破って来たと言う事か?」
「はい、見た限りでは流浪人の子なのですが、何か普通では無い印象を受けます」
その職人の格好の男の言葉に、商人の格好をした男は今度は悩んで見せた。
「うーむ」
するとその場に煌びやかな衣装を纏った舞女の女と、やや派手な僧衣を纏った男が入って来て、商人の格好をした男に声を掛けた。
「孫一、不思議な子が迷い込んで来たって本当?」
「孫一、本当か、この時間にこの寺に辿り着くとは、信じられぬ!」
二人が話し掛けた商人の格好をした男は紀州雑賀衆の頭領でその名を鈴木孫一と言った。
雑賀衆は紀州紀之湊を拠点にして自ら水軍を擁しながら廻船業を担い、日本の東西諸国や遠くは中国大陸と、日本の中心となっている京の都や大坂とを結ぶ広域の貿易で独自の繁栄を誇っていた。
特に最近は南蛮より渡来した鉄砲について、その市場の先見性を以て火薬な鉄などの原材料の調達経路を一早く確立し、その製作方法と供に日本の各地で売り込んでいた。
また雑賀衆は各所で製作された鉄砲を逆に入手して、更に別の場所に売り込む中で、その自衛のために自らも鉄砲による武装を始め、実際にその鉄砲を試しながらその品質改善にも努めていた。これにより鉄砲は原材料から日々見直されながら製品技術力が向上し、同時に雑賀衆は強力な鉄砲使いの傭兵集団と化していた。
孫一は驚きの表情を見せながら、やや派手な僧衣を纏った男に向かって言った。
「その小僧の話なら本当じゃ、儂もこの寺の結界を確認したが、あれをこの夜半に小僧が一人で超えて来るなど考えられぬ」
孫一が応えたその僧衣の男は、その名を善空南立といい、最近この寺を創建した浄土宗西山派の僧であった。
孫一は以前雑賀にある浄土宗西山派本山の総持寺でその仲を深めた旧知の善空が尾張で開山したという話を聞き、東国への商いの傍らこの寺を訪れていた。
「あぁ、普通であれば迷宮に入り込み、辿り付く事叶わぬはずじゃが」
鉄壁と思っていた結界を超えられ困惑した表情を見せる善空と孫一の二人とは対照的に、煌びやかな衣装を纏った女は笑顔を見せながら言った。
「でも辿り着いたのよね、その子、凄いわね、神の子かしら」
女はこの二人の大人を驚かせる子が突如現れた事に興味津々であった。
「お民、これは遊びじゃないぞ」
「そうじゃぞ、お民、結界を突破されたのじゃ、この後どの様な危険が迷い込むか知れぬという事じゃ」
孫一と善空は厳しい表情で言ったが、お民というその女にその様な危険性は伝わらなかった。
「ちょっと会ってみたいわね、その子に、興味が湧くわ」
軽やかにそう言うお民であったが、お民は熊野の比丘尼で熊野信仰を広めるために諸国を巡るという重き任を背負っていた。
お民が不思議な子の話を聞いて直感的に興味が湧いたのは、自身の過去の経験に基づくものであった。
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熊野を出た当初のお民は信仰を広めるどころか、日々困窮した旅の中で、精神的に塞ぎ込む日々を送っていた。
ある日、生活の日銭を稼ぐために海洋貿易で活気付く紀州紀之湊を訪れたお民は、廻船業を担う者たちに酒を振舞う居酒屋で接客に勤めていた。しかし子供様な尼削ぎ髪(肩の位の長さの髪)で暗い表情をしたお民に客は付かず、店の中で一人孤独感を募らせていた。
そんな時に二人の奇妙な客がその店を訪れた。
一人は傭兵の如く鎖帷子を顔に巻いた男で、もう一人は虚無僧の如く網笠を被った男であった。その人目を避ける様に素顔を隠す異様な二人に、店の者たちは皆接客を嫌がり、普段客が付かないお民にその相手を押し付けた。
「今日は世話になったな、まぁ、先ずは一献」
「おぉすまぬ、いや儂の方こそ勉強になった」
その成りで周囲に異様な空気を発している二人であったが、静かな会話で飲み始める二人に、お民は皆が思う様な嫌悪な印象を感じる事は無かった。そうかと言って二人に接客の笑顔を見せる事もなく、お民は無表情のまま二人に酒を注いでいた。
そして何杯目の酌の時か、鎖帷子の男がお民の袖から出た右腕を見て言った。
「おや、おぬしの右腕の彫り物、八咫烏ではないか?」
熊野比丘尼のお民は熊野で神武東征の神話に登場し太陽の化身として信仰の対象となっている八咫烏を自身の右腕に彫り込んでいた。
お民は鎖帷子の男の言葉に応える事無く、少し恥ずかしそうにして右腕を隠した。すると鎖帷子の男は自分の右腕の袖をまくって見せた。
「儂と同じじゃ!」
お民は目の前に差し出されたその男の右腕を見ると、自分と同じ場所に同じ八咫烏の彫り物が施されていた。
(え?!)
