第五章 女房鉄砲仏法 笠寺の姫(10)
宴の行われていた屋敷の周辺では、宴席に参加していた皆で吉法師を捜していた。
なかなか厠に行ったきり戻って来ない吉法師に対して、皆は最初いつもの吉法師の特異な行動で、何処か興味に引かれた所に寄っていると考えていたが、半刻ほど経って、その考えは吉法師の身に起きた異常事態への懸念に変わっていた。
勝三郎は屋敷内では見つからない吉法師の姿を求め、一人夜の笠寺の門前町の中を捜し回っていた。
「吉法師さまー!吉法師さまー!」
吉法師の名を叫び続ける勝三郎であったが、夜の門前町は人通りも疎らで、その声に反応する者はいない。
(共は無用じゃ)
勝三郎は厠に向かう時に言った吉法師の言葉を思い出した。
自らの意志で何処かに行っているのか、それとも強制的に誰かに連れて行かれたのか、勝三郎には吉法師が今どの様な状況でいるのか皆目見当が付かなくなっていた。
(近くで行われていた祭りを見ておったのじゃ)
津島の天王祭でやはり厠に行くと言っていなくなった吉法師は、皆で大騒ぎをする中、そう言ってひょっこりと戻って来た。今回もその様な事ではないかと思って門前町の中を探してきたが、この笠寺で吉法師の気を引く様な催しが行われている様子は見られない。
「一体何処へ行かれてしまったのじゃ」
時間が経つにつれて、何か吉法師の身に悪い事が起きたのではないかという不安感が増してくる。勝三郎はやはりあの時厠まで付いて行くべきだったと後悔した。
やがて勝三郎は門前町の端の視界が開けた場所で立ち止まり、点々と篝火の焚かれている道の先を見渡した。その道は満潮に向かって潮の入り込んだ浅瀬へと続いており、雲間から照らす月の明かりは、その先の対岸との間に光の帯を醸し出していた。
勝三郎は暫しその光と闇の幻想的な世界の中に吉法師の姿を探したが、いくら目を凝らして見ても、吉法師どころか生き物の姿すら見つからなかった。勝三郎は遥か対岸に見える小さな篝火の灯を見ながら思った。
(もう吉法師さまはこの笠寺にはおられぬのじゃろうか、このまま探していても見つからぬ様な気がする)
物心が付いた時からいつも身近な存在であった吉法師が、今は何か幻影の様な存在になっている。勝三郎は夜の笠寺で一人吉法師を探す事に限界を感じていた。
(致し方ない、一先屋敷に戻って皆の捜索の状況を確認しよう…)
勝三郎は何の情報も得られず、捜索の展開に光明が感じられない事に気を落としながら、皆のいる宴が行われた屋敷に戻る事にした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
勝三郎が屋敷に戻って来ると、その中庭では又兵衛が一人腕組みをし、考え事をしている様子で立ちつくしていた。
きっと又兵衛も吉法師の行方が分からなくなっていた時、水野家の侍女と飲み呆けていた事を後悔して、気を落しているのであろう、そう思った勝三郎は又兵衛に力の無い声で話し掛けた。
「又兵衛、吉法師さまは何処に行かれたのであろうかのぉ、このまま見つからぬ、なんてことにならぬかのぉ」
気落ちした様子で話し掛ける勝三郎に対し、又兵衛はどっしりとした声で応えた。
「勝三郎、今我らに気落ちしている時間は無いぞ、今我らが直近で行うべきは、一刻も早く吉法師様の現状を把握し、その状況と問題点を見極め、我らが行うべき行動を方策として検討し確定させる事じゃ」
勝三郎はその又兵衛の言葉を聞いて目を丸くした。
又兵衛の言葉には動揺も後悔も感じられなかった。当然又兵衛も今の吉法師の行方不明の状況に対して内心動揺している筈である。しかし又兵衛はこの現状を見極めるために、その様な不要な感情を捨て、やるべき事をやるという姿勢に徹している。
(さすがは小豆坂七本槍の男じゃ)
勝三郎はこの又兵衛の姿勢に感心すると共に、自らも気を引き締めて言った。
「そうじゃ、又兵衛の言う通りじゃ」
勝三郎は意地を張り、又兵衛と同じ様に胆が据わっている様な態度を見せた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
暫くすると、中庭の厠から屋敷に向かう場所で吉法師の行方に関する痕跡を探していた水野信元と滝川一益が、渋い表情を浮かべながら二人の元に近寄って来た。
「やはりあそこかも知れぬ」
信元が中庭の一点を指差しながら言葉を重くして言った。そして一益は手にしていた泥だらけになっている子供の大きさの草鞋の片方を勝三郎に見せて言った。
「これが複数の大人の足跡に囲まれて落ちておった、勝三郎どうじゃ?」
勝三郎は一益からその草鞋を受け取ると、付いていた泥を掃い落として叫んだ。
「間違いない、吉法師さまのじゃ」
それは勝三郎にとって見慣れた吉法師の草鞋であった。勝三郎と又兵衛が信元と一益に導かれて草鞋が落ちていた場所に行くと、雨上がりの少しぬかるんだ地面に複数の大人の足跡が何かを取り囲う様に残されていた。
「あの真中にそれが落ちておった」
囲まれた大人たちの間に落ちていた吉法師の草鞋、それは吉法師が何者かに連れ去られたという事実を示していた。
「やはり吉法師様は何者かに連れ去られたという事か」
又兵衛がぼそっと呟いた。信元と一益は足跡の状況を見ながら言った。
「この足跡の様子だと人数は四、五人位じゃな」
「あぁ、屋敷の外から侵入して来た者たちの様じゃ」
信元と一益は残された足跡の状況を見ながらそう分析した。しかし勝三郎はその二人の分析に疑いを抱いた。
(吉法師さまは本当に外から来た者たちに浚われたのであろうか?)