驚いた表情を見せるお民に、鎖帷子の男は酒を進めた。
「飲もう、飲もう、一緒に乾杯じゃ!」
そう言って鎖帷子の男に半ば強引に酒を進められたお民は、少し遠慮しながら一緒に酒を口にした。
それから何度三人で乾杯したであろうか
「やたがらすぅ、かんぱーい!」
お民は完全に酔って人が変っていた。
鎖帷子の男と編笠の男の間で、酔いが回ったお民の尼削ぎ髪の姿は、異様な二人の姿の中に完全に溶け込み調和する様になっていた。
「ねぇ、編笠さんには八咫烏付いてないの?」
お民はもはや接客の立場を忘れ、絡む様にして、編笠の男に変な質問をしていた。
「いや、儂には付いておらん、一応これでも仏法に生きる身じゃかならな」
そう言う編笠の男に、鎖帷子の男は声を上げて笑った。
「ははは、実は付いてるで、この男にも!」
そう言って鎖帷子の男は強引に編笠の男の上着を掴んで脱がし、その背中をお民に見せた。
「おい、やめぃ」
お民が嫌がる編笠の男の背中を見ると、そこには確かにくちばしの付いた八咫烏を思わせる様な火傷の痕が付いていた。
「ほら、あるじゃろう」
酔った中でそう言われれば完全にそれは八咫烏である。お民が笑いながらその痕について訊ねると編笠の男は渋々答えた。
「若い頃に色々な荒行に挑戦してのぉ、その時の思い出じゃ」
「えー、何それ?」
多くを語らずに、八咫烏の話題をやり過ごそうとする編笠の男に対して、お民は鎖帷子の男にその説明の詳細を求めた。
「ははは、この男、若い頃に熊野で無茶して火渡りの荒行に挑戦したら、あまりの熱さに炭の上ですっころんで背中を焼いたのじゃ」
「詳しく説明せんでよい」
訝しむ編笠の男の言葉にお民は笑顔を見せた。
「あははは、その話知ってる、有名だわ、確か熊野を浄土の場とみなして訪れた若い修行中のお坊さんが体験の火渡り修行で転んで丸焦げになりそうになったという話でしょ」
「そう、それ、この人です」
指差す鎖帷子の男に編笠の男は困った態度を見せながら言った。
「いや、それは儂の語り継がれる伝承として格好悪い、せめて熊野の八咫烏をこの身に焼き付けたと言って」
そう言ってしぶしぶ背中の痕を八咫烏として認証する事にした編笠の男に、鎖帷子の男は声を上げて笑った。
「うーん、でもちょっと待って・・・」
しかしその時お民は編笠の男の痕に何か物足りなさを感じた様で、急に何かを思いついた様にして一度席を外すと、墨の付いた筆を持って来て、笠の男の背中に当てた。
「な、何をするのじゃ」
「大丈夫、これ炭じゃなくて墨だから」
「おー、なるほど」
するとその背中には墨で二本の線が足されていた。
「この八咫烏は足が一本しかないから描き足した訳じゃな」
「はい、その通り、私と鎖帷子さんの分の足でーす」
「はいはい、好きにしてください」
お民はそのようやくその八咫烏に納得した様で、酒の入った杯を掲げ、楽し気に大きな声を上げた。
「三羽やたがらすぅ、かんぱーい!」
三人は八咫烏での出会いを酒の肴にして、店の中でも一番の盛り上がりを見せていた。
やがて店の中の盛り上がりも最高潮に達すると、店の中でささらの演奏が始まり、至る所で踊りが始まった。
「よし、踊るぞ」
鎖帷子の男はその演奏と酔った勢いに、居ても立ってもいられぬ気分になり、立ち上がって踊りを始めた。
「え、ちょっと分からないけど」
「儂も知らぬ」
そう言う二人に鎖帷子の男は激を飛ばして言った。
「あのささらの音に合わせて体を動かせば良い」
暫くすると、客の皆がささらの演奏に合わせて一斉に踊り始めた。それは地元雑賀の踊りで、仲間の一体感を心から感じるものであった。
最初遠慮気味に踊っていたお民は酒の勢いと周りの雰囲気に流され、その踊りの中で楽しさを感じ、積極的な踊りを見せる様になっていた。
(私にも楽しめる事があったんだ)
するといつしかお民は鎖帷子の男と編笠の男を背後に従える様な形で、自らが良く知る巫女舞を取り入れた踊りを披露する様になっていた。すると次第にお民は周囲の注目を見せる様になっていた。