今回の吉法師の笠寺訪問は前もって予定していたものではない。その様な吉法師を誰にも知られずに一瞬で連れ去る事は容易い事では無い筈で、確実にその機会を得るためには、常に近くでその行動を見張っている必要があったと思われる。その意味においては、誰だか分からない外から侵入した者たちよりも、今日出会ったばかりながら共に宴席の場にいた水野や滝川の方が怪しく思える。
勝三郎は信元と一益を様子を疑念の籠った目で覗いた。
(もし裏でこの二家が組んでいたら)
宴席の場で勝三郎は滝川に身を寄せる慶次郎に、又兵衛は水野家の侍女にその注意を奪われていた。もしこれが吉法師から自分たちを共としての役目を離す目的の下に行われていたとしたら、と思うと一層この両家が怪しく思えた。
(いや、その様な事は有り得ない、と信じたい)
しかし信元も一益も今日出会ったばかりとは思えないほど真剣に吉法師の行方を捜してくれている。そして酒宴の場で見せていた女、子供を含めた家族的なもてなしにしても、その裏で吉法師を連れ去ろうという計画が行われていた様に思えない。勝三郎は頭の中で両家に対する正否の思いを葛藤させていた。
四人が吉法師の草鞋を取り囲む足跡について引き続き検証を行っていると、信元の娘婿の水野森隆が何かを手に信元の所に来た。
「義父上、あちらの植木の影でこの様な紙切れを見つけたのですが、何か吉法師様の行方に関連しないでしょうか?」
森隆は吉法師の行方を探る手掛かりを求め、所々地面を這いつくばる様にして痕跡を探していた様で、その顔や衣服には所々に泥がべっとりと付いていた。
信元は森隆からその紙切れを受け取ると表裏注意深く観察した。
「うーむ、何かの切れ端かのぉ、何か印が押されておる様じゃが」
紙切れには一つの印が押されている他に手掛かりになる様なものは見当たらなかった。信元は隣の一益に確認のためその紙切れを手渡した。一益は少しその紙切れを観察していた。
「雨には濡れておらぬようじゃ、という事は雨が上がった後に落とされた物であり、吉法師殿がいなくなった時間とは矛盾がないという事になる、となればこれはやはり手掛かりになる物やも知れぬ」
一益は雨の上がった時間を考え、この紙切れが吉法師に関連する物の可能性が高いと推測した。
「なるほど」
「確かにその通りじゃな」
又兵衛と信元がその一益の推測に頷いていると、今度は屋敷の裏手から慶次郎と天心の二人が駆け寄って来て叫んだ。
「おやじー、向こうの台所で突然大入道が現れて、酒樽を持ち去って行ったと騒いでおるぞ!」
「父上、これは何か吉法師さまと関係しているのではありませぬか?」
二人は屋敷の縁の下や天井裏、蔵の隙間など普段あまり人の入らない所を探していた様で、この時の二人の姿は、勝三郎たちが最初に出会った時以上に埃や煤、蜘蛛の巣などをその身に纏っていた。
二人を見て勝三郎は思った。
(何て必死に捜してくれているのだ・・・)
今日出会ったばかりの滝川と水野の両家が、吉法師の事を自分の家族の事の様に案じ、自分の身なりを犠牲にしながら自発的に行動してくれている。勝三郎は両家の行動の中に、吉法師が酒宴で最後に残した言葉が強く残されているのを感じた。もし吉法師を浚う事を目的としていたならば、もはやその目的を得た現状において、この様な行動を取る意味は無い。
(嘘、偽りは感じられぬな)
勝三郎は二家に対して生じた疑念を打ち消しながら、慶次郎と天心の報告に着目した。
慶次郎と天心は台所で屋敷の者たちが語っていた様子を話した。
「何でも現れた大入道は身の丈は1丈(約3m)もあった様じゃぞ」
「えぇ、そして酒樽を一つ抱えて持ち去ったらしいですよ」
一益も信元も、そして又兵衛も俄かには信じられない話だと思った。
(身の丈一丈の大入道が酒樽を持ち去った?)
皆がこの特異な事件に吉法師失踪との関連性を予感した。
「よし皆で台所の方に行ってみよう」
信元は皆に誘い掛ける様にして言った。
「うむ、行ってみよう」
「台所はどっちじゃ?」
「あっちじゃ、行こう行こう」
皆は信元の意見に同意して、一斉に台所に向かって駈け出した。
皆と一緒に台所に向かいながら勝三郎は思った。
(この両家は大丈夫じゃ、この両家の皆で一緒に捜せばきっと吉法師さまを見つけ出す事ができる)
一人で捜している時には感じられずにいた光明が、未だ小さいながらも感じる事が出来る。勝三郎は吉法師の捜索への意欲を一層高めていた。