演奏が進むにつれて、その尼削ぎの髪で子供の様に軽やかに舞う斬新なお民の踊りは周囲の観衆に大いに受けて、多くの若い男衆に取り囲まれる様になり、店の一段高い台上に登らされて、更なる注目を浴びる様になっていた。
「いい笑顔じゃ、重き任を背負っておる様じゃが、先ずは自身の生を楽しめるむことが大事じゃぞ」
「ぬしの笑顔は皆の幸を生み、争いの無い良き世界を作る事ができる、楽しみながら進むが良いぞ」
鎖帷子の男と編笠の男は、お民が台上に上がって行く途中でその役目を終えたかの如く、そうお民に言葉を残し、若い男衆に押し出される様にして徐々にその場を離れていった。
「お二人は一体…」
二人は以前から自分の事を知っていたのではないか、そう思ってお民は二人に問い掛けようとしたが、既に二人は周囲の男衆の中に埋もれ、その姿は見えなくなっていた。
店の他の接客の女衆はそのお民の変貌と客の男衆の熱狂ぶりに驚いていた。
「一体お民はどうしちゃったの?」
「突然人が変わったみたいだわ」
「何かあったのかしら?」
店の接客の女衆たちは、盛り上がる客の男衆を傍目に、一人で店中の男衆の視線を独占するお民に羨望の念を抱きながら店の片隅に固まっていた。
「確か今日変な二人の客の相手をしていたはずよ」
するとそう言った接客の女の横に、ちょうどその変な二人の鎖帷子の男と編笠の男が男衆の固まりからはじき出された様に出て来て会話を始めた。
「あぁ、もう限界じゃ、この姿で踊りは厳しい」
「いや、この姿で居酒屋に入る事自体無謀であったのじゃないか」
「いや、ぬしが是非一度行ってみたいというから」
そう言いながら鎖帷子の男と編笠の男は、店の片隅で我慢出来なくなり、それぞれ顔を覆い隠している物を脱いだ。
するとその様子を見ていた接客の女衆たちは、その二人の素顔を見て驚きの反応を示した。
「あー、あれ、孫一じゃない」
「そうだわ、鈴木孫一だわ」
「隠れてこの店に飲みに来ていたのね」
「私が酒の相手をしたかったわ」
「相手の坊主頭は誰かしら」
「あれは昼間に孫一と一緒にいた善空さんじゃないかしら」
「善空さんも飲みに来るのね」
鈴木孫一はこの時地元での知名度が高く、また浄土宗僧侶の善空はその仏門の立場故、軽く居酒屋に飲みに来れる様な身分でなかった。しかし庶民の最先端を知らねば庶民の中で自分の仏法を広める事は難しいと語る善空は孫一に頼み、鎖帷子と編笠で素顔を隠して、最先端の大衆の場の居酒屋を訪れる事にしていた。
二人の存在を知った店の者たちは店の端で騒ぎ立てた。
「まずい、逃げるぞ、善空」
「うむ」
その騒ぎをお民は台の上から見ていた。
(孫一さんと善空さん?)
お民はこの時踊りを演じながら、ささらの奏者に指示を出す様になっており、ささらの奏者も気分を向上させて新しい曲調の演奏を楽しんでいた。そしてお民は自らその演奏合わせて歌声を上げ、これまでに無い新しい場の盛り上げ方を披露していた。
(二人ともありがとう、これからは先ず生きるを楽しむわ)
盛り上がる客の男衆の注目を浴びるお民は、二人が慌てて店の外へと出て行く姿を、笑顔で踊りながら見送っていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お民の踊りはその後新しい興業の舞として完成し、その斬新な舞の噂は東海の諸国に広がった後、お民は諸国を股に掛けるほど人気の高い演舞の旅団を率いる様になった。
「三羽やたがらすぅ、かんぱーい!」
熊野比丘尼のお民、八咫烏を家紋とする鈴木孫一、そして熊野を自身の宗派の聖地とする善空、熊野と八咫烏の縁で繋がった三人はその後も時々再開しては、その友好な関係を続けていた。
人は生きるを楽しみ、人に会う事で運命が切り開かれる
孫一と善空は意識せずにいたかも知れないが、それからのお民はそう考えながら、自身の活躍の場と人気を広げていた。
そして今、三人が再開したその場に現れた不思議な子、お民はそれを単なる偶然とは思えなかった。
「よし、先ずは会うてみるか?」
「そうじゃな、あれこれ考えるよりそれが早かろう」
「ふふふ、面白くなってきたわね」
三人は吉法師に実際に会ってみる事にした。




